岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

■■「核燃料サイクル施設立地反対津軽地区連絡会議」の「設立総会」に参加しよう■■

2008-02-08 10:56:31 | Weblog
(写真は講演する永田文夫氏)

 昨年11月24日と25日のブログで既に、「第28回東北自然保護の集い」の報告として掲載してあるが、「六ケ所村の核燃料再処理工場からの放射能排出を止めなければいけない」という動きが津軽地方にも出てきた。
 本会は、すでに「第28回東北自然保護の集い」が決定したことに賛同し、東北各県と北海道知事に対して東北各県の自然保護団体と連名で「六ケ所村の核燃料再処理工場からの放射能排出」停止の要望書を11月27日に提出している。
 このような既定の事実からも、この「津軽地方の動き」に賛同の意を表して、活動に積極的に参加していくべきだろうと考える。

 さて、「六ケ所村の核燃料再処理工場からの放射能排出を止めなければいけない」という動きとして、「核燃料サイクル施設立地反対津軽地区連絡会議」というものが設立されるというのである。その「設立総会」の案内が事務局に届いている。それを「掲示」して、会員の参加をお願いするものである。
その前に、もう一度「第28回東北自然保護の集い」事務局が各知事に出した要望書を掲載する。

   ■■ 「第28回東北自然保護の集い」で決定した各県知事にあてた要望書 ■■

  2007年11月27日
・青森県知事 三村申吾・岩手県知事 達曽拓也・宮城県知事 村井嘉浩・秋田県知事 寺田典城・山形県知事 斎藤 弘・福島県知事 佐藤雄平・北海道知事 高橋はるみ

           第28回東北自然保護の集い岩手大会
                           会長  永田 京子
                要 望 書

日頃より、市民の健康な生活と、その環境作りにご尽力されている貴殿に敬意を表します。
 さて、さる11月10、11日の2日間、岩手県花巻市において東北6県の25団体の代表ほか延べ133名が集まり、「第28回東北自然保護の集い岩手大会」が開催されました。この集いの中で、六ケ所村の核燃料再処理工場からの放射能排出について検討したところ、*海洋生態系は未知の分野が多く、見切り発車ではなく、慎重な行動が必要。
*生命は海から生まれ出でた、その母体をいたずらに汚すべきではない。
*東北地方に暮らしながら自然環境を守って来た、ここで放射能によって海と大地を壊されたくない。などの意見が出されました。
 これらを受けて、以下の2項目について要望を行うことになりました。
 お忙しいところ恐縮ですが、熟慮の上、文書にてのご返答を12月20日までにお願いいたします。

○要望

1、青森県六ケ所村の核燃料再処理工場から、海や空に放出する放射性物質は、原子力発電所なみに抑えるよう関係機関に求めること。
2、青森県六ケ所村の核燃再処理工場からの放射性物質は、放射能除去装置で放射能を取り除いたのちに放出するよう関係機関に求めること。
                                以上。

 賛同団体/岩木山を考える会、秋田県自然保護連合、白神NGO、カタクリの会、早池峰の自然を考える会、早池峰クマタカ研究会、和賀川水系の自然を考える会、花巻のブナ原生林に守られる市民の会、早池峰にゴミは似合わない実行委員会、いわて野生動物保護ネットワーク、遠野エコネット、船形山のブナを守る会、仙台のブナと水・自然を考える会、神室山系の自然を守る会、鳥海山の自然を守る会、出羽三山の自然を守る会、高山の自然を守る会、博士山のブナ林を守る会、三陸の海を放射能から守る会
                        
