あいあいのひとりごと

ローマ在住あいあいの暇つぶし日記。

街中フラメンコの一週間 ~セビリア(スペイン)~

2008-10-31 02:41:42 | 旅 ~イタリア国外~
今年の4月にスペイン・アンダルシアを旅行しました。セビリア、コルドバ、グラナダの10日間です。セビリアでは雨続きでしたが、ちょうどFeria de Abril(四月の祭り)の週に当たっていて、これはこれはラッキーでした。こんな華やかなお祭りは始めて見たと思ったほど。お祭りの会場はあるのですが、会場に向かう人々でセビリアの街中がフラメンコの衣装を着た人々で溢れていました。


馬車を借り切って会場に向かう人々。馬車の上では乾杯をしたりすっかりお祭り気分です。


会場には道沿いに見えるような飾られたテント(?)が何百と並びます。プライベートの所は招待されることが必要ですが、誰でも入れる所もあります。中では飲んだり、食べたり、踊ったり。


プライベートのテント。小さな子供たちもしっかりフラメンコの衣装です。子供からお年寄りまでみんな美しい。


大きなダンス会場。若い女の子たちが集まります。


フラメンコは元々ジプシーたちの踊りだったそうです。ジプシーたちのように踊りながら会場をまわるグループがいました。

こんなに大勢のフラメンコ衣装の人々を見たのは初めて。私はすっかり興奮状態でした。

このお祭り、名前の通り4月にあります。どうやら4月の中旬から下旬の一週間だそうです。セビリアに行かれるなら是非この時期に合わせてはいかがでしょう。見る価値大大大です。四月は普通は天気も良いらしいですよ。




停電?

2008-10-30 05:33:44 | ローマの平日
映画の試写会に行きました。Quattro Fontane (「四つの噴水」という意味)という映画館に行くときはなぜかいつも雨が降ります。今夜も嫌~な予感がしていましたが、やはり雨。それも雷も伴ったちょっとした嵐となりました。

車を駐車してから走ること10分。傘をさしていたにも関わらず映画館に着いたときはダニィも私もずぶ濡れ状態でした。映画館の中にいても雨の音が聞こえていたほどです。(映画館は通常外の音なんて聞こえないようにできていると思っていましたが。)

作品は"Il passato e' una terra straniera" (「過去は見知らぬ地」)というイタリア映画で、同名小説をもとにした映画のようです。ストーリーはまじめな普通の学生ジョルジョがポーカーのイカサマ師フランチェスコと出会うことで犯罪の世界に引き込まれていく・・・というもの。


"Il passato e' una terra straniera" ダニエレ・ヴィカーリ監督 2008年 イタリア

少し前にも"21"という学生がギャンブルの世界に引き込まれるアメリカ映画を見ました。邦題は「ラスベガスをぶっつぶせ」と言うらしいですね。
数学力で優秀なMITの学生達が教授の指導でカードゲームの攻略法をマスターし、ラスベガスに乗り込んでいくという話。最後は悪者は制裁されるハッピーエンドのありがちな映画です。

 
「ラスベガスをぶっつぶせ」ロバート・ルケティック監督 2008年 アメリカ 

それに比べると今回のイタリア映画の方は、結構荒々しい展開になります。終わり方がちょっと中途半端の印象でした。
私の好きなタイプの映画ではなかったので、映画の話は今回はこのくらいで

さて、映画が終わって外に出ると雨は降っていませんでしたが、まだ稲光が時折見えました。もうずぶ濡れは懲り懲りということで、ダニィに車までまたも1全力疾走させられました。あちらこちらにかなり大型の水溜りがあり、大嵐だったようです。途中倒木もありました。

そしていつもの道を家に向かう途中のことでした。ダニィが「この辺電気が消えて真っ暗だけれど停電かなあ」と言う。ローマはいつも薄暗いので私は気がつきませんでしたが、そういえば街燈が消えている。確かに雷も凄かったようだし、停電になった可能性はあるなあ、でも建物の中を見ると電気がついている所もある。

