きのうは、3.11からまる2年、
たくさんの祈りが捧げられた日でした。
一人ひとりの人たちが、それぞれに自分自身の内面と向き合い、
そこにある悲しみや痛みを共有していたのだと思う。
もちろんだれも苦しみたくはないけれど、
深い悲しみや痛みは、大きな変容への扉にもなる。
私たちの知っている死と生を超えた、真のいのちに満ちた世界への・・・
それはとっても大変なプロセスかもしれないけれど。
死という観念にはとっても大きな恐怖がつきまとっているので、
強いられるまで、なかなか向き合う気にはなれないよね。
でも、2月のOSHOの瞑想センターでの死のワークショップの体験は、
予想を超えた、すばらしいものでした。
今はこの世にいない、大切な人たちとも、この時間とプロセスを共有していたのかもしれないな・・・
扉の向こうは、ただただ光と喜びに満ちている、
ただただあふれ出しているよ・・・
死があるからこそ、この世界の、毎日のなにげない時間がこんなにも輝く。
今ここに、生きてるって奇跡を抱きしめたいと思う。
窓から見える隣の庭の、満開の梅の花びらが、まばゆい日差しのなか、ちらほらと旅を始めてるよ。。。