岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

「巨木の森」への道を歩く(8) / 6月18日東奥日報「弥生跡地」観察会取材記事(12)

2010-07-03 04:49:37 | Weblog
 (今日の写真は、ブナ林内の岳登山道に出る少し手前のブナの樹林帯である。右側上方が明るいのは「伐採」されたからである。この辺りは「尾根全部」がブナ林というわけではない。登山道の左右にあるブナ林は伐採せずに残してあるが、その外縁は殆ど伐採されて「スギの植林地」となっているのだ。この登山道を登下行する者には「素晴らしいブナ林」と映るように「欺瞞的な配慮」が施されている。
 登山道は一ヶ所で「スギ植林地」を横切るのだが、そこでは、スギは順当に育っていない。「実生やひこばえ」から生えたブナの方が樹高が高くなっている。)

◇◇「巨木の森」から岳登山道までの道を歩く、スギの植林地は「興ざめ」だ…(8 最終回)◇◇

(承前)…ここの杉林はまだ救いようがあった。それは、以前「育てる」ための「作業」が、若干はなされていたような感じがあるからだ。ただ、「育てる」ための「枝打ちや間伐」が、ここ数年の間には行われたという形跡はどこにも見られない。
 「枝打ち」された枝が道沿いに落ちているが、それはあくまでも、今シーズンを前にして、「歩道整備のため」のものに過ぎない。
 「毒蛇沢」と「滝ノ沢」に挟まれた尾根にある「スギ植林地」は無残だ。植林するために「ブナ林を伐採」しなければいけない。伐採したブナを運ばねばならない。そうして造った植林地に植えるためのスギの苗木を運ばねばならない。植林するための「人」を運ばなければいけない。そのためには立派な道路が敷設される。
 その「立派な道路(林道)」だけは、今でも自動車や重機の轍を見せて残っているが、その傍らにある植林地は「死んで」いる。
 「死んでいる」と書いたが、何も枯死しているわけではない。植えられたスギは生きているのだが、「育てるための手入れ」はまったくされていないのである。「植えた」あとは「放りぱなし」なのだ。スギの樹高はみな「低く」、満員電車の乗客のようにひしめき合っている。まるで息も絶え絶えの状態なのだ。
 その低い密集したスギ林には「樹間」という「隙間」が殆どない。少なくとも「杉木立」という表現は当たらない。林の内部や奥まで見通せることが出来ないほど密集している。風すら通らないという感じなのだ。
 「根曲がり竹」の藪以上に混んでいる。しかも、「枝打ち」されて当然の枝が互いに横ざまに張りだしているものだから、それらが「閂(かんぬき)」の役割をして、林内の歩行を遮る。歩かれるものではない。空気は淀み、羽虫さえいない。虫がいなければ「蜘蛛」の巣もない。まるで、完全に死んだ「スギ林」なのだ。「植林」はしたものの、育てることを放棄した「放置林」なのである。一連のこの「二重三重に無駄な事業」は一体誰がしたのか。それは、林野庁森林管理局、つまり以前の「営林署」がしたことである。
 このようなスギ林に比べると、「巨木の森」への道途中にある「スギ林」はまだましである。ここのスギはまだ生きているからだ。
 それにしてもスギ林内の自然は貧しい。何という「生物多様性」の貧弱さだろう。視覚的にも一目瞭然だ。道脇には遅咲きの「マイヅルソウ」が見られる程度だ。沢からこのスギ林までの自然の豊かさに比べると、観察対象物を探すのに苦労するほどなのである。
 いきおい、歩みは速くなる。速くこの林を抜けてブナ林に入りたいと思った私は「間もなくブナ林ですよ」と言っていた。そしてそのとおりになった。メンバーは一様にほっとした表情で、口々に「ああ、ブナ林はいいなあ」と言った。
 足下で、小さな白の点々が踊っていた。目敏く見つけた数人が「これ、なあに」と訊く。「タニギキョウ」である。間もなくブナ林内の「岳登山道」に出る。頭上が明るくなり、目の前に竹藪が迫る。最後の赤布を回収して「岳登山道」の標柱の前に立ったのだ。
 後は、岳温泉までひたすら下りである。数年前までこの辺りから登山口までは「岩木山で一番の悪路」であった。晴天の日が続いていると「悪路」にはならないのだが、一旦降雨に見舞われると登山道は豹変するのだった。赤土で粘土質の道は「滑り台」と同じになる。ブナ林内よりもミズナラ林沿いが酷く、登りよりも下りが難儀であった。
 そこで、本会と岩木町、それに業者とで話し合いをして「登山道整備」をした。その結果が「土留め」兼用の木製足場の設置であった。だから今では「悪路」ではない。
 ブナ林が切れて、ミズナラ林に変わる直ぐ手前で「ミヤマナルコユリ」に出会った。背丈が低く、花は葉の下で、下向きに咲くので、誰も気がつかない。歩みを止めて、そっと葉を持ち上げて、「ほら」と言ったら、歓声があがった。そして、誰かが「ホウチャクソウかな」と呟いた。
 しばらく、私は葉を持ち上げて、じっくりと観察して貰った。そして、「これは、稲穂を食べにくるスズメを追い払う鳴子に似ているので、ナルコユリといいます。深い山に咲くので、ミヤマがついています」と言ったのだ。…岳温泉はもう直ぐだ。(この稿は今日で終わる)

◇◇ 6月18日付東奥日報紙 「弥生跡地」観察会同行取材記事掲載(12) ◇◇

(承前)…下記項目も、紛れもない「自然破壊」である。
4. スキー場、ゴンドラ、リフト、ゲレンデの改変

 スキー場は敢えて述べる必要がないほどに、明らかな「自然破壊」である。簡単に言うと、具体的に見えることは「樹木伐採」と「表土剥離」である。よく見えないが「生物多様性」の破壊でもある。
 鰺ヶ沢スキー場には10数本のゲレンデがある。そのゲレンデを拡張する都度に、簡便な「環境影響評価(いわゆるアセスメントのことだが、「対象が周囲に及ぼす影響の評価をすること」「開発が環境に与える影響の程度や範囲、また対策について、事前に予測・評価すること」などを指す)」をした。
 その「環境影響評価」をした中心人物は、当時、弘前大学の「著名な(?)N教授」であった。そして、「環境評価」の中で言う。
 …この尾根の森に生息している野鳥は、ゲレンデ開設のために森が伐採されても隣接する森に移動するので、その生息環境への影響はない…と。
 とんでもないデタラメである。このような評価で、どんどん新しいゲレンデを「隣接する森」を伐採して、開設していったのである。野鳥は行き場がないではないか、どこへ「行け」というのか。
 スキー場というのは、「滑るためのゲレンデ」だけで構成されるものではない。それ以外の機械設備や機械施設、管理棟、集客・収容施設などの建設や敷設が必要となる。これらのためにも「森林伐採」や「表土剥離」という自然破壊が行われるのである。  
 「ゴンドラ、リフト」は鉄塔によって支えられている。その鉄塔を支えるのに深く「斜面」を掘り起こし、コンクリートを流し込んで基礎支えとしているのだ。土地の改変と異物の持ち込みという「自然破壊」だ。これら「索道」を支える敷地がまた、ゲレンデ並に広いのである。(明日に続く)