あいあいのひとりごと

ローマ在住あいあいの暇つぶし日記。

ジェラート競技会

2013-05-09 16:04:33 | ローマの休日



ローマは最近いろんなイベントが続きます。先週末はGelato World Tourと称するイベントが行われました。どんなイベントかと言いますと、イタリア各地からのジェラート職人たちが16人に絞られて決勝戦をローマで行うというものです。このオフィシャルサイトを見てもらうと想像はできると思うのですが(どうもイタリア語のみのサイトのようで・・・こちら)、イタリアだけでなく世界中で行われ、各地で選ばれた上位3者が来年の9月にリミニで行われる世界ジェラート競技会で腕を競い合い、ジェラート職人世界一を決定するというイベントのようです。アジアはどうも日本でなく中国で開催のようですね、ちょっぴり残念。

というわけで、一般人はそこに行って何を楽しめるのか。ローマの場合はですが、5ユーロで4つのフレーバーを試食し、最後に気にいったジェラートに投票する権利がもらえます。ローマの交通機関ATACのパス(METROBUS CARD)を持っている人は5つのフレーバーだったりと、特典ありの可能性もあります。ダニィと二人でATACのパスの特典を利用し、一人分のクーポンで5つのフレーバーを試してきました。なんと運よく、ある職人さんがクーポンを受け取るのを忘れてくれて、実は6フレーバー食べたんですけどね。



こんな感じ。ダニィの手なのでジェラートが小さく見えるかもしれませんが、結構な量がありましたよ。

どれもおいしかったですが、いつもの行きつけのジェラート屋の方がおいしいかなっていう印象でした。結局のところ、いろいろな材料が混ざっていて凝っているものよりも、シンプルなものの方が素材の味がよくわかって私好みというところかもしれません。

終わってしまったイベントを紹介されてもって思っているあなた。まだ世界各地で開かれるので、チャンスのある方もいらっしゃるのでは?
それにこのサイトには職人さんたちを紹介しているページがあります(こちら)。上の16人が今回のイベントの参加職人ですが、それ以前の候補者の方々も載っています。よく見ると、ジェラテリアの住所や連絡先も載っていますよね。なのでイタリア在住の方も、旅行で行かれる方も、ジェラートの巨匠の作品を求めてそのジェラテリアに行くことも可能ですよ。

ちなみに今回の上位3者とは、1位:Francesco Mastroianni氏 2位:Giuseppe Lancierini氏 3位:Emanuele Montana氏。2位のジェラート(ピスタッキオでした)は食べました。ピスタッキオのおいしさが生かされていて確かにおいしかったです。3位の職人さんはローマのジェラテリアの方なので、どうせ行けばいいと試食しませんでしたが、う~んこれは是非行かねば。

ジェラートの季節になりました。ジェラートはやはりイタリアが1番。味だけではなく、やはりこの国の太陽の下、この景色の中だからこその違いかもしれません。

72年ぶりにイタリアに帰ってきたレオナルド・ダ・ヴィンチの作品

2012-12-02 21:12:39 | ローマの休日

1940年にナポリで盗まれ消息を絶ったレオナルド・ダ・ヴィンチのTavola Doriaと呼ばれるこの絵画は、なんと東京富士美術館に所蔵されていました。もちろん美術館が盗んだわけではありません。さまざまな経由を辿り、なんと東京のこの美術館に行きついたということです。この度、富士美術館は今後の日本とイタリア間の美術交流を盛んにすることを目的に、この作品の故郷イタリアに絵画を寄贈することなったのです。今、ローマの大統領官邸であるクイリナーレ宮で、この絵画を11月28日から来年の1月13日まで平日なら無料で鑑賞することができます。(月曜日は休み、日曜日は5ユーロですが、クイリナーレ宮の見学付き)。昨日早速行ってきました。

私はこの八王子にある東京富士美術館の存在も知りませんでしたが、創価学会の美術館のようです。結構立派な所蔵品もあるようです。今度帰国の際はちょっと遠いけれどいってみようかな。美術館のサイトにもこのニュースのことが載っています。こちら

盗まれた作品というだけでもミステリーに満ちていますが、この作品はその他にも重要なミステリーを解くための鍵となるかもしれません。この絵画はフィレンツェのヴェッキオ宮の大広間の壁にレオナルド・ダ・ヴィンチが手掛けた「アンギエリの戦い」をテーマとした壁画の中心部分の画家自身のコピーと言われています。この壁画を手掛ける際に、ダ・ヴィンチは過去の苦い経験から、フレスコではなく油絵の壁画という新しい手法に挑戦したのですが、途中で絵の具が流れ出すという失敗にあいます。そこで描いた絵を救うことのできなかったダヴィンチはこの壁画の製作を諦めてしまいます。その後この未完成の作品はその中心部分の素晴らしさに多くの画家によって模倣されるのですが、その後この大広間の壁にはヴァザーリによる壁画で飾られることになり、ダ・ヴィンチの壁画は姿を消すことになります。しかし、このダ・ヴィンチの作品はヴァザーリの壁画の下に今も隠されているのではないかと言われているのです。

