(今日の写真は11日に写した岩木山である。岩木山は本当に見る場所によって、その姿を著しく変える。遠目には円錐形で、どこから見ても同じように見えそうだが、実はそうではない。)
地図上でもそうである。特に50.000分の1地図にあっては、平面的に眺めただけでは、実にのっぺりとして「起伏」があまり感じられない。
今日の写真にも、この「のっぺり感」は見える。特にこの写真に見える「山頂部」はなだらかな「台形」をなしている。
「山頂部」と書いたがこれは、岩木山の中央火口丘を指しているものではない。これを撮影した場所からは、本物の「山頂部」は見えないのだ。なだらかな台形を形作る稜線の下部に目をやって欲しいものだ。
深い切れ込みと岩稜性の地形が見えるだろう。この岩稜性の地形のことを「倉」と呼び、急峻な崖を意味している。
左側が柴柄(しばから)沢だ。真っ正面が平沢の源頭である。上部のなだらかさとは明らかに違う急峻さと荒々しさである。山麓まで近づくと、明らかに変貌する。
ところで、近づいて見ると岩木山は極端にその姿を変えるが、その理由は、岩木山の火山性造山運動にある。爆裂火口を11も持っている「複合火山」なのだ。それに寄生火山による「小丘(標高600m程度までの小高い山)」を山麓部に持っていることによるのである。
この写真を写した平沢は、岩木山の南面に位置している。標高350mから550mにかけて緩やかな斜面が約2㎞に渡って続いている。
幅も広いところでは150mから200mほどあり、広い川原をなしている。しかし、標高700mから1200mにかけては斜度が、30度を越えるようになる。
この平沢を東西から挟むように爆裂火口を「谷頭」とする沢、つまり開析谷が流れ下っているのだ。毒蛇沢や「荒川ノ倉」を持つ滝の沢と「柴柄ノ倉」を持つ柴柄沢などがそれである。
11日の下見の時には、平沢の右岸沿いに進み、途中から柴柄沢の左岸を登り、平沢右岸尾根のミズナラ林の中を行った。
川原特有のバッコヤナギはまだ葉を落としていなかったが、色はすっかり褪せていた。美しい「紅葉」とは言い難い。
林道沿いの日当たりのいい場所で「アキアカネ」を探したが、結局はたった「1匹」の「アキアカネ」の発見に終わってしまった。
■ 日本人はトンボをどのように見てきたか・日本人とトンボの付き合い方(最終回)■
「トンボ」は多くの方言で呼ばれている。その方言から「見えてくるもの」は何だろう。
柳田國男はトンボの方言を考察して、「方言周囲論」により、「アキツ」が最も古く、「エンバ」は次に古く、「トンボ」が一番新しい語であるとした。
トンボの一般に呼ばれている名称には次のような「系統」性がある。
北九州方言の「エンバ・ヘンボ」系と南九州方言の「ボイ」系である。また北陸(新潟県佐渡島)と東北(青森県、秋田県、岩手県)には「ザンブリ・ダンブリ」系の語が分布する。
富山県・石川県の「ドンボ」、鳥取県の「ドンバ」のように、「トンボ」の頭音が濁音化したような語群は、「ダンブリ」と「トンボ」の習合した結果か、もしくは共通の祖語からの分化であろう。
ところで、「エンバ・ヘンボ系」、「ボイ系」、「ダンブリ・ザンブリ」系語彙は日本列島で発生した語とは考えにくいのだ。いずれ大陸・朝鮮半島から渡来した人々のもたらした語彙であったのだろうと思われる。
とりわけ、佐渡島や東北地方に分布する「ダンブリ・ザンブリ」系の語群は、「トンボ」の韓国語「チャムジャリ」と酷似するばかりか、済州島の「トンボ」方言である「パンブリ」が確認されたことにより、朝鮮半島に直接の起源をもつとの解釈が有力である。
弘前を中心とする津軽では「トンボ」を「ダンブリ」と方言で呼称するが、これは朝鮮済州島にそのルーツを辿ることが出来るのである。「トンボ」はまさに国際的な「昆虫」ということになるのである。
