(今日の写真は、「山背」の実態である。これは、ある年の7月下旬八甲田大岳山頂で撮ったものだ。その日は酸ヶ湯から大岳に登り、毛無岱を通って酸ヶ湯に降りた。弘前を出た時から、帰ってくるまで終日私は好天と快晴の下で行動が出来た。
だが、この写真の左側、雲に覆われている太平洋側では、終日霧雨で気温も15℃前後であり、典型的な「山背」の下にあったのである。)
◇◇六ヶ所村から風船飛ばし・再処理事故が起きたら「放射能」はヤマセに乗って?(3)◇◇
(承前)…「山背」の話しの続きを今日も書く。
…因みに「山背」が越すこと出来ない標高1500mを越えている山は、まず、八甲田山地の主峰、「大岳」であり、高さは1585mである。
その他に1500mを越える山は「赤倉岳1548m」「井戸岳1550m」「高田大岳1552m」がある。これらが、屏風や衝立となって津軽地方に「山背」が流下することを食い止めているのである。
ある年の7月下旬である。八甲田大岳からの眺望を見て私は「視覚」として初めて、「山背」とそれを食い止めている八甲田山の山稜を見た。
大まかに説明すると、大岳の東側と西側が判然と、「暗」と「明」、「曇り」と「快晴」に区画されているということであった。
東側はどんよりとした灰色の重い雲に覆われていた。少し、東には高田大岳の丸みを帯びた山頂部だけが見える。あとは、何も見えず、灰色の雲海が茫漠と広がっている。
その暗い雲が、山稜とぶつかるところだけは、雲が走るような動きを見せるものの、その敷き詰められた雲は、一寸たりとも稜線を越えて、西に移動することはなかった。
しかし、冷たい風は何ら抵抗もなく稜線を越えて、岩木山の見える方角へと吹き込んでいた。冷たい風である。防風のための「ヤッケ」を着なければいけなかった。
7月の下旬である。夏である。弘前では連日30℃を越える日が続いていた。1585mの山頂であるから、平地よりは9℃ほど低くなり、風があるので体感温度は、普通であれば15℃ぐらいだろうか。だが、その日はもっと下がっていた。5℃前後だろう。
西に目をやる。そこは、晴れ渡った明るい世界だった。西の遠望の中には「岩木山」があった。岩木山が見えて、白神山地も霞んではいるが見えていた。弘前を中心にした市街地や町や村の集落も見える。
雲はあるが白雲で、雲底は高く、殆ど動かず、湧き出てはいつの間にか消えている。晴れである。日照の世界、燦々と陽光が輝き、地表では緑なす草や木々が夏緑の中で「命」を謳歌している。そのような世界が広がっていた。北には中山山脈、陸奥湾も晴れて明るい空の下に綺麗に見える。
八甲田山の稜線を境界として「山背」の世界と「山背」の影響を受けない「命あふれた」世界が、「暗」と「明」の世界が、そして「鈍重」で「冷たい世界」と「軽快」で「暖かい世界」が区画されていたのである。これが、視覚と体感でとらえた「山背」の実態・実相である。
◇◇ 6月18日付東奥日報紙 「弥生跡地」観察会同行取材記事掲載(16) ◇◇
(承前)…「4. スキー場、ゴンドラ、リフト、ゲレンデの改変」は、紛れもない「自然破壊」である。
さらに、スキー場に関係する「自然破壊」はまだあるのだ。それは「降雪と積雪」に関係したことである。
その1つは伐採をして「ゲレンデ」を造ることによる「季節風の流れの変化」に起因することであり、もう1つは、ゲレンデ滑走面の整備による「圧雪状態」に起因することである。
以上のことは、なかなか具体的には理解出来ないことである。特に、そこで滑る「スキーヤー」たちにとっては「理解度0」かも知れない。
ブナ林等の伐採で、降雪時の風向きがすっかりと変わり、積雪状態も変化してしまうのである。次の事項はは、ある時の経験である。
…それまで、右横から吹きつけていた風が背後に回っていた。ゲレンデの無かった頃の冬季登山では決してあり得ない風向きである。とにかく、この尾根を登る時の「風」は徹底して「西」から吹きつけていた。つまり、ひたすら、右横からの風であったのだ。