ヴァザーリの壁画に描かれている旗に小さくCerca Trova (探せさらば見つからん)と書かれているのを見つけたサラチー二という教授が、ダ・ヴィンチを称賛していたヴァザーリがダ・ヴィンチの作品を塗りつぶしてその上に描くわけがないと、きっとその言葉はダ・ヴィンチの壁画が隠されているというメッセージではないかという考えだそうです。どうやら日本でこの謎についてのテレビ番組もあったようですね。ヴァザーリがダ・ヴィンチの壁画を塗りつぶすのではなく、その上に別の壁を作ってそこに壁画を描いたのだろうという推測のようです。ヴァザーリの壁画を破壊するわけにもいかないでしょうし、でも今の技術なら謎が溶け、幻のダ・ヴィンチの「アルギエリの戦い」が再びその姿を私たちの目に見せてくれる日がくるかもしれませんね。

「タヴォラ ドリア」でネット検索していると何やらいろんな人が書いています。盗品といういわく付きのこの作品は、日本では一般には公開されてなかったような書き込みがありました。日本に長年あったようなのに、この貴重な作品を日本人が見る事ができなかったのは残念なことですね。イタリア警察もずっと捜索を続けていたわけだから、当然国家間の問題にもなるんでしょう。今後は日本にまた4年間貸出をされるようなので、その間に見に行かれてみてはいかがでしょう。多分東京富士美術館(八王子)に展示されるのではないでしょうか。それにしても、今回の美術館の寄贈の決断で貴重なこの作品が日の目を見る事ができ、ダ・ヴィンチも救われますね。ナポリターノ大統領も謝辞を述べています。

ローマにいる方は来年の1月13日までクイリナーレ宮で鑑賞できます。クイリナーレ宮に入るには荷物検査があるので、はさみやカッターなどが入っていないか気を付けて行きましょう。ダニィはマンマのところから拝借してきたレモンが1個ポケットに入っていました。検査機を通ると、ピーピーなって、レモンを取り出させられているかとはらはらしていたら、小銭がポケットに入っていて、もういいって通してもらっていました。数年前、成田空港でもスーツケースを開けさせられ、中からトマトが出てきて取り上げられていたダニィです。




ペルーのランチ会

2012-11-29 23:49:28 | ローマの休日
私の行っていた(というのは今閉まってしまっていて行かれない)モザイク教室の友達にペルー人の人がいます。私も若くはないけれど、このモザイク教室はお年寄りの人の割合がかなり大きくて、少ない同年代の人ということで仲良くしていましたが、教室で会うだけの間柄でした。ローマの公立学校内に工房を借りていた先生の教室で、校長が変わったことや、イタリア政府の教育関係への予算の削減なども影響しているのか、詳しいことはわかりませんが、突然にして「出て行ってください」を言い渡されたそうです。残念ながら、そこで親しくしてくれていた人たちとの関わりもそこでぷつんと途切れてしまいました。私は父の病気でこの夏日本に帰国し、ローマにいない間に起きたことで、残念と思いながらもなんとなくぼーっといたところに、彼女が電話をくれました。

「元気?」と彼女。「う~ん、最近ぱっとしない、外に出る気もしなくて」と私。そこでペルーの人たちで企画しているチャリティーランチ会に誘ってくれました。10ユーロで飲み物と前菜とメインディッシュなのだそう。集まったお金はペルーの貧しい子供達に送るということでした。私はもう一人ペルー人の友人がいて、ペルー料理は時々食べに行く機会があるのですが、その友人と食べに行くと注文は彼女が仕切るので結局毎回同じものを食べることになるのです。それでも他の国の料理が日本のように簡単に口に入らないローマの生活では、そういうちょっと違う味のものを食べるのは本当に楽しみ、その友達ともしばらく会ってもいなかったので、参加させてもらうことにしました。

私は日本で日本語教師をしていたので、様々な国籍の人に出会いましたが、南米の生徒さんというのは少なく、確かブラジル、コロンビア、メキシコからの生徒さんはいましたが、ペルーの人との関わりはこの友人たちが初めてです。そのためペルーのイメージは「コンドルは飛んでいく」を演奏するポンチョのミュージシャンに限られていたり、勝手に他の南米諸国のイメージとミックスしたりと本当に申し訳ないばかり。このランチ会、100人位のペルー人が集まっていたのは圧巻でした。一般に宣伝していたようですが、イタリア人らしき人は友達のご主人ぐらいでしたね。ましてや私は唯一のアジア代表。

