あいあいのひとりごと

ローマ在住あいあいの暇つぶし日記。

それでも空はますます青い

2020-08-05 17:17:45 | ローマ de ウォーキング 
もともと体を動かすのは好きな方じゃないんです。その上、今年はウイルスのせいで動かないことをどうも正当化しやすい。年齢と共に体は劣化しやすくなっているし、最近かかったお医者さまとも「何かスポーツしないの?」「スポーツは好きじゃないので・・・」「でも毎日最低30分は歩きなさいね」「はい、そうします」という、今までにも何度もしてきた会話。実際のところ、私にとって「毎日」はハードルが高く、おまけに連日の猛暑で「これでは熱中症になってしまう」と言い訳ができやすい状況でもあります。

夫の職場がコロッセオの近くで、私たちは「どうせ感染しても大丈夫」と言えるような若者ではないので、夫は帰りなどは地下鉄を使わずに徒歩で帰ってくることもあります。だいたい50分かかるそうですが、思い切って徒歩で迎えに行くことにしました。地下鉄に乗れば駅4つ分。

ゆっくり、ゆっくり、日陰へ日陰へと移動しながら、ローマのピラミッドのあるサンパオロ門を抜け、コロッセオ方面に向かう大通りのお店を眺めながら、万国旗が並ぶFAO(国連食糧農業機関)が見えてくると、すぐに左に古代ローマ時代の競技場チルコ・マッシモが現れる。ここまでくれば到着したようなもの。40分経過。なかなか速く歩いたと思う。
この辺りはローマでも最も素敵な地区です。ローマに来られたら、是非コロッセオからほんの少し足を延ばして、近くのアヴェンティーノの丘やチェリオの丘の散策をしていただきたい。

パラティーノの丘の横を歩くと、そこは私の大好きなローマの松の並木道。松の木を見ると元気が与えられる。そういうと夫は笑いますけど、子どもの頃からずっと見て慣れきっている夫にはこの松の素敵さがわからなくて全く気の毒だわーと言い返しています。

 アヴェンティーノの丘のオレンジ公園の松

 日没も素敵。オレンジ公園からはサンピエトロ寺院のクーポラも見える。

待ち合わせのコンスタンティヌスの凱旋門に到着。確かに50分。


ロックダウン解除後、初めて間近でみるコロッセオ。あ~思い切って来て良かったと思ったのでした。古代ローマ時代からここに立ち続け、ローマの歴史を見続けてきたコロッセオには力を与えられる気がします。いつ来ても観光客であふれているこの場所も、今は人が少なくて寂しい。午後7時半になっても、この青空。これは日本では見られない、ローマの青空。



ロックダウン中に窓際に集まり近所の人と歌う、そんなことがありましたが、こんな青空を見るとそれもはるか昔のことのようです。そのころよく聞こえてきた歌に”Ma il cielo è sempre più blu”がありました。訳せば「それでも空はいつもますます青い」でしょうか。 どんなことがあっても、空はいつも青い、希望を与えてくれる歌です。
若くして亡くなったイタリアの歌手リノ・ガエターノさんの歌だそうですが、イタリアの50人の歌手が赤十字のために歌ったものがあります。
こちらです。どうぞ聞いてみてください。歌詞訳を見つけたら(または自分で出来たら)、載せたいと思います。





久しぶりのローマの夏

2020-07-26 23:57:04 | ローマの平日
”Da quanto tempo!" 久しぶりに会う人と交わすくだけた挨拶、つまり「お久しぶり!」。 毎度のことながら、またも”Da quanto tempo!"の状況でブログに戻って参りました。相変わらずローマ暮らししています。元々、記憶力が非常にない自覚をもとに「備忘録」プラス「イタリア紹介」のつもりのブログだったはず・・・。ふと出てきた昔のカレンダーをを見て、「ああ、こんなこともあったらしい」と全く消去されている過去を発見する度に、忘れてしまった残念なことがたくさんあるのかなあと思わされ、ここに戻ります。

