イタリアの国の守護聖人である聖フランチェスコは、有名な聖人のトップ10内、いやもう1位になるのでは?というぐらいに有名な聖人ですが、実は聖フランチェスカという女性の聖人もいて、こちらはどれほど知られているのか私は知りません。たまたま見つけたローマのイベントのお知らせに、毎年3月9日に年に一度だけ一般公開になる修道院というのがありました。 Monastero delle Oblate di Santa Francesca Romana(Tor de' specchi、「鏡の塔」という愛称のよう)という修道院で、つまり直訳すれば、聖フランチェスカ・ロマーナの在俗献身者の修道院というところでしょうか。
前日にテレビでも特集を企画したとの話で、それでは混むだろうとの予想はしていましたが、確かに長蛇の列ができていました。午前中は11時半まで、でも午後もまだチャンスがあるからとにかく行ってみよう、ということで朝の苦手な私はなんとか11時に列の最期尾につき、11時25分ごろぎりぎり入場。ほっ。午後もあるとはいえ、ここまでぎりぎりで入れてもらえないのは、かなり悔しい。
ということで、聖フランチェスカ・ロマーナのお話。
フランチェスカは1384年にローマの貴族の家庭に生まれ、小さいころから神に捧げる人生を願っていましたが、従順に育ったフランチェスカは13歳を迎えると、ロレンツォ・デ・ポンツィアーニとの結婚を受け入れることになります。ロレンツォはトラステヴェレ地区に住む貴族であったため、豊かな生活を続けることのできたフランチェスカでしたが、慈愛深く、貧しい人々や病気の人々を助けることを望んだ彼女は、宝石も、上等の服も何もかもすべて弱い人々のために捧げたのでした。
当時、ローマは大変苦しい時代にありました。それはフランチェスカの生活にも及ぶことになります。ローマ教皇領を手に入れることを企てたナポリ国王のラディスラオがローマに攻め入り、ローマ教皇側についていたロレンツォは戦いで酷いけがを負うことになり、その後一生を体の不自由なままで送ることになるのです。また、流行していた疫病により、3人の子供たちの内2人が幼くして亡くなります。この苦しみの生活の中でも、貧しい人々の慈善に献身し続けるフランチェスカの行動を夫ロレンツォも認め、1425年に共に活動する女性たちと共にベネディクト会の教えに沿った在俗献身者による信徒会を創設しますが、夫が亡くなる1436年まで妻としての務めを果たしました。
夫が亡くなるとこの修道院に移り、4年後の1440年に自らの生涯を終えるまで修道会と慈善活動に献身したのでした。亡くなった3月9日がこの聖人の祝日となり、この機会にこの修道院も一般公開しているのでしょう。
聖フランチェスカ・ロマーナは、ベネディクト会の様式に従った黒の服に白のベールといった姿で表わされ、そばには普通守護天使が付き添って表わされます。フランチェスカの目にはいつも傍にランプを持った守護天使が足元を照らしてくれていたのが見えていたという伝説です。良妻賢母の模範としての聖人、そしてなぜかオートバイのライダーたちのための守護聖人だそうです。
さて、修道院の見学ですが、まずはここが入口。
中に入るとすぐに左手に階段があります。両側の壁は素晴らしいフレスコ画で覆われています。跪き、祈りながら、一段一段を膝で上がる階段なのだそうです。階段を上がりきるとそこは修道院の食堂だった部屋です。壁はモノトーンのフレスコ画で飾られていて、そのテーマは聖フランチェスカと悪魔の戦いといった感じです。例えばその一つがこれ。
聖フランチェスカは傍らに付き添う守護天使だけでなく、悪魔の姿も見ることができたという伝説です。
悪魔とのエピソードの絵はかなり不思議な雰囲気を出しているだけに、興味深く惹きつけられます。
その部屋の隅に小さな入口があって、そこから階段を下りると、聖フランチェスカの小さな祈りの部屋があります。
そしてまた食堂の部屋に戻り、最初に登ってきた階段を数段降りたところにある礼拝堂がこの修道院の一番の見どころではないでしょうか。礼拝堂自体は大きくはありませんが、その壁は聖人の物語をテーマにしたフレスコ画で覆われています。アントニアッツォ・ロマーノやベノッツォ.ゴッツォリといった著名な画家の手によるものと考えられています。
テーマは聖人伝ですが、多くは聖フランチェスカの行った奇跡について描かれています。例えばこれは木を切っている最中に、誤って自分の足まで切ってしまった人が、聖フランチェスカの奇跡によって瞬く間に怪我が治ってしまったという場面です。
似たような場面を描いたフレスコ画が壁を覆い尽くしていますが、一つ地獄を表した場面があり、怖いもの見たさで惹きつけられます。他の見学者もじっくり時間をとって眺めていたところを見ると、私たちってこういうのに特に興味を惹かれてしまうのでしょうか。
興味のある方は直接にこの修道院のサイトをご覧になると、この地獄の絵も出ています。こちら
この修道院に住んでいるという若い学生たち(アパートを借りるより安いので、修道院に部屋を借りる学生がいますが、門限は恐ろしく早い)が、おみやげコーナーで働いていました。私は3ユーロでお買い得という修道院についての本を買いましたが、ちょっと角が汚れていたらしく(私は気づかなかったほど小さいもの)、「ちょっと待ってください、取り替えます」と言って取り替えてくれました。こういうことは普段ほとんどないので、なんだかとても嬉しい気持ちになりました。
この修道院、毎年3月9日のみ一般公開されます。思い出したら、どうぞ。