昨日の産経の大ウソのつづきです。以下も産経抄をご覧ください。
「日の丸」礼拝・「君が代」斉唱拒否は「不当」とする産経の暴論について
まず、産経の敵視する中国と北朝鮮国内で、国旗に礼拝しない、国歌を斉唱しない国民を弾圧したら、中国政府や北朝鮮政府を応援するだろうか、という問題設定で十分でしょう。全く身勝手な産経と言えます。
以下の記事を書きましたのご覧ください。
「強制·義務化しない」と言って国旗国歌法を正当化した自民党政権のウソ 2013年7月1日
靖国の「英霊」参拝思想は「英霊」の冒涜!不道徳の極地!
産経のデタラメを検証しておく必要があると思います。以下の記事を書きましたのご覧ください。
身勝手な英霊尊崇心は戦死者·虐殺された民衆を冒涜するもの!最悪 2013年12月26日
強制しなければならない国旗・国歌は、オレオレ詐欺!
本来国歌・国旗などというものは国民の自発的なものであって、強制すべきものではありません。強制しなければ成り立たないところに、権力者の大ウソ・ゴマカシが浮き彫りになります。産経は、この大ウソのプロパガンダ、装置です。憲法違反、歴史偽造・偽装の、オレオレ詐欺と同じです。
安倍首相の靖国参拝を公約とする産経の大ウソ!公約は憲法遵守!
そもそも「公約を守った首相を評価すれば、赤点をつけられそうだ」という大ウソです。安倍首相が守らねばならぬ「公約」とは何か!産経は判っていないというか、スリカエるというか、憲法平和主義を敵視しているので、眼中にないというか、国民に大ウソをつくのです。
ポツダム宣言を受諾した日本は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」として制定した日本国憲法前文の理念、これは「国際公約」でした。その「国際公約」などはすっかり無視をする身勝手さは、国際社会からみれば、不道徳極まりないものです。
では、まず本文をお読みください。
[産経抄] 君が代を歌わない社会科教師 4月17日 2014.4.17 03:20 (1/2ページ)http://sankei.jp.msn.com/life/news/140417/edc14041703200001-n1.htm
作家や大学教授の書いた文章が大学入試に使われると、試験後に問題用紙が送られてくる。試しに解いてみると、正解には至らない。「まさに著者失格です」などと自嘲するエッセーに、時々お目にかかる。
▼東京都八王子市の都立高校で行われた、3年生の「政治・経済」の期末試験に記事が採用された毎日新聞の記者には、そんな心配は無用である。記事は、昨年12月26日の安倍晋三首相による靖国神社参拝を伝え、政治部長が批判的な解説を加えたものだ。
▼設問には、中国と韓国からの厳しい批判と、アメリカが出した「失望」のコメントが紹介されている。これについて説明するとともに、「自分の思うことを自由に書きなさい」というのだ。出題者の50代の男性教諭は、「君が代を歌う社会科教師は少ない」と公言しているそうだ。その政治的主張を忖度(そんたく)しながら、靖国参拝を批判すれば、毎日新聞の論調通りの正解文となるわけだ。
▼国のために殉じた英霊に祈りをささげるのは指導者としての責務である。「自由」の言葉を信じて、こんな正論を吐き、公約を守った首相を評価すれば、赤点をつけられそうだ。まして、参拝しなくても中韓の反日姿勢は変わらず、アメリカのコメントには、むしろ国民の多くが失望したと指摘すれば、大目玉を食うかもしれない。
▼校長の言い訳には、もっと驚いた。たまたま学校で購読していた新聞の記事が批判的な報道だっただけで、「参拝の是非を問うものではない」というのだ。「政治・経済」の目的のひとつは、新聞報道に批判的な目を養うことではないのか。
▼今年度からぜひ、産経新聞の購読もお勧めしたい。授業で読み比べて、靖国参拝の是非についても、大いに議論してもらいたい。(引用ここまで)
産経・安倍首相派の偽装「英霊」論の大ウソはこれだ!
「英霊」を冒涜するな!