テーブルクロスのかかったテーブルにさらにランチョンマット、天窓のある明るい清潔な食堂にはペルーの音楽も流れ、ペルーの雰囲気満点。
入口で10ユーロを払うと、飲み物、前菜、メインの3色の食券を渡され、テーブルに座って待っていると、お揃いのTシャツを来た若いスタッフがすぐに注文を取りに来ます。イタリア人はこういうシステマチックなことができない。食券なんてこと考えずに、各自が料理を取りに行き、列に並ぶもできないので、いつも混乱が生じる。そんなことをぼーっと考えていると、飲み物のコーラが届きました。

前菜は大量の生の玉ねぎとペルーの巨大なトウモロコシ付きの豚肉のスペアリブのような料理または豚肉(多分)と様々な野菜入りのスープからの選択。私はスープにしました。イタリアで味わうスープよりも日本で飲むスープのような感じでした。メインは鶏肉か山羊の肉。山羊には関心があったのですが、どうも鶏肉の方に魅かれてしまいました。残念ながら料理の名前聞き取れず。

こちらは山羊の料理。日曜日のランチに食べるそうです。





そしてこちらが私が食べた鶏肉。ごはんつき。



何かのソースにつけてあって、それから焼いたものと思われるのですが、これがなかなか美味。どういう味付けなのと聞くと、最後にアジノモトという言葉が出てきました。彼女も「日本語だと思うけれど」という前置きをつけてました。そうですね、ペルーは日系移民が多くいる国でした。今も日本の苗字の人がたくさんいるそうです。そうですね、フジモリ元大統領の国でした。

ペルーの話を聞くなかで、そんな日本とペルーのつながりの話にもなるわけですが、つい最近の話にナポリでマフィアに圧力をかけられている市場の話が出ました。そこには外国人も働いているのですが、誰もが怖くてマフィアのことを当然口にしませんが、あるペルー人が証言をしたのだそうです。そのとき「こんなことをして怖くないのですか」という質問に「私はフジモリ元大統領の政権時代に拷問も受けていますから、いまさら何も怖くない」と言ったそうです。そこで私の友人が手でものを切るようなしぐさをしながら「日本人もね・・・」と言いました。日本人もね残酷なことをするのよね、と言いたかったのでしょうか。

お恥ずかしながら、ペルーのこと、よく知らない私。過去の日本と他の国の関係も、例えばイタリア人となら、第二次世界大戦は日本とイタリアは同盟国で一緒に戦ったんだよねなんて話しても、大半のイタリア人はきょとん、もともと望んでそうなったことではないらしいので、共感はないのでしょう。簡単に外国に行かれるようになり、さまざまな国の人たちと接することができたり、友達関係を持つことのできる世の中になりましたが、お互いの国に対するイメージや感情って私たちが想像しているものと違うことがたくさんあるのだと思います。






なんと4時間もテーブルでおしゃべりをしてしまいました。外へでるともう暗い。その後行ったナボナ広場。恒例のクリスマス市が始まってました。


Estate Romana ローマの夏 2012 @Villa Borghese

2012-07-19 16:32:10 | ローマの休日
夏のローマは毎日のイベントが盛りだくさん。数年前までは、「こんなにいろんなものがあるななんて!」とアクティヴに参加していましたが、最近はぼちぼち楽しませていただいています。イベント情報は、いろんな所で手に入ると思いますが、ローマ市のサイトはこちらです。無料イベントもたくさんあるので、利用しない手はありませんね。

さて、こちらの無料イベント、ボルゲーゼ美術館の中にCasa del Cinemaという映画館があって、7~9月の間野外劇場が設置され、ほぼ毎日(どうも土曜日は休みらしい)映画が無料で見られます。



野外劇場なので、暗くなる9時半からの上映です。もっともそのぐらいの時間にならないと暑いという問題もあります。ダニィは映画凶なので、映画鑑賞イベントには精力的に出かけます。私たちが観に行ったのは「サンセット大通り」、1950年製作の古いアメリカの映画です。年代もジャンルも毎日色々変わります。

公開当時から評価も高く、アカデミー賞の他部門にノミネートされたこの作品は、かなり有名な作品なのでしょう。私も名前は聞いたことがありましたが、見たことはありませんでした。もちろんダニィは以前にも見たことがあって、「見たことないの?」バカにしたように言うもので、「当時まだこの世に存在しておりませんでしたので」と答えときました。

サイレント映画時代の自身の栄光を忘れることのできない往年の大女優と、その住み込みのゴーストライターとなるうだつのあがらない脚本家の奇妙な生活を描いた作品でした。時々挟まれる重々しい音楽の白黒映画、なんか久し振りに観ました。3DだとかCGなどのなかった時代の映画は、俳優たちの腕前に全てがかかっているだけに演技の凄さを感じました。


