岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

厳冬の岩木山赤沢右岸尾根「松代登山道尾根」 / 歩くこと、走ることの話し、あれこれ(5)

2008-02-03 06:14:05 | Weblog
(今日の写真は岩木山の西の尾根、赤沢右岸尾根の上部先端、「追子森」山頂北面からのものである。平坦に見える斜面についている「動物の足跡」は「トウホクノウサギ」のものだ。
 ここは「雪庇」の先端でもある。これ以上前に出ると、崩落して爆裂火口に真っ逆さまということになりかねない。
 この「赤沢右岸尾根」は一応ここで終わりとなるが、この先は旧い「爆裂火口」の細い外輪稜線を辿らねばならない。
 右を迂回して、一旦稜線を下る。右に深くて広い「赤沢」の全貌が開ける。だが、これは「積雪期」で、しかも、晴れている時だけのことだ。
 夏場は背丈を遙かに超える「根曲がり竹」の密集地が続く。「猛烈」な竹藪こぎが続く。まさに「体力」勝負、強靱な体力、持久力を持ち合わせていない人は「登る」場所ではない。
 細い稜線に出来ている「雪庇」を崩さないように慎重に登る。ここは、風の向きが一定していない。右側の赤沢から吹き上がってきたり、左側「北方向」の爆裂火口から「舞い上がったり」する。全身に力を入れて、耐風姿勢を取りながら一歩一歩進む。
 稜線が切れると「低木」のブナが出てくる。西法寺森「写真左の山」の本体に取りついたのだ。
 黒く見える樹木は「コメツガ」だ。岩木山本体との鞍部を、赤沢方向に迷い込まないようにしながら、登って行く。視界不良の場合は磁石で「北東」を確認してその方角に進む。
 出来れば、長平登山道との分岐点付近を確認してから、山頂に向かう方がいい。私たちが便宜上「テラス」と呼んでいる「平坦地」が山頂の直ぐ下に見える丸みを帯びた場所である。
 山頂直下の岩が「山の神石」だ。この辺りは雪面が氷化している。滑落したら「赤沢」に落ちていく。アイゼンやピッケル必需品となる。「明日に続く」。)

     ■■ 歩くこと、走ることにまつわる話し、あれこれ(5)■■
(承前)「左側を歩く人」

 冬場、朝の歩道は細い一本道である。人一人が歩ける幅しかない。すれ違ってお互いが「通過」出来るものではない。
 私がM高校に通勤していた時のことだ。毎朝、私が歩く「道路の右側」にあるこの一本道を、歩いて来る「老女」がいた。つまり、この「老女」からすると「道路の左側の一本道を歩いて来る」のであった。細い一本道をお互いが通過するには一方が道を空けなければいけない。
 その頃の私はまだ50代である。その「老女」は70歳前後に見えた。「長幼の序」をしっかりと守り、その細い一本道から雪深い道路脇に入り、道を空けてその「老女」が通過するのを待った。毎朝がこの連続であり、繰り返しなのである。
 「老女」と私の行動が入れ替わるということはなかった。しかも、この「老女」からは「道を譲る」私に対して、毎朝当然のようにそれをさせながらも、「お世話になります」とか「ありがとう」という言葉の一つもないのであった。
 一本道である。交互に通過することが出来ずに「道」を譲ったら譲られた方が、何らかの「謝意」的な表現をするのが礼儀であり、社会通念だろう。
 ほぼ一ヶ月が、その繰り返しで過ぎた。私の心には「お互いさま」という言葉が数日前から存在していた。「今日は私が道を譲る番、明日はあなたが譲る番」ということに何故ならないのだろう。

 そして、ある決定的なことを発見したのである。それは、この道路の対岸にも「一本道の歩道」があって、正しく、「右側を歩く人」がいるということであった。
 私は無性に腹が立ってきた。この「老女」も「対面交通」という基本的なルールに則って「歩く」と、対岸の歩道を歩かなければいけないのだ。
 それを守ってさえくれていれば、私と「対面」的にすれ違うことはないのだし、その都度私が雪の藪に入って待機して、道を譲ることもなかったのだ。そのたびに靴に「雪」が入るし、「歩行ペース」は崩れるし、いいことは一つもない。

 色々と思いが巡んできて「腹立たしさ」を抑えることが出来なくなっていた。翌朝もその「老女」と出会った。
 私は「おばあさん、交通ルールに従うと、あなたは反対側の歩道を歩かなければいけないのですよ。そうすれば、私と毎朝「ぶつかる」ことはないのです。」と言いながら雪の藪に入って待機した。ところが、「老女」は、私のその言葉を無視して通過しようとしたのである。
 「待って下さい。明日からは右側歩行して下さいね。どうしてあなたは毎朝左側を歩いて来るんですか。」と少し声を荒げて、慌てて言った。
 老婆はやっと「口」を開いた…。
「したって、えがら出ればすぐのけんど来るんだもの」(自分の家から出ると直ぐのところに左側の歩道があるので、対岸の右側歩道には渡らないで、その道をやって来るのだ) ああ、何という怠け者ではないか。僅か数mという道幅を横断することが大儀で、それをしない。
 そして、そのままやって来て「私とぶつかり」私が雪藪に逸れて道を譲っていたのである。
 僅か数mという道幅の横断をしてくれて「右側歩道」を歩いてくれていれば私はこのような「無駄」な行為をする必要がなかったのだ。
 私はもう腹も立たなかった。あきれ果てた。自分のお人好しにもあきれ果てた。
 この「老女」の怠慢、このものぐさ、自分のことしか頭にない行為、これはすべて、社会性の欠如として「社会を構成する」他の人間に迷惑行為として跳ね返っていくのである。
 許されるものではない。いい年をした「老女」である。きっと子どももいるのだろう。どのような価値基準で子育てをしたのだろうか。少し恐ろしくなった。

 この「左側を歩く人」は今でも少なくなってはいない。昨日も一昨日も「8kgの鉄亜鈴」を背負って12km歩いたが、数人に遭っている。私は常に「右側」を歩くので、私と「対面」する「歩行者」はすべて、「道路の左側」を歩いている人であり、数えることは簡単だ。(この稿は明日に続く。)