あいあいのひとりごと

ローマ在住あいあいの暇つぶし日記。

避難訓練イタリア~ノ

2009-04-24 02:34:21 | ローマの平日
私の通っているモザイク教室は普通の公立の学校の校舎内です。他の階には小学生の高学年か中学生かという年齢辺りの子供たちがいるようですが、大勢でいるところは今まで見たことがありませんでした。私は午後のクラスに通っているのですが、今日はたまたま午前中のクラスに参加させてもらったところ、なんと避難訓練なるものがありました。

イタリアにもちゃんと避難訓練があるのかと安心しましたが、きっとこの間の地震の影響かもしれませんね。でも設定はどうやら火災ということらしい。10時半に火災報知機が鳴るので全員外に出よとのこと。ところが10時半になっても何の兆しもなく、その後二度も普通の学校のチャイムが紛らわしく鳴り、中にはもう終わったらしいよという人も出ていたくらいで、結局はやらないんで終わるんだろうなあと思ってました。

そして11時半近くになってやっと、それらしき長めの音が鳴り響き、先生達が「皆さん、外に出てください」と促してきたので、重い腰をあげ外に出ました。私の頭にまず浮かんだことは、こんなときに荷物を置いていったら絶対泥棒が現れる。そこで鞄を抱え外に出ました。

私は校舎の裏庭に出たのですが、列に並んで点呼でもするのかなと思ったら、何も起こらない。モザイク教室組は普通の学校の生徒ではないので省略するにしても、生徒達は普通にじゃれあって遊んでいるだけ、先生たちはおしゃべり、中には煙草を吸っている先生もいました。唖然。そして5分ほどで「中に戻りましょう」とそれだけの避難訓練でありました。意味ないよ~。

私はベネズエラ人の女の子と一緒にいたのですが、彼女の国でもちゃんと列を作って、全員いるか確認するところまでやると言っていました。基本ですよね。これをしなきゃ意味がない。

避難訓練もやはりイタリア版でありました。今回の地震もどこまで教訓になってくれるのか・・・。そしてこういうことに対して誰も疑問をもたないことが一番不安だと思うのです。




ローマは2762歳

2009-04-24 00:29:40 | ローマの休日
4月21日はローマの誕生日。伝説によると紀元前753年4月21日にRomolo(日本語ではロムルスと呼ばれているようですね。伝説についてはWikipediaでご覧ください)によってローマは建てられました。ということで今年は2762歳。去年まではこれといって大きなイベントがなく、ローマの誕生日を知らぬままきましたが、今年は市長が変わったせいか、"Natale di Roma"を祝してローマ市企画の大きなイベントが19日~21日に催されました。コンサートや歴史に関する様々な催しが開かれていたようです。

ダニィは19日の朝に、古代ローマの皇帝やグラディエーターなどに扮した人々のパレードを見に行きましたが、私は寝過ごして見のがしてしまいました(後悔!)。外国からの参加者もいて、かなり大きなパレードだったようです。友人情報によると、グラディエーターたちの闘いショーもあったはずとのことです。見たかった。

私は夜、フォロ・ロマーノの遺跡群に照明が灯されるというので見に行きました。9時半頃よりForo Traianoの遺跡のところに上の写真のように映像が映され、照明が灯された遺跡が一つ一つ映されていきました。実際、期待していたほどのものではなく、かなりいた観客の拍手も小さくて、私も少々がっかりだったのですが、その後のイベントは楽しかったです。

というのも、Foro Traianoの遺跡を背景に、ローマ2762年の歴史が映画のシーンなどを通して映し出され、生のピアノ演奏と女性歌手の美しい歌声、ダンサー達のショーもあり、なかなかスペクタクルな演出でした。もちろん戦争の時代もあったわけで、ムッソリーニの場面はどうもブーイングだったらしいですけど。映画「ローマの休日」のシーンはいつ見ても美しいですね。これをイメージにローマにやってくる人もきっと多いですよね。そして、必ず登場するのがサッカーのシーン。イタリアが優勝したときの映像なのですが、ローマとは関係ないのでは???

        
    こんな感じに映像が映されました。その前で実際に人が演技もしています。
    建物の壁に映し出される映像は、映画「ニューシネマパラダイス」のようで、
    イタリアっぽいかな。

イベント後、フォロ・ロマーノのイルミネーションを見て帰りました。もっと派手になのかなと期待していましたが、意外と寂しい。

 

他にも様々なイベントがあったようで、怠けていた私はちょっと後悔。

そうそう4月18日から26日まではイタリアの文化週間で、美術館や博物館が入場無料です。やはり無料でガイドと一緒に文化遺産に親しむコースも企画されたりしています。この機会を利用しないのは、損、損。

私はFori Imperialiのガイドつきコースに参加しました。観光客や車の往来もあって、ガイドの声が聞きづらかったのが残念でしたが、一つ印象に残ったのは、コロッセオは見えている部分の他に地下25メートルほどの基盤が作られているそうなのですが、それを含めたった7年間の月日で完成されたというから、当時の人々はかなり有能。もともとローマには地下鉄はA線とB線の2線しかありませんが、今建設中のC線はもしかするとコロッセオより時間がかかるんじゃないかしら。もう建設開始から3、4年経っていると思うんですけど!?

