(今日の写真は、水無沢左岸尾根ブナ林内で見たブナ幹への刻字である。あえて、格好良く言えば「篆刻」となるのだろうか。だが、篆字ではないので、そうは呼べないだろう。 篆刻とは「木や石、金などに印を彫ること」だ。その文字に多く「篆書(てんしょ)」を用いるからそのように呼ばれている。
左側の幹には「四月十九日」右側の幹には「カネ」と刻まれている。これを見て、私は不届きで、不心得なことだが、「どうして『年』も刻んでくれなかったのか。残念だ。」と、先ず思ったのである。
何故かというと、年を刻んでくれると、その年の「4月19日」の積雪量が、正確ではないが分かるからである。
人が立木に文字を刻む場合の高さは、大体決まっている。それは胸の高さである。その高さが一番作業に適しているからだ。地上から、あるいは積雪上から1.5m乃至は2m程度の部分が最適だろう。
その日の、その辺りの積雪は1.5mから2.0mほどだった。仮にこれを刻んだ時の積雪もほぼ同じだったとすると、この位置よりもさらに、70cmから1mほど上部に「刻まれる」ことになるはずである。
ということは、いつだか分からないその年の「4月19日」は今季よりも「積雪」が少なかったということが分かるのである。
まあ、この「カネ」さん、よほどのへそ曲がりで腰を下ろした体勢で彫ったか、あるいは背丈の極端に低い人であったかも知れない。
撮影した日は4月11日、これを刻んだのは「4月19日」だ。仮に晴天で「暖かい日」が1週間以上続くことがあるとすれば、「積雪の解け方」は尋常ではない。
標高600~700mのブナ林内では、幹が太陽熱で暖められて、そこから輻射される熱で、樹木のない雪原よりも「解け方」が速いのだ。場所によっては1日で10cm以上「沈む」のである。そうすれば、「8日間」の違いは80cmだ。
この写真に見える雪上からの距離に80cmをプラスすると大体、150cm程度になるから、これを刻んだ「年」も今季と同程度の積雪であったと推測することが出来るのである。
この「刻字」はそれほど古いものではない。だが、私はこの時季に、このルートを何回か登っているが、この「刻字」に出会っていない。見落としたのだろうか。そんなはずはない。これほど明瞭であり、目立つものだ。恐らく、私が以前にここを登った時は「刻字」されていなかったか、積雪の下に隠れていたのだろう。
白神山地でブナに刻字したとして、マスコミが大騒ぎをし、森林管理署まで問題視して右往左往していたが、私はそれほど騒ぎ立てることではないと思っている。
「至る所に」となれば「度が過ぎるいたずら書き」と同様、社会問題化するだろうが、この程度ならば格好の「標識」である。それに、この程度の「刻字」で「ブナ」が枯れるということは絶対にあり得ない。
だからといって、私はこのような行為をしているのかというと、それは絶対にない。ブナの幹が愛しいからだ。)
◇◇ 水無沢両尾根登降山行(4) ◇◇
(承前)
…その日の青空には「滴り落ちる透明感を持った青」がなかった。「透き通る透明感」がないのだ。その日、11日の東京の最高気温は23.2℃で、5月中から下旬並みの暖かさとなったそうだ。だが、岩木山の標高1000m付近では「霧氷」が付着するほど気温は低かった。晴れてはいたが「寒気」は冬であったのだ。
だが、東京では、翌12日は3月下旬並みの14.3℃までしか上がらないなど、日ごとの気温差がすごく大きいのである。
そして、昨日14日には、北日本の上空1500mで氷点下9℃というこの時期としては強い寒気が流れ込んだのである。
今季、特に4月に入ってから、「寒暖の差」の激しい天気が続いている。気象庁によると、「平年より強めの寒気と暖気が日本列島付近でせめぎ合っている」ことが原因だそうだ。昨日は、強い冬型の気圧配置となった。東北の日本海側に暴風雪警報が出され、北海道の広尾町では風速40mを超すほどの強い風が吹くなど、東北と北海道を中心に大荒れの天気となった。今朝も気温が上がらず、この時点で外気温は4℃ほどだ。
このように「寒暖の差が激しい原因」は、寒気と暖気双方の勢力が平年より強いことだ。北極付近の気圧が高く、日本など中緯度付近の気圧が低い状態が続いているため、北極付近の寒気が中緯度帯に流れ込みやすくなっている。
