岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

今日の写真が語ること…(石仏は越年草の化身) / Windows7自作が簡単、何でもOSが…(14)

2010-02-04 04:22:46 | Weblog
(今日の写真は、赤倉登山道沿いに見られる第9番石仏「不空羂策観音」である。昨日の午後、出かけるところがあって外に出た。細かい雪が冷たく強い風に舞っていた。
 その時だ。本当に何の脈絡もなく、「ああ、この雪の中であの石仏はどうしているだろうか」と思ったのだ。
 私の頭の中には、緑に囲まれて、緑に輝くこの「石仏」がいた。積雪の下には緑に輝くツルリンドウなどの越年草がじっと春を待っている。雪の下というのは湿度が高く、暖かい。越年草は、その「湿度」と「暖かさ」に守られて、「みどりの葉」やロゼット状の葉を広げたままで冬を越す。年を越す。だから「越年草」と呼ばれるのだ。
 今季は雪が少ない。地上1mほどで「立っている」この「不空羂策観音」はすっかりと雪に埋まっているだろうか。それとも、顔や頭を吹雪や寒風に曝しているのだろうか。
 そうだとすれば、「可哀想」なことだ。春を待つには「雪に埋まる」ことが一番なのだ。
それにしても、何と穏やかでありながらも、端正な顔立ちではないか。
 ブナ林内に立つこの石仏には、それなりの意味があるのだ。それは、「森の恵みを人々に分かち与える」ということだ。だから、ブナの森に立っている。もっともっと「雪よ」降れである。)

◇◇ 今日の写真が語ること…(石仏は越年草の化身) ◇◇

 赤倉登山道沿いには33体の石仏が並んでいる。標高500mちょっとのところから始まり、1450mのところにある32番と33番の石仏で終わる。標高差1000mの高さと距離の間に「33体」の石仏が、並んでいるのだが、それらの「間隔」は決して「均等」ではない。その間隔は間遠であったり、ところによっては極端に狭かったりする。場所によっては、1mにも満たない間隔で「3つの石仏」が並んでいたりする。その1つが「鬼の土俵」であり、もう1つが「大開」である。
 しっかりと「並んでいる」わけではないが、かなり近い距離で「置かれている」場所は「伯母石」からの岩稜沿いだ。
 石仏たちは長い間、「冬には雪の下に姿を隠す」生活をしてきた。ところが、ここ数年来、頭を出したままで冬を越すものも現れている。雪の褥(しとね)で冬越しをさせてやりたいと、密かに願うのだ。
 ただ、石仏27番あたりから33番までは、風衝地に立っているので「雪に埋まる」ことはない。29番石仏は、風によって摩耗して、「お顔」がその実像を失っている。

◇◇ Windows7は自作が簡単、何でもOSがしてくれる (14)◇◇
(承前)
…一昔前は、そのようなことはなかった…

 さあ、Eメールの送受信が出来るか、インターネットは開くか…。駄目だ。表示は黒から明に反転しているから設定のミスではない。
 「何かいじったか」と訊くと、どうもPC側からルータ(この知人は8MADSL)もいじったみたいなのだ。
 「ずっと通電している」ということなので、一時的に設定が少し変わっていても、電源をOffにして、再起動状態にすると元通りになるのではと考えた。
 そこで、まずはPCの電源を切る。続いてルータの電源をシャットダウン。
 もう1回入れ直して再度起動する。めでたし、めでたしだ。インターネットもEメールも回復した。
 
 次はPCの掃除である。PCは「NEC」のもので、モニターはワイドタイプ、見た目は調度品のように「豪華版」だ。だが、「intel pentium4 1.6Ghz CPU、256MBメモリ搭載」というスペックでは性能は、決して「豪華」ではない。
 当時の私の自作機は「intel pentium4 3.4Ghz CPUは、2.0GBメモリ搭載」であった。アプリケーションソフトも自分が使うものだけしかインストールしていない。このスタンスは現在も変わっていない。
 知人のPCには、プレインストールのソフトがごちゃごちゃと入っていた。「インターネット、Eメール、デジカメ」しかやらないという人にとっては、不要なものが多すぎる。これがHDDの3割ぐらいを占めているのだ。
 購入して2年だという。今まで一度も、「デフラグ」も「ディスククリーンアップ」もしていない。
 まずは「ダイエットXP」を移植して、起動。900MB程度の不要ファイルを削除した。ここまでは順調だった。
 ところが、次に行った「ディスククリーンアップ」には1時間半ほど、その次のデフラグには45分ほどかかってしまった。10時半から始めて14時半まで4時間もかかってしまったのだ。
 「プレインストール」のソフトがごちゃごちゃと入っている我が国メーカーのPCに比べると、私が使っている「自作機」は中身もシンプルだ。
 「Intel pentium4 1.6GhzCPU、256MBメモリ」搭載の知人のPCをメンテナンスした結論は、「HDDがキリキリという音を出しながら、次のウィンドウを開くまで長い時間を要していたのだが、それが、クリックして間もなく開くようになったこと」である。
 不要な「ソフト」をアンインストールするか、OSの再インストールをすればもっと使いやすくなるだろう、と言って帰ってきた。
 ところで、翌日のことだが、「OSを再インストールしたいんだが、そのCDがない」という連絡があった。しまい忘れたのだろうと思い尋ねたがそうではなかった。購入した当初からそのようなものは付いてこなかったというのだ。 
 私も既製のPCとして「マウス」や「DELL」を使ったことがあったが、そのいずれにも、「OS」は同梱されていた。
 だが、この知人のものは「プレインストール」されているだけで、「OS」のCDはないのだ。つまり、「再インストール」に及ぶようなことはしてはいけない。勝手に「いじくるな」ということだろう。「ユーザー」は文字通り「使う人」であって、「パソコン」の中身まで知る必要はない。「再インストール」などはすべて販売店に任せよ。ただし有料だ、ということなのだ。
 ここに私は「メーカー」の高飛車な態度と不遜を見たのである。ユーザーを馬鹿にしているのだ。(明日に続く)