イタリアの復活祭

2009-04-13 07:11:24 | ローマの平日
今年は今日4月12日が復活祭、日本ではイースターの方が聞きなれているかしら。イタリアではパスクワ(Pasqua)と言います。キリストが十字架にかけられて三日目によみがえったことを記念する日です。毎年その日付が変わるのは知っていましたが、何度説明されてもこの日の決まり方がよくわからないので調べてみました。「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」ということだそう。今朝は朝からテレビのRAI1ではサンピエトロ寺院のローマ法王によるミサのようすが中継されていました。やはり国と宗教がしっかり密接されているんだなって感じます。

小学校の時プロテスタントの学校に通っていましたが、イースターはゆで卵に色々な色で模様を書くという行事でした。その後殻を割ると、中にも色が付いたりして、食べて大丈夫かなと思ったりしたものです。アメリカでは、隠されている卵を子供たちが探すというゲームをするみたいですね。ヨーロッパはイタリアとイギリスしか知りませんが、本物の卵はかなり脇役で、卵型のチョコレートを贈りあうっていうのが習慣のようですね。ウサギ型のチョコも見ますね。なぜでしょう。イタリアにはゆで卵が丸ごと埋め込まれているパンのようなものはあります。やはり本来は本物の卵が主役だったのでしょう。

さて、イタリアでのこれまでのイースター体験で私として理解したことを今回はお話します。もちろん信者の方々にはもっと細かい行事があると思います。

このイースターの日が来るまでに、Quaresima、日本語では四旬節と呼ばれている信者にとっては節制をするという期間があります。要はキリストの受けた苦しみを分かち合うというものだと思います。肉や乳製品を食べてはいけないなどの決まりがあるようですが、元々肉を食べない人には犠牲にもならないわけで、周囲を見ていると自分の好きなものを断っているらしい。ワインの好きなダニィのパパはワインを飲まないとのことでした。

その四旬節に入る前には食べだめをしておくかのようにカーニバルでドンちゃん騒ぎをするのが習慣のようですね。実際に節制をしない人々もカーニバルだけは参加するみたい。そのカーニバルは一週間くらい続いていたように思いました。いつからいつまでかと聞いてもわかる人が周囲にいなくて、楽しむ期間はそれぞれ勝手に決まるものかな。その期間は子供たちが色々な格好に扮装して、コリアンドリとか言う紙吹雪を蒔きながら歩いている姿をよく見かけます。扮装グッズは買うんですよ、親は毎年大変ですね。

そして先日ちょっと紹介した、地区の教会の神父の家庭訪問というのがあります。今年は私は留守をしていましたが、ダニィはやってきた神父と一緒にお祈りし、聖水を蒔いて家の中を祝福してもらったとの話でした。短期間の滞在でしたが、トラステベレ地区にいたときに、好奇心で神父が来る時間帯に家で待機していました。神父は同居人の部屋の方に先に行き、同居人はお祈りなどを読まされたりしていたようですが、私には「カトリック信者か」と聞くので、「母はそうですけど、私は洗礼を受けていたりはしません」と答えると、マリア像の絵の裏にお祈りの書かれてカードのようなもの(母は「ごえい」と呼んでいますが、どういういう字なのでしょう、「御影」かな?)を渡され、それだけで終わりました。

そして、復活祭の一つ前の日曜日に「枝の祝日」というのがあります。教会ではオリーブの枝が配られます。イタリア語では棕櫚の日曜日というので、本来はヤシであるべきなんじゃないかと思うのですが、いつも見るのがオリーブの枝です。「お母さんに送ったら」とダニィも貰ってきてくれましたが、まだ家にあります・・・(ごめんなさい)。

次に来るのは復活祭の前の聖金曜日。ローマでは法王がコロッセオの前の広場で「十字架の道行き」(キリストの受難の14の場面を辿るというもの)を行います。私は5年ほど前に見に行きました。世界中から多くの人々がこのためにやってくるとかで、とにかくものすごい人でしたよ。ライトアップされたコロッセオを背景に多くの人々がローソクを掲げてお祈りをしているわけで、初めての私にはかなりスペクタクルでした。また行ってみたいなと思いつつ、その後は毎年テレビのニュースでちらりと拝見するだけになりました。ローマっ子のダニィは一度も行ったことがないというから、地元の人にはそんなものなのかもしれません。