世界中がそうですが、新型コロナウイルスによって、生活が変わってしまった人はたくさんいるでしょう。私に関していえば、有難いことに夫の仕事はなくなっていないし、歳と共に体の不調は増えますが、身近な人も含め、このウイルスには関わることもなく過ごせていますし、緊急に「どうしよう!」という心配事はありません。
でも、日本語を教えている私の仕事は激減、ちょっとしたアルバイトもなくなり、習い事も参加していた活動も休止。ロックダウンの後遺症で外出がメンタル的に難しくなってしまいました。実はちょっと外で差別的発言を受けたこともトラウマです。いつもなら今頃は日本に帰国もしていますが、今年はどうやら無理・・・イタリアから娘が帰国したら父母に迷惑になるかしら・・・そんな思いからです。今東京の人も他の県に行くと、ちょっと迷惑?、それと同じことがありそうかな。14日の検疫などはロックダウンで慣れていますし、問題ないんですけれど。
日本在住の外国の方々は、今自分の国に帰国するといつ日本に再入国できるかわからないために日本を出国できなくて困っていると読みました。まさかこんな世の中が来るとは・・・。

というわけで、こちらも"Da quanto tempo!"のローマでの夏を過ごします。本当は夏はローマがいいと思う。日が沈み、涼しくなると、子供からお年寄りまで夏の夜を楽しみに出てきます。そのために毎晩毎晩色んなイベントが行われます。こんな時間まで子供が起きていていいの?といつも疑問に思うのですが、小さな子供たちを夜遅くまで見かけるのも普通のこと。「夏なんだから」ということなんでしょう。もちろん「蜜」は当たり前・・・残念ながら、今年はそんな夏はもちろんありません。

それでもイタリアも「再出発」を目指しています。世界でも最も早い時期に大被害を受けたイタリアは、あの状態に二度と戻るわけにはいきません。まだまだ油断はできないと毎日のようにテレビで呼びかけを聞きますが、それでも少しずつ夏を楽しみ始めることができるようになりました。

こちらはロックダウン終了後、初めて行ったコンサート。野外です。

入り口で書類に連絡先などを記入(感染者が出たら、連絡が来るんでしょう)、熱の測定、1m間隔を置いてチケット売り場に並ぶ。
椅子はたくさん並べてあるのに、座れるのは半分~三分の一ぐらいでしょうか。連れの人とは二人並んで座れます。チケット販売数も実際はかなり少ないようでした。座席指定ですが、空いている席はたくさんで、不安な人はちょっと離れた空席に座ることもできます。私たちの左右前後には10席分ぐらい空席がありました。席にいる分にはマスクを外すことができます。

ここはCasa del Jazzという施設でJazzのコンサートが開かれます。もとは犯罪組織のお屋敷だったところだそう。そこのお庭での野外コンサートですが、以前はギャングの方々がここでパーティなどをやっていたのかと想像が膨らみます。違いが今でもよくわかりませんが、マフィアではないのだそうです。bandaというようです。セリアBみたいなものなのか・・・?また調べてみます。

ローマ在住のアルゼンチンのミュージシャンでした。ここ数か月ずっとコンサートもオンライン、観客を目にして演奏できる喜びを伝えていました。ただ、ステイホームで体がなまってしまっているのは誰もが同じ。途中でかなり息切れまで聞こえてきましたよ。

次に行ったコンサートはAuditorium parco della musicaという大きな音楽ホールのある施設の野外ホールで。
オーケストラによるベートーヴェンの交響曲第2番と第6番でした。
観客が大勢いるようですが、こちらも1mおきに座っています。演奏をしているオーケストラの方々もそんな感じ。
時間も決まっているのか、普通ならあるアンコールもなし。指揮者の方が感謝の気持ちを何度も投げキスで表していました。
アナウンスがあるわけでもないのに、席を立つと誰もがきちんとマスクをつけていて、これには驚きでした。こういうコンサートに若い人は少ないので、若い人が集まる場所ではどのようかはわかりません。

生の演奏はやはり良いですね。例年通りというわけにはいきませんが、折角のローマの夏を楽しみたいと思います。日本は恋しいけれど。





頭を砂の下に入れると・・・

2017-03-18 17:41:17 | おもしろいイタリア語
先日、クイズ番組で諺を一つ知りました。クイズの答えの選択肢の中にあったものですが、"mettere la testa sotto la sabbia"というものです。直訳すれば「頭を砂の下に入れる」なわけですが、一緒に見ていたダニィに意味を聞いてみると、「砂の下に頭を入れて、見たくないものを見ないようにする、見て見ない振りをすること」とのことでした。なるほど、とっさに頭を