 これも再掲になるが、「第28回東北自然保護の集い」で永田文夫氏が報告された「三陸の海と放射能汚染」の概要についても掲載する。

           ■■「三陸の海と放射能汚染」■■

『東北では、秋田、岩手、山形に原発がない。2006年版の理科年表によれば、世界の地震分布地図では、日本は全国が真っ黒になっている。つまり地震の巣のうえで、日本人は暮らしていることになる。その日本に、現在55基の原発がある。
 この7月破壊された柏崎刈羽原発は「豆腐の上の原発」、静岡の浜岡原発は「なまずの上の原発」、青森の六ケ所村の核処理施設と原発は「積み木細工の上の原発」なのだそうである。
 その六ケ所村の核処理施設から、太平洋の沖合3km、水深44mで、放射能を大量に含んだ排水が放出され、それが海流に乗って、三陸海岸に押し寄せてきているそうである。海草から通常の10倍のプルトニウムが最近検出されたとか、乳児死亡率が高いとか、オドロオドロしい事実が話された。このまま放置すれば、三陸の豊かな漁業資源はどうなるのか、政治家は事実を隠して、蓋をしている以上、市民が動きださないと事態は動かないことになる。
 当面、「放射能海洋放出規制法」の制定を求める運動を進める必要があるという、永田さんの話であった。
 それにしても、国際的な核の監視組織のIAEAでさえ、1986年の旧ソ連でのチェルノブイリ原発事故による人体への影響は、小児甲状腺ガンだけだと、他の多くのガンの発生との因果関係を拒否している。1989年、「ガイア仮説」で有名になったイギリスの科学者、ジェームス・ラプロックはいまや、原発こそ地球を救うとわめいているし、IPCCの中心的科学者、ステーブン・H・シュナイダーも原発推進論者として名高い。CO2などいくら努力しても、減少できないのは自明だから、いまに、原発建設の大合唱が世界的に、起こりそうである。「エントロピーの法則」通り、世界は、いよいよ「化石文明」の終焉を迎えている。』
■■ この報告後、「第28回東北自然保護の集い」参加者から…
1.「当該青森県は一体何をしているのだ」
2.「青森県の自然保護団体は核燃反対運動をしていないのか」
3.「青森県が北海道や東北の海を汚して平気なのか、海の汚染は世界規模で広がるものだ。垂れ流しを許して、そのかげで補償金の甘い汁を貪っている住民や漁民は許されない」4.「自然保護とは未来世代に今ある自然を残していくことだ。汚染物質貯蔵して残していくことは現在世代だけの身勝手な行動だ」
5.「今回の大会に岩木山を考える会から参加しているものが10名もいるが、自然保護運動を岩木山にだけ限定することはおかしい。核燃汚染をも食い止めるという運動も是非して欲しい」
…などの声があった。私はまさにそのとおりだと思い、心底恥ずかしかった。■■

 次に「核燃料サイクル施設立地反対津軽地区連絡会議」の設立総会の案内を掲載する。是非多くの会員、または一般の方々が参加されることを願うものである。


   ■■■■ 「核燃料サイクル施設立地反対津軽地区連絡会議」 ■■■■
        ---(通称)核燃・だまっちゃおられん津軽の会----

             ■■結成総会の御案内■■

 日本原燃六ヶ所再処理工場の本格稼働が、2008年早々に始められようとしています。
高レベル放射性廃棄物の最終処分地の見通しがない今本格稼働をすれば、高い放射能を含んだ廃液のガラス固化体は、六ヶ所にたまり続けることになります。
2006年に決められた新耐震設計審査指針にも問題があると指摘されているにも関わらず、国も県も事業者もそれを認めようとしません。再処理工場の敷地内にあるf-1、f-2断層と六ヶ所村沖5キロほどの場所にある巨大な活断層で、M8.2以上の大地震が起こる可能性があるとみている専門家もいます。
アクテイブ試験による作業員の被ばく事故や、既にあらゆる種類の放射能が廃液に混じって海に捨てられていることも問題視されています。
このような中で、再処理工場を本格稼働することは、住民の命と暮らしを危機にさらすことに他なりません。チェルノブイリ原発事故では、移住が必要とされる高濃度汚染地域が半径200キロにもなりました。六ヶ所でひとたび事故があれば、津軽地域も大きな被害を受けるのは必至です。
 当会は、真実を学び、地域の安全を守るために、「核燃料サイクル施設」の稼動に反対し、危険な国の原子力政策の転換を求めます。
国の原子力政策に不安や疑問を持っているみなさん、強い憤りをもっておられるみなさん、もうだまっちゃおられません。
核燃料サイクル施設立地反対連絡会議や、原発問題住民運動全国連絡センターと連携し、津軽に反核燃の運動の大きな波を起こしましょう。

次の日程で結成総会を開催いたします。是非ご出席いただきますよう、御案内いたします。
核燃料サイクル施設立地反対津軽地区連絡会議」結成総会

■■日時:2月13日(水)18時30分より

■■場所:津軽保健生協2階ホールにて

■■特別報告:「六カ所核燃料サイクル施設の現状について」
諏訪益一氏(青森県議会議員)