そして次に気がついたのは、信号が消えている!でした。結構遅い時間でしたが、まだ交通量はかなりありました。信号無しでもなんのその、通行が滞ることもありません。ダニィも普通と変わらない様子で運転を続けてましたよ。
普段からめちゃくちゃなので、こういうときでも何ともないということですか。

停電と言えば、以前住んでいたところではよくありました。天気が理由でなく、突然電気が停まるんです。日本では時に「○時から×時までこれこれの理由で停電になります。ご了承ください。」なんてお知らせがあったりしますが、イタリアではそんなのはないようです。なので突然電気製品が使えなかったりすると、まずは壊れたかなと思うのですが、冷蔵庫を開けると真っ暗というところで、異変を確認します。夜でないと外を見ても変化がすぐにわかりません。ドアを開けて、エレベーターが使えないとなると、うちだけではないとさらに停電を確認。洗濯機が途中で止まったりとか、炊飯器でご飯を炊いている最中だと、電気が戻ってきたときにどうなるのだろうなどと心配したものです。
近所の人と話しても、「停電らしいね~。早くすんでくれるといいけどね~」とのんびりしたものです。

今の家では電話が使えなくなる事件が2度ありました。こちらの四苦八苦の試みをよそに、数時間後に突然使えるようになりました。

「他の惑星に嫁いでしまったのか」といまだに思わされるローマの日常です。


Hurt Locker

2008-10-27 09:14:36 | 映画
映画オタクのダニィとの生活では1週間にほぼ7本の映画を見ます。毎日1本と決めているわけではありませんよ。つまり見ない日があっても、2本以上見る日もあるので、結局1週間に7本は見ているんじゃないかなということです。
結果的に私も映画が趣味のような生活になっているので、もっと映画紹介ができたらと思うのですが、やはりローマ生活のことも書きたいしとなると、映画の方はなかなか手がつけられません。でも最近良い映画をいくつか見たので紹介したいと思います。

今回はまずこれ、"The Hurt Locker" (監督キャスリン・ビグロー 2008年 アメリカ)というイラク戦争映画です。フィクションですが、ドキュメンタリータッチの映画です。イラクの戦場を舞台に、仕掛けられた爆弾を解体したり、爆破処理をする爆発物処理班の死闘を描いたもの。

映画の大半は、死に直面した作業での兵士達の張り詰めた精神状態の場面です。見ている方もじっと座って入られない緊張感が続きます。そんなぎりぎりの精神状態の生活で、兵士達の心の動き、彼らの間に芽生える信頼感、友情なども表していますが、やはりそれ以上に戦争というものの愚かさを訴えている映画です。

そうは思いながらも、ニュースで聞く程度ではやはり遠くの地で起こっていること。爆弾で何人が死亡と聞いても、その人々、一人一人に命があって、それぞれの人生を歩んでいたところまでなかなか考えませんよね。外国から送られている兵士達もです。

爆弾を体に巻きつけて自爆するテロリストなどのことをイタリアではカミカゼと呼ばれていて、よくニュースでも耳にします。自分の国の言葉がそういうところに使われているのはいい気持がしませんよ。ところでこういう人々は自分から望んで、自分の正しいと信じることのために命を捧げているのかと思っていました。ところがこの映画の最後の部分で、爆弾を体に巻きつけた中年の男性が登場するのですが、彼は自分には家族があって、子供たちがいて、どうか助けてくれと泣き叫んでいるのです。体に取り付けられている時限爆弾は、切ることのできない頑丈な錠前がつけられていて、最後の最後で救うことができずその男性ごと爆発します。つまり望んでいないのに無理に取り付けられたのですね。現実は、無理やり押し付けられたり、金銭的なことの解決や何かと引き換えのために命を差し出している人々がいるということでしょう。この場面にはかなり心が痛みました。

主人公のチームリーダは仕事の任期を追え、アメリカに帰国しますが、そこで異常なほどに物に溢れるスーパーマーケットを見て愕然とします。そして結局戦場に戻ることを希望します。戦場という異常な体験をした人々は、帰国してももう以前の生活には戻れないのでしょう。"War is the drag"という言葉が出てきますが、体験していない私たちにはわかりづらいですね。

