あいあいのひとりごと

ローマ在住あいあいの暇つぶし日記。

聖フランチェスカ・ロマーナ

2012-03-15 18:20:52 | 聖人のお話


イタリアの国の守護聖人である聖フランチェスコは、有名な聖人のトップ10内、いやもう1位になるのでは?というぐらいに有名な聖人ですが、実は聖フランチェスカという女性の聖人もいて、こちらはどれほど知られているのか私は知りません。たまたま見つけたローマのイベントのお知らせに、毎年3月9日に年に一度だけ一般公開になる修道院というのがありました。 Monastero delle Oblate di Santa Francesca Romana(Tor de' specchi、「鏡の塔」という愛称のよう)という修道院で、つまり直訳すれば、聖フランチェスカ・ロマーナの在俗献身者の修道院というところでしょうか。

前日にテレビでも特集を企画したとの話で、それでは混むだろうとの予想はしていましたが、確かに長蛇の列ができていました。午前中は11時半まで、でも午後もまだチャンスがあるからとにかく行ってみよう、ということで朝の苦手な私はなんとか11時に列の最期尾につき、11時25分ごろぎりぎり入場。ほっ。午後もあるとはいえ、ここまでぎりぎりで入れてもらえないのは、かなり悔しい。

ということで、聖フランチェスカ・ロマーナのお話。

フランチェスカは1384年にローマの貴族の家庭に生まれ、小さいころから神に捧げる人生を願っていましたが、従順に育ったフランチェスカは13歳を迎えると、ロレンツォ・デ・ポンツィアーニとの結婚を受け入れることになります。ロレンツォはトラステヴェレ地区に住む貴族であったため、豊かな生活を続けることのできたフランチェスカでしたが、慈愛深く、貧しい人々や病気の人々を助けることを望んだ彼女は、宝石も、上等の服も何もかもすべて弱い人々のために捧げたのでした。

当時、ローマは大変苦しい時代にありました。それはフランチェスカの生活にも及ぶことになります。ローマ教皇領を手に入れることを企てたナポリ国王のラディスラオがローマに攻め入り、ローマ教皇側についていたロレンツォは戦いで酷いけがを負うことになり、その後一生を体の不自由なままで送ることになるのです。また、流行していた疫病により、3人の子供たちの内2人が幼くして亡くなります。この苦しみの生活の中でも、貧しい人々の慈善に献身し続けるフランチェスカの行動を夫ロレンツォも認め、1425年に共に活動する女性たちと共にベネディクト会の教えに沿った在俗献身者による信徒会を創設しますが、夫が亡くなる1436年まで妻としての務めを果たしました。

夫が亡くなるとこの修道院に移り、4年後の1440年に自らの生涯を終えるまで修道会と慈善活動に献身したのでした。亡くなった3月9日がこの聖人の祝日となり、この機会にこの修道院も一般公開しているのでしょう。

聖フランチェスカ・ロマーナは、ベネディクト会の様式に従った黒の服に白のベールといった姿で表わされ、そばには普通守護天使が付き添って表わされます。フランチェスカの目にはいつも傍にランプを持った守護天使が足元を照らしてくれていたのが見えていたという伝説です。良妻賢母の模範としての聖人、そしてなぜかオートバイのライダーたちのための守護聖人だそうです。

さて、修道院の見学ですが、まずはここが入口。



中に入るとすぐに左手に階段があります。両側の壁は素晴らしいフレスコ画で覆われています。跪き、祈りながら、一段一段を膝で上がる階段なのだそうです。階段を上がりきるとそこは修道院の食堂だった部屋です。壁はモノトーンのフレスコ画で飾られていて、そのテーマは聖フランチェスカと悪魔の戦いといった感じです。例えばその一つがこれ。




聖フランチェスカは傍らに付き添う守護天使だけでなく、悪魔の姿も見ることができたという伝説です。
悪魔とのエピソードの絵はかなり不思議な雰囲気を出しているだけに、興味深く惹きつけられます。

その部屋の隅に小さな入口があって、そこから階段を下りると、聖フランチェスカの小さな祈りの部屋があります。

そしてまた食堂の部屋に戻り、最初に登ってきた階段を数段降りたところにある礼拝堂がこの修道院の一番の見どころではないでしょうか。礼拝堂自体は大きくはありませんが、その壁は聖人の物語をテーマにしたフレスコ画で覆われています。アントニアッツォ・ロマーノやベノッツォ.ゴッツォリといった著名な画家の手によるものと考えられています。




テーマは聖人伝ですが、多くは聖フランチェスカの行った奇跡について描かれています。例えばこれは木を切っている最中に、誤って自分の足まで切ってしまった人が、聖フランチェスカの奇跡によって瞬く間に怪我が治ってしまったという場面です。