パラマウント配給映画の最後に流れる音楽は、小さい頃テレビで見ていたアメリカアニメを思い出して懐かしくなりました。トムとジェリーだか、ウッドペッカーだか記憶はごちゃごちゃですが、今パラマウントで調べたら、どうもポパイのときの音楽だったらしい(笑)。




私の大好きなローマの松はボルゲーゼ公園にもたくさん。夕暮れどきには、陽の当たっているところがとても不思議な色になるのですが、私にはそれを写真に収めることがどうしてもうまくできません。


実はこの日公園内でダニィと初めてバドミントンをしました。日本では昔よくバドミントンで遊んだものですが、意外とイタリア人はバドミントンの存在を知らないのです。そしてしている人もほとんど見たことがありません(過去2回、それも外国人だった)。かなり前にたまたま入ったスポーツ専門店でお遊び用のバドミントンのラケットを発見。やろうやろうと買っておいたのでした。ちょっと奇異な目で見られますが、バドミントン、かなり楽しいです。
バドミントンに付き合ってくれるなら、また映画も付き合ってあげようと思います。





ローマで日本の夏@アウディトリウム

2012-07-17 00:05:05 | ローマの休日


先日のティベリーナ島での日本のお祭り・映画会の続きとして、ローマにあるアウディトリウムという音楽ホールなどのある所で「日本の音楽祭」が三日間開催されました。一日目は三味線、二日目は琴、そして最後三日目は和太鼓のコンサートでした。

ティベリーナ島でのイベントのときに、お琴の演奏は聞かせていただいたので、私たちは三味線と和太鼓を聞きに行ってきました。実は日本ではわざわざ聞きに行ったことがなく、勝手にイメージしていたものがありましたが、どのコンサートも伝統的な曲だけなく、日本の伝統楽器による「新しい」音楽を楽しませていただきました。

実は、数年前にダニィが夏に日本に来た時に、地元の夏祭りで高校生による和太鼓の演奏@公民館を聴きに行ったんです。その高校の和太鼓団はコンクールなどで入賞するような優秀なレベルだったこともあり、ダニィは初めて聞く和太鼓の音色、初めて見るパフォーマンスにすっかり魅了されたようです。実は私もまともに見たのはそのときが初めてで、印象はとにかく「かっこいい~」でありました。というわけで、今回ローマで見られるということで、ダニィは知り合いにも宣伝しまくり、弟さん家族4人も揃ってやってきました。ダニィにはうけても、他の人にはどうだろう。ただ同じような太鼓の曲を繰り返しだったら、飽きたりしないだろうかと少々心配もしたのですが・・・。

ところが、この和太鼓のコンサート、大成功でした。観客は食い入るように見ていましたし、それはそれは物凄い拍手に、私自身が日本代表かのように嬉しい気持ちになってしまいました。日本の素晴らしい文化、もっともっと知ってもらいたいです。

太鼓の大きな音色が体中を突き抜けるような感じで、音の中にいるような迫力間、演奏者の力強い動きは、目が釘付けになります。このグループ、GOCCOという名前で、ヨーロッパツアーももう15年もやっているとのことでした。どこかで機会がありましたら、お薦めです。この迫力はYoutubeでは味わえませんよ。


Estate Romana ローマの夏 2012 @Villa Doria Pamphilj

2012-07-10 19:47:00 | ローマの休日
ローマに住んでいることがラッキーと思える季節がやってきました。Estate Romanaつまり「ローマの夏」と称して、夜な夜な様々なイベントが催される季節です。

前回の投稿で紹介しました日本のお祭りイベントもその中の一つです。お陰様で昨夜「テルマエロマエ」を観てきました。やきそばもお酒もいただいてきました。映画が終わったらもう夜中も12時を過ぎていましたが、「ローマの夏」はそういうもの。夏のローマではすべてが機能しなくなるのもまあ納得か。

さて、ローマにはVilla Doria Pamphiljという大きな公園がありますが、そこでは夏の間コンサートイベントが開かれます。



この公園はかなり大きくて、私の大好きなローマの松もたくさん見られます。「コンサートではなくて、公園の写真を撮りに来ているんでしょ」といつも言われてます。たいていコンサートなどの夜イベントは9時頃から始まりますが、到着した9時少し前はまだこんなに明るいんです。

この日のコンサートはドビュッシーのピアノ曲の演奏とこの作曲家の話の朗読というものでした。朗読をしていたのは、映画「愛に勝利を ムッソリーニを愛した女」でムッソリーニの役を演じたフィリッポ・ティーミでした。外国語での朗読を聞くのはかなりの集中力が必要で、いつも途中で他のことを考え出してしまうのですが、野外の会場に響きわたる美しドビュッシーのピアノ曲はとても心地よく癒されました。