そして当日の日曜日。信者の方々は別として、一般的には他の行事と同じく、家族・親戚でテーブルを囲む日になるわけです。朝食を共にするのが本来のやり方と聞きました。普段はコーヒーと甘いクロワッサンぐらいのイタリアの朝食も、この日だけは甘くないものも食べるようです。ハムだとかチーズだとか、そして当然卵。実際はランチを共にする家庭が多いんでしょうね。この日は子羊の肉料理を食べるのが伝統だそうです。
そうそうイースターのお菓子を忘れていました。コロンバという鳩の形をした、味はというとクリスマスの時のパネトーネに似た感じのお菓子です。卵型のチョコのお菓子は中が空洞になっていて、プレゼントが入っていたりします。中身によってびっくりするくらいに高いものもありますよ。受け取るのは子供たちがメインですが、大人同士も交換します。

私たちは、ダニィが今日も仕事なのと、姪っ子たちもどこかに旅行中のようで、今年の復活祭は特に集まりがありませんでした。私としてはちょっとほっとしたのが正直なところです。イタリアってホント家族行事が多いものですから。
私たちがしたのは昨日ネットで見つけたジェラート屋に行ったくらい。これがちょっと面白いジェラート屋でしたので、改めてご紹介したいと思います。

明日はPasquettaといって名前からすると「小復活祭?」なのですが国の祝日です。大概の人々は三連休になるので、遠出をする人々も多いですね。道路の渋滞の様子などがテレビに映されています。友人に月曜日は何を祝う日なのかと聞いてみたら、「ピクニックをする日」だとの返事でした。ダニィに話したら、「そうそう」との返事でした。よくわからん・・・。


ニューヨークへ 4 ~第二日目 前半~

2009-04-10 23:24:49 | 旅 ~イタリア国外~
         ロックフェラーセンター前のスケートリンク

ダニィは常日頃から早起きですが、旅行中は特に時間が惜しいと、早く出かけたがります。私は休暇はのんびりも(かなり)嫌じゃないのですが、お互いに譲り合うということで、9時半には遅くともホテルを出ることになります。イタリア人は朝食に甘いものしか食べない人が大半らしいのですが、ビスケットにさらにジャムやらヌテッラ(チョコレートクリームのようなもの)を塗りたくって食べるのは、私には朝からおやつ?に見えます。またイタリアのコーヒーに誇りを持っているせいか、外国でのコーヒーはまずくて飲むべきでないと思っています。イタリアのコーヒーがおいしいのは認めますが、こういう態度では知らないおいしい物を口にしないで損をしているのだというのが私の意見ですけれど。

おまけにダニィはバター入りのビスケットなどは食べない。自然食派なのは構わないけれど、荷物の半分が自然食スーパーからのビスケットやらお菓子なのも呆れますね。日本人にもインスタント味噌汁やご飯を持参する人がいるのと同じなのでしょうけれど。そこで私が身支度中にダニィはそれを取り出して本人の朝食を、テレビでスポーツニュース(アメリカはサッカー国でないので、もっぱらバスケットボール)を見ながら済ますのです。

私は折角アメリカにいるのだから、メイプルシロップとバターたっぷりのパンケーキが食べたい。スクランブルエッグにかりかりのベーコンもいいなあと思っているわけです。そういうことは尊重はしてくれますが、一人で食べるのもちょっと味けないです、正直のところ。この朝はぶらぶら歩いている途中で入ったお店で、シナモンロールとオレンジジュースで済ませました。アメリカは何でもサイズが大きくて、一生懸命食べ終える感覚ですね。それでもイタリアでこういうシナモンロールを見つけることも難しいのでおいしかったです。相変わらずダニィからは「一体それは何?」の不審な視線です。

私は地図派ですが、ダニエーレは感覚派で地図が読めません。何も考えずに付いていくと、結局どこにも着きません。ヨーロッパでは結構それでもなんとかなるのですが、どうもアメリカは東京に近い感じで、私が地図を見て行かないと目的地に付かないというのが私の主張でした。それでも朝食の後、偶然にGrand Central Terminalというニューヨークの中央駅に着きました。

      

大変立派な駅でした。載せたい部分の写真がなんだか真っ暗に撮れていて載せられませんが、映画で何度も見たことのあるような駅でした。イタリア移民のマフィア達が打ち合いをしそうな雰囲気。

         ポストも派手。

駅を出て歩いていくと、Fifth Avenue、そうですブランドショップ街のニューヨークの5番街に突き当たりました。なんとなく通りに沿って歩いていくと、ゴシック建築の立派な教会の前に出ました。

         St.Patrick's Cathedral

アメリカで一番重要なカトリックの教会だそうです。

    

イタリアにいるような錯覚を覚えそうな大きな教会でした。ステンドグラスが素晴らしい。アイルランドの守護聖人である聖パトリックの教会なのは、やはりアイルランドからの移民が多いのかしら?