 なお、呼びかけ人の中には本会会長 阿部東もいる。

見え隠れする、神々しく近寄り難い山頂 / 歩くこと、走ることの話し、あれこれ(10)

2008-02-08 07:29:30 | Weblog
( 今日の写真の中で、幽かに見える岩木山山頂は2月、湯ノ沢上部から鳥海山南陵に出て、その先端部から撮ったものだ。
 その日は、湯ノ沢の右岸を詰めて鳥海山の南陵に出た。風は強いものの、雪質は硬く、殆ど、「埋まる」こともなく、「ワカン」の爪は「面白い」ように利いた。まさに、快調と形容出来る登高であった。
 稜線伝いの登りは風に苛まれ、風に向かう瞬間には「手で口を塞がれる」状態が続いたたが、鳥海山の広い尾根は思ったほど強くはなかった。
 嬉しいことに、吹き飛ぶ雲は薄く、その合間合間に視界は、文句なしに利いた。
だが、その合間は瞬時だった。「あっ、眼前に山頂」と思う間もなく、それは消え去る。 また、見える。思わず、膝をついてひれ伏したくなった。しばらく、目を閉じて伏した。恐らく、その間に「山頂」は何回か消えたり現れたりを繰り返したのだろう。目を開けた時にはまた、山頂は視界から消えていた。
 どうも歓迎されていないようだ。…と思ったが、次に現れたのは「神々しく近寄り難い山頂」だった。その下部に見える岩崖は鳥ノ海爆裂火口壁と外輪の岩稜帯である。)

    ■■ 歩くこと、走ることにまつわる話し、あれこれ(10)■■
(承前)
  何故、「歩いたり」「走ったり」するのか、その目的は何か?

 私が「8kg」を背負って時速6kmで歩いたり、何も背負わず45分から50分で10kmを走ったりする目的は、決して「ダイエット」のためではない。
 私が「歩いたり」「走ったり」する目的は、「単独でヘトヘトにならない身体状態で、岩木山登山を続ける」ことである。

 あるいは、身体的にも、精神的にも「余裕」を持って登山するための体力を維持するためである。これらの「余裕」があればこそ、正しい「自然観察」も出来るというものだろう。
 また、岩木山に登っても「翌日」には疲れが取れている体を維持したいためである。
さらに、冬の山頂に立つための「体力を保持したい」ためである。
 加えて、登りや下降時のバランス感覚をこれまでとおり維持したいためである。
さらに加えると、仮に単独で出かけなくて、誰かと一緒に登る時でも、その同伴者に迷惑を掛けない「持久力」や「瞬発力」を保持したいためである。
 とにかく、楽しく登山を続けたいからだ。「体力」がなければ、「登山」は決して楽しくない。それは辛くて苦しいだけのもである。体力があると、登山は「楽」で「楽しい」ものとなる。

 私の体重はここ20年ほど「55kgから57kg」に収まっているから「痩せる」必要はない。食べたいものを「カロリーオーバー」になるまで食べていては「太る」のは当然である。 「ダイエット運動」に取り組んだり、「ダイエット」食品を食べたり、「カロリーの少ないもの」を飲んだりする人は、みなこの「当然なる事実」を知っている。
 毎日新聞の「万能川柳」(1月31日付)に『どうしたらやせるかぐらい分かってる』というのがあった。その答えは「食べ過ぎないこと、飲み過ぎないこと、摂取カロリーがオーバーにならないこと」だ。誰でもこれは知っている。
 だから、「私、ダイエットしてるのよ」と言うことは本当は恥ずかしいことなのではないのだろうか。「食べ過ぎ・飲み過ぎ・カロリーオーバー」を抑制出来ない人間であることを「自白」しているようにさえ思われるのだ。

 ただ、先天的、遺伝的に「膵臓の機能が弱く」インスリンの分泌が少ない人は「血糖値」を下げるために「運動」をしなければいけないのだが、これと「食べ過ぎ・飲み過ぎ・カロリーオーバー」から「ダイエット」をする人と同列に扱うことは出来ないだろう。
 彼らの「運動」は決して「自分が撒いた種」の結果ではないからである。自分の意志では選択出来ないという「惨い運命」のなせる業である。「ダイエット」のために「歩いたり、走ったり」している人と同列に扱われてはたまったものではない。(この稿は明日に続く。)