これが、寒さが続く要因であり、青空から「滴る透明感」を削いでいるのである。
ところが、もう一方、太平洋赤道近くの海面水温が高くなる「エルニーニョ現象」の影響などで暖気も強いというのである。
その「暖気」が日本列島をすぽっりと覆うようになると「滴る透明感を持った青空」が、この岩木山の上空を全宇宙的に染め上げるのだ。そうなるにはやはり、あと20日以上は待たねばなるまい。(明日に続く)
◇◇ ひな祭りに関して…民族の誇りと文化を忘れた日本人(33)◇◇
(承前)
…「日本は『戦後復興』の名の下にひたすら物質金銭万能主義に走り、その結果……いわば”愚者の楽園”(フールズパラダイス)と化し、精神的、道義的、文化的に”根無し草”に堕してしまったのではないだろうか。」…
…劇作家の「井上ひさし」が亡くなった。一昨日の朝日新聞「天声人語」には、そのことに関して、次の一節があった。
…庶民の戦争責任を問う「夢の痂(かさぶた)」を上演したあとだった。戦犯を悪者にして知らぬ顔を決め込んだ日本人の戦後を、滑稽(こっけい)味をまじえて問う劇である。脚本を書くうち、(井上ひさしは)日本語を問題にすることになったと話していた。「日本語は主語を隠し、責任を曖昧(あいまい)にするのに都合が良い。その曖昧に紛れて多くの人が戦争責任から遁走(とんそう)した」と。…
私はこの小論を書きながら、これを読み、この中の次の部分に釘付けとなってしまった。
「戦犯を悪者にして知らぬ顔を決め込んだ日本人」と、「日本語は主語を隠し、責任を曖昧(あいまい)にする」、それに「その曖昧に紛れて多くの人が戦争責任から遁走(とんそう)した」…というところである。 そして、手遅れかも知れないが、深く反省した。
まさに、「精神的、道義的、文化的に”根無し草”」であり、何事にも他人事となってしまう、どのようなことでも他人事にしてしまうという日本人の体質である。加えて、「総括の出来ない」日本人である。
戦争を仕掛け、完敗(スコンク)したというのに、敗れた理由や原因なりを総括もせず、反省もせず、そのまま別のものに容易に移行し、簡単に「愚かな覚醒」して、いい気になっているのが日本人である。(明日に続く)
左側の幹には「四月十九日」右側の幹には「カネ」と刻まれている。これを見て、私は不届きで、不心得なことだが、「どうして『年』も刻んでくれなかったのか。残念だ。」と、先ず思ったのである。
何故かというと、年を刻んでくれると、その年の「4月19日」の積雪量が、正確ではないが分かるからである。
人が立木に文字を刻む場合の高さは、大体決まっている。それは胸の高さである。その高さが一番作業に適しているからだ。地上から、あるいは積雪上から1.5m乃至は2m程度の部分が最適だろう。
その日の、その辺りの積雪は1.5mから2.0mほどだった。仮にこれを刻んだ時の積雪もほぼ同じだったとすると、この位置よりもさらに、70cmから1mほど上部に「刻まれる」ことになるはずである。
ということは、いつだか分からないその年の「4月19日」は今季よりも「積雪」が少なかったということが分かるのである。
まあ、この「カネ」さん、よほどのへそ曲がりで腰を下ろした体勢で彫ったか、あるいは背丈の極端に低い人であったかも知れない。
撮影した日は4月11日、これを刻んだのは「4月19日」だ。仮に晴天で「暖かい日」が1週間以上続くことがあるとすれば、「積雪の解け方」は尋常ではない。
標高600~700mのブナ林内では、幹が太陽熱で暖められて、そこから輻射される熱で、樹木のない雪原よりも「解け方」が速いのだ。場所によっては1日で10cm以上「沈む」のである。そうすれば、「8日間」の違いは80cmだ。
この写真に見える雪上からの距離に80cmをプラスすると大体、150cm程度になるから、これを刻んだ「年」も今季と同程度の積雪であったと推測することが出来るのである。
この「刻字」はそれほど古いものではない。だが、私はこの時季に、このルートを何回か登っているが、この「刻字」に出会っていない。見落としたのだろうか。そんなはずはない。これほど明瞭であり、目立つものだ。恐らく、私が以前にここを登った時は「刻字」されていなかったか、積雪の下に隠れていたのだろう。