だが、その日の朝は、風は背中を押すようにゲレンデ下部から吹き上げてきていた。「ゲレンデ」敷設によるブナの伐採が何と「季節風」の吹き込む向きまで変えてしまったのである。「風」の向きが変わると、積雪や吹き溜まりの量や場所もすっかり変わってしまう。 以前のままのブナの森であった時の環境に則して自然生態系は維持されてきた。しかし、この風向き変化は、それを微妙に狂わせているだろう。私たちはそのことにも触れながらスキー場「拡張ゲレンデ」敷設反対を唱えたのである。
果たして、「ゲレンデ上部に接するブナ林の環境」はすっかりと変わっていた。
さて、「ゲレンデ上部に接するブナ林の環境」はどのような変貌をとげていたのだろうか。
それは、ブナ林内全体が大きな吹き溜まりになっていたということである。ゲレンデ下端から吹き上げる風が雪をこのブナ林に運ぶのである。積雪が多いと当然雪解けが遅くなる。
そこに生えている草本も木本も「営々と続いてきた」変化のない環境に適応して「生きて」いるのである。そして、それら「草本や木本」に依拠して生きている昆虫や動物も同じように変化のない環境に生きているのである。
「岳登山道」とほぼ並行して「使用」されていた「雪上車」利用のスキーコース、そのブナ林内で「ミドリシジミ」という蝶がほぼ絶滅したという報告がある。その理由は「圧雪車に依って固められた積雪が遅くまで消え残り、その分だけ季節の推移が遅れて、ミドリシジミが羽化出来ない」ことにあったという。
この事例からも分かるように、これまで、「吹き溜まり」などにならないブナ林に生息していた生きものは吹き溜まりによる「雪解け」の遅れによって、「生命」の継続を断ち切られているかも知れないのである。
ゲレンデ上端の縁は、強風に曝されて、ほぼ新雪が無く「ガチガチ」に凍っていた。この辺りで、既にピッケルの石突き部分が刺さらないほどに硬いのである。そこをピッケルを頼りに登ると今度は「深い」新雪の吹き溜まりとなった。場所によっては膝を遙かに越えるし、ピッケルはその本体全部を積雪に沈めてしまう。
このような「深い新雪」は稜線に続く「ブナ林」、ゲレンデ上部の「ブナ林」を埋め尽くしていた。烏帽子岳山頂までの間で、この場所だけが、特別積雪が多かったのである。…
尾根の下部に「伐採」されて、しかも「圧雪」されたゲレンデが存在することで、以上の異様な「変異」と「改変」、つまり、「自然破壊」が起こるのである。(明日に続く)
だが、この写真の左側、雲に覆われている太平洋側では、終日霧雨で気温も15℃前後であり、典型的な「山背」の下にあったのである。)
◇◇六ヶ所村から風船飛ばし・再処理事故が起きたら「放射能」はヤマセに乗って?(3)◇◇
(承前)…「山背」の話しの続きを今日も書く。
…因みに「山背」が越すこと出来ない標高1500mを越えている山は、まず、八甲田山地の主峰、「大岳」であり、高さは1585mである。
その他に1500mを越える山は「赤倉岳1548m」「井戸岳1550m」「高田大岳1552m」がある。これらが、屏風や衝立となって津軽地方に「山背」が流下することを食い止めているのである。
ある年の7月下旬である。八甲田大岳からの眺望を見て私は「視覚」として初めて、「山背」とそれを食い止めている八甲田山の山稜を見た。
大まかに説明すると、大岳の東側と西側が判然と、「暗」と「明」、「曇り」と「快晴」に区画されているということであった。
東側はどんよりとした灰色の重い雲に覆われていた。少し、東には高田大岳の丸みを帯びた山頂部だけが見える。あとは、何も見えず、灰色の雲海が茫漠と広がっている。
その暗い雲が、山稜とぶつかるところだけは、雲が走るような動きを見せるものの、その敷き詰められた雲は、一寸たりとも稜線を越えて、西に移動することはなかった。
しかし、冷たい風は何ら抵抗もなく稜線を越えて、岩木山の見える方角へと吹き込んでいた。冷たい風である。防風のための「ヤッケ」を着なければいけなかった。
7月の下旬である。夏である。弘前では連日30℃を越える日が続いていた。1585mの山頂であるから、平地よりは9℃ほど低くなり、風があるので体感温度は、普通であれば15℃ぐらいだろうか。だが、その日はもっと下がっていた。5℃前後だろう。
西に目をやる。そこは、晴れ渡った明るい世界だった。西の遠望の中には「岩木山」があった。岩木山が見えて、白神山地も霞んではいるが見えていた。弘前を中心にした市街地や町や村の集落も見える。