似たような場面を描いたフレスコ画が壁を覆い尽くしていますが、一つ地獄を表した場面があり、怖いもの見たさで惹きつけられます。他の見学者もじっくり時間をとって眺めていたところを見ると、私たちってこういうのに特に興味を惹かれてしまうのでしょうか。

興味のある方は直接にこの修道院のサイトをご覧になると、この地獄の絵も出ています。こちら


この修道院に住んでいるという若い学生たち(アパートを借りるより安いので、修道院に部屋を借りる学生がいますが、門限は恐ろしく早い)が、おみやげコーナーで働いていました。私は3ユーロでお買い得という修道院についての本を買いましたが、ちょっと角が汚れていたらしく(私は気づかなかったほど小さいもの)、「ちょっと待ってください、取り替えます」と言って取り替えてくれました。こういうことは普段ほとんどないので、なんだかとても嬉しい気持ちになりました。

この修道院、毎年3月9日のみ一般公開されます。思い出したら、どうぞ。


ローマ方言のデブ

2012-03-15 12:00:00 | おもしろいイタリア語
ダニィは車の運転中はすいすい行かないとイライラするタイプ。危ないんじゃないかという運転もするし、でもローマではローマの正しい運転の仕方があって、そうしないと返って危ないんだそうだ。

歩行者側もそう。道を渡るという意思をはっきり示し、車が向かってきても堂々と渡り始めないと止まってくれない。それが苦手な私はいつまでたっても、車の方から止まって道を譲ってくれるのを待ってしまう。そうすると永久に渡れないような状況になってしまうのだ。頭では分かっていても、いざ渡り始めようとして、車が速い速度で向かってくると、体が引いてしまい、運転手側からすると「渡るのか渡らないのかはっきりしろよ」となるわけだ。私からすると、渡ろうとしているのは見ればわかるだろうが、というところなのだが。それを見るダニィも「そういう動きをする方が返って危ない」と怒るけれど、条件反射なのだから仕方がないというのが私の言い分。

それでも私のような人は他にもかなりいて、運転中のダニィはそれこそ「はっきりしろよ」っていう反応になるわけだが、ついこの間も、やはりおろおろ渡ろうとして渡れない人が、結局私たちの前で渡った。私からすると、「取りあえず止まってあげればいいじゃない」と思うのだけれど、そこで一瞬スピードを緩めざるを得なくなったダニィは「そこのbuzzicona、一体どうしたいわけ?」っと、独り言ではあったけれど、やはり文句を言った。

ブッチコーナ?何だろう?まあ素敵な言葉ではなさそうだけど。

Buzzicona、ローマ弁で「デブ女」の意味だそうだ。

男性形はbuzzicono?かと聞いてみると、buzziconeなんだそうだが、ほとんど女性形でしか使わないとのこと。なんだ差別語か。

私も、「早く渡れよ、そこのbuzzicona!」と言われないように、目をつぶって道を渡るしかない。納得いかないけれど。


gufo(フクロウ)は不運をもたらす?

2012-03-02 23:39:13 | おもしろいイタリア語
ダニィは試写会とか音楽会の招待券とかを当てるのが趣味以上になっていて、お蔭で毎週何かしらを見に出かけます。私は映画やコンサートだと嬉しいけれど、お芝居やトークショー系は別にあまり関心がありません。というのも、同じイタリア語で理解するにも、映画のなら視覚的なものがかなり助けになりますが、お芝居はかなりイタリア語力が必要です。登場人物が一人とか二人なんていうものは特に難しくて、イタリア語の聴解授業を1時間半なんて感じになってしまい、途中で集中力が飛んでしまうことほとんど毎回。

つい数日前。映画の試写会の招待券が既に手に入っていたのですが、ダニィは気になる芝居の招待券の広告を見つけてきました。もし芝居の方も当たれば、ダニィは芝居の方に行くという。私は映画の方に行ってもいいのだけれど、一人でいくのもな~と思っていたところ・・・

芝居の券は当たらなかったよ、Hai gufato, eh?

gufato? どういう意味?

