岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

赤トンボ(アキアカネ)を探して / 日本人はトンボをどのように見てきたか(10)

2008-11-12 05:34:38 | Weblog
(今日の写真は茸、ムキタケである。平沢沿いの林道近くのミズナラ林内で、倒木に生えていたものである。)

 昨日16日に開くNHK弘前文化センター講座「津軽富士・岩木山」の野外観察のための下見に行って来た。朝の気温は0.7℃、出発したのは9時である。その頃になるとすっかり気温も上がり、まさに「十月小春」の小春日和になっていた。風は殆どなく、日差しと気温は大体一致していた。これだと観察予定地の「平沢」沿いでは、アキアカネに出会えるかも知れないと密かに期待をしての出発となった。
 確かに「小春日和」だった。暖かい日差しに全身を曝して「暖」を取っている「アキアカネ」は沢山いるだろうという期待は裏切られてしまった。たった1匹しか見つけることが出来なかった。しかも、枯れ枝や枯れ草に止まっているものではなく「林道」に敷かれた平らな石の上にいたものだった。
 別な発見があった。それは今日の写真、キノコだ。キノコの中で、東の横綱はマイタケだそうだ。そして、西の横綱が「ナメコとムキタケ」だと言う。
 同行したSさんが言うには「初秋のキノコ採りに比べると探すポイントがわかりやすいのが、晩秋のキノコ採りである。
 周囲の木々は黄葉が終りに近づき、落葉も始まっていて遠くの方まで風倒木があるかどうか見渡すことができる」ということだった。沢沿いの急斜面の風倒木を探しながら尾根を目指して歩き回るのだそうだ。
 この「ムキタケ」は毒菌の「ツキヨダケ」と形状、発生場所が非常に似てているが、茎の根元を裂いて見ると「黒いシミ」があることで判別出来るそうだ。冷え込んだり、霜が降り始めると、「ツキヨダケ」は傘に黒くシミができる。
 また、「ムキタケ」はシャキッとしているが「ツキヨダケ」は傘から融けてドロッとしているそうだ。
 「ムキタケ」の色はこの写真のように、灰色に近いが「ツキヨダケ」は濃い茶色なのである。何回か見比べて、慣れてくると見た瞬間判別出来るようになるそうである。

■ 日本人はトンボをどのように見てきたか・日本人とトンボの付き合い方(8)■

 日本人はトンボをどのように見てきたか。俳句にそれを探ってみよう。


 俳句で蜻蛉(トンボ)を用いる用法は「トンボ」のみを用いる単純な用法がもっとも多く60.3%を占める。次いで、「アカトンボ」が30.7%、「トンボ各種」が27.5%と続く。
 「アカトンボ」の相対的頻度に時代間で変化は見られないが、「トンボのみ」の用法は時代とともに減り、代わって「トンボ各種」の用法が増える。
 「トンボ各種」には、「オハグロ(お歯黒)トンボ」、「シオカラ(塩辛)トンボ」、「ショウリョウ(精霊)トンボ」、「イト(糸)トンボ」、「カワ(川)トンボ」、「ムギワラ(麦藁)トンボ」、「トウスミ(灯心)トンボ」、「オニ(鬼)ヤンマ」、「ギン(銀)ヤンマ」などが含まれる。
 また、「アカトンボ」や「アキアカネ」などに対して古風な表現として「アキツ」があるが、この用法は時代とともに、むしろ「アキツ」を使用することが増える傾向にあったようだ。
 「アキツ」とは、秋に飛ぶ「アカトンボ(赤蜻蛉)」を指して、古くから使われている用法で、日本を「秋津洲」と呼ぶのは、蜻蛉の雌雄がつながった姿が日本の形に似ているからとも言われている。

 ● トンボを句題にした代表的な俳句 ●


 これらには、武士社会などで蜻蛉を「勝ち虫」として扱うもの、稲作と関連して豊穣のシンボルと扱うもの、先祖の霊など霊的象徴として扱うものなどがある。

  「あたままで目でかためたる蜻蛉かな」 (中村 史邦)
  「尾を曲げて瑠璃の濃くなる糸蜻蛉」 (堀口 星眠)
  「赤蜻蛉夕日を乗せて飛んでをり」 (石井とし夫)
  「あきつ飛ぶ群れてゐること楽しげに」 (森本英津子)
  「稲稔り蜻蛉つるみ子を背負ひ」    (高浜 虚子)
  「掛稲にいつ減るとなく蜻蛉かな」   (籾山 柑子)
  「おはぐろとんぼは水の生みたる悪の華」(田川飛旅子)
  「山里は水子のにほひ盆とんぼ」    (椿 文恵)
  「なき人のしるしの竹に蜻蛉哉」    (高井 几董)
  「父祖の地や蜻蛉は赤き身をたるる」  (角川 源義)
  「いつまでも蜻蛉水うつ法降寺」    (原田 喬)
  「糸蜻蛉水液ぎても幕無し」    (岸田 稚魚)
  「鬼やんま父の御腹を食はんとす」  (栗林 千津)

   蜻蛉の捕獲を忌み嫌う俳句もある。

  「身近飛ぶ精霊蜻蛉誰も捕らず」    (唐沢富貴子)


       ● トンボに関する諺を探ってみよう ●

 ・阿呆の鼻毛で蜻蛉をつなぐ・
(愚かな者が、自分は鼻毛を伸ばして、その先にトンボをつなげることができると誇張した言葉から、何もかも馬鹿らしいことを意味する)
 ・蜻蛉が尻を冷やすよう・
(そわそわと落ち着かないさまの喩え)
 ・蜻蛉の鉢巻で目先が見えぬ・
(頭部に目のあるトンボに鉢巻をすれば目が見えなくなることから、この先どうなるか予測がつかない意)
 ・蜻蛉も種から・
(物事が起こるのはすべて、その理由やきっかけがあるものだという意)
 ・極楽蜻蛉・ 
(のんき者)
 ・蜻蛉返り、蜻蛉を切る・
(宙返り)
 ・蜻蛉に持つ・
(棒の前端に横木をそえ、その両端と後棒を三人でかついで運ぶこと)
                             (明日に続く。)