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徒然なるまままに

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鈴木春信 @日本の伝統文化2「浮世絵」小林忠

2020-03-29 | 絵画



小林先生は、春信が専門。本書での春信の取り上げ方をチェックした。

第2章 浮世絵の本質。
大量生産の仕込絵。吾妻錦絵の誕生とその代表作である春信「座敷八景」(図17 包み紙、図18 手拭掛の帰帆、ともに平木浮世絵財団)。

大和絵氏という自意識。春信がデビュー当時は、五代目市川羽左衛門や二代目瀬川菊之丞を描いた役者絵を発表していた。とくに「王子路考」と愛称された菊之丞については肉筆画も残した。(図22 「二代目瀬川菊之丞」太田記念美)晩年には「我は大和絵師也、何その形を画くに耐えんや」と公言してはばからなかった(大田南畝「小説売飴土平伝」(明和6年、平賀源内序、春信挿絵))

第3章 浮世絵のさまざまな受容者たち
子供から大人まで。上等な錦絵は春信の中判は一枚160文(口絵6「三十六歌仙藤原敏行朝臣 MOA美」参照)
江戸っ子の誇り。浮世絵の本格カラー化への江戸っ子の歓迎ぶりを、大田南畝が「寝惚先生文集」(明和4年)の狂詩「東の錦絵を詠ず。忽ち吾妻錦絵に移ってより、一枚の紅摺うれざる時、鳥居は何ぞ敢て春信に勝わん」で報告している。新語「吾妻錦絵」の生みの親は平賀源内ではないかと、芳賀徹氏は想像している。

地方人にはまばゆい江戸絵の魅力。春信の代表作「風流艶色真似ゑもん」(図46 初編第10図「蚕部屋」(国際日本文化センター))のセリフ
「(夫)せな(兄)が江戸みやげにあづまにきと云色絵を見たら、気がわるふなった。(妻)これもうし、おこ(お蚕)さまのまへ(前)でけが(汚)れますぞへ。」せな(兄)が江戸みやげは、江戸の「色絵」は、普通の錦絵でも地方の農村の人にとっては刺激が強かった。江戸の光彩はあかるく魅惑的だった。

第4章 浮世絵の主題
見立とやつし。「坐鋪八景」の初版包紙には「風流絵合」とある。(図51 シカゴ美)。瀟湘八景になぞらえて、「夜雨」(口絵5 台子夜雨シカゴ美)の音をきいたり、「落雁」(図52 琴柱の落雁 シカゴ美)を想像した日常風景。城西山人巨川こと大久保甚四郎舒の企画。

明和二年乙酉の絵暦の流行では、大久保巨川が率いる巨川連と(阿部八之丞政寛が率いる)莎雞連が見立の趣向を競い合った。「採蓮二美人」(図53 シカゴ美)「見立夕顔」(莎雞、明和3)「見立桃太郎」(初考 明和2)、「見立菊慈童」(図54 東博)など。小林の好きな「見立菊慈童」はカレンダマークは認められないが、着衣の模様に折り鶴が散らされており、酉年明和二年の絵暦にふさわしい。

歌意の見立。「風流四季歌仙・二月・水辺梅」(図55 慶應義塾)「末みずぶ人の手さへや匂ふらん 梅の下行く水の流れは」の歌意と図様が相呼応して恋の情調が協奏、共鳴して甘く美しい。
「三十六歌仙藤原敏行朝臣」(口絵6 MOA美)「秋きぬと目にはさやかに見へなども風のおとにぞおどれかれぬる」。歌意をうけて秋風の到来を感じとる江戸女性を描く。残暑の日差しをあかるいピンクの縁側、池の水面の淡い青など寒色系の色合いで涼風をあらわす。カラリストの才能を全開させた春信の周到な色面の構成が美しい。

第5章 浮世絵の魅力の源泉
浮世絵美人画の特質。春信の描いた「おせん」は小林氏が母や姉から教わった手鞠歌にも残っている。「向う横町のお稲荷さんへ、一銭あげて、ざっと拝んでおせんのお茶屋へ、腰をかけたら渋茶を出して、渋茶よこよこ横目で見たらば、土の団子か、米の団子か、おだんごだーんご」
大田南畝は「小説売飴土平伝」に「阿仙阿藤優劣弁」という戯文で笠森稲荷の水茶屋お仙と浅草楊枝店本柳屋のお藤を論評。お仙は「琢かずして潔いに容つくらずして美なり、天の生せる麗質、地物の上品」、お藤は、眉を淡く掃き口紅は濡れたように化粧上手、象牙の櫛や銀の簪で髪を美しく飾って隙がない。「玉のような生娘とはそれ此れ之を謂うか」と嘆賞。王子稲荷大明神が現れて、谷中という郊外でいち早く評判をとったお仙の勝ちと裁定。とはいえ、「小説売飴土平伝」の挿絵で、春信は二人を描き分けていない。「お仙とお藤」(図82 スポルディングコレクション)も同様。湯島天神の巫女「お波とお初」(図86 ボストン美)も春信美人の型にそって描かれた

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