岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

「リョウメンシダ」とはおもしろい名前だ / 帯状疱疹(帯状ヘルペス)を発症(その2)

2008-11-23 05:38:49 | Weblog
(今日の写真はオシダ科カナワラビ属の常緑多年草「リョウメンシダ(両面羊歯)」の表である。16日に平沢の河畔林脇で写したものだ。ちょうど50cmの高さだったので、まだ一部を積雪の上に出しているはずである。新雪の白さに、この「常緑の葉」はきっと瑞々しく映えていることだろう。)

 私はこの「リョウメンシダ」については先月26日までは知らなかった。先月26日の野外観察の時に、阿部会長が教えてくれたのである。それまで、目には留めてはいたが「シダ類には我関せず」を決め込んで「観察」などしなかったのである。
 ところが、「リョウメンシダ」という名前が、私に強く関心を起こさせたのだ。だから、今月の16日の野外観察でも、痛みがあり「見えづらい」目にむち打って真剣に探し、この写真を写したのである。
「リョウメンシダ」は全国の丘陵地帯から山に生育している。陰湿地や渓流沿い、沢沿いなど水気の多い場所に生えている。先月は石切沢の周辺で、16日には平沢河畔林の縁で出会っている。
 胞子から育ち始めるシダ植物は、攪乱のない安定した森林の中では定着しにくいものらしい。だからであろうか、植林地など伐採作業によって表層土壌が攪乱されやすい場所、上流からの土壌が堆積して新しく出来る裸地のような場所に侵入して定着するのである。
 一般的にシダ類は葉の縁や葉裏に胞子嚢を付けるものだ。この胞子嚢から胞子を出して「花も種もなく増える」のでヨーロッパでは古くから「魔法の草」と呼ばれていたそうである。
 また、日本では「常緑で良く茂ること」から繁栄と長寿の象徴として正月の飾りものとして使用されてきたのである。
 私が興味を引かれた名前の由来であるが、この「リョウメンシダ」には葉の裏に「胞子嚢」がついていないので、葉の「表」と「裏」の質感が非常に似ていて、区別がつきにくいこと、つまり「表から見ても裏から見ても同じように見えること」による。名付けて漢字書きでは「両面羊歯」である。

 私たちの社会には、「表と裏ではまったく違う人」が非常に多い。「裏表のない人」にはなかなか会えない。この「リョウメンシダ」のような正直な人間が一人でも多くなることを願わずにはいられない。

 このシダは覚えてしまうと、シダ類の中でも、見分けることが簡単な種類である。鱗片や胞子嚢の様子を観察・学習すると興味も湧くのではないだろうか。
 何という見事な葉の「小さな羽片」であることよ。それに色がいい。

       ◆◆ 帯状疱疹(帯状ヘルペス)を発症(その2) ◆◆

 (承前)
 一昨日、2度目の診察を受けた。点眼薬が1種だけ変わった。一昨日までの1週間は「書くこと」にとっては「苦痛」の何者でもなかった。右目の痛みは消えたが「目全体が腫れぼったく重い」感じは消えず、使い物にならない。
 視力の低い「左目」だけが頼りである。よく見えないことと焦点距離感がないのには苦労した。16日から昨日22日までのブログはそんな状態の中で書き続けたものである。
 「毎日何事かを続ける」ということは「身体的にも精神的にも健康が保持される」ということを前提としているということを嫌と言うほど思い知らされた1週間であった。

 「帯状疱疹(帯状ヘルペス)」にはいろいろな体の部位や器官に発症するものがあるらしい。「帯状疱疹」は全身どこにでも発生するが、目の回りや耳の回りに出ると、角膜を侵したり聴覚・顔面神経に障害を残す場合があるので、眼科や耳鼻咽喉科の診察が必要となることもある。
 俗に「ヘルペス」として知られている。また、「ツヅラゴ」と呼ばれて、神経に沿ってウイルスが「活動」するので「激痛」を伴う感染症であると言われている。
 「感染症」というが別に不潔とか他人から感染するということではなく、本来、人の体内には「帯状疱疹」のウイルスが棲みついていて、時に発症するのだそうである。ウイルスが潜伏している状態自体には害はないのである。
 つまり、こういうことであるらしい。ウイルスは、身体の中の神経節に隠れていて、ストレスや疲れや風邪、加齢などで免疫力や抵抗力が落ちた時に、再度増殖(再活性化)を始め、神経を伝わって皮膚や各器官に現れるのである。
 「帯状疱疹」の多くが痛みを伴うのは、ウイルスが神経を伝わって現れてくるからである。私の場合は、それが「右目」に発症したのである。私の右目は「ツヅラゴ」に罹ったのである。

 私は数年前に、左目が「黄斑変性症」になり、人生で初めて「手術と入院」を体験した。そして、視力がそれまでの半分以下に落ちてしまっていた。
 これは視力が低下するだけでなく、私の場合は「見るもの」が歪み、横の直線が下に向かって湾曲して見えたり、加えて「緑色」がくすんで灰色がかって見えるようになった。
 「黄斑変性症」は、「黄斑部」に異常(私の場合は出血した)が起こり、視野や視力が障害される病気だ。「黄斑部」とは、網膜の中心にあり、視細胞が高密度で集中していて、黄褐色をしている部分のことだ。これが視野の中央に見える像を識別する部分で、「物を見る」うえでは、最重要な機能を持っているのである。「黄斑変性症」をそのまま放置していると、失明してしまうこともある。
 こういう訳で日常的に、私の「視力」を支えていたのは、命の綱は「右目」であった。
 その「命の綱」が「帯状疱疹」となったのである。まさに、「命取り」に近い日々が続いていたのだ。一般的には高齢ほど悪化しやすく、治癒が遅れるそうである。完治にはまだまだ時間がかかりそうだ。
 この「帯状疱疹」で最も困る症状は、痛みである。皮膚に発症した場合は、下着の摩擦だけでもびりびりとした「肌を掻き毟り、皮膚を剥くような激しい痛み」に悩まされることがあると言われている。
 また、症状が治っても、なお数ヶ月、「ヘルペス後神経痛」として鈍痛が続く場合もあるというから、私の場合も、これからまだまだ「右目」の鈍痛には悩まされるのかも知れない。鈍痛くらいは我慢も出来るが、この「霞み状態」からは早く解放されたいものだ。両眼ともに、疲れてしようがないからである。
(これだけ書くのに、今朝も数時間を要した。早く回復してくれることを切に望んでいる。)