雲はあるが白雲で、雲底は高く、殆ど動かず、湧き出てはいつの間にか消えている。晴れである。日照の世界、燦々と陽光が輝き、地表では緑なす草や木々が夏緑の中で「命」を謳歌している。そのような世界が広がっていた。北には中山山脈、陸奥湾も晴れて明るい空の下に綺麗に見える。
八甲田山の稜線を境界として「山背」の世界と「山背」の影響を受けない「命あふれた」世界が、「暗」と「明」の世界が、そして「鈍重」で「冷たい世界」と「軽快」で「暖かい世界」が区画されていたのである。これが、視覚と体感でとらえた「山背」の実態・実相である。
◇◇ 6月18日付東奥日報紙 「弥生跡地」観察会同行取材記事掲載(16) ◇◇
(承前)…「4. スキー場、ゴンドラ、リフト、ゲレンデの改変」は、紛れもない「自然破壊」である。
さらに、スキー場に関係する「自然破壊」はまだあるのだ。それは「降雪と積雪」に関係したことである。
その1つは伐採をして「ゲレンデ」を造ることによる「季節風の流れの変化」に起因することであり、もう1つは、ゲレンデ滑走面の整備による「圧雪状態」に起因することである。
以上のことは、なかなか具体的には理解出来ないことである。特に、そこで滑る「スキーヤー」たちにとっては「理解度0」かも知れない。
ブナ林等の伐採で、降雪時の風向きがすっかりと変わり、積雪状態も変化してしまうのである。次の事項はは、ある時の経験である。
…それまで、右横から吹きつけていた風が背後に回っていた。ゲレンデの無かった頃の冬季登山では決してあり得ない風向きである。とにかく、この尾根を登る時の「風」は徹底して「西」から吹きつけていた。つまり、ひたすら、右横からの風であったのだ。
だが、その日の朝は、風は背中を押すようにゲレンデ下部から吹き上げてきていた。「ゲレンデ」敷設によるブナの伐採が何と「季節風」の吹き込む向きまで変えてしまったのである。「風」の向きが変わると、積雪や吹き溜まりの量や場所もすっかり変わってしまう。 以前のままのブナの森であった時の環境に則して自然生態系は維持されてきた。しかし、この風向き変化は、それを微妙に狂わせているだろう。私たちはそのことにも触れながらスキー場「拡張ゲレンデ」敷設反対を唱えたのである。
果たして、「ゲレンデ上部に接するブナ林の環境」はすっかりと変わっていた。
さて、「ゲレンデ上部に接するブナ林の環境」はどのような変貌をとげていたのだろうか。
それは、ブナ林内全体が大きな吹き溜まりになっていたということである。ゲレンデ下端から吹き上げる風が雪をこのブナ林に運ぶのである。積雪が多いと当然雪解けが遅くなる。
そこに生えている草本も木本も「営々と続いてきた」変化のない環境に適応して「生きて」いるのである。そして、それら「草本や木本」に依拠して生きている昆虫や動物も同じように変化のない環境に生きているのである。
「岳登山道」とほぼ並行して「使用」されていた「雪上車」利用のスキーコース、そのブナ林内で「ミドリシジミ」という蝶がほぼ絶滅したという報告がある。その理由は「圧雪車に依って固められた積雪が遅くまで消え残り、その分だけ季節の推移が遅れて、ミドリシジミが羽化出来ない」ことにあったという。
この事例からも分かるように、これまで、「吹き溜まり」などにならないブナ林に生息していた生きものは吹き溜まりによる「雪解け」の遅れによって、「生命」の継続を断ち切られているかも知れないのである。
ゲレンデ上端の縁は、強風に曝されて、ほぼ新雪が無く「ガチガチ」に凍っていた。この辺りで、既にピッケルの石突き部分が刺さらないほどに硬いのである。そこをピッケルを頼りに登ると今度は「深い」新雪の吹き溜まりとなった。場所によっては膝を遙かに越えるし、ピッケルはその本体全部を積雪に沈めてしまう。
このような「深い新雪」は稜線に続く「ブナ林」、ゲレンデ上部の「ブナ林」を埋め尽くしていた。烏帽子岳山頂までの間で、この場所だけが、特別積雪が多かったのである。…
尾根の下部に「伐採」されて、しかも「圧雪」されたゲレンデが存在することで、以上の異様な「変異」と「改変」、つまり、「自然破壊」が起こるのである。(明日に続く)