次に参考までに青森県のトンボの一般的な呼称を挙げてみたい。
◆青森県のトンボの一般称◆
○アキツ系:・アガンキ 三戸郡五戸町
○ザンブリ・ダンブリ系:
・アガダブリ(赤蜻蛉)弘前市・南津軽郡平賀町
・アカダンブリ(赤蜻蛉)三戸郡五戸町
・イトダンブリ(イトトンボ)弘前市
・カナコダブリ(糸蜻蛉)弘前市
・カワダブリ(ハグロトンボ)弘前市
・ダンブリ 青森市・五所川原市・弘前市・野辺地町・川内町・木造町
・ババダンブリ(糸蜻蛉)五所川原市
・ヤマダブリ(オニヤンマ)弘前市(ギンヤンマも)・南津軽郡平賀町
・ヤマダンブリ(オニヤンマ)五所川原市
・ヨメダンブリ(赤蜻蛉)五所川原市
◆イトトンボの方言◆
「イトトンボ」方言としての「トースミトンボ」は「灯心蜻蛉」を意味した。
ランプや電灯が普及する以前の日本社会における「灯心」の果たした重要な役割を考察すると、「イトトンボ」方言としての「トースミトンボ(灯心蜻蛉)」の語はどこで発生しても不思議ではなかったであろう。
◆八グロトンボの方言◆
青森市を中心とした地域では「ハグロトンボ」のことを「カミサマ(神様)トンボ」と呼ぶそうだ。神様としての「トンボ」の主座は、今日では「イトトンボ」類と「ハグロトンボ」が占めているのである。この領域ではアキアカネとは一線を画している。
「イトトンボ・ハグロトンボ」の類は、前翅と後翅がほとんど同じ形で、前後翅を重ね合わせて休止する種が多い。ただし、「アオイトトンボ」類のように翅を半ば開いて止まる「イトトンボ」類もある。
少し、西洋と比較してみよう。この仲間の英語名がふるっている。
Damselfly、すなわち「お嬢様蜻蛉」とでも和訳すべき名で呼ばれているのだ。「優しくなよなよ飛ぶ様子」を「令嬢」に讐えたものだろうか。
英語のdamselflyはフランス語からの借用と思われ、大陸ではドイツでも「水の乙女」と呼ばれているそうである。
(この稿は今回で終了する。なお、この稿を書くに当たっては「トンボと自然観」京都大学学術出版会刊を参考にした。)
地図上でもそうである。特に50.000分の1地図にあっては、平面的に眺めただけでは、実にのっぺりとして「起伏」があまり感じられない。
今日の写真にも、この「のっぺり感」は見える。特にこの写真に見える「山頂部」はなだらかな「台形」をなしている。
「山頂部」と書いたがこれは、岩木山の中央火口丘を指しているものではない。これを撮影した場所からは、本物の「山頂部」は見えないのだ。なだらかな台形を形作る稜線の下部に目をやって欲しいものだ。
深い切れ込みと岩稜性の地形が見えるだろう。この岩稜性の地形のことを「倉」と呼び、急峻な崖を意味している。
左側が柴柄(しばから)沢だ。真っ正面が平沢の源頭である。上部のなだらかさとは明らかに違う急峻さと荒々しさである。山麓まで近づくと、明らかに変貌する。
ところで、近づいて見ると岩木山は極端にその姿を変えるが、その理由は、岩木山の火山性造山運動にある。爆裂火口を11も持っている「複合火山」なのだ。それに寄生火山による「小丘(標高600m程度までの小高い山)」を山麓部に持っていることによるのである。
この写真を写した平沢は、岩木山の南面に位置している。標高350mから550mにかけて緩やかな斜面が約2㎞に渡って続いている。
幅も広いところでは150mから200mほどあり、広い川原をなしている。しかし、標高700mから1200mにかけては斜度が、30度を越えるようになる。
この平沢を東西から挟むように爆裂火口を「谷頭」とする沢、つまり開析谷が流れ下っているのだ。毒蛇沢や「荒川ノ倉」を持つ滝の沢と「柴柄ノ倉」を持つ柴柄沢などがそれである。
11日の下見の時には、平沢の右岸沿いに進み、途中から柴柄沢の左岸を登り、平沢右岸尾根のミズナラ林の中を行った。