ドビュッシーは大腸がんで55歳に亡くなっているのですが、その短い生涯の間に多くの女性との出会いがあったようです。何やら女性関係のお話になったあたりから朗読の言葉を耳がとらえるようになりました。
というのも、登場人物が年上の人妻やら、歌手やら、教え子の母親との不倫やら、そして自殺未遂事件などなど、なんともソープオペラのようで興味深い。そんなに素敵な人だったのか、それとも作曲した美しい曲の魔力かもしれません。確かに曲を聞いているだけで幸せな気分になる美しさですから。魔力ですね。これは騙されるかも。




椰子の木もローマの大きい公園ではよく見られるます。ライトアップされるとまるで花火のよう。
こんな美しいローマですが、ローマ留学をしたドビュッシーはこの街にあまり馴染めなかったようです。


Villa Doria Pamphiljの夏の夜は8月1日まで続きます。プログラムはこちらから

ローマで日本の夏2012 

2012-07-07 23:23:16 | ローマの休日
明日7月9日から13日までローマに日本の夏がやってきます。

9日と10日は、テベレ川に浮かぶティベリーナ島にて映画の上映に邦楽コンサートや剣道の実演、そしてやきそばと日本酒がふるまわれるのだそうです。やきそばにももちろん惹かれますが、なんといっても9日に上映される映画「テルマエロマエ」が見逃せません。ローマの映画館で上映されるという話を聞かないし、こちらでは見られないのかなと残念に思っていたところでした。そんなローマ在住の日本人たちにも大勢お目にかかれそうです。楽しみ楽しみ。
そして、10日の夜の映画は「告白」なのだそうです。これはもしや暑いローマの夏を「怖さ」で涼しもうというのが狙い?ホラーではないけれど、私には後味の悪い映画だった記憶です。終わった後どんな雰囲気になるのやら。ダニィは実はこの映画が結構気に入っていたりして、もう一度見に行こうかななどと言っています。実は映画の会場(屋外)の後ろに橋があって(ティベリ―ナ島に渡るための橋)、そこから実はチケットなしで映画を鑑賞できるんです。音声も十分でしたし、字幕なら尚更OKですね。

11日から13日まではアウディトリムでコンサートがあります。11日が三味線、12日が琴、13日が太鼓・・・とまさしく和三昧の3日間。どうやらダニィが三味線の日のチケットを手に入れたよう。日本にいたときよりもずっと日本の文化に触れる機会があるような気がします。

詳しくは日本大使館のサイトに出ています。こちら




関係ありませんが、この間行った別のコンサートでも和太鼓が活躍していました。''La notte della taranta''というコンサートで、プーリア州の民族音楽のグループだと思うのですが、和太鼓も合ってました。




Openopera

2012-07-02 12:20:03 | ローマの休日
6月29日は聖ピエトロと聖パオロの祝日で、この二人の聖人はローマの守護聖人でもあるため、それを祝ってこの日は毎年ローマでは祝日です。ローマではお祝いのイベントが催されます。ここ数年人気なのがサンタンジェロ城の花火(かなり素晴らしい)ですが、今年はローマのオペラ劇場のオープンハウスのイベントに行ってきました!
劇場のガイド付き見学、オペラの衣裳などの展示、ちょっとした短いオペラ歌手のパフォーマンスなどが一日行われました。



劇場内には過去数回入ったことがあります。そう二年前には「トスカ」を観に行きました。もちろん上の方の席でしたけれど。


まず、現在の支配人の方による劇場の歴史の講演会を聞きました。面白そうでしたが、ところどころしかわからず残念でした。ちょっと長すぎたのもあって。

このローマ歌劇場は、今は「ローマ歌劇場」という名前でローマ市が所有していますが、もともとは事業家コスタンツィ氏が創立したため、コスタンツィ劇場という名前で始まったそうです。コスタンツィ氏はローマに歌劇場が必要だと思い、私財を投入、劇場の建設に至ったのですが、ローマ市はその購入を拒否しました。それでも1880年11月27日にロッシーニ作「セミラーミデ」の上演で落成式が行われました。イタリア王ウンベルトI世とマルゲリータ妃もご出席、真ん中の王室席からご覧になられたのでしょうね。
このコスタンツィ劇場はさまざまなオペラの初演を行いました。中でもマスカー二の「カヴァレリア・ルスティカーナ」の大成功が有名です。私もこのオペラの曲は大好きです。いつか機会があったらここで観てみたいですね。