今こうしている時も死に直面している人々がいるのですよ。指をちょっと切ったって痛いと騒いでしまいますが、足が一瞬にして吹っ飛んでしまうことが日常で起こる中で暮らしている人々の恐怖はどんなものでしょう。

戦争は愚かだとわかりながら、結局は今もどこかでは存在している。人間は基本的には争いが好きなんじゃないかな。こういう映画を多くの人が見ることによって、少しでも回避される方向に向かうといいのですけれど。

日本公開は2009年とインターネットで見たような気がしますが、是非お薦めの映画です。

イタリアは変われるの???

2008-10-26 23:26:28 | ローマの平日
マニフェスタツィオーネ(manifestazione)とは、イベントや催しという意味の他に集会やデモといった意味がありますが、イタリアでは後者の意味のマニフェスタツィオーネが頻繁にあります。これがあると、普段公共の交通機関が通る主要な通りも車が通行禁止になり、バスはルートを変えて走行することになります。(問題はそのルートが乗ってみるまでわからない、車内のアナウンスはない、などで土地勘の無い人には乗ってから「このバスは一体どこに行んだ?」とオロオロ状態になります。)

ここ数日間もそんな日が続いていました。というのも学校などの教育機関への予算が削減されたことで、学生や教師達が抗議のマニフェスタツィオーネを大学や学校などで行ったからです。

そして昨日(25日)は、Partito Dimocratico (英語で言えばDemocratic Partyですか)の大きな政治集会が開かれました。今のイタリアのベルルスコーニ首相とは反対の政党の左派の政党です。ベルルスコーニ首相の政策への抗議集会ですね。イタリア中から賛同者が集まる大集会と聞いていましたし、家の近くのチルコ・マッシモで開かれるということもあり、興味半分見学に出かけました。

地下鉄B線ピラミデの駅前と、A線レプブリカの共和国広場の2ヶ所がデモ行進の出発点で、最終的にチルコ・マッシモに結集すると聞いていました。私はピラミデの隣の駅に住んでいるので、一駅地下鉄に乗り(「そのくらい歩けよ」とも言われますが・・・)、行進が始まる14時を少し過ぎた頃に着きました。いつもは車通りの激しい駅前の広場が・・・

政党の旗を掲げた参加者でいっぱい。

ピラミデっていうくらいですから、小さいですがピラミッドはちゃんとありますよ。

古代ローマ時代の遺跡だそうです。このモニュメントの裏には、外国人墓地(ノンカトリック墓地)があって、有名人のお墓もあるそうです。
ここも通行止めになってます。

ここからチルコ・マッシモまでは1Km位。旗を掲げた人々が、歌を歌ったり、音楽を流したりしながら歩きます。


私は興味本位の旅行者みたいなもので、列からはずれてついて行きました。デモ行進といっても、前日の大学や学校での抗議集会と違って、かなり穏やかなまるでハイキングのようなデモでした。確かにイタリア中から来ているようで、よく見るとグループごとに自分の町の名前を掲げて歩いていました。

私はデモの最前列について行ってしまったので、チルコ・マッシモに到着したときには、まだ人が少なく・・・。

ステージ近く部分。


後ろの方。風船がいっぱいで、お祭りみたいですね。

チルコ・マッシモもまた古代ローマ時代に遡りますが、当時の一番大きい競技場でしたから、(今はただのだだっ広い広場ですけれど)かなりの人数を収容できるスペースがあります。向かい側の丘はパラティーノの丘で、丘の上の宮廷(遺跡が残っています)からローマ皇帝は競技を眺めたのですね。

