あいあいのひとりごと

ローマ在住あいあいの暇つぶし日記。

ニューヨークへ 8 ~四日目後半 エンパイア・ステート・ビル~

2009-06-16 02:22:46 | 旅 ~イタリア国外~
                展望台からの素晴らしい夜景

エリス島訪問の後は、リトルイタリー(イタリア在住者としてはここは見ませんと)やチャイナタウンをぶらぶらしました。リトルイタリーは本当にリトルで、チャイナタウンの方はかなり巨大でした。ローマもチャイナタウン化しているところが拡大中で、中国人の力を感じますね。それに比べ、イタロアメリカンたちはやはりアメリカでもマイペースなんだろうなあ。イタリア料理のレストランや食材を売るお店が並び、サラミやらチーズやらの香りにイタリアを感じました。

エリス島移民博物館の見学で結構疲れていた私たちは、早々ホテルに戻ることにしました。夕食を食べに行くところを考えるのも面倒になっていたので、テイクアウトで済ますことにし、ホテルの近くのお店に入りました。和・洋・中華といった種類豊富な料理をセルフサービスで量り売りをしているお店でした。ダニィはどうもこういうのは慣れないのか、ベジタリアンクスクス料理とフルーツだけを取っていましたが、私はここぞとばかり、和・中華を中心に色々と混ぜて取りました。ただこれはバイキングではなかった。量はそんなにないように見えたのに、レジに行くと二人で30ドル。ダニィは絶対ごまかされたと言っていましたが、ニューヨークの物価だからこういうのこそ高いのかも。私たちのホテルDoubletree Metropolitanのとても近くの結構大きいお店です。いつもレジには中国人風のおじさんがいました。

さて、ホテルで30ユーロの夕食を済まし、リラックス~という気分になっていたところ、ダニィがエンパイア・ステート・ビルに行こうと言う。「今日はもう疲れた~」と言うと、「今日は天気がいいし、天気予報によると後半天気が怪しいから、今日を逃すべきじゃない」との意見。確かに夜景は天気がよくないと意味がない。でも疲れた。迷ってぐずぐずした挙句、やはり後で後悔したくないので「じゃあ、行こう」とコートを取ると、今度はダニィがリラックスモードに入っていました。今度は私が説得する番になりましたが、最終的には出かけました。

キングコングも登ったエンパイア・ステート・ビル。他にも色々な映画に登場しますね。ロックフェラービルの展望台の方が今は人気があるという噂もありますが、私たちはCityPassを購入してしまっていたのでこちらに。でも、世界貿易センターがなくなってしまってから、エンパイア・ステート・ビルがニューヨークで一番高いとどこかで読みました。

展望台へのビルの入り口の前にはたいした列はなく、な~んだ空いているじゃん、と思ったのも束の間。中に入ってからが長かった。まるでディズニーランドの目玉アトラクションのように、中に入ってからもぐるぐる、ぐるぐるとビルの中を列について歩き回されます。そしてやはり荷物検査場が現れて、あ~やっとか、と思うとこれも間違い。この後もまだかなりあります。ダニィはかなりご機嫌斜めで、途中でギブアップしたがりましたが、どうやって抜けるわけ?ということでなだめなだめ頑張らせました。2時間くらいかかったかな。

そのかいあって、100万ドルの夜景は素晴らしかったです。風が強くて少々寒かったけれど。(まだ3月でしたからね。)

                   


さて、この日のハイライトは私てきには次の事件です。並びに並んだ疲労困憊も素晴らしい夜景鑑賞に少々薄れてはいましたが、やはりこの晩私たちは十分疲れてはおりました。ではさてホテルに帰って寝るかと帰路のルートに向かうと、すぐにエレベーターにも乗れました。帰りは随分スムーズなものだと思ったときです。確か展望台は85階か86階あたりだったと思います。エレベータは一旦80階あたりで乗り換えるのですが、80階に着いたときにドアが開かないということが起きました。それでまた展望台の階に戻った方がと誰かがまたボタンを押し、上に上がっていきました。そこではドアは普通に開き、係りの人がいて、ではまた降りてくださいとドアが閉まりました。

