岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

岩木山にも外国人が登山にやって来るようになった(3)

2010-07-11 05:02:49 | Weblog
 (今日の写真は、6月26日に岩木山山頂に立った英国人グループである。左がリーダーのボブさんで右2人はメンバーである。いい写真だと思う。すごく嬉しそうである。
 「登頂した喜び」を全身で表している。羨ましい。私にも当然「登頂」の感動はいつもある。しかし、それを全身で味わうということは今やない。「また来たよ。それではさようなら」という感じで山頂を通過することが多い。
 私はこの2人の名前を知らない。帰りに我が家に立ち寄った彼らの話しから類推すると、この2人は元気だったが、もう2人いる女性が、遅れがちだったようだ。
 これはボブさんが7月7日にメールで送ってくれた4枚の写真の中の1枚である。)

◇◇ 岩木山にも外国人が登山にやって来るようになった(3) ◇◇

(承前)…私は石場さんに早くこの写真とメモを届けなければいけないと考えた。何故ならば、登山当日よりも前に、このグループと色々と連絡を取り合うであろうから、その時に、これらの情報を伝えておいた方がベターだろうと考えたからである。
そして、6月の10日前後頃にサインペンで「矢印と〇」を書き加えた写真2枚と英文のメモを届けたのだ。

 6月に入るといい天気が続いていた。10日過ぎても晴天と暑い日が続いた。私は毎日岩木山の大沢雪渓を眺めていた。日ごとにそれは短くなっていた。
 彼らグループが登る前に1回くらいは実地「踏査」をしておかなければいけないという思いは当然あったが、「岩木山を考える会」に関する諸行事とその事前調査や資料造りなどとがあって、その機会はとうとう採れなかった。
 因みに6月25日までは次の経過で推移した。
 5日、弥生ネット主催(本会担当)「弥生跡地」観察調査会事前調査1回目
 7日、弥生ネット主催(本会担当)「弥生跡地」観察調査会事前調査2回目
    船沢公民館長と話し合い「弥生跡地」報告書説明会開催についての話し合い
 7日から9日、「弥生跡地」観察調査会事前調査のまとめと報告書作成
 10日、岩木山環境保全協議会に参加           
 11日から12日、弥生ネット主催(本会担当)「弥生跡地」観察調査会に使用するパンフレットの作成・印刷
 13日、弥生ネット主催(本会担当)「弥生跡地」観察調査会(24名参加)
    「弥生跡地」観察調査会のまとめと報告書の作成
 14日、弥生ネット会議(観察調査会の反省と今後の課題)参加 
 15日、NHK講座野外「ブナ巨木の森」から岳登山道ー岳温泉までの事前調査
     ブナ巨木の森危険ということで伐採予定木の調査 
 16日、東奥日報記者の取材。18日に「弥生スキー場跡地・自然の姿徐々に回復」として掲載
 16日から17日、「奥入瀬遊歩道沿いの伐採」問題についての報告・提案文書の作成
 18日、「奥入瀬遊歩道沿いの伐採」問題についての打ち合わせ会議
 19日、「岩木山ものしりマップ」の最終校正をして弘前市に送る
 22日から23日、弘前勤労者山岳会の学習会「自然保護について」の資料作成・印刷
 24日、弘前勤労者山岳会の学習会「自然保護について」講師として参加 
 この他にプライベートなこととして20日から21日には下北むつ市大畑まで自転車往復行(帰路は横浜町まで)をしている。
 以上のことからも分かるように、彼らグループが「赤倉から百沢」へというルートで登る前に、そのコースを踏査しておくことは出来なかったのである。

 …メモと写真を届けた何日か後に石場さんから電話があって、メンバーの2人はアイゼンを持っていないこと、行動ルートが「百沢から赤倉」に変更されたことを伝えられたのである。
 ルートが逆向き、これだと細かい注意が必要だ。以前に渡してある「メモ」内容も一部変更しなければいけないと、私は咄嗟に考えた。これは「直接会って話しをする」以外はない。
 それにしても、赤倉登山道を降下するとは…魅力が半減する、登りながら石仏観音と語り合うはという日本人の心情に触れることが出来ない。残念なことだが、強制することは出来ない。
 それで、私は「2人が持っていないアイゼンを25日に届ける」と伝え、ルートに変更があったので、気をつけることを二、三言いたいと話したのである。
 そして、25日の夕方に石場旅館を訪ねたのだった。石場さんは「会話」の場を設けてくれた。そして、約1時間、彼らは、私のたどたどしい「カタコト英語」に付き合ってくれたのである。
 私は岩木山の素晴らしさ、高所登山の経験、花のことなどを語った。メンバーの1人である女性が拙著「岩木山・花の山旅」を石場さんから紹介されて、実物を見ていた。
 そして、あれこれと「質問」する。それが、すべて「花」の学名を告げてくるものだから、私にはさっぱり分からない。「学名で質問される」ということは拙著上梓の「想定外」の出来事である。それはそうだ。私のこの本が「英国人」の目に触れようとは想像だにしなかったことだからである。
 そして、1冊購入したいと言い出したのである。驚きである。そして、素直に嬉しかった。日本語で書かれている「岩木山の花の本」、それを英国人が買い求めて、「見てくれ」て、イギリスに持ち帰るのである。
 私は自分の本がイギリスの彼女の書棚に並べられていることを思い浮かべた。ふつふつと心が満たされていくような感慨にとらわれたのであった。
 そのようなこともあったが、私は次のことだけは繰り返して話したのだ。

…Snow melting is shorter. May not need crampons. But you want to go with crampons.
Akakura when you get off the trail in front of the stone"Obaisi" wants to take the left route.
Akakura trail Buddhism is the path of faith. This is a trail that is used about 1.300 years ago.The trail is the oldest of Mt.Iwaki.… (明日に続く)