王室席からはこんな風によく見える。



コスタンツィ氏は劇場の今は裏側に当たるところにあるクイリナーレホテルの創立者でもあります。当時はホテルと劇場は廊下で繋がれていて、ホテルに泊まっていた歌手やオーケストラの人びとは外に出ることなく劇場に行くことができました。(現在も廊下は存在するものの、ホテルから入ることはできなくなっているそうです。)

さて、劇場はその後、他の人に買収されたりしながら形を変えて行きます。そして1926年になってようやくムッソリーニの要請でローマ市によって買収されることとなりました。名前も「王室歌劇場」と変わります。その際に建物もかなり改築され、もともとの劇場の正面は今のクイリナーレホテルのお庭側でしたが、現在のように反対側に変えられました。内部の席も装飾にもかなり手が入れられました。天井の巨大なシャンデリアもこのときに設置されたそうです。



直径6m、26000個のクリスタルでできた素晴らしいシャンデリア。

その後、イタリアは王政から共和制に変わり、名前も現在の「ローマ歌劇場」になります。1960年のローマオリンピックの開催にあたって、1958年からローマ市による大々的な改修工事が始められ、現在の姿になりました。

・・・とだいたいがこんな話でした。

そうそう夏の間は公衆浴場遺跡のカラカラ浴場での公演になりますが、これはムッソリー二の要請で始まったようです。


さて、見学会は人数が多すぎて説明がよくわかりませんでしたが、控室らしき所を通り、



この下の写真の奥の部屋にクイリナーレホテルの廊下がつながってたとか、



そしてなかなか見られない楽屋を見せてもらいました。




様々な舞台の写真で埋め尽くされている小部屋。コーヒーなどの飲み物が置いてあって、給湯室なのかしら。




声楽家の方々のちょっとしたパフォーマンスも楽しんで、猛暑の日でしたが、エアコンのきいた劇場の中で快適な数時間を過ごさせてもらいました。


来年もあるかもしれません。このローマの祝日、毎年6月29日です。



Felice Anno Nuovo 2012!

2012-01-04 15:23:04 | ローマの休日
あけましておめでとうございます!

とはいえ、新年ももう何日も経ってしまってました。ぐずぐずしていると、何もしないまま2013年の挨拶を書いていることになりそうですね。

年末年始は日本に帰省することが多いのですが、昨年は夏に1カ月ちょっと日本に帰り、ダニィマンマや親戚からも「このクリスマスはこっちにいるの?」の問いかけがあるたびに、日本にまた帰るではまずいかなという思いになり、ローマに戻ってすぐにローマ・東京往復400ユーロちょっとというなんとも凄い格安航空券が出たのですが、日本に行ってきたばかりとあって、ためらっている内にどーんとまた値段が上がってしまいました。こんな格安航空券があったものだから、その後「~さんは今日本」なんていう話を聞くことが多くなって、悔しい思いをいたしました。

そんなわけで、ローマでの年末年始の経験回数は少ない私ですが、毎回ローマでの年明けはピンときません。どうも年越しそば、紅白歌合戦、ゆく年くる年の鐘の音、おせち料理、お雑煮、年賀状・・・と日本でやってきた習慣が欠けると、「さあ、新しい年がやってきた、今年こそ!」というような調子にいきません。なので、新年もなんとなくだらだら昨年の続きのまま始まる感じです。やはり次回は日本ですね。

もちろんイタリアではクリスマスが一年の最大行事ということがあるので、その後の年末年始がしぼむのは仕方がないのかもしれません。ダニィは大晦日も元旦の日も仕事の上に、体の具合も悪くて、私たちは計画なしでした。

イタリアの大晦日はどういうものかというと、日本語ではレンズ豆というらしいですが、lenticchieという小さな豆の料理を食べます。形がお金に似ていること、料理するとかなり量が増えることから、お金が増えるということらしい。ダニィが豆系の料理は好きなので、普段からよく食べていますが、お金が増えないのは大晦日に食べないからか???

Lenticchieのレシピなどを検索していたら、こんな話が出てきました。豆はどうもお金とつながりがあるようで、こんな習慣もあるようです。
大晦日の日に枕の下にソラマメを3つ入れます。一つは皮つき、二つ目は皮半分、三つ目は皮なしです。元旦の朝に、そのうちの一つを見ないで取るのですが、もし皮なしソラマメなら、将来の夫は貧乏人、半皮付きなら中流階級、全皮つきならお金持ち。やはり夫となる人は経済力が重要ってことなのでしょうか?

