(今日の写真はシソ科オドリコソウ属の一年草「ヒメオドリコソウ(姫踊り子草)」である。雪が消え始めた田んぼの畦に見たものだ。西日本や九州では春を越えて夏の陽気だとニュースが報じている。昨日、会報の原稿、といっても入力したものをUSBメモリーに入れたものだが、それを持って行くのに往復2時間歩いたら、すごく「暑かった」ので、上着のフリースを脱いでザックに入れたものだ。直ぐに汗ばむのであった。まだ、2月だ。あんまりの陽気である。
この「ヒメオドリコソウ」、日射しの強い場所では葉に赤紫色を帯び、全体が赤紫色になる。これからだ。今まで雪の下でじっとこの状態で「雪消え」を待っていたのである。
これは、ヨーロッパ原産の帰化植物。明治時代中期(1893年)にすでに東京に侵入しているのが確認されているが、広がりつつあるのはここ数十年だ。今では、全国的に分布が報告されている。
在来種の「オドリコソウ」と生育立地は似ているが、「オドリコソウ」が多年草であるのに比べ、ヒメオドリコソウは一年(越年)草であるので、より安定した場所に「オドリコソウ」が、より撹乱の激しい場所が「ヒメオドリコソウ」の生育する状況になっている。田んぼや畑は人が「意図的」に攪乱する場所だ。彼女たちはそうした場所を見逃すはずはないのだ。
半日陰に生育している場合には、全体が緑色である。不思議なことに、「オドリコソウ」と一緒に「ヒメオドリコソウ」が生育している場所もないことはない。
名前の由来は「オドリコソウ」と同属であるが、「より小さい」という意味による。)
◇◇ 昨日、会報51号を印刷店に持ち込んだ。間もなく発送! ◇◇
今回も前号同様の12ページとなった。来週、早々には発送出来ると思う。
とりあえず、目次とダイジェスト版的に小項目をあげてを案内しよう。
目 次
*風力発電事業を考える …1
*第17回写真展 …5
*「フォーラム」について…6
*砂防ダムは必要か …9
*岩木文化祭に参加 …10
*事務局からのお知らせ…11
*弥生跡地の観察会
*弘前市弘前大学共同研究報告 書説明会
*庶務報告(活動日誌)…12
*編集後記 …12
●「風力発電事業」を考える この項には5ページを当てている。
「私たちは、風力発電事業に対して次に掲げる点で賛成は出来ない。
①稼働後の健康問題としての「風車病」のこと
②「風任せ、出力不安定、落雷、強風、風の乱れ、利用出来る風の強さに制限」などという「風力発電の特性」
③「建設時の自然破壊」
④「生態系への影響(バードストライクなどを含む)」
⑤「稼働率の問題」と「メインテナンスの問題」
⑥「原風景としての景観破壊」
⑦近くに住む人への「閉鎖的抑圧感」
人々は「風力発電」会社の甘言に乗せられ、地権者は「金にならない」原野が「金」を生み出すのだから「直ぐに」飛びつく。だが殆どの人は「風力発電」の実態を知らない。「風車」といっても日本人が好む「風車(かざぐるま)」ではないのだ。120mもの巨大なタワーの上でぐるぐる回る直径が80m以上もある巨大なプロペラなのだ。決して、風にかざして「くるくる」と囁くような風切り音で優しく回る情緒的、情念的な子供から愛される日本文化としての「玩具」ではないのである。
果たして、「青森県風力発電機の建設率、全国一の15%」が、誇れることだろうか。
岩木山北側山麓の長平地区の畑地区域に出力2000kwのものを25基建設予定されている。なお、発電所用用地面積は約6000m²である。
●どれだけのものが建つのか?
