こちらでもひどい夕立ちだった昨日。母の89歳の誕生日でした。
母は、3年前から施設暮らし。名古屋近郊の⚪︎⚪︎星という可愛らしい名前の施設で、面倒を見てもらっています。
最初のころは同じ話を何度も繰り返すようになった、同じものを山ほど買ってきたとか、それほど目に付かない症候から、ゆっくりいろいろなことができなくなって、だんだんも記憶もなくなっていって、もう私がどこで何をしているのか、思い出せなくなってきています。
母とは仲が良かったし、何があっても私の味方をしてくれていたし、いろんなところへ一緒に旅をしてきたからね、
このプロセスを受け入れられるまでには、ずいぶん悲しい思いもした。
思い出がつのるだけ、その分悲しいっていうのって、あるよね・・・
それでも、面会に行けば、私が誰なのかは分かって、にっこりと目を輝かせてくれる、面会から帰るときにはいつも、「ありがとう、気をつけて帰るんだよ」と言ってくれる。
ほとんど時間は、自分だけのワイルドな空想の世界で暮らしているけれど・・・そして、現実との接点はどんどん小さくなっていっているけれど・・・
子供にかえってしまっていても、施設の職員さんに感謝を示したりとか、兄夫婦と私とのハートのつながりは残ってるのは、奇跡のように嬉しいこと。
昨日は、秋のマニーシャのワークショップの打ち合わせやら、鹿児島からはるばる来てくれた古い友人のセッションやらで、結局実家に帰りそこねて、遠くから母を想う日になりました。
タロットと数秘のセッション、とっても素晴らしい時間だったな~~~~「私」と「あなた」の垣根が壊れて、大いなるものから降り注ぐ愛を受け取る時間・・・これぞセッションの醍醐味ですよ~
もう、ありがたいとしか言えない、尊い時間でした
日がとっぷり落ちてから、彼女をバス停まで送っていった道々、雨上がりの夜の風の匂い、お花や緑が夜の闇の中でかすかにキラキラと輝いて・・・
ただただ、もう満ち満ちていた一日。
お母さん、誕生日おめでとう
生まれるも、死ぬも、ただ大いなるものの腕の中。
いのちのつながりに、その輝きに、ただただありがとう
おかげさまで、いのちをいただいて、こうして満ち満ちて生きている、生かされている。
これを読んでくれたあなたにも、ありがとう・・・
(写真は、インドのとある空港の夕日です~)