岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

森林の保護を中心とした自然保護の視点(3)

2010-07-26 04:15:42 | Weblog
 (今日の写真は、キク科ニガナ属の多年草の「クモマニガナ(雲間苦菜)」だ。「シロバナクモマニガナ」と呼ぶこともあるらしい。これは平地に見られる「ニガナ」の高山型の変種だ。・爽やかな風に身を委ねそよぐ白花黄花・
 花名の由来は、高山の雲間でよく見られることによる。ニガナは「苦菜」で囓ると苦いことでこう呼ばれる。

 …その日は九月に入っていた。大長峰に続く道を柔らかい秋の日射しを浴びながら登っていた時、木漏れ日が造る小さな日溜まりを盗むかのようにひっそりと薄紫が動いた。ツルリンドウである。
  「おはよう、今朝は寒かったね」と呟き、独り語りをしながら登ると、彼女たちは日溜まりの盗人から、恥じらいを見せながら語りかけてくる道陰の乙女に変わる。
 さらに秋遅くなると、日の色を塗り重ねたように明るい光沢のある紫がかった果実へと変身する。
 ようやく弥生登山道最後の岩稜、急登にかかった。耳成岩の下部である。高みから駈け降りてくる強靱(きょうじん)な涼風に、背の高いイネ科の「岩野刈安(イワノガリヤス)」や「高嶺野刈安(タカネノガリヤス)」たちが大きく揺れてなびく。
 風は後長根沢の源頭、大まぶを掠(かす)めて、深い沢床へと降りていった。瞬時の臥(ふ)せた静寂が、彼等の上体を持ち上げて1本1本の茎が吹き去る風の反動をエネルギーにして屹立する。そこは鬱蒼とした草と千島笹の森であった。
 その中に、黄色と白色の煌(きら)めきが大きく揺らぐ。緑の宇宙に輝く白と黄色の星々。それは爽やかな風に身を委ねてそよぐクモマニガナであった。
 いい名前だ。まさにそうではないか。標高1500m、雲間に輝く星々なのだ。
「クモマニガナ」は茎が太く、舌状花が11枚。舌状花が9~10枚なのがタカネニガナである。

◇◇ 森林の保護を中心とした自然保護の視点(3)◇◇

(承前)…
3) 現在世代は消費者、満足の果ては…

資本主義は競争原理と消費で成り立つ。だが一方で、この主義の原理的側面では宗教的なものと相俟って厳しい倫理観が求められてきたことは、歴史的に知ることが出来る。この倫理観とは、企業や個人の自己規制である。飽くなき願望を抑制すること、常に未来世代の生存を現在世代の私たちと同じように保証することでもある。
 先人は、手間を省きその手間を他人に渡し、目的地に早く着くことを戒(いさ)めてきた。先人の教えは尊い。
 「急がば回れ。」である。手間を省くという物質文明の行き過ぎを、諺や格言の精神文明が内側から、ぐっと抑止してきた。

 現在世代のニーズがすべて許されるとしたら…
①今を生きている現在世代たちだけの満足になる。
②循環型の世界は絵に描いた餅となる。
③「森林伐採」は未来との共存を、現実的には否定することになる。
④化石燃料ですら、科学によって未来世代の生存と享受するべきところまでを食い尽くされている。これは未来に対する未必の故意、つまり「被害者としての原告が今いない」だけという立派な『犯罪』となる。
⑤元に戻らないもの、返せないものとしての森林伐採等は未来世代に対する現在世代が残す負の遺産となる。

4) 現在世代に求められること…

①テクノロジーからエコロジーへの変換をしていかねばならない。
②自然と人間を対立的にとらえる文明から両者を統合して扱うことが出来る新しい文明の創出 時代としていかねばならない。
③自然と人間を統合して取り扱うこと。自然の尊重は人間の尊重という考え方を第一義としてい かねばならない。。
④人間が自給自足型(サイクル型)自然と共存を望むならば、生態系を技術行使の対象から外 すことである。
 つまり、現在の人間の利益になることでも、未来の人間と地球の自然の利益のためにしていけないことはしないという厳しさがなくてはこれからの環境問題に耐えていけないということである。

5)もっと身近なところで…自然保護への視点とは…

 それは、自然との共感能力を持ち、生物多様性を理解することである。

①自然物が好きだという気持ちと別個の価値であると認識しそれを自分と平等に扱うということ。
②植物採集者は感謝し、生命の相互依存の連鎖の中でいつか自身も役立つという気持ちを持 つこと。
③同じ命を持つものへの優しさを持ち、優しく受容する感性を持つこと。
④すべての生き物の時間をそのままとらえ自分の時間にしたり、人間の時間を尺度にしないとい うこと。
⑤返すことが出来ないものを奪わず、自然や景物に過去の時間を発見して感動すること。
⑥自然の生命体などを通約された一元的な価値(お金)でとらえないこと。
⑦動物や植物のデリケートな反応を、人間の拡大された感覚器としてその感性だととらえること。
⑧私たちを取り囲んでいる世界は神秘であり、科学を超えたところがあるものととらえること。
(この稿は本日で終了する)