1.「英霊」は強制的に徴兵された兵士だったこと。
2.「英霊」は、千人針など厭戦感情を抱いていたこと。
3.「英霊」の中には、徴兵忌避者もいたこと。反戦兵士もいたこと。
4.「英霊」となった皇軍兵士の大半は、餓死だったこと。
5.「英霊」の遺骨は、未だ放置されていること。
6.「英霊」は、「教育勅語」「軍人勅諭」「戦陣訓」によって、「死」を強制されたこと。
7.「英霊」が、アジアで残虐な行為を行ったこと。戦争犯罪者であったこと。
8.「英霊」の中には、植民地の民衆もいたこと。
9.「英霊」の中には、ABC級戦争犯罪人もいること。
10.「英霊」の中には、皇軍兵士以外の戦争被害者は存在していないこと
上記の特徴を示す資料を掲載しておきます。
1.兵役は、大日本帝国憲法の臣民の「義務」だった!「権利」ではなかった!「自存自衛」の戦争であったら、臣民は率先して義勇精神を発揮したはず!
2.国民の中には「戦争に取られた」感情が根強くあった。
3.出征兵士を送る際の儀式、とりわけ神宮外苑の学徒出陣式も女学生を参加させるなど、姑息な演出があった。
4.三坂神社
当社は日清・日露戦争の際、当社に武運長久を祈願した人が全員無事に帰還したことが報道され、「弾除けの神」として有名になり、第二次世界大戦がはじまると、武運長久祈願のための参拝者が増え、一日800数人もあった。終戦と同時に参拝者名簿は焼却され、奉納写真の大部分は送り返されたが、1万点余りがまだいまだに当社に保管されている。(引用ここまで)
…このように陸軍当局が、徴兵令(一九二七年から兵役法)改正によって、外国留学の者、在学中の者に対する規制をしだいに強めていったために、徴兵忌避者およびその疑いのある者の数は、一九一二(大正元)年で四〇四七名を数えていたが、一九三二(昭和七)年には四五九名に激減している。忌避の場面が、逃亡か徴兵検査上での詐病に限られていく。時代が到来したということである。個人の英雄的な奮闘以外のところで、国家と個人の間の緊張を、説得力ある言葉でもってひろく支えるに足る反戦思想は、水野や吉野の後には見いだすことができない。(引用ここまで)
6.さちえの伊豆温泉情報:竜爪神社 (伊東市 城山) - ライブドアブログ 2013年8月3日
7.三重県戦争資料館/出征・軍隊・戦地 にみる「皇軍兵士」の体験談、これは生き残った人の声です。これらの人々の声の奥深いところにある、生き残れなかった人々の声、戦争に対する感情と思想を「英霊」と一括りして美化するところに、身勝手な不道徳さがいっそう浮き彫りになります。
9.追悼·三國連太郎さん:徴兵忌避の信念を貫いた/毎日新聞(1999年8月 2013年4月17日
10.徴兵忌避者三國連太郎さんの思いを正確に伝えないマスコミに大喝 2013年4月16日
11.太平洋戦争戦跡地-戦没者の60%強140万人は餓死であった - Biglobe
12.「英霊」は餓死、自殺攻撃をさせられた--装置「靖国」賛美の違和 - アゴラ 2013年12月29日
13.「日本人」戦犯として裁かれ、処刑された朝鮮人 - [PDF]14.