5番街を反対側に渡るとすぐにロックフェラーセンタービルがあります。冒頭の写真のスケートリンクはテレビでもよくみかけるニューヨークの有名スポットですが、よくあることですが想像ではもっと大きいはずでした。ローマのトレビの泉の前のように観光客が大勢写真撮影をしていました。スケートをしている人はほとんどがバック方向に滑れたり、回転ができてしまうような上級の方々でしたよ。確かに上から多くの観光客の目が注ぐわけだからなんとも納得。一人日本人らしいスケーターがいて、素晴らしい滑りに注目を集めていました。

         

ロックフェラーセンタービルの展望階からの眺めはエンパイアーステートビルからの眺めよりも素晴らしいと聞きました。Top of the Rockとかそんな風に呼ばれているみたいです。ビルの入り口の前付近にチケット売り場らしきものがありました。27ドルくらいすると思います。私たちはニューヨークの観光パスを買うことにしていたので、エンパイアーステートビルに行くことになるのですが。
入り口を入ってすぐの受付のデスクにちょっとしたパンフレットがあって、ロックフェラーセンター付近の説明を読むことができます(日本語有り)。

        

ロックフェラーセンターのある広場の隣の通りにはラジオ・シティ・ミュージックホールがあります。ネオンの横に人影があるのがわかりますか?

       

拡大してみましょう。人が歌いながら踊っていました。どうやらミュージックビデオでも撮っていたらしいです。警察官が「立ち止まらずに歩き続けてください」と立ち止まって写真を撮りたい人々を促していました。

ダニィのお父さんは若き頃ニューヨークでレストランのウェイターをしていたことがあるそうです。かれこれ50年ほど前のことです。それでも若き時にいたところが、今はどんなところになっているのか知りたいものですよね。働いていたレストランのある住所と、そのころ通っていた近くの教会の名前を渡され、写真を撮ってくるように頼まれました。ブロードウェイに近い4番街です。残念ながらレストランはもうありませんでしたが、名前だけで探した教会の方は見つけました。教会の方は当時とかわらないじゃないかなあという雰囲気をだしていましたが、ニューヨーク自体は50年前とはかなりの様変わりでしょうね。少なくても教会が見つけられて良かった。

結構歩いた私たち。あまりお腹の空かないダニィも何かが食べたいそう。実はロックフェラーセンターの近くにラーメン屋を見つけていました。肉を食べないダニィは食べられないはずなのに、外国人にもうけうけのラーメンを一度は試したいという願望があったのです。野菜ラーメンならスープだけに肉を使っているわけだからと自分で納得して、ランチはラーメンとなりました。まあまあ美味しかったですよ。名前も住所も覚えていませんが、ロックフェラーセンターの近く、多分49St沿いだったように思います。隣に別の日本食屋もありました。ニューヨークには日本料理のお店が驚くほどたくさんあります。イタリア料理やフランス料理などのように、日本料理も世界のメイン料理の一つになっているのですね。今日はJapaneseにするか、なんて感覚なのでしょう。


3月の祭りと言えば・・・(後編)

2009-04-10 18:00:41 | ローマの休日
これから地震でお亡くなりになられた方々の国葬が始まろうとしている様子をテレビで中継しています。並べられたたくさんの棺(本当にたくさんです)を見ると本当に心が痛みます。ご冥福をお祈り申し上げます。

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さて、前回の続きですが、Fonte Colomboからもそんなに離れていないところにGreccioという小さな町があります。ここにも聖フランチェスコが住んでいたというところがあります。


Il santuario di Greccio

ここが特に有名なのは、1223年のクリスマスに聖フランチェスコが始めてキリストの降誕シーンを(私の間違いでなければ)人々を使って等身大で再現し、それがプレゼピオの始まりとなったことです。
これがそれが行われたというチャペルです。



ここには今はモダンで立派な教会がありますが(聖フランチェスコが居た当時はほとんど洞窟に近いところだったと思いますよ)、教会の2階にプレゼピオの博物館があります。各国からのプレゼピオが展示されていてなかなか興味深いです。日本のもありましたが、お雛さま風で、日本風ならいいと誰かが作っておいたのでは?と思ってしまいました。

 
昔の修道院の跡


聖フランチェスコが寝ていた部屋。伝説では、地面に直接に寝ていた病気の聖フランチェスコに快適な寝床と布団が運ばれ、そこに寝たとたんに病気が悪化し、もだえ苦しみだします。その寝床を取り除き、以前のように寝苦しい状態に戻したとたんに病気が回復します。聖フランチェスコ会では、今でも清貧が規則です。快適な寝床=悪魔の誘惑なわけだったんですね。

Greccioの隣町、というか村かしら?に立ち寄りました。



ちょっと淋しい・・・

帰り道の夕焼けが素晴らしかった。私のカメラでは素晴らしさが表せず残念。




この後渋滞が酷くて、この晩映画の試写会に行く予定のあったダニィはもうイライラ。こういうときは寝たふりに限るのです。

3月のイベントというか、お祭りではありませんが、イースターの前の四旬節の始まりかな(詳しくはわかりませんが)、その地区の教会の神父の家庭訪問があります。どこの地区でもというわけではなさそうですが、前に住んでいたTrastevereでもありました。神父が来て、聖水を家の中にまき、一緒にお祈りをするというものです。この晩、家に到着すると、そのお知らせがうちの建物の入り口に貼ってありました。