今までに私はスティングのコンサートと、サッカーのワールドカップでイタリアが優勝した際に、この広場が人で一杯になったのを見ました。ただただ凄いです。

これだけ人が集まるのですから、警備も厳重?おしゃべりに忙しそうに見えましたけど。


行進の人々が全て到着するまで、ステージの上ではコンサートが催されていました。私はもっと後に来るんだったと後悔しながら、1時間ほどぶらぶら。

ステージ近くに人がこの程度集まったところで帰ることにしました。この日はかなりの夏日で、帰ってジェラートを食べようという誘惑が頭の大部分を占めてしまいました。

歩いてきた道を逆行したわけですが、デモ行進の列はまだ続いていて、ピラミデについてもまだこれから出発するグループでいっぱい。

家でテレビを付けると生中継をやっていました。集会が始まり党首のヴェルトロー二さん(前ローマ市長、首相の候補者でもありました)の演説が始まる頃には、チルコ・マッシモは隙間なく人で埋まっていました。(これを目で見たかったんだけれど・・・)。2,500,000人集まったそうですよ。

ジェラートを手にテレビで演説を聴いていましたが、おっしゃることはごもっとも、この集まった人々が本当に心からイタリアを改善しようと思ったら可能なんじゃないかなあとは思いましたが、実際は半分お祭りみたいで、この機会にローマを見に行こうじゃないかなんて人が大半なのではという印象を正直受けてしまいました。
ダニィも「政党の支持者もサッカーのチームのファンと同じだよ」とのこと。

この皆さんが、政府がこうだからできないって文句を言っているだけじゃなくて、それぞれの仕事場などで、それぞれがちょっと真面目に、そして「賢く」働いてくれれば、そこからでもイタリアは改善すると思うんですけれど。


1億ユーロの夢

2008-10-24 18:29:23 | ローマの平日
先日SuperEnalottoの話を書きましたが、その後賞金額は上がり続け、ここ数週間、イタリアでは大きな話題になっていました。週に3回もあるのに当選者がなかなか出ず、イタリアの宝くじ史上最高額の賞金を追いかけ毎回お金を投資し続ける人が増えているという状況に、さまざまな議論も出てきました。国境を接するお隣の国々からもこの宝くじを買いにわざわざやって来る人々がいるとニュースで見ました。こんな大金が国外に出てしまうのかもとの懸念でした。

さて、今週その賞金額がなんと1億ユーロにまで達しました。円に直すと0が二つは増えるわけで、全く凄い額ですよね。このまま上がり続けるとどうなるのだろう、ちょっと馬鹿げてきてもいるし、この辺でこのお金を何か有効的なことに使おうじゃないかという方向にでもなればいいのに、でも賞金獲得に投資続けた人々がそれでは許さないだろうなあなどと一人つぶやいておりました。

昨夜友人宅に12時過ぎまでお邪魔して、眠い帰路の車の中、ぼんやりラジオを聞いていると、どうやらSuperEnalottoの話をしている。あまりに平坦な調子で話しているので、1億ユーロの話だとは理解しませんでした。サッカーの実況中継の「ゴ~~~~~~~~~~~~~ル!」のようなものを想像していましたからね。で、隣で運転中のダニィもしばらくの時差の後、眠い声で「当選者でたらしいね」と。

今朝ネットで新聞を見ていたら、やはり1億ユーロ当選者が出たという記事がありましたよ。シチリアにあるカターニアという町の人だそうです。

数日前やはりネットで日本の記事を読んでいたら、数年前に宝くじを当てて行方不明になっていた人が実は殺害されていたとか。

大金は人生を変えますよね。このカターニアの方も無事に一生を送られますことお祈りしたいと思います。


戻ってきましたモザイク教室

2008-10-23 19:05:22 | めざせmosaicista!
久々にローマの生活に戻ります。夏休みだったモザイク教室が10月より再開しました。(これで引き篭もり生活からの脱出!)この教室の話はだいぶ前に書きました。どうぞこちら

夏休み前に新しい作品にとりかかり、「夏休み中に終えま~す」と宣言したものの、結局ほとんど手つかずのまま戻りました。新しい作品にとりかかるクラスメートを羨ましく横目で見つつ、私が今取り組んでいるのはこれです。

 
モデルの作品。本からカラーコピーします。

 
サイズに合わせて木枠を作り、粘土のようなものを敷きつめます。その上にデザインを写します。(ちょっと見づらいですね。)


写した下絵の上に大理石などの石をのせていきます。(現在まだここまで終わったところ。粘土が乾くので時々水をかけます。モデルと同じようにはなかなかなりませんよ。

根気の作業ですが、なかなか楽しいです。もっと上手にできればもっと満足感もあるだろうなあと、クラスメートの作品と比べつつ溜め息もついたりしますが、まあゆっくり頑張ります。

さて、これはダニィのパパの作品。

別荘に置いてある丸テーブル。デザインが違うものが、我が家をはじめ4つか5つあります。日本で売れないかと聞かれるのですが、どうでしょう?