そうそう年末はスペイン人の友人が遊びに来ていて、「イタリアではlenticchieだけど、スペインでは何か決まって食べるものはあるの?」と聞いてみました。年が変わる12時、ぶどうを12粒食べるそうです。最後にはみんな口の中がぶどうで一杯になって、凄い顔になると笑っていました。状況があまり想像できないでいましたが、後で調べて納得しました。12時に鳴る鐘の音に合わせて一粒ずつ食べるので、さっさと呑み込めない人は口の中に詰め込むことになるんですよね。

話は大晦日の晩に戻り、ダニィは最初は出かけないと言っていたので、屋上に上がってそこから花火でも見ようかと思っていました。そしたら11時が近づくころ、急に出かけようと言い出しました。私の方が返ってもう億劫になっていたのですが、スプマンテも買ってあったし、赤い紙コップを出してきて、やっぱり年明けをしっかり感じてきた方がいいかなと気持を立て直し、カメラもカバンに詰め込み出発。

家の外に出ると驚くほどに強い火薬の臭い。31日は爆竹の音は常に聞こえ、花火も予行練習なのか明るい内から聞こえてきます。問題なのは冗談が過ぎる人々がいることで、ゴミ捨て場に火をつける人なんかもいて、ニュースで他人事のように思っていましたが、うちの近所でも煙が立っているところが何か所かあり、こういうのは許せませんね。毎年死者や、危険な花火で腕を失ったり、失明したりする人もいます。馬鹿げてますよね。

私たちは高台のジャニコロの丘に行きました。大晦日の花火見学スポットなので当然凄い人、人、人。ダニィが遠くに車を止めたので、私は不満でしたが、実はわざとだったんですね。丘の近くはものすごい渋滞で、12時になる頃には車で動けなくなった人々が車をそのまま通りに置きさっていたぐらいですから、帰りもなかなかそこから抜け出せないでしょう。



丘の上に集まる人々。花火とスプマンテが大半の人の持参品。ジャニコロの丘にはもっと見晴しのいい場所があるのですが、そこは物凄い混雑だろうし、花火を振り回す人々や酔っ払いで危ないとダニィは考えたようです。私はちょっと不満でしたが、ここまでこれただけでも満足しなければ。ある建物の玄関前の階段の上のちょっと安全地帯な感じのところに陣取りました。(周囲はお年寄りと子供ばかり。)




夕暮れ時で少し暗いですが、見晴しのいい側。ズームで撮影しているので肉眼ではもっと小さくなりますが、かなり広範囲のところが見渡せる丘です。


イタリアの年明けは、個人個人が花火をあげるので、見晴しのいいところならば360度どこもかしこも花火、花火という景色が広がります。これはなかなかの見応えなのですが、ここで不思議なこと。これはスペイン人の友達も後でメールで言っていたことですが、普通なら(テレビで見る各国の年明けの様子もそうですが)、カウントダウンして一斉に花火が上がるというものでしょう。イタリアでの新年の始まりはみなバラバラなんです。つまり12時前から花火があがりだして、年明けの瞬間が曖昧。12時過ぎると確かに花火の量は増えるものの、なんかピンと来ない年明けの瞬間です。私たちはダニィの時計を見ていましたが、隣ではもう乾杯しているし、もっとみんなで盛り上がるのかと思っていましたが、意外とそれぞれ個人主義を発揮してました。

それにしても日本では花火大会でしか見ない、当然プロがあげるのだろうと思われる花火がいろんな所からあがるのです。どう考えても危険ですよね。建物の窓や屋上から花火を投げるような人のいるし、11時半ごろから12時半ごろまでは、花火や爆竹の音でが常に聞こえて、戦争中ってもしかしてこんな風なんて想像したりして。



私の頭上でも花火を始める人がいました。火の粉がふってきたので、周囲の人も服を焦がされると避難。

除夜の鐘の響き渡る日本の年明けは荘厳ですね。それに比べるとイタリアの年明けは軽い感じがします。ダニィに「新年の抱負は?」と聞くと、「なにそれ?」って反応でした。新しい年が始まり「今年こそは」って感覚もここの人々は薄いのかなと思いました。確かに私も曖昧なスタートを切ってしまった感ありです。まだ遅くないと自分を制して、明日から気持新たに実りある年に向けて頑張らねば。


花火の模様は動画で撮影したのですが、このブログでは動画を載せられないことがあとでわかりました…あしからず。

どうぞ良い年になりますように!