当日は私は家にいませんでしたが、ダニィが在宅で本当に来たよと言ってました。ただ献金集めかなというそんな疑問も起こらないわけでもありませんが。

3月の祭りと言えば・・・(前編)

2009-04-09 21:07:49 | ローマの休日
先月に載せようと思っていた写真が残っていたので、今回はニューヨーク編の合間ですが、他の話題です。

日本の3月のお祭りと言えば、「雛祭り」ですよね。私がちょっとアルバイトさせていただいている日本文化会館でも立派なお雛さまが飾られました。(写真がなく残念。)私は日本から文化交流用にでも使えるかなと持ってきていたこけしのお雛さまがあったので出してみました。小さいけれど、ちょっと気分が変わる?




ところでイタリアの3月は8日にFesta della donna、つまり女性の日というのがあります。ミモザの花を女性に贈るのだそうです。お菓子やさんには、黄色いミモザケーキが並び、他のお菓子にもミモザの花が添えられて、どうも商業的になりがちですね。ダニィも買い物に出たついでに、小さなミモザの花束を持って帰ってきました。

 ミモザの黄色い花

この日は公立の博物館・美術館等は女性は入場が無料でしたが、ダニィも仕事が休みでしたので、車で遠足にでかけることになりました。空気はまだ冷たかったけれど天気は快晴。

ローマのあるLazio州Rieti県にアッシジの聖フランチェスコが滞在していた足跡の残るところが巡礼地になっています。地震の被災地であるL'Aquilaからもあまり遠くないところです。山間部で自然が広がる美しい地域です。

ローマから外に向かう日曜日の道路は、東京の近郊と同じくや渋滞。予想よりも時間がかかり、まずは腹が減っては・・・で昼食に向かう。田舎の田舎の村の唯一のレストランかというところで食べました。私はトリュフソースのパスタ、まあまあかな。特別という感じではありませんでした。折角なのでデザートにミモザケーキをとりましたが、これはう~ん、失敗。
それでもレストランから見えるTerminillo山の眺めは素晴らしかったです。




Lazio州にもスキーのできる山があるのですね。

レストランのある丘の上から少し下ったところに、早速聖フランチェスコのゆかりの地がありました。


Il santuario di Fonte Colombo

聖フランチェスコが居た頃は、こんな教会があったわけではありません。洞窟のようなところで、瞑想、祈り、神との対話をしていたのです。このFonte Colomboは聖フランチェスコが、神からフランチェスコ会の規則となる内容を聞いた所として知られています。

 
洞窟跡

聖フランチェスコは目の病気を患っていました。眼科医として有名だった医者がやってきて治療をしたという場所もありました。治療法は激痛をともなうもの(間違えでなければ、沸騰した油のようなものを使う)で、大概の人は逃げてしまうというものでしたが、聖フランチェスコはその痛みを感じなかったという伝説が残っています。これがその部屋です。



瞑想にはもってこいのような静かな山の中の修道院でした。この後、プレゼピオ(キリスト降誕の場面を作ったもの)の発祥の地を訪ねます。(続編へどうぞ)

ニューヨークへ 3 ~第一夜~

2009-04-09 02:21:03 | 旅 ~イタリア国外~

今回私たちが予約したホテルは、Lexington Avenueと51st Streetの角にあるヒルトンホテル系のDoubletree Metropolitanという三ツ星半というクラスのホテルです。(写真はホテルとは関係ありません。)ジャマイカステーションから地下鉄E線に乗って、一時間弱くらいだったと思います。E線の駅は54stでしたが、3ブロックくらいは近いものです。マンハッタン島の中央辺りにあって、どこに行くのにも便利な最高のロケーションにありました。他の地下鉄の線も近くを通っている上に、地下鉄6番の駅はまさにホテルを出たところです。

20階ほどある高層のホテルでした。ロビーにはJALでしょうか、日本人の飛行機の乗務員のブループがいて、彼らの常用のホテルなんでしょうね。他の日にもやはり他の航空会社の人たちがいましたよ。私たちに与えられた部屋は6階。チョコチップクッキー2枚のプレゼントがありました。アメリカに行かれた方ならわかると思いますが、大きめで半分に割ろうとすると、ぱきっと割れるのではなく、ふにゃっと曲がる柔らかいタイプのクッキーです。イタリアは硬いタイプばかりなので、ダニィには変な感じだったようです。感想は「甘すぎ」とのことでした。