多くの人々は、「鉄塔が建つ」くらいの感覚で風車をイメージしているかも知れない。だが、2000kw級の風車はそんな生やさしいものではない。高さ119mの巨大建造物は弘前市や五所川原市にはない。
●生コン車2650台分のコンクリートが流し込まれる
2000kw級風車1基の基礎工事に使用されたコンクリートは約530立方メートル。生コン車延べ106台の量であると公表されている。これが25基だから、ざっと計算しても生コン車2650台分はあるだろう。それだけのコンクリートが、私たちの飲料水や農業を支えてきた土地に流し込まれるのである。
小さな工事でも、地下水流が変わり井戸が涸れ、沢が涸れることはよくある。水流が変わり、表土の緑が失われ泥水が鳴沢川や湯船川に流れ込むと川魚や海魚にも影響が出ることもある。
●風力発電施設の建設によって水源地が喪失する
水資源破壊は壊滅的と言えるだろう。沢が涸れる、井戸水が出なくなるなどの事態も起こりえるであろう。
●付近住民は一生「風車病」と向き合うことになる
巨大風車が発する低周波、超低周波(耳には聞こえない振動)が原因と思われる頭痛、めまい、血圧上昇、鼻血、不眠、いらいら、といった健康被害、通称「風車病」が問題になっている。すでに風車が稼働しているところでは、最初は風車を歓迎していた住民が、風車稼働後に地獄の苦しみを味わうことになり、悲惨な状況を呈している。
「風車は計画を認めたらおしまい。二度と元の生活には戻れない」という悲痛な声が、多く聞こえるようになってきている。
風車病はその原因構造の解明がまだほとんどされていない。個人差が大きいことも特徴である。同じ家に住んでいながら、夫は何も感じず、妻は耐えきれずに家を出て別居、というケースさえある。
概して、症状は、老人や女性などのほうが早く現れるようである。最初は何も感じなかった人も、年数を経て、突然苦しみ始めることがある。
●発電しなくてもいい。補助金がもらえるからだ
事業者が行政に口癖のように言っているのが、「風力発電は発電しなくてもいいのだ。補助金がもらえるので、建設するのだ」という驚くべきことだ。
風が吹かなければ発電量はゼロ。予測がつかない風力発電が使い物にならないことは、事業者がいちばんよく知っている。
●一時の金と引き替えに、村や町を殺してもいいのか?
「理由なんかどうでもいい。建ててしまえばいい」という感覚は、住民の側にもないとは言えない。「工事で金が落ちればいい。そのために自然が破壊されようが、他の住民が苦しもうが、それは仕方のないことだ」と考える人もいるかもしれない。
だが、一旦受け入れたら最後、生活ができない、未来のない場所なってしまう。(明日に続く)
この「ヒメオドリコソウ」、日射しの強い場所では葉に赤紫色を帯び、全体が赤紫色になる。これからだ。今まで雪の下でじっとこの状態で「雪消え」を待っていたのである。
これは、ヨーロッパ原産の帰化植物。明治時代中期(1893年)にすでに東京に侵入しているのが確認されているが、広がりつつあるのはここ数十年だ。今では、全国的に分布が報告されている。
在来種の「オドリコソウ」と生育立地は似ているが、「オドリコソウ」が多年草であるのに比べ、ヒメオドリコソウは一年(越年)草であるので、より安定した場所に「オドリコソウ」が、より撹乱の激しい場所が「ヒメオドリコソウ」の生育する状況になっている。田んぼや畑は人が「意図的」に攪乱する場所だ。彼女たちはそうした場所を見逃すはずはないのだ。
半日陰に生育している場合には、全体が緑色である。不思議なことに、「オドリコソウ」と一緒に「ヒメオドリコソウ」が生育している場所もないことはない。
名前の由来は「オドリコソウ」と同属であるが、「より小さい」という意味による。)
◇◇ 昨日、会報51号を印刷店に持ち込んだ。間もなく発送! ◇◇
今回も前号同様の12ページとなった。来週、早々には発送出来ると思う。
とりあえず、目次とダイジェスト版的に小項目をあげてを案内しよう。
目 次
*風力発電事業を考える …1
*第17回写真展 …5
*「フォーラム」について…6
*砂防ダムは必要か …9
*岩木文化祭に参加 …10
*事務局からのお知らせ…11