クリスマスイブ 2011

2011-12-28 23:35:10 | ローマの休日
クリスマスにローマに留まることになれば、避けたいけれど避けて通れないのがこれ、クリスマスイブの親戚の集まり。日本でもお正月の親戚の集まりが嫌で鬱になってしまう人がいるらしいけれど、こっちでも自分側の親戚でなければやっぱり気が重いもの。ダニィのマンマは三人姉妹で、それも近くに住んでいるものだから、会を仕切るのはこの三人。お蔭で、食べ物は彼女たちが張り切って用意してくれるので、各自持ち寄りなどという恐怖はないものの(私は特に料理が弱点、もしこれがあったら100%日本に逃飛行)、問題はプレゼント。

こういうのって好きな人もいるんですよね。ダニィの親戚の女性軍はそんな感じ。でも私はと言えば、年に1度会うかどうかのダニィのおばさんとかいとことか、一体何を渡せばいいのよってところ。おまけにいくつもプレゼントを用意するのに、一つ一つにそんなにお金もかけられないというのも正直なところ。全員にじゃあパネトーネでとか、日本のお歳暮コーナーみたいなのがあってくれればいいのに、そんなものもあるわけなし。日本ってどうしてこうなんでも効率的にできているのかしら。

ダニィは以前はプレゼントなんて持って行ってなかったから、周りも別にそれが普通で疑問もなかったようで、ダニィには私がパニックするのが理解できないのです。でも私は外の者だから手ぶらで行くわけにはいかないと毎年喧嘩して、今年はついに「もうこのイブのお蔭でイタリアでは私のクリスマスは台無し、恐怖なだけなんだ」と言うと今年は理解を得られ、なんとか協力的になり一緒に最低限の必要な分をそろえました。



プレゼント探しはストレスだけれど、ラッピングは好き。どうせ来年もあるしと、いろんなラッピングペーパーを買ってきます。どうせ開けるときはびりびりと破られちゃうんですけれどね。ラッピングはこっちの人、正直言って下手です。どうしてもう少し丁寧に包めないのかなと不思議に思うくらい。
小さなカードには相手の名前と自分の名前を書いて、ちゃんと持ってきたんだぞと主張しておきます。

イブはいつもダニィのマンマのお姉さんのジュリアーナおばさん宅で行われます。立派なクリスマスツリーが飾られていて、ほかにもクリスマスグッズが至るところに。入ると玄関のところから、さっそくみんなが持ってきたらしいプレゼントの包みの山があって、やっぱりもっときちんとしたものをプレゼントしなきゃだめだったかなとか不安がよぎります。包み方は下手でもボリュームだけはあるんですよ。それぞれ一人一人と挨拶を交わすのがイタリアの習慣。人数が多いときは少々面倒だなあと感じます。

普段そんなに顔を合わせていない人とは話題もなく、太ったとか、髪型がどうだとかで、話をなんとか続けている感じで。他の親戚たち同士にしても、そんなに話題がないみたいで、食事が始まるまではぼーっとテレビに向かっていたりします。クリスマス会も高齢化しているし、子供軍も年齢が上がって、なんだか毎年活気は薄れる感じです。おまけにだれだれは病気で来れないとか、娘が離婚して帰ってきているので家族だけでクリスマスをするからとか、そんな事情も増えてきたりします。そのうちにプレゼントにも気合いが入らなくなるかな。

イタリアのクリスマスイブは魚料理を食べます。今年のメニューはラザニア(お肉入ってたけど)とカルチョーフィの揚げ物、シーフードのあ揚げ物、野菜のグリル焼き、バカラ(鱈)の料理、ブロッコレッティ(ブロッコリーみたいな花芽のついている野菜)の炒め物でした。以前はダニィたちが子供で、親たちのテーブルと子供達テーブルに分かれていたのだと思いますが、その子供たちが親になり、お年寄りテーブルとそ若者(!?)テーブルになったようです。昔々、小さい頃、まだ親戚の集まりがあった頃のことを思い出して、どこも同じなんだなあと懐かしくなりました。

食後のドルチェは日本でイメージする素敵なクリスマスケーキが出てくることはあまり期待できません。今年はクリスマスっぽい絵がほどこされたチョコレートケーキと誰かが持ってきたリンゴのケーキとチョコ入り(普通はドライフルーツ入りですが)のパネトーネ。それが終わると子供達が待ちきれないのでプレゼント交換会となります。今回の一番小さい子どもは6歳でしたが。彼女はそれはそれはたくさんのプレゼントをもらってました。あんなに簡単にいろいろと手に入ったら、教育上どんなもんだろうと、ちょっと冷やかな目を向けているのに気付かれたか、この子の祖父(スイス人)に「日本のクリスマスはどう?ここのはちょっと大げさすぎるよね」と言われました。サンタクロースもまた別に来るようです。

プレゼント会が終われば、まあ一応クリスマス会は終り。ダニィが気を遣ってか、さっさと帰ろうと言い出し、一番に出てきました。帰りはなんだか一人一人に挨拶という雰囲気もなくなって、ダニィがみんなに向かって大きな声で挨拶してたので、私もそんな感じで終わりました。仲良し家族を自慢にしていた数年前のクリスマスはなんだか重かったけれど、こう活気がなくなるとちょっと寂しくもありました。

1年で一番気の重いイベントがなんだかあっさり終了。ちょっと気が抜けました。でも来年はやっぱり日本へ帰ろう。