で、80階まで降りたかどうかわかりませんが、またドアが開きません。今度は上にも上がりません。誰かが緊急ボタンを押し、「閉じ込められてます~」と連絡はとれたものの、それからしばらく恐怖の時間でした。エレベータの中は満員状態で、動き回れるスペースはありません。(少なくとも私は壁と人に挟まれる感じで、壁にもたれていた分楽だったと思います。)そして、このエレベータが80階までしか行かないようになっているのかどうかわかりませんが、ボタンは1階までありました。あ~もし、急に落下したら。そうでなくても、何時間もこの中にこの状態でいなきゃならなかったらと考えるとパニックします。そう思ったのは私だけではなかったでしょうね。

ダニィは意外と平然としていました。パニックするのが一番危険だからと冗談なんかを下手な英語で言っていました。一人アメリカ人の年配のおばさんも同じようにジョークを飛ばしてみたり、みんなにガムを配ったりと、こういうときは周囲がパニックしたらおしまいなのでそういう人は大きな助けですね。実際、かなり雰囲気が和らぎました。私はそれでも結構パニックしかけていて、心の中で他のことを考えよう、考えようとしてました。閉所恐怖症なわけじゃありませんが、かなり満員状態だったので、考えるとそんな症状が出てきそうでしたから。ダニィの隣にはイタリア人のカップルがいたのですが、男性の方は冷や汗を流していたと後になってダニィが笑ってました。(私もだったよ~。)私の近くには日本人女性らしい人が一人で不安そうにいましたが、私は声をかける余裕もなく・・・。

実際は10分程度のことだったのかもしれませんが長く感じましたね~。「こんなの初めての経験だし、80階に宙ぶらりんだったようなものだしね~」と話すと、ダニィは「初めてじゃないよ」と。ダニィの実家は5階なのですが、以前そこでエレベーターに閉じ込められたそう。確かにたかがマンションのエレベータでも、イタリアでは助けがすぐ来ない可能性が非常に高いし、土日なんかに当たってしまうと、「お気の毒ですが、月曜日まで伺えません」も冗談でなく起こりうる。

こういう話は後になればおみやげ話になりますが、ドアが開いた瞬間は「エレベーターはもうこりごり!」と1階まで階段で降りたいくらいでした。


子どものお祝い

2009-06-08 18:01:37 | ローマの平日
5月から6月にかけて小学校低学年あたりの年齢の子どもたちは「初聖体」という宗教上のお祝いがあります。7歳、8歳と位の子ども達が受けるという人もいますが、実際は10歳位までいるんじゃないかしら。「初聖体」とは幼児洗礼を受けた子ども達がカトリックの教えを勉強した後に、初めて聖餐式(パンをキリストの体、ワインをキリストの血として与えられるという儀式)に参加するもので、見た限りでは本人の子ども達そしてその親達にとっては一大イベントです。親子の意気込み度からすると、日本では七五三に当たるようなものかもしれません。

この時期になると、周囲でも「親戚の初聖体のお祝いがあってね・・・」といった話題をよく聞きます。そして私にも漏れなくその参加の機会がありました。ダニィの甥っ子のお祝いです。家族にもよるでしょうが、主人公の子ども達は親戚中からかなり素晴らしいプレゼントを受けます。最近ではこんな低年齢の子供達にパソコンのプレゼントなんていうのも普通のようで、親戚に子供の多い人は出費も馬鹿にならないでしょう。私達は本人の希望によりアメリカ旅行中に買ったNIKEの新モデルのスニーカーをプレゼントしました。パソコンやマウンテンバイクを要求するような甥っ子でなくて良かった。