ダニィの説明では、芝居の招待券が当たらなければ、一緒に映画の方に行くわけで、ダニィが芝居を観に行きたいのを知りながら、反対の結果を望むことだ、とそういうことでした。

私の電子辞書で調べてみると、動詞gufareは、自動詞の場合、1)(フクロウが)ホーホー鳴く、フクロウの鳴きまねをする、2)(俗)不運をもたらす、他動詞の場合、からかう、あざける、と出ています。ダニィが言う私がしたことは自動詞の2)不運をもたらす、という方にあたるでしょう。

インターネットで調べると、イタリア人の間でも意味を問題にしているページがかなりあります。他の言語に翻訳するときに、単に「不運をもたらす」でいいのか、という点です。ダニィの説明からだと、「相手の不運になるようなことを望んだ結果、そのような結果を相手にもたらす」って感じでしょうか。

ところでこの動詞gufareは、gufo(フクロウ)から来ています。日本だとフク「福」にかけて、幸運をもたらすものですよね。どうしてイタリアでは不運をもたらすのにフクロウなのでしょう。

はっきりしたことはわかりませんが、ネット検索をしている中でみつけたこと。フクロウは死体を食べると思われていたようで、死体を待つ動物というイメージからではないかとか、中世の時代には魔女は悪魔が姿を変えたフクロウと共にいるとか、フクロウは魔女の変身した姿であるとか、そんな風に信じられていて、フクロウの鳴き声や姿に恐れを抱いたようです。確かにハロウィーンの絵なんかにはフクロウが登場してますよね。

それでも古代ギリシャではフクロウは聖なる動物で、知性のシンボルでした。そういえばギリシャの1ユーロコインの裏にはフクロウの姿が描かれてたような。

なにはともあれ、ダニィがローマチームの応援に出かけると、私は知らんぷりしてフクロウになっているのは事実です。

マルゲリータ・ディ・サヴォイア

2012-03-01 12:43:39 | イタリア(人物)
前回の投稿に、クイリナーレ宮の公開・イタリア統一150周年記念展との併設展覧会「マルゲリータ・ディ・サヴォイアとクイリナーレ図書館」のことを書きましたので、このマリゲリータ妃のことを調べてみました。折角こういう展覧会を観にいっても、私はどうもイタリアの歴史に無知で残念な思いばかりなのですが、その機会に後で調べてみるのも面白いものです。

さて、マルゲリータ妃と言えば、真っ先に頭に浮かぶのが(私だけか?)ピッツア・マルゲリータ。ナポリピザを代表する有名なピザですね。迷ったらこのピザを選ぶのが正解。おいしいことは確実です。そうこの名前の由来はこのマルゲリータ妃から来ています。この王妃の人気の高さがわかりますよね。芸術・文化を愛したこの王妃は国民とのコミュニケーション能力も抜群、人気の王妃様だったようです。ところでトマトソース、モッツァレッラチーズ、バジリコのこのピザは、イタリアの三色旗を表していると読みました。イタリア国王妃として、後にはイタリア国王の母親として、イタリア王国のために尽した王妃を象徴したのでしょう。

マルゲリータ妃の夫であるウンベルトI世はヴィットーリオ・エマヌエーレII世の後、2代目のイタリア国王になりました。ヴィットーリオ・エマヌエーレII世が国王に即位したとき、その妻のマリーア・アデライデは既に亡くなっていたため、マルゲリータ妃はイタリア王国初の王妃となりました。




クイリナーレ宮で今催されているイタリア統一150周年の記念に展示されていた肖像画。

すらりと背が高く、気品があり、美しいこの王妃は、絵画、音楽、文学をこよなく愛し、モンテ・ローザの登頂(4959m)を果たした登山家でもありました。しかし、結婚生活は幸せなものではありませんでした。国王ウンベルトI世は芸術に全く関心がなく、マルゲリータ妃が芸術の話をすると、「少し黙ってくれないか、頭が痛くなる」と言ったほど。あまりに性格の違う夫婦だったからかどうかはわかりませんが、夫は7歳年上のエウジーニア・リッタ・ボロニーニ侯爵夫人を愛人にし、一生愛し続けます。それでも気位の高いマルゲリータ妃は一生仮面夫婦を装い続けました。毒舌家たちはマルゲリータ妃のことを「浮気の度に首飾りの真珠が増えるヨーロッパ一真珠を施された王妃」とあざけったとか。

それでも王と王妃はプライベートは別として、公務では共にイタリア中を旅されたようです。特にマルゲリータ妃は国民の心つかむコミュニケーション能力にも優れていました。

国王ウンベルトI世は、イタリア移民のアメリカ人で無政府主義の政治家ガエターノ・ブレーシに銃撃され、その場で息をひきとりますが、その死者の部屋を訪れた愛人のエウジーニアに夫と二人だけの時間を与えてあげたそうです。

細かい歴史の出来事はインターネットの他のページで調べていただくとして、さて、そんなマルゲリータ妃の展覧会、クイリナー宮で3月17日までやっています。特に芸術・文化を愛した王妃という視点からの展覧会と理解しました。



展示されていた王妃の美しいドレス。



そしてその詳細。




昔ちょっとマンドリンをかじったことがあったので、つい目に入った美しいマンドリン。王妃が弾いていたのかどうかはわからず。


勉強してから見学していたらもっと面白かった。残念。