額入りのもあります。こういう作品がお家の壁にはたくさん飾ってあります。

というわけで、ダニィのパパの影響で始めたモザイクですが、こんな作品ができるようになる日がいつか来るのでしょうか。



日本へ (2008/9/4~2008/9/18) ・旭川そして大沼公園へ

2008-10-21 03:06:08 | 日本はいつも休日
網走監獄体験の後、網走を発ったのはもう午後3時を過ぎていました。この日は札幌の手前の旭川に泊まることに決めました。いつもの東横インに予約入れようとすると、二つある旭川の東横インはどちらもいっぱい。戸惑いの声に気付いたのか、ハートフルルームだかスマイルルームだか障害者用の部屋が空いているという。値段は同じ。車椅子も入れるようにできた部屋で、他の部屋よりも大きく、なんと言ってもユニットバスでなくトイレと浴室が別々の広いバスルーム付きの部屋でした。結果的にはラッキー。

この日の夕食は旭川ラーメン。ダシだけであっても肉は口に入れないダニィは当然ラーメンはダメなのだけれど、北海道でラーメンを食べたいと思っている私のことを思って、自分は何か食べられるものを見つけれて食べるからといいという。かわいそうにそのラーメン屋で肉なしのものは枝豆といなり寿司だけ。そんなわけで、ダニィの夕食は枝豆にいなり寿司2個に路上で買ったトウモロコシ。

翌日は函館かその近くまでは行き着いておかないと、その次の日東京まで戻るのが大変になるというのが私の頭には常にありました。それでも折角北海道まで来たのだから、もう一ヶ所くらい見たいですよね。旭川駅の観光案内所もとても親切でしたが、限られた時間で興味をひくものが残念ながら見つからない。旭川と言えば、日本一大きい(?)旭山動物園や花畑が広がる美瑛でしょうか。どちらにしても時間的にムリと判断。美瑛は車がなしにはなかなか不便らしいですよ。

私てきには函館からそう遠くない登別温泉あたりに一泊がグッドアイデアだったのですが、昨年別府温泉の熱い温泉で気分が悪くなったダニィはどうも乗り気でないらしい。結局、函館のすぐ手前の大沼公園を見て、宿はやはり函館まで行くことになりました。

国定公園大沼公園は新日本三景の一つだそうです。活火山である駒ケ岳とその噴火で出来た三つの沼をはじめ、大小の沼とそこに浮かぶ島々で成っています。駅から徒歩10分ほどで沼が見えてきます。駒ケ岳の眺めや自然を沼に浮かぶ島々を歩きながら楽しむ散策ルートが3つありました。


夕暮れに近かったのと、雲が多く、残念ながら駒ケ岳は見えず。
この島々の中を散策します。

こんなのを見つけました。

そうです、少し前にかなり流行ったあの名曲「千の風になって」です。「私のお墓の前で泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません~」のあの歌です。作家の新井満さんがこの地で訳詩、作曲されたことを記念して設置されたモニュメントだそうです。
意外な発見でした。

この「千の風になって」、とてもいい歌ですよね。イタリア語でもあるのかと検索していたら、YouTubeにイタリア語で歌っているものがありました。(こちら)
曲は新井満さんのものなので、イタリア語の歌詞で歌ったものなのでしょう。どこかに歌詞が出ているかと探しましたが、残念ながら見つからず。

この日は函館で魚専門のお店で夕食をとりました。水槽で泳いでいた魚を生きたまま目の前で調理していたので、ダニィにとってはちょっとしたショータイムでもありました。新鮮なお料理はお味も満足。