さて、お祝いの本来の部分は教会での初聖餐式なわけで、親戚一同まずは教会に集合。他にこのお祝いを受ける子供達とその親戚一同も一緒です。結婚式に当たるほどフォーマルなお祝いだと聞いていて、何を着ていこうかと頭を悩ましたりしましたが、実際集まった人々は皆が皆正装ではありませんでした。日本でもそうでしょうが、こういうことはその家族によったり、教会の雰囲気にもよったりするもので、派手な人々が集まるところも確かにあるようです。

上の写真は子ども達の入場シーンです。男の子も女の子も白い衣装を身につけて得意気に入場してくる姿がかわいかったです。前方の席に着き、お祝いのミサが始まります。途中、神父が子供たちに勉強したことを質問する場面があったのですが、きちんと答えられる子と、とんでもない答えをする子がいて、フォローにつまった神父もなかなか微笑ましかったです。教会学校の先生をつとめていたらしい女性が目に涙を浮かべていました。彼女にとっても感慨深いイベントでしょうね。

教会の儀式が終わると、それぞれの家族・親戚一同はお祝いの食事会に予約したレストランに向かいます。こういったフォーマルな食事会はとにかく長い。今回は1時から始まり、終わったのは5時過ぎでした。メニューの量も多いことながら、時間をかけて食べさせられると満腹感が食事の中間あたりでやってきてしまい、最後の方は正直美味しさがわかりません。結婚式の披露宴なんかもそうですが。

やっとおしまいという段階になると、お祝いの時に配られるアーモンド菓子が登場します。お祝いの種類などによって、デザインや高価さなんかが変わります。今回は子供のお祝いらしくこんなかわいいものでした。

             
           
それで本当に終わりなわけですが、イタリアでは一人一人にお別れの挨拶をするので、これからがまた長い。運よくダニィもこの最後のだらだらが我慢ならないタイプで、皆にまとめてチャオ~と叫び、私たちは退散。

その国の伝統・習慣の類を体験するのは大変興味深いのですが、それにいつも伴う食事会は少々飽き飽き。親戚の集まりになると顔ぶれもいつも同じだし、いつもほとんど同じような会でしょ。頻繁にありすぎるのがいけない。来週末もダニィのいとこの娘の誕生日会の招待状がきています。日本でいとこの子供の誕生日にまで呼ばれたことないなあ。たまにはパスしたい。ダニィに一人で行って貰おう。


投票会場見学

2009-06-07 18:22:24 | ローマの平日
今週末はEU政府(というのかな)に各国から送られる代表議員さんの選挙があります。私は選挙権がないので関係ないのですが、夜10時までということなので仕事から帰宅してきたダニィについて散歩がてら行って来ました。

場所は日本のように学校の校舎が主なようです。行ったところは立派な建物の小学校でした。校舎内は廊下に色々な色の小さな椅子が片付けてあり、かわいいスモックがかかっていたり、壁には生徒たちの絵が並んでいて、厳つい建物の割りに中はかわいかったです。

投票する人は、選挙カードみたいなものを持っていきます。中に選挙をするたびにスタンプを押されるようになっています。そこに投票場の番号がかかれていて、校舎の中も番号別に分かれています。列も何もありませんでした。時間のせいかもしれませんが、私たちだけでした。受付のテーブルは、男性、女性と性別に受付がわかれていて、そこでカードの確認、サインなどをさせられるようです。

その後、仕切りのついた記入場所で記入し(こちらは選んだところに上からバツ印をつける。私たち日本人にはまるで「この人はだめ」という印に見えそうです)、そして投票用紙はガムテープで止められているだけの、上に投票口の開いた段ボール箱の投票箱に投票します。もちろん選挙用のイタリア政府のマークの入ったダンボールですけれど、金庫のような鍵つきの投票箱に慣れている私としては、随分簡素。