川原特有のバッコヤナギはまだ葉を落としていなかったが、色はすっかり褪せていた。美しい「紅葉」とは言い難い。
林道沿いの日当たりのいい場所で「アキアカネ」を探したが、結局はたった「1匹」の「アキアカネ」の発見に終わってしまった。
■ 日本人はトンボをどのように見てきたか・日本人とトンボの付き合い方(最終回)■
「トンボ」は多くの方言で呼ばれている。その方言から「見えてくるもの」は何だろう。
柳田國男はトンボの方言を考察して、「方言周囲論」により、「アキツ」が最も古く、「エンバ」は次に古く、「トンボ」が一番新しい語であるとした。
トンボの一般に呼ばれている名称には次のような「系統」性がある。
北九州方言の「エンバ・ヘンボ」系と南九州方言の「ボイ」系である。また北陸(新潟県佐渡島)と東北(青森県、秋田県、岩手県)には「ザンブリ・ダンブリ」系の語が分布する。
富山県・石川県の「ドンボ」、鳥取県の「ドンバ」のように、「トンボ」の頭音が濁音化したような語群は、「ダンブリ」と「トンボ」の習合した結果か、もしくは共通の祖語からの分化であろう。
ところで、「エンバ・ヘンボ系」、「ボイ系」、「ダンブリ・ザンブリ」系語彙は日本列島で発生した語とは考えにくいのだ。いずれ大陸・朝鮮半島から渡来した人々のもたらした語彙であったのだろうと思われる。
とりわけ、佐渡島や東北地方に分布する「ダンブリ・ザンブリ」系の語群は、「トンボ」の韓国語「チャムジャリ」と酷似するばかりか、済州島の「トンボ」方言である「パンブリ」が確認されたことにより、朝鮮半島に直接の起源をもつとの解釈が有力である。
弘前を中心とする津軽では「トンボ」を「ダンブリ」と方言で呼称するが、これは朝鮮済州島にそのルーツを辿ることが出来るのである。「トンボ」はまさに国際的な「昆虫」ということになるのである。
次に参考までに青森県のトンボの一般的な呼称を挙げてみたい。
◆青森県のトンボの一般称◆
○アキツ系:・アガンキ 三戸郡五戸町
○ザンブリ・ダンブリ系:
・アガダブリ(赤蜻蛉)弘前市・南津軽郡平賀町
・アカダンブリ(赤蜻蛉)三戸郡五戸町
・イトダンブリ(イトトンボ)弘前市
・カナコダブリ(糸蜻蛉)弘前市
・カワダブリ(ハグロトンボ)弘前市
・ダンブリ 青森市・五所川原市・弘前市・野辺地町・川内町・木造町
・ババダンブリ(糸蜻蛉)五所川原市
・ヤマダブリ(オニヤンマ)弘前市(ギンヤンマも)・南津軽郡平賀町
・ヤマダンブリ(オニヤンマ)五所川原市
・ヨメダンブリ(赤蜻蛉)五所川原市
◆イトトンボの方言◆
「イトトンボ」方言としての「トースミトンボ」は「灯心蜻蛉」を意味した。
ランプや電灯が普及する以前の日本社会における「灯心」の果たした重要な役割を考察すると、「イトトンボ」方言としての「トースミトンボ(灯心蜻蛉)」の語はどこで発生しても不思議ではなかったであろう。
◆八グロトンボの方言◆
青森市を中心とした地域では「ハグロトンボ」のことを「カミサマ(神様)トンボ」と呼ぶそうだ。神様としての「トンボ」の主座は、今日では「イトトンボ」類と「ハグロトンボ」が占めているのである。この領域ではアキアカネとは一線を画している。
「イトトンボ・ハグロトンボ」の類は、前翅と後翅がほとんど同じ形で、前後翅を重ね合わせて休止する種が多い。ただし、「アオイトトンボ」類のように翅を半ば開いて止まる「イトトンボ」類もある。
少し、西洋と比較してみよう。この仲間の英語名がふるっている。
Damselfly、すなわち「お嬢様蜻蛉」とでも和訳すべき名で呼ばれているのだ。「優しくなよなよ飛ぶ様子」を「令嬢」に讐えたものだろうか。
英語のdamselflyはフランス語からの借用と思われ、大陸ではドイツでも「水の乙女」と呼ばれているそうである。
(この稿は今回で終了する。なお、この稿を書くに当たっては「トンボと自然観」京都大学学術出版会刊を参考にした。)