15.朝鮮人皇軍兵士 遥かなる祖国 - NHKオンライン 2010年3月27日
16.旧日本軍及び当時の政府が責任をとるのは当然だ~ジュネーブ協定を2007年6月12日
17.筋金入りの大東亜戦争正当化論者新藤総務相の身勝手無自覚靖国参拝 2014年1月3日
18.大東亜戦争期の日本陸軍における犯罪及び非行 ... - 防衛省防衛研究所 - [PDF]
19.日中戦争で旧日本軍が毒ガス使用 2091回で8万人以上死傷
20.敗戦に向かう日本:サイパン戦·フィリピン戦·沖縄戦 - Biglobe
日本国内の独占産業資本を軍需生産体制にすべて取り込んで『総力戦』を戦うために、1944年3月には郷古潔(ごうこきよし)三菱重工業社長、大河内正敏(おおこうちまさとし)理研工業社長、藤原銀次郎(ふじわらぎんじろう)王子製紙社長らの財閥の財界人を新設した『内閣顧問』に任命して更なる積極的で全力的な戦争協力を求めました。しかし、1944年7月にマリアナ諸島のサイパン島が陥落すると、海軍重鎮である岡田啓介(おかだけいすけ)、米内光政(よないみつまさ)、末次信正(すえつぐのぶまさ)らと東條内閣にいた岸信介(きしのぶすけ)商工相や重光葵(しげみつまもる)外相が『東條内閣打倒』を画策して、1944年7月18日に東條内閣は総辞職を余儀なくされます。
1944年(昭和19年)10月20日から終戦までの間に、生きて虜囚の辱めを受けずの『戦陣訓』を守る決死の徹底抗戦を続けて7万9261人もの膨大な戦死者を出しました。日本の本土防衛のために時間稼ぎの持久戦を命じられたルソン島の戦いでは、マニラからルソン島の北部山岳地帯に逃れていった日本軍が、食糧・弾薬が尽きても戦い続け飢餓やマラリアのためにジャングルの中でその生命を落としていきました。激しい飢餓に襲われた『フィリピンの戦い』では、やむを得ずに人肉食を行って露命をつないだ兵士もいたといいますが、約40万人以上もの大兵力を注ぎ込んだフィリピンの戦いでは、約33万人以上もの日本兵が飢えや伝染病、銃弾で死んだとされています。
長勇参謀長は民間人(非戦闘員)保護の戦時国際条約を軽視した人物としての伝聞も残っていますが、実際、この沖縄戦の戦死者は軍人・軍属が9万4136人、戦闘協力者も含む一般民間人は約9万4千人であり、軍人・軍属とほぼ同数の非戦闘員が命を失っています。苛烈さを極めた沖縄戦によって、沖縄県民約60万人のうち約15万人が『戦闘・餓死・自決・マラリアなど伝染病』で命を落としており、県民の約4分の1が戦死するという破滅的な状況に追い込まれました。アメリカは本土決戦に臨む前の前哨戦やバックナー中将死亡の復讐戦として、民間人を巻き込んで徹底的に日本人を攻撃するという無差別殺戮戦を展開しており、日本軍・住民が立てこもる洞窟・トンネルに爆弾を投げ込んでガソリンで焼き払うという残酷極める『馬乗り作戦』を実行したりもしました。…
日本軍は沖縄本島・石垣島・宮古島・南大東島に飛行機基地を建設するという名目で、『食糧・労働力・資材』などを沖縄県民に供出させそれに従わない県民に虐待・懲罰を加えましたが、日本軍が同胞であるはずの沖縄県民を無実のスパイ容疑で殺害したり、投降を許さず自決を強要したりする事件も少なからず起こりました。避難している壕からの追い出し、米軍への投降を許さない殺害・自決強要、洞窟内などでの集団自決、少なくなった食糧の強奪、洞窟で泣き声を出させないための乳幼児殺害などの事件によって、日本軍(敗残兵)から結果として殺された沖縄県民の数は約800人にも上ると見られています。無論、皇民化政策や鬼畜米英教育の結果として、鬼畜のように残忍なアメリカ軍の捕虜になって虐待や辱めを受けるくらいなら、自害したほうがマシであると思い込んで、沖縄県民が自発的に集団自決するような事例も続々と発生しました。
大宜味村(おおぎみむら)では、日本兵によって米軍に投降して保護下に入っていた沖縄の住民30数人が手榴弾によって殺害されていますが、これは投降した住民が米軍に何らかの軍部の情報を漏らすかもしれないという一方的で理不尽なスパイ疑惑(非国民疑惑)によるものでした。沖縄戦末期には、摩文仁近辺に追い込まれた日本兵約3万と沖縄県民約10万が直径7キロの狭いスペースに閉じ込められた事で軋轢が強まってしまい、軍人・軍属が一般住民を避難壕から追い出したり、『命令違反・スパイ疑惑・非国民批判・乳幼児の声で隠れている場所がばれる』などの理由で虐待・殺害(自決強要)したりする事件が多数起こってしまいました。(引用ここまで)
その他、大江志之夫氏の著作『徴兵制』(岩波新書81年1月)や菊池邦作『徴兵忌避の研究』(立風書房78年1月)などがありますが、それについては、別項で取り上げます。