ところで、いつもホテルを決める際に、Tripadvisorなどで泊まったことのある人々の評価などを確認するのですが、一人日本人の方が個人ブログであまり良いことを書いておられませんでした。その方以外は悪くない評価でしたので、きっといつも四ツ星、五ツ星級のホテルに滞在される方だったのかもしれませんね。

あっ、そうそうその頃、日本のかイタリアのか忘れましたが、Yahooのメインのページで「世界の最悪ホテル」なんていうのをたまたま見つけ、お、おっそろしいと思ったら、たまたまテレビのバラエティ番組でも機械や薬品を持ってホテルの部屋の清掃状況を調べるというのをやっていて・・・こういうのは見るものではありませんよ。外泊が二度と出来なくなる人もいるかも。たとえ5ツ星ホテルで一見は素晴らしい部屋でも、特殊な機械や薬を使うと恐ろしいものがかなり見つかるんです。良く考えれば、ベッドカバーなんて毎日洗うわけないし、椅子やソファーにしたって、どんな染みがついたままかわからないですよね。シーツなどはクリーニングに出しているだろうから、シーツの中にすっぽり入って他のものは触らない、これがテレビ番組から理解したことです。

その点で、このニューヨークのホテルはよかったです。掛け布団がすっぽり布団カバー型のシーツに包まれていて、ベッドカバーなんかもなく、足元の方に飾り目的なのかテーブルセンターのような長い布がかけられているだけでしたから。なので、ベッドは一見シーツだけなのですが、清潔感があります。

さて、お部屋はアメリカにしては狭いなあというのが第一印象でした。ホテルの正規料金ではなく、特別オファー料金だったりすると、ラッキーと思うのは早いということですね。ホテルの中でもそれなりのお部屋が与えられるかもしれないということです。アメニティはしっかりしていて、テレビも大きかったのですが、ベッドはセミダブルというのだと思います・・・小さい!これが私には特にがっかりでした。おまけに常に何か機械の作動しているような騒音があって、機械室に近いんでしょうね。ダニィにはこの音が耐え難かったようです。おまけにダニィがベッドサイドのランプのスイッチを入れた途端、ベッドの反対側にいた私にまで電気がビビッと走り、スイッチを入れていないスタンドの方まで一瞬電気がついたんです。こんな体験始めてです。

それでも疲れているときは、もう何でも同じって気分になるもの。クレームは明日、一旦は寝ることにしたわけですが・・・
なんと電気を消すやいなや、今度は火災報知器がなりました。なんてこと・・・イタリア人ダニィは、習慣ですぐに誤作動と思い込んでしまうのか、平然と寝る体勢。アメリカは違うかもしれないと考えてよと思いましたが、仕方が無い、私が廊下をパジャマで確認。他のお客さん方も廊下に顔を出していましたね。(これが普通でしょ!)しばらくするとアナウンスがありましたが、なんだかよくわからない。待っていると制服・セキュリティ腕章の方がトランシーバを片手にやってきました。何があったか結局わかりませんでしたが、"You can go back to your room."と言われました。

初日からなんと楽しい。

翌日のクレームは大成功。変えてもらった部屋は、キングサイズのベッドにバスルームも倍の広さ。かなりのレベルアップで、満足満足。クレームはするものですね~。なかなかお薦めのホテルです。フロントの人たちは一見怖そうですが。

ニューヨークへ 2 ~ローマ->ダブリン->NYC~

2009-04-08 00:46:21 | 旅 ~イタリア国外~
                NY・エリス アイランドより

最近はオンラインチェックインというのがあるので楽ですね。空港へも荷物がある場合でも1時間前に行けばいいらしい。今回のエアリングスもオンラインチェックインが可能でしたが、ローマ・ダブリン間の座席指定は有料でした。それに座席によって料金も違う。ダブリンまではそんなに遠くないので、どんな席でも我慢しようということに。(ケチか?)搭乗券まで自分でプリントアウトするのですから、ホントにこれでいいの?と初めてのときは心配になりましたが、私はこれで2回目。便利になったものです。

さて、当日は荷物のチェックインのため、エアリングスのカウンターまで行くと、どうもカウンターの人の方がまだオンラインチェックインのことがよくわかってないらしく、再度搭乗券を発券されました。おまけにダブリン・ニューヨーク間はできませんよ、だと。私たちはもうネットでそこもチェックインしたんだってば~と思いましたが、イタリア人と議論しても時間の無駄。

飛行機はまさにアイルランドという、緑・緑・緑にクローバー。客室乗務員の方々も、全身緑・緑・緑でありました。席は残念ながら3人席の窓と真ん中。私は窓席に座りましたが、座った途端に(あ~閉所恐怖症というのはこういうのか~)というような窒息しそうな感じになり、(落ち着け、落ち着け、他のことを考えよう)としているうちに落ち着きました。やはり通路側でないと苦しいのですが、これも脳からの指令なので、コントロールできれば大丈夫なはずなのです。

