あけましておめでとうございます!
とはいえ、新年ももう何日も経ってしまってました。ぐずぐずしていると、何もしないまま2013年の挨拶を書いていることになりそうですね。
年末年始は日本に帰省することが多いのですが、昨年は夏に1カ月ちょっと日本に帰り、ダニィマンマや親戚からも「このクリスマスはこっちにいるの?」の問いかけがあるたびに、日本にまた帰るではまずいかなという思いになり、ローマに戻ってすぐにローマ・東京往復400ユーロちょっとというなんとも凄い格安航空券が出たのですが、日本に行ってきたばかりとあって、ためらっている内にどーんとまた値段が上がってしまいました。こんな格安航空券があったものだから、その後「~さんは今日本」なんていう話を聞くことが多くなって、悔しい思いをいたしました。
そんなわけで、ローマでの年末年始の経験回数は少ない私ですが、毎回ローマでの年明けはピンときません。どうも年越しそば、紅白歌合戦、ゆく年くる年の鐘の音、おせち料理、お雑煮、年賀状・・・と日本でやってきた習慣が欠けると、「さあ、新しい年がやってきた、今年こそ!」というような調子にいきません。なので、新年もなんとなくだらだら昨年の続きのまま始まる感じです。やはり次回は日本ですね。
もちろんイタリアではクリスマスが一年の最大行事ということがあるので、その後の年末年始がしぼむのは仕方がないのかもしれません。ダニィは大晦日も元旦の日も仕事の上に、体の具合も悪くて、私たちは計画なしでした。
イタリアの大晦日はどういうものかというと、日本語ではレンズ豆というらしいですが、lenticchieという小さな豆の料理を食べます。形がお金に似ていること、料理するとかなり量が増えることから、お金が増えるということらしい。ダニィが豆系の料理は好きなので、普段からよく食べていますが、お金が増えないのは大晦日に食べないからか???
Lenticchieのレシピなどを検索していたら、こんな話が出てきました。豆はどうもお金とつながりがあるようで、こんな習慣もあるようです。
大晦日の日に枕の下にソラマメを3つ入れます。一つは皮つき、二つ目は皮半分、三つ目は皮なしです。元旦の朝に、そのうちの一つを見ないで取るのですが、もし皮なしソラマメなら、将来の夫は貧乏人、半皮付きなら中流階級、全皮つきならお金持ち。やはり夫となる人は経済力が重要ってことなのでしょうか?
そうそう年末はスペイン人の友人が遊びに来ていて、「イタリアではlenticchieだけど、スペインでは何か決まって食べるものはあるの?」と聞いてみました。年が変わる12時、ぶどうを12粒食べるそうです。最後にはみんな口の中がぶどうで一杯になって、凄い顔になると笑っていました。状況があまり想像できないでいましたが、後で調べて納得しました。12時に鳴る鐘の音に合わせて一粒ずつ食べるので、さっさと呑み込めない人は口の中に詰め込むことになるんですよね。
話は大晦日の晩に戻り、ダニィは最初は出かけないと言っていたので、屋上に上がってそこから花火でも見ようかと思っていました。そしたら11時が近づくころ、急に出かけようと言い出しました。私の方が返ってもう億劫になっていたのですが、スプマンテも買ってあったし、赤い紙コップを出してきて、やっぱり年明けをしっかり感じてきた方がいいかなと気持を立て直し、カメラもカバンに詰め込み出発。
家の外に出ると驚くほどに強い火薬の臭い。31日は爆竹の音は常に聞こえ、花火も予行練習なのか明るい内から聞こえてきます。問題なのは冗談が過ぎる人々がいることで、ゴミ捨て場に火をつける人なんかもいて、ニュースで他人事のように思っていましたが、うちの近所でも煙が立っているところが何か所かあり、こういうのは許せませんね。毎年死者や、危険な花火で腕を失ったり、失明したりする人もいます。馬鹿げてますよね。
私たちは高台のジャニコロの丘に行きました。大晦日の花火見学スポットなので当然凄い人、人、人。ダニィが遠くに車を止めたので、私は不満でしたが、実はわざとだったんですね。丘の近くはものすごい渋滞で、12時になる頃には車で動けなくなった人々が車をそのまま通りに置きさっていたぐらいですから、帰りもなかなかそこから抜け出せないでしょう。
丘の上に集まる人々。花火とスプマンテが大半の人の持参品。ジャニコロの丘にはもっと見晴しのいい場所があるのですが、そこは物凄い混雑だろうし、花火を振り回す人々や酔っ払いで危ないとダニィは考えたようです。私はちょっと不満でしたが、ここまでこれただけでも満足しなければ。ある建物の玄関前の階段の上のちょっと安全地帯な感じのところに陣取りました。(周囲はお年寄りと子供ばかり。)
夕暮れ時で少し暗いですが、見晴しのいい側。ズームで撮影しているので肉眼ではもっと小さくなりますが、かなり広範囲のところが見渡せる丘です。
イタリアの年明けは、個人個人が花火をあげるので、見晴しのいいところならば360度どこもかしこも花火、花火という景色が広がります。これはなかなかの見応えなのですが、ここで不思議なこと。これはスペイン人の友達も後でメールで言っていたことですが、普通なら(テレビで見る各国の年明けの様子もそうですが)、カウントダウンして一斉に花火が上がるというものでしょう。イタリアでの新年の始まりはみなバラバラなんです。つまり12時前から花火があがりだして、年明けの瞬間が曖昧。12時過ぎると確かに花火の量は増えるものの、なんかピンと来ない年明けの瞬間です。私たちはダニィの時計を見ていましたが、隣ではもう乾杯しているし、もっとみんなで盛り上がるのかと思っていましたが、意外とそれぞれ個人主義を発揮してました。
それにしても日本では花火大会でしか見ない、当然プロがあげるのだろうと思われる花火がいろんな所からあがるのです。どう考えても危険ですよね。建物の窓や屋上から花火を投げるような人のいるし、11時半ごろから12時半ごろまでは、花火や爆竹の音でが常に聞こえて、戦争中ってもしかしてこんな風なんて想像したりして。
私の頭上でも花火を始める人がいました。火の粉がふってきたので、周囲の人も服を焦がされると避難。
除夜の鐘の響き渡る日本の年明けは荘厳ですね。それに比べるとイタリアの年明けは軽い感じがします。ダニィに「新年の抱負は?」と聞くと、「なにそれ?」って反応でした。新しい年が始まり「今年こそは」って感覚もここの人々は薄いのかなと思いました。確かに私も曖昧なスタートを切ってしまった感ありです。まだ遅くないと自分を制して、明日から気持新たに実りある年に向けて頑張らねば。
花火の模様は動画で撮影したのですが、このブログでは動画を載せられないことがあとでわかりました…あしからず。
どうぞ良い年になりますように!