*弥生跡地の観察会
*弘前市弘前大学共同研究報告 書説明会
*庶務報告(活動日誌)…12
*編集後記 …12
●「風力発電事業」を考える この項には5ページを当てている。
「私たちは、風力発電事業に対して次に掲げる点で賛成は出来ない。
①稼働後の健康問題としての「風車病」のこと
②「風任せ、出力不安定、落雷、強風、風の乱れ、利用出来る風の強さに制限」などという「風力発電の特性」
③「建設時の自然破壊」
④「生態系への影響(バードストライクなどを含む)」
⑤「稼働率の問題」と「メインテナンスの問題」
⑥「原風景としての景観破壊」
⑦近くに住む人への「閉鎖的抑圧感」
人々は「風力発電」会社の甘言に乗せられ、地権者は「金にならない」原野が「金」を生み出すのだから「直ぐに」飛びつく。だが殆どの人は「風力発電」の実態を知らない。「風車」といっても日本人が好む「風車(かざぐるま)」ではないのだ。120mもの巨大なタワーの上でぐるぐる回る直径が80m以上もある巨大なプロペラなのだ。決して、風にかざして「くるくる」と囁くような風切り音で優しく回る情緒的、情念的な子供から愛される日本文化としての「玩具」ではないのである。
果たして、「青森県風力発電機の建設率、全国一の15%」が、誇れることだろうか。
岩木山北側山麓の長平地区の畑地区域に出力2000kwのものを25基建設予定されている。なお、発電所用用地面積は約6000m²である。
●どれだけのものが建つのか?
多くの人々は、「鉄塔が建つ」くらいの感覚で風車をイメージしているかも知れない。だが、2000kw級の風車はそんな生やさしいものではない。高さ119mの巨大建造物は弘前市や五所川原市にはない。
●生コン車2650台分のコンクリートが流し込まれる
2000kw級風車1基の基礎工事に使用されたコンクリートは約530立方メートル。生コン車延べ106台の量であると公表されている。これが25基だから、ざっと計算しても生コン車2650台分はあるだろう。それだけのコンクリートが、私たちの飲料水や農業を支えてきた土地に流し込まれるのである。
小さな工事でも、地下水流が変わり井戸が涸れ、沢が涸れることはよくある。水流が変わり、表土の緑が失われ泥水が鳴沢川や湯船川に流れ込むと川魚や海魚にも影響が出ることもある。
●風力発電施設の建設によって水源地が喪失する
水資源破壊は壊滅的と言えるだろう。沢が涸れる、井戸水が出なくなるなどの事態も起こりえるであろう。
●付近住民は一生「風車病」と向き合うことになる
巨大風車が発する低周波、超低周波(耳には聞こえない振動)が原因と思われる頭痛、めまい、血圧上昇、鼻血、不眠、いらいら、といった健康被害、通称「風車病」が問題になっている。すでに風車が稼働しているところでは、最初は風車を歓迎していた住民が、風車稼働後に地獄の苦しみを味わうことになり、悲惨な状況を呈している。
「風車は計画を認めたらおしまい。二度と元の生活には戻れない」という悲痛な声が、多く聞こえるようになってきている。
風車病はその原因構造の解明がまだほとんどされていない。個人差が大きいことも特徴である。同じ家に住んでいながら、夫は何も感じず、妻は耐えきれずに家を出て別居、というケースさえある。
概して、症状は、老人や女性などのほうが早く現れるようである。最初は何も感じなかった人も、年数を経て、突然苦しみ始めることがある。
●発電しなくてもいい。補助金がもらえるからだ
事業者が行政に口癖のように言っているのが、「風力発電は発電しなくてもいいのだ。補助金がもらえるので、建設するのだ」という驚くべきことだ。
風が吹かなければ発電量はゼロ。予測がつかない風力発電が使い物にならないことは、事業者がいちばんよく知っている。
●一時の金と引き替えに、村や町を殺してもいいのか?
「理由なんかどうでもいい。建ててしまえばいい」という感覚は、住民の側にもないとは言えない。「工事で金が落ちればいい。そのために自然が破壊されようが、他の住民が苦しもうが、それは仕方のないことだ」と考える人もいるかもしれない。
だが、一旦受け入れたら最後、生活ができない、未来のない場所なってしまう。(明日に続く)