慌しい北海道旅行もこれでおしまい。翌日は東京に向かうだけです。なんだかほとんど電車の中にいたような・・・。

脱獄王 

2008-10-19 20:00:10 | たまには読書
 
「脱獄王 白鳥由栄の証言」 斎藤 充功著 幻冬舎アウトロー文庫

網走刑務所のお土産売り場で、帰りの電車の時間潰しにと買った本です。「ここでしか売っていない」などと書かれていたのですが、それよりも文庫本でお値段がお手ごろなのと、荷物にならないサイズということで手にした本でした。それがなんと面白くて面白くて、行きは長くて苦しかった電車の旅がむしろ短いと感じたほど。自分の本を読み終えてしまったダニィの方が今度は退屈して、30分毎に私が本の話を伝えるということになりました。

この主人公の白鳥由栄は本のタイトルの如く人並み外れた脱獄の達人でした。そして絶対に不可能と言われた網走刑務所もこれまた人間業とは思えないやりかたで脱獄したのです。(網走刑務所から脱獄に成功した者は白鳥以外に他にいないとのこと。)確かに監獄博物館内で脱獄囚がいたという監房があって、ふ~んという感じであまりよく観察しなかったのが後になって本当に後悔。

さてこの本ですが、この白鳥由栄に関心を持った著者が、本人をなんとか探し出し、実際に本人の口からの証言をまとめたものです。白鳥が71歳で心筋梗塞で亡くなる少し前のことでした。

この脱獄王白鳥由栄は、青森刑務所、秋田刑務所、網走刑務所、札幌刑務所と4回の脱獄に成功しています。その方法というのが、まさに超人的なのです。ここでは私が訪ねた網走刑務所のケースだけご紹介します。後は本を読んでみてください。(網走まで行かなくても見つかると思いますよ。ネットの時代ですからね。)

網走に送られるまでに2度も脱獄をしている白鳥でしたから、網走では脱獄防止仕様の特別房に入れられ、24時間後ろ手に手錠、足枷には20kgの鎖玉つき、腰にも鎖がまかれる。手錠はナットの頭部は叩きつぶされ、鍵穴はなく切断しなければはずせないようされていました。手足が自由でないため、食事は犬のように口だけで食べるしかなく、入浴もできず、用便も垂れ流し状態。冬はマイナス30度にもなる厳寒の地で、夏の着物が一枚与えられただけ。手首と足首は手錠の摩擦で傷ができ、それが化膿してそこに蛆がわくほどになったとか。全く信じられない惨状。

白鳥には「人間が作ったものは、人間が壊せないわけがない」という信念がありました。食事のたびに味噌汁を口に含みナットにかけることで、味噌汁の塩分がナットを酸化させ、腐食させることで、ナットが少しずつ緩んでいく。長く根気のいるこの作業で(最初のナットをはずすまでに1ヶ月)、ついには手錠も腰の鎖も足枷もはずしてしまう。脱獄を防止するために特別に作られたこの特別房では、天井からも床からも逃げることはできないとわかった白鳥が唯一見つけた逃げ口は扉についている監視窓でした。監視窓には鉄格子がはめられているのですが、そこにも味噌汁をかけたり、揺さぶったりをし続けることで、3ヵ月後にはずすことに成功。その小さな監視窓から肩の関節をはずして抜け出し、天井の明り取りの窓を破って逃亡に成功したのでした。そのあと刑務所の壁を乗り越えることぐらいは白鳥にとっては簡単なことです。その鉄格子のはずされた監視窓を網走監獄で見ましたが、男性の体が抜けられるほど大きいようには見えず、まさに驚異的です。

白鳥が脱獄を計画した日、いつも親切に声をかけてくれる看守が当直にあたっていました。その看守に迷惑をかけてはならないと計画を一日延期したそうです。
このエピソードにもあるように、白鳥はとても義理堅い人であったと、関わった人々が口をそろえて証言しています。この本に紹介されているさまざまなエピソードの中に、白鳥由栄という人間そのものも明らかにされていきます。

