日射しの強いローマの夏は、外出は午後8時過ぎないと汗だくです。そこで当然に夜のイベントが多くなりますが、そのピークは6月と7月。前にも書いたように8月はローマから人がいなくなっちゃいますからね。そんなわけで、私達も旅行から戻ってきたら、もう夜イベントはないのかなと思っていたら、8月23日から9月8日までのコンサートイベントをみつけました。いわゆる観光地エリアから離れますが、Villa Carpegnaという公園の中です。2年ほど前にいったときは、本当に小さなイベントでしたが(「プルチネッラと悪魔」の人形劇がかわいかった)、今年はなんと大物も登場。さすがに大物も大物のジ―ノ・パオリの日は有料ですが、そのほかの日は無料!そしてなんと冬に行き逃したシモ―ネ・クリスティッキのコンサートが!
今回ご紹介するカンタウト―レのシモ―ネ・クリスティッキは1977年2月5日生まれ、ローマ出身です。髪はちりちり、ぼさぼさ、メガネの彼は、私にはお笑い芸人っていう第一印象でした。私はなぜかローマの人と思えなかったので、ダ二ィに「ローマの人じゃないでしょう?」と言ったら、「生粋ローマっ子、しゃべるとアクセントからもわかるよ」と言われました。10代のころから音楽に興味を持って活動を始めたそうですが、彼の最初の成功は"Vorrei cantare come Biaggio Antonacci"”という歌からでしょう。私も彼の曲とは知りませんでしたが、よく聞く曲として知っていました。
そして今の彼の名声を確固とさせたのは、2007年のサンレモ音楽祭での優勝でしょう。私もこの時に彼の存在を知りました。当時はテレビでもラジオでもしょっちゅう流れていましたから。この優勝曲"Ti regalero' una rosa"は精神病施設の中で40年もの月日を送ったアントニオという患者が、愛するマルゲリータに残した手紙文と、精神障害者の心の声を歌ったものです。歌の始まる部分はこのタイトルと同じ、Ti regalero una rosa (君に1本のバラを贈るよ)というもので、私は単にラブソングと解釈していましたが、その頃アルバイトしていた所で、「最後にアントニオは飛び降りて自殺するんだよ」という話を聞いて、「ああ、悲しい歌なんだ」とダ二ィに話したら、精神障害者や施設の話を歌ったものだと教えられました。そこで歌詞を確認してみると、なんとも切ない、悲しい歌でした。
歌詞はこちら。イタリア語を勉強している人にもちょうどいいレベルのような気がします。
日本語訳を探したのですがみつからず、私では心に触れる訳ができそうもなく・・・。
要約すると、悪魔と話すと気違い扱いをされたアントニオは、子供の頃から精神障害者の施設に入れられる。恐らくそこで出会った同じ患者のマルゲリータと恋に落ちるが、別れ別れになり、その後20年間もアントニオは彼女を待ち続ける。そのマルゲリータに残された手紙が、ラップ調で歌の途中に語られます。
ではどうぞ聴いてみてください。
一部だけ私の訳で紹介すると・・・
精神病患者は文章のないクエスチョンマーク。
基地に戻ることのない無数の飛行船。
太陽にさらされ干されたぬいぐるみ。
神も望まない神の使徒。
僕はポリスチロールで雪を作る。
病気は僕をひとりぼっちにした。
どうか望遠鏡を手にとって、僕と君たちの間の距離を測ってみてください。
どっちがより危険なのか・・・。
うまく訳せませんが、健常者と言われる人々と施設の中の人々の一体どちらが危険なのか・・・確かに的をついているなあと思いました。
手紙の最後の部分も切ないです。
僕の名前はアントニオ。今僕は屋上にいます。
大好きなマルゲリータ、僕は20年間君を待っていた。
みんな僕たちのことが理解できないと、気違いなのはいつも僕たちだね。
親友でさえも裏切るね。
君にこの手紙を残して、今僕は行かなきゃならない。
小学生のような字で許してね。
今もまだ気持を伝えようとしていることに驚いているかい?