それに立会い人に人々って、私の母も一度やったことがありましたが、みんなきちんとした服装でまじめな顔で座ってたりするじゃないですか。昨日のはとんでもない、シャツにジーンズ風の若者がほとんどで、机の上に座ってしゃべっていたり、食べた後のピザの箱がぽんと机の上に隠すでもなく堂々と散らかっていたりして。

ダニィに鉛筆とかペンとかは記入所に置いてあるのかと聞くと、受付で渡されて終わったら返すのだそうです。そうでないと持って帰る人がいるでしょうね。

ダニィが投票カードを眺めながら、スタンプがいくつになったか数えている姿が、まるでスーパーのスタンプを数えているみたいで、商品は何がもらえるのかと聞いてみました。

足を箒で掃いてはいけません!

2009-06-05 07:39:19 | ローマの平日
ブログを開いて、新規投稿をクリックしたものの、眠くなってしまいました。
なので、短いお話。

この間のこと、モザイク教室での出来事です。
作業が終わり帰る前には、当然散らかした教室を片付けます。中にはちゃっかり何もしないで帰ってしまう人もいるんですけどね。
まあそういうことをすれば、皆から「あの人はね・・・」の対象にされてしまうわけで、それが一応まだ怖い私は正しく振舞うことになります。

で、皆で掃除をしていたところ、今年44歳になってしまったオールドミス(おっと失礼)のアンナが突然悲鳴を上げました。それも「やめてくれ~」といった感じ。
何があったかというと、いつも陽気で明るいペルー人のルーシーがせっせと箒で掃いていたのですが、どうも「どいてどいて」という風に、アンナの足を箒で掃いたらしい。

何をそんなに叫ぶ必要があるのかと聞きにいくと、「あなたはもうダンナがいるんだから関係ないわよ!」とのこと。
つまり足を箒で掃かれると結婚ができなくなるのだそうです。

どこでも結婚に関するタブーってあるんですね。
イタリアでは、掃除のときにシングルさんたちには近づかないことです。

近くにいたおじさんが「第二の意味」を教えてくれましたが、ちょっとお下品なので内緒。箒を表すイタリア語がヒントです。

このすぐ後、このアンナがガムテープを持ってきて、「ここ切ってくれる」と頼んできたので、「ここ?」と聞きながら切ろうとすると、「私の指を切りさえしなければいいから」と言うので、「ハサミで指を切られても、結婚できなくなるの?」と聞いたら、案の定怒られました。

言葉にも要注意です。


ニューヨークへ 7 ~四日目 エリス島~

2009-06-01 00:59:23 | 旅 ~イタリア国外~
               エリス島移民博物館

この日の朝食はパンケーキと決めていました。もちろんダニィは自分の朝食をホテルで済ませていたけれど、アメリカに来たからには一度はパンケーキを食べないと。グラン・セントラル駅の観光案内所に行く用事があったで、そこでついでにどこでおいしいパンケーキが食べられるか訊ねると、一番近い出口を出てすぐ前にあるレストランを勧められました。

確かにアメリカン・ブレックファーストが売りのお店でありました。パンケーキメニューはフルーツ付きだとか、生クリーム付きだとかいくつか種類もありましたが、私は一番シンプルなメープルシロップ(14ドル)のを注文しました。ダニィはオレンジジュースのみ。
やってきたのは巨大なパンケーキが3枚に、気持ばかりのブルーベリーの実が数個お皿を飾っていました。シロップが別に運ばれてきましたが、何か足りない。そうです、バターが見当たらないのです。とろりと溶けたバターの上にシロップをかける、私のイメージのパンケーキはこういうものです。頼むとこれまた必要以上に大きなバターがやってきました。
味は・・・残念ながら期待レベルに届きませんでした。大きすぎて途中で苦しくなりました。本日のランチは無しだな。