もともと刑に服すことになった経緯はこのようでした。白鳥は幼少のころに両親を失い、親戚のところで豆腐屋を手伝っていました。やがて結婚し、娘も授かるのですが、出稼ぎで乗っていた蟹工船で賭博をおぼえ、それがもとでお金を手に入れるために仲間と土蔵あらしを始めるようになりました。ある時、土蔵あらしに入ったところの家人に見つかり、組み合っているところで誤って相手を刺し殺してしまう。共犯者の仲間が先に捕まり、それを知った白鳥は仲間だけに罪をかぶせることができず自首します。ところがその仲間が白鳥が主犯だと供述。どうやら警察も組んで、白鳥を主犯にしたてあげたらしい。裁判でも理不尽な判決を受ける。

罪を犯したのは確かですが、脱獄をしたのは自分の私欲のためではなく、刑務所での冷酷な扱い、看守達の横暴な態度を直訴するためでした。実際、人間らしく扱ってくれた刑務所では脱獄を試みていないどころか、模範囚にさえなるほどの態度で服役したわけです。

人間業をこえた脱獄と長い逃亡中の生活は実話とは思えない凄さがあります。親切にしてくれた人々への義理、刑務所に入ったことで別れることを決意した家族への思い、故郷青森への郷愁、そんな人間白鳥を表すエピソードに涙が浮かんでくることもしばしば。

まるで映画を見たようなそんな読後感でした。

日本へ (2008/9/4~2008/9/18) ・札幌から網走へ

2008-10-15 02:00:50 | 日本はいつも休日
洞爺湖を後に札幌へ。どうやら網走に向かうことは決定らしいので、札幌で乗り換えです。札幌駅の観光案内所で網走のことなどを聞いていこうということになりました。札幌の観光案内所は大きくて、働いている方々もとても親切で、ローマではこういう扱いを受けないんだよなぁとまたしても「さすがはニッポン!」を感じる瞬間でありました。

案内所のお姉さんに「網走までかなり遠そうなんですけれど、網走刑務所はそれだけの見る価値があるものですか?」と質問すると、「私は実は行ったことがあるんですけれど、おもしろかったですよ。独房を一つ一つ入ってみたりして、結構見がいがありました。その他にも・・・」となんだか熱く語ってくれたので、私も納得致しました。その他にも何か質問するたびにパンフレットをくれて、「ほら、こっちから聞かなくても先に考えて用意してくれるんだよねぇ、日本では。」とダニィに嫌味を連発。

網走行きの特急の出発時間まで一時間。札幌観光はその1時間だけとなりました。
これが唯一訪れた札幌の名所。札幌駅から荷物を担ぎながらでも15分あれば着きます。

北海道庁旧本庁舎 (赤れんが庁舎)<国指定重要文化財>

建物内は資料館のような感じでした。無料で入れます。

札幌から網走、やはり遠かった。隣で本を読んでいるダニィ、私も読み物を持ってくるんだったと大後悔。北海道も新幹線があるとかなり楽でしょうね。途中で外も暗くなってきて、雄大な自然鑑賞どころか何もも見えない。きっと本当に雄大な自然が広がっているだけのでしょうね、一面墨の中のような暗黒の世界。これだけな~んにも見えないというのが返って驚きでした。
この日はこれでおしまい。

そして、やってきました網走。

今はモダンな駅ですが、かつて木造の駅だった頃の駅の看板だそうです。この方が重みがありますね。昔刑務所に送られてきた受刑者たちはこの看板を見て何を思ったのでしょう。

現在の網走刑務所は、入り口の門だけが昔のもので、今は新しい現代建築の建物です。いわゆる私たちがイメージする元来の網走刑務所は少し離れたところに移転され、今は博物館として当時の様子を紹介しています。

博物館行きのバスが丁度行ってしまった所で、私たちは現在の網走刑務所まで歩いていって、そこからバスで博物館へ行くことにしました。
刑務所に向かう道路は川に沿っていて、川沿いには散歩道も作られていて、きれいに整備された町という印象でした。刑務所の町という暗いイメージを取り除くための試みかもしれませんね。