ローマ・ダブリン間くらいの距離では、飲み物サービスもないのですね。今回もそうでしたが、昨年スペインに行った時も全て有料でした。たとえ特別なものでなくても、退屈な飛行機の中では飲み物などが運ばれているのは楽しみだったりするんですけどね。

ダブリンの空港では、飛行機からは階段で地上に降り、建物まで数百メートル歩くという形でしたが、外の空気に触れた途端に農場のような臭いがしました。つまり動物の糞の臭い!?国によって入国したときに感じる臭いってあるんですけれど、アイルランドはこの臭いになってしまうのか。もともと自然いっぱいのアイルランドというイメージはありましたが、まさに自然の香りでありました。

ダブリンの空港は地方都市の空港というような小さな空港でした。乗り換えるのにどこに行ったらいいのかが大変わかりづらい空港で、目的のターミナルに行く間に通るところが、なんだか公共の役場ような狭いくねくね廊下を、一体本当にこんなところ通っていいの?と思いながら通過するんです。その後乗り換えだけなのに、パスポート審査まであります。EUの国民とそれ以外では窓口が違うので、いつも私の方が時間がかかるわけですが、ここでは私しかいないのにも係わらず、私のパスポートを見ながら係りの人はどこかに電話をかけている。何が問題なのか全然わからないのですが、電話の相手がいなかったようで、結局スタンプをポンと押されて無事通過。ダニィには「女性の係りのところには行かないほうがいい。女性の方がだいたい意地悪だからね」と。そうなのかな?ローマではそうだけど。

ターミナルに入ると小さいけれどお店は結構あって、外国にやってきたという気分になりました。それに英語圏は久し振り。イタリアには無いマフィンやらケーキなんかが並んでいて誘惑が襲う。

ニューヨーク行きの飛行機も乗務員もやはり緑づくしでしたが、機内は紺色で落ち着きます。今度は通路側でほっと一息。機内雑誌にスナックの値段表が付いていたりしたので、長距離でも食事でないの?と絶望感になりかけましたが、ちゃんと食事は出ました。チキンとビーフからの選択で、肉を食べないダニィはパンとサラダだけ。というわけで、メインとサラダとパンとデザートのケーキという内容。チョコレートがついていたかも。ミント入りのイギリスでも良く出るタイプのチョコです。私はチキンを選びましたが、ニンジンやジャガイモとの野菜煮みたいなのにご飯がついていました。味は・・・前回の旅行の英国航空のほうがよかったな。

映画も音楽の種類も結構ありました。ゲームは私は苦手なのでよくわかりませんが、種類はかなりあるようでしたよ。
世界地図で見るとヨーロッパからアメリカ東海岸は近いように見えるのですが、それでも10時間くらいかかるのですね。結構辛かったです。ニューヨークの空港は海に近いらしく、海の中に着陸するような変な感じがしました。もう日が沈んでいて夜景がきれい。

ニューヨークの臭いは、掃除のときに使うらしい洗剤の臭いでした。私はアメリカには日本語教育補助教員として派遣されていたことがあって、働いていたハイスクールでもこの臭いがしていたので、アメリカの臭いはこれのようです。
前回書いたように入国審査は思ったよりも随分シンプルでした。大した質問もされず、指紋も写真も一瞬で撮られるだけ。疲れ切っている写真では、さぞ犯罪者のように写ったことでしょう・・・。

ニューヨークって今まで危険なイメージがあって、ホテルまではタクシーと決め付けていましたが、ダニィが地下鉄を調べていました。ターミナルを循環する電車で、地下鉄の駅のあるジャマイカ・ステーションまで行きます。どこにいっても係りの人がいて、助けてくれる。アメリカはなんでも早いなあと、またイタリアへのがっかり感を覚えてしまいました。タクシーでなくても全く快適でした。ジャマイカステーションまで5ドル。そして地下鉄は一律2ドルとのこと。切符はテレホンカードのようなものを渡され、それにお金を追加すれば、その後もそれを使い続けられるとのこと。

先進国の空気を嬉しく感じました。


ニューヨークへ  1 ~出発準備~

2009-04-07 20:08:15 | 旅 ~イタリア国外~

3月29日は私達の結婚記念日。旅行好きの私達は早速旅行を計画。当初の予定は暖かいところを選ぶつもりで、候補はシチリアやポルトガルあたりだったのですが、ネットで色々検索しているうちに、私は南欧以外という希望が強まりました。
というのも、ダニィとはスペインに二回、フランスに一回行っていて、もちろん休暇には素敵な所だけれど、どうもイタリアにいるのとそんなに変わらない感覚なのです。だから楽なんでしょうけれど、言葉が通じなくてもこういうときはこうすればいいと想像ができてしまう国は正直つまらない。そこをダニィにもわからせたいという希望もありました。

近場でドイツでもスイスでもイギリスでもよかったわけですが、たまたまエアリングス(アイルランドの航空会社、サイトはこちら)でニューヨーク往復280ユーロというのを見つけました。ならダブリンにも数泊して・・・なんて欲張り計画を立てているうちに値段は320ユーロになってしまい、早く決めねばと今回はニューヨーク一週間ということで飛行機をとりました。

さて、アメリカへの90日間以内の滞在は日本人はビザを申請する必要がありませんが、今年の1月12日からアメリカへの渡航手続きが変わり、事前に電子渡航認証システム(Electronic System for Travel Authorization:ESTA)に従って申請を行い、認証を受ける必要があります。こちらから外務省の説明が見られます。

自国語の申請ページから申請すれば、決して難しいことではないのですが、初めてのことだと色々な疑問、心配が起こるものですね。間違うと到着してから入国を拒否されたりするんじゃないかとか。私も申請後に提示されたコード番号等を書きとめる前に、前ページに戻ろうなんてしてしまったら、コード番号を二度と見つけることができず、パニックしてしまいました。結局再度申請し直し、二重申請になっているのではとずっと心配することになりましたが、最終的には入国審査のところでも何も言われませんでした。コード番号も聞かれず、プリントアウトしたものも必要なく、尋ねると「全てコンピュータに入っているので必要ないんですよ」といわれました。やれやれ心配損。

ところでそのESTAの認証、インターネット上で申請をしてしばらく結果を待つのかとおもいきや、ただちに認証ページが出てくるのでとても変な感じです。結局、アメリカに到着時に色々と記入したりしなければならない手間を事前にしてしまうという目的程度のものなのでしょうね。アメリカはテロのことでかなり厳しくなったというイメージがあったので心配しましたが、私たち普通の日本人にはあまり関係ないのかもしれません。

さて、旅の準備にかかせないのが宿泊先をどこにするかですよね。学生のころなら、もっと柔軟にどこでもいいと思えたのですが、歳とともにそういう柔軟さが欠けるらしい。それにしてもニューヨークは、大げさなほど「高い!」のです。航空券が安くて決めたものの、決してお安い旅にならなくなりました。知りあいの旅行代理店の人に頼んで、ヒルトンホテル系のDubletree Metropolitanというホテルを格安でとってもらいましたが、一晩130ユーロという私たちにとってはお高めの宿泊となりました。ニューヨークにはBed&Breakfast的な宿はないのかしら???

エアリングスの飛行機やホテルの感想は改めてしますね。
ESTAの申請からしても、ヨーロッパ脱出を実感、嬉しくなりました。



地震???

2009-04-06 22:10:12 | ローマの平日
日本でもニュースで報道されているようで、「地震の影響は?」というメールが届きます。お陰さまで、ローマは今日もいつもと変わらない月曜日です。

一週間の外国旅行の時差ぼけで、夜中の寝つきが悪く、昨夜もそんなで半分は目が覚めていたように思います。ベッドがふわっと持ち上がったような感じの後、ぐらぐらぐらっと。「ローマは地震がない」と皆が言い切るので、これは何?大型トラックでも通ったのかな、いやいや東京じゃあるまいし、それともまだ飛行機内の錯覚かしら。

後半の揺れの時にダニィが目を覚まし、「結構大きいな」と驚いていました。上のアパートの人も起き上がっている足音がし、近所の人の話し声も聞こえてきました。揺れはかなり感じたものの、地震慣れの日本人の私は、まさかこんな大地震が起こったとは思いませんでしたよ。

地震体験のないローマの人々にとっては、こんな揺れはかなり恐ろしいみたいです。ダニィも「車に避難する人もいると思うよ、また起きるかもしれないから」と。私にとっては、物も落ちてきていないし、ローマで地震か、なんと珍しい、余計に眠れなくなってしまったぞという程度で、今朝はかなりの寝坊で起床、ニュースの映像にびっくりしました。

新聞La Repubblicaの写真です。こちら

被害地はローマからもそんなに遠くないラクイラというアブルツォ州の町。私も数年前に行ったことがあります。今日はテレビでもずっと被災地の映像を映していますが、死者の数も増える一方で、地震は本当に恐ろしい。昨夜のあの揺れがまさか・・・です。

ダニィに、「何か災害があったときに、この地区の住民の避難場所とか決まっているの?」と聞いたら、そういう対策はないという返事でした。
私達の住む建物には火災報知器も付いていないし、消化器も見ていないなあということに気付きました。災害への備えは個人個人で考えるのでしょうね。というよりも、何か起きてからどうにかする、そういう考え方が基本的にあるようで、どうも日本人の私にはしっくりきません・・・。

少し前でしたが、テルミニ駅の地下鉄のホームにいるときに火災報知器らしいアラームが鳴り響きました。誰もが無関心、誰かのいたづらかといった反応でしたが、ローマの中央駅でもあるテルミニ駅ですら、「今のは誤作動です」みたいなアナウンスすらありませんでしたよ。不安・・・