じゃあ、もう一つ驚くことがあるよ。アントニオは飛べるんだ。
そこで歌は終わるのですが、そこで屋上から飛び降りるという設定でしょう。
本当に飛ぶつもりで飛び降りたのか、死ぬとわかっていて飛び降りたのかはわかりませんが。
一部を拙い訳で紹介しましたが、歌詞はすべてを通して彼らの心の声で奥が深いです。
シモ―ネ・クリスティッキは精神障害者施設で昔ボランティアをした経験があり、それがきっかけになっているようです。手紙も実在のものと読みました。
この夜も、やっぱりこの曲が聞きたいなあと思っていました。が、いつもの如くなかなか始まらない。アナウンスもない。ダ二ィは翌日仕事なので始まっても30分で帰るよと言っていました。ローマにも結構人がいるんだと驚くほどの観客でしたが、みんな忍耐強い。結局始まったのは10時半ですよ。9時から待っているのに。露店なんかはでていて、食事なんかはできるんですけどね。
コンサートは始まっても、皆が待っている曲はすぐにやらないのがお決まり。彼の曲は社会を風刺したようなものが多く、途中の話もトークショーかと思うほど面白いです。やはり最初の話題は我らがベルルスコーニ首相。ここまで話題に上がると、本当は人気者?って思ってしまいますが・・・。かなり楽しいコンサートに30分だけと言っていたダ二ィも腰をあげません。いいのかなあと気にしていたら、「あの曲を聞いて帰りたいんでしょ」とのこと。まあそうなんだけど・・・結局アンコールに歌ったものですから、帰りは12時近くになってしまいました。
最後はイタリア社会やベルルスコーニを皮肉った曲"MENO MALE"で終わりました。これは楽しい曲です。ベルルスコーニというところを、”カーールラ ブルーニ~”と歌うのですが、歌詞からイタリア人ならみんなベルルスコーニ首相のことを言っているんだとわかるそうです。
イタリア社会の問題がわかっているのなら、皆さん、笑って歌っていないでなんとかしてくださいよ!・・・なんですけどね。
今回ご紹介するカンタウト―レのシモ―ネ・クリスティッキは1977年2月5日生まれ、ローマ出身です。髪はちりちり、ぼさぼさ、メガネの彼は、私にはお笑い芸人っていう第一印象でした。私はなぜかローマの人と思えなかったので、ダ二ィに「ローマの人じゃないでしょう?」と言ったら、「生粋ローマっ子、しゃべるとアクセントからもわかるよ」と言われました。10代のころから音楽に興味を持って活動を始めたそうですが、彼の最初の成功は"Vorrei cantare come Biaggio Antonacci"”という歌からでしょう。私も彼の曲とは知りませんでしたが、よく聞く曲として知っていました。
そして今の彼の名声を確固とさせたのは、2007年のサンレモ音楽祭での優勝でしょう。私もこの時に彼の存在を知りました。当時はテレビでもラジオでもしょっちゅう流れていましたから。この優勝曲"Ti regalero' una rosa"は精神病施設の中で40年もの月日を送ったアントニオという患者が、愛するマルゲリータに残した手紙文と、精神障害者の心の声を歌ったものです。歌の始まる部分はこのタイトルと同じ、Ti regalero una rosa (君に1本のバラを贈るよ)というもので、私は単にラブソングと解釈していましたが、その頃アルバイトしていた所で、「最後にアントニオは飛び降りて自殺するんだよ」という話を聞いて、「ああ、悲しい歌なんだ」とダ二ィに話したら、精神障害者や施設の話を歌ったものだと教えられました。そこで歌詞を確認してみると、なんとも切ない、悲しい歌でした。
歌詞はこちら。イタリア語を勉強している人にもちょうどいいレベルのような気がします。
日本語訳を探したのですがみつからず、私では心に触れる訳ができそうもなく・・・。
要約すると、悪魔と話すと気違い扱いをされたアントニオは、子供の頃から精神障害者の施設に入れられる。恐らくそこで出会った同じ患者のマルゲリータと恋に落ちるが、別れ別れになり、その後20年間もアントニオは彼女を待ち続ける。そのマルゲリータに残された手紙が、ラップ調で歌の途中に語られます。
ではどうぞ聴いてみてください。
一部だけ私の訳で紹介すると・・・
精神病患者は文章のないクエスチョンマーク。
基地に戻ることのない無数の飛行船。
太陽にさらされ干されたぬいぐるみ。
神も望まない神の使徒。
僕はポリスチロールで雪を作る。
病気は僕をひとりぼっちにした。
どうか望遠鏡を手にとって、僕と君たちの間の距離を測ってみてください。
どっちがより危険なのか・・・。
うまく訳せませんが、健常者と言われる人々と施設の中の人々の一体どちらが危険なのか・・・確かに的をついているなあと思いました。
手紙の最後の部分も切ないです。
僕の名前はアントニオ。今僕は屋上にいます。
大好きなマルゲリータ、僕は20年間君を待っていた。
みんな僕たちのことが理解できないと、気違いなのはいつも僕たちだね。
親友でさえも裏切るね。
君にこの手紙を残して、今僕は行かなきゃならない。
小学生のような字で許してね。
今もまだ気持を伝えようとしていることに驚いているかい?
じゃあ、もう一つ驚くことがあるよ。アントニオは飛べるんだ。
そこで歌は終わるのですが、そこで屋上から飛び降りるという設定でしょう。
本当に飛ぶつもりで飛び降りたのか、死ぬとわかっていて飛び降りたのかはわかりませんが。
一部を拙い訳で紹介しましたが、歌詞はすべてを通して彼らの心の声で奥が深いです。
シモ―ネ・クリスティッキは精神障害者施設で昔ボランティアをした経験があり、それがきっかけになっているようです。手紙も実在のものと読みました。
この夜も、やっぱりこの曲が聞きたいなあと思っていました。が、いつもの如くなかなか始まらない。アナウンスもない。ダ二ィは翌日仕事なので始まっても30分で帰るよと言っていました。ローマにも結構人がいるんだと驚くほどの観客でしたが、みんな忍耐強い。結局始まったのは10時半ですよ。9時から待っているのに。露店なんかはでていて、食事なんかはできるんですけどね。
コンサートは始まっても、皆が待っている曲はすぐにやらないのがお決まり。彼の曲は社会を風刺したようなものが多く、途中の話もトークショーかと思うほど面白いです。やはり最初の話題は我らがベルルスコーニ首相。ここまで話題に上がると、本当は人気者?って思ってしまいますが・・・。かなり楽しいコンサートに30分だけと言っていたダ二ィも腰をあげません。いいのかなあと気にしていたら、「あの曲を聞いて帰りたいんでしょ」とのこと。まあそうなんだけど・・・結局アンコールに歌ったものですから、帰りは12時近くになってしまいました。
最後はイタリア社会やベルルスコーニを皮肉った曲"MENO MALE"で終わりました。これは楽しい曲です。ベルルスコーニというところを、”カーールラ ブルーニ~”と歌うのですが、歌詞からイタリア人ならみんなベルルスコーニ首相のことを言っているんだとわかるそうです。
イタリア社会の問題がわかっているのなら、皆さん、笑って歌っていないでなんとかしてくださいよ!・・・なんですけどね。