さて、CityPassの2番目のアトラクションはCircle Lineのマンハッタンクルーズか自由の女神とエリス島を訪ねるというもの。ダニィは2時間のマンハッタンクルーズを考えていたようですが、かなり昔のこと、私はそれをやったことがありました。マンハッタン島をフェリーで一周するというものでしたが、覚えているのは途中で飽きたということ。当時、私は語学研修での滞在中で、フェリーの上でクラスメートと宿題をしていました。もちろんダニィが希望するならもう一度行ってもよかったのですが、絶対にエリス島の移民博物館の方が興味深く、ダニィも確かにそちらも捨てがたくなったようですんなり決定。

フェリー乗り場は「グランドゼロ」の世界貿易センタービル跡からさらに(地図で見ると)下の方に進んだBattery Parkにあります。自由の女神のある島へは無料のフェリーも出ているのですが、なんとも凄い長蛇の列でした。私たちはパスがあるのにも係わらず、パス持ちの人の列も凄くて、結局1時間近くは待ったように思います。乗り場の入り口に着いたかと思うと、空港の手荷物検査のようなところに出ました。ここでまた靴まで脱がされる検査があって、やっとフェリーに乗れるというわけです。きっともう少し前まではもっともっと厳しかったに違いありません。

フェリーの上は世界各国の観光客でいっぱいでした。私たちの後ろには日本人の親子が二組(お母さんと子供たち)いて、お母さんたちの会話は共通の知人の噂話のようでした。「なになにちゃんは、どこどこの有名私立に合格したらしいわ」「あそこは上の息子さんも東大なんですって」「なになにさんのところはマニラに転勤になったんだそうよ」・・・日本人マンマ達は自由の女神像が近づいてきても関心がないみたい。

よくあることですが、テレビでも写真でも何百回と見ている有名なものは、なぜか実物よりも大きいサイズを期待してしまいますね。自由の女神もやはりそんな感じ。(ちなみに今までの旅行で一番がっかりした所はスペインのアルハンブラ宮殿でした。)自由の女神像に登るのも別に・・・という感じだった私たちはそのままフェリーを降りず、エリス島に直行。90%の人は降りてました。

そして、これは正解でした。エリス島の移民博物館は本当に面白かったです。私には今回のニューヨーク滞在で一番興味深いスポットでした。

                

このエリス島は、1892年から1954年までの間、新しい生活に夢を抱いてやってきた移民たちのアメリカへの玄関口でした。移民局だった建物が修復され、アメリカの移民の歴史を様々な形で保存・紹介する博物館となりました。建物自体も展示の一つなわけで、長旅を終えて疲れた移民たちがすぐに入国のための検査や手続きをここで受けたと思うと感慨深いものです。

先にアメリカに到着した移民たちが家族を呼び寄せ、久し振りの再会に抱き合う部屋がKissing Pointと呼ばれ、幸せな場面の写真が並ぶ一方で、体の具合の悪い人や行動のおかしな人が、検査官である医師たちに更なる検査へと洋服の上にじかにマークをつけられている写真、なんらかの理由で入国を許されず、家族と別れ離れなる人々の写真など悲しい場面の写真が多いような印象でした。戦争時の捕虜などとは違うわけで、酷い扱いを受けていたわけではいのでしょうが、写真に写る人々の不安顔は、なんだか違法入国者の収容所を思わされます。それでも、大部分の人は入国を許可され、そこから広大なアメリカの様々な地に移動していったのです。今のアメリカ国民の40%の祖先がこのエリス島を経由してアメリカにやってきたというから凄い。

博物館は、移民局についての展示、移民たちについての展示、移民後の新しい生活についても紹介しています。日本にはこういう歴史がないだけに興味深いですね。言葉や文化の違う人々が集まり、一つの大きな国を作っていったわけですよね。凄いことです。
このエリス島移民博物館はお薦め☆☆☆☆☆
まるで映画のシーンのような写真がたくさん見られますよ。

               
          9月11日の同時多発テロ事件のメモリアルモニュメント
          跡地に残っていたものを移転したとのこと。
          (Battery Parkにて)