現在の網走刑務所。橋を渡り、この道の奥に入り口があります。もちろん刑務所には入れませんが、入り口の向かいにちょっとしたお土産屋があり、受刑者たちが作った工芸品などが売られています。なかなか立派な作品があります。これは現在の状況なわけで、昔の受刑者たちは寒いこの地で道路の建設などの重労働に携わっていました。

昔はこの網走刑務所に送られてきた受刑者たちは、この橋を渡ったら二度とこの橋を渡って戻ることはないと思ったとのことです。
今はそんな暗いイメージのしない橋ですが、以前は木の橋でした。「鏡橋」という名前は「流れる清流を鏡として、我が身を見つめ、自ら襟を正し目的の岸に渡るべし」と言われたところからだそうです。

網走監獄博物館は(ホームページはこちら)旧網走刑務所の設備をそのまま移転させたもので、説明を読みながらじっくり見て廻ると1時間はかかると思います。監獄食を試食できたりもします。(ダニィが食べられそうでなかったので挑戦しませんでしたが。)

 

かなり暗いイメージで想像していたので、正直こんなものかと思ってしまったりしたのですが、実際冬の寒さは零下40度まで下がるときもあるとか、また政治犯や凶悪犯が送られていたということで、きっと実際の扱いはかなり酷いものだったのだと思います。博物館にするためには、美化した部分が表に出されてしまうのでしょうね。ダニィもアウシュビッツの強制収容所のようなところを想像していたらしく、ちょっとがっくり?だった様子。(当たり前でしょうが。)

でも、監房のほか、食堂、浴場、懲罰房、味噌や醤油を作っていた工場、その他も見るものはたくさんあって、興味深くはありました。

網走監獄でしか売っていない本というのを帰りの電車用に買いました。これがなかなかおもしろかった。ページを改めて紹介したいと思います。

東京まで電車で帰らなければならない私たち、その日の内に少しでも函館に近づいておかなければなりませんでした。ここまで来て、オホーツク海も見ないで帰るとは・・・誠に残念無念。




Biofiera

2008-10-14 02:57:04 | ローマの休日
この週末、地下鉄のB線のPiramideの駅向かいにある小さな緑地でBiofieraという自然食フェアーなるものが催されていました。確か昨年もありました。文字通り有機栽培の野菜などのほか、オリーブオイル、はちみつ、ジャム、チーズ、パン、生ハムやサラミ、ワイン、パスタ等など、イタリアを代表する食品が並びます。生産農家などが地方からも出店してきます。健康オタクのダニィとはよくこういうイベントに行くので、前にも見たなというお店は結構あったりもします。その他に工芸品のお店や、子供のためのイベント、夜はコンサートなんかもあってちょっとしたお祭りみたいな感じでもあります。

かなりの数のお店が並んでいるので、見ているだけで買い物をした気分になるのですが、私たちが今回買ったものはこれ。

オリーブオイルといろんなフルーツのマルメラータ(ジャム)6つ(ダニィのマルメラータの消費量はすごいので)とノッチョーラ(へーゼルナッツ?)。
今朝オレンジのマルメラータを食しました。う~ん、美味美味。

ところで変わったフレーバーのあるジェラート屋さんがありました。普通にチョコレートとかメロン、ピーチなどもあるのですが、そのほかにニンジン、セロリ、リコッタチーズとバルサミコ酢などちょっと興味をそそるものがありました。私はセロリとマスカルポーネ・バルサミコ酢を、ダニィはニンジン、リコッタ・バルサミコ、シチリアイチジクというの注文。
さてさてお味は・・・う~まさにセロリ。一応甘いのですが、確かにセロリ味です。ダニィのニンジンもまさにニンジンでした。これだけしっかり味がするということは、きっと有機栽培野菜に違いない~。イチジクは美味しかったです。やはりジェラートは野菜でなく果物ですね~。
でもこのジェラート屋さん(Greedという名前です)、きっとおいしいと思いますよ。場所は地下鉄A線のNumidio Quadratoが最寄駅らしい。
貰ってきたショップカードにホームページのアドレスがありました。(www.gelateriagreed.com)