白神山地でブナに刻字したとして、マスコミが大騒ぎをし、森林管理署まで問題視して右往左往していたが、私はそれほど騒ぎ立てることではないと思っている。
「至る所に」となれば「度が過ぎるいたずら書き」と同様、社会問題化するだろうが、この程度ならば格好の「標識」である。それに、この程度の「刻字」で「ブナ」が枯れるということは絶対にあり得ない。
だからといって、私はこのような行為をしているのかというと、それは絶対にない。ブナの幹が愛しいからだ。)
◇◇ 水無沢両尾根登降山行(4) ◇◇
(承前)
…その日の青空には「滴り落ちる透明感を持った青」がなかった。「透き通る透明感」がないのだ。その日、11日の東京の最高気温は23.2℃で、5月中から下旬並みの暖かさとなったそうだ。だが、岩木山の標高1000m付近では「霧氷」が付着するほど気温は低かった。晴れてはいたが「寒気」は冬であったのだ。
だが、東京では、翌12日は3月下旬並みの14.3℃までしか上がらないなど、日ごとの気温差がすごく大きいのである。
そして、昨日14日には、北日本の上空1500mで氷点下9℃というこの時期としては強い寒気が流れ込んだのである。
今季、特に4月に入ってから、「寒暖の差」の激しい天気が続いている。気象庁によると、「平年より強めの寒気と暖気が日本列島付近でせめぎ合っている」ことが原因だそうだ。昨日は、強い冬型の気圧配置となった。東北の日本海側に暴風雪警報が出され、北海道の広尾町では風速40mを超すほどの強い風が吹くなど、東北と北海道を中心に大荒れの天気となった。今朝も気温が上がらず、この時点で外気温は4℃ほどだ。
このように「寒暖の差が激しい原因」は、寒気と暖気双方の勢力が平年より強いことだ。北極付近の気圧が高く、日本など中緯度付近の気圧が低い状態が続いているため、北極付近の寒気が中緯度帯に流れ込みやすくなっている。
これが、寒さが続く要因であり、青空から「滴る透明感」を削いでいるのである。
ところが、もう一方、太平洋赤道近くの海面水温が高くなる「エルニーニョ現象」の影響などで暖気も強いというのである。
その「暖気」が日本列島をすぽっりと覆うようになると「滴る透明感を持った青空」が、この岩木山の上空を全宇宙的に染め上げるのだ。そうなるにはやはり、あと20日以上は待たねばなるまい。(明日に続く)
◇◇ ひな祭りに関して…民族の誇りと文化を忘れた日本人(33)◇◇
(承前)
…「日本は『戦後復興』の名の下にひたすら物質金銭万能主義に走り、その結果……いわば”愚者の楽園”(フールズパラダイス)と化し、精神的、道義的、文化的に”根無し草”に堕してしまったのではないだろうか。」…
…劇作家の「井上ひさし」が亡くなった。一昨日の朝日新聞「天声人語」には、そのことに関して、次の一節があった。
…庶民の戦争責任を問う「夢の痂(かさぶた)」を上演したあとだった。戦犯を悪者にして知らぬ顔を決め込んだ日本人の戦後を、滑稽(こっけい)味をまじえて問う劇である。脚本を書くうち、(井上ひさしは)日本語を問題にすることになったと話していた。「日本語は主語を隠し、責任を曖昧(あいまい)にするのに都合が良い。その曖昧に紛れて多くの人が戦争責任から遁走(とんそう)した」と。…
私はこの小論を書きながら、これを読み、この中の次の部分に釘付けとなってしまった。
「戦犯を悪者にして知らぬ顔を決め込んだ日本人」と、「日本語は主語を隠し、責任を曖昧(あいまい)にする」、それに「その曖昧に紛れて多くの人が戦争責任から遁走(とんそう)した」…というところである。 そして、手遅れかも知れないが、深く反省した。
まさに、「精神的、道義的、文化的に”根無し草”」であり、何事にも他人事となってしまう、どのようなことでも他人事にしてしまうという日本人の体質である。加えて、「総括の出来ない」日本人である。
戦争を仕掛け、完敗(スコンク)したというのに、敗れた理由や原因なりを総括もせず、反省もせず、そのまま別のものに容易に移行し、簡単に「愚かな覚醒」して、いい気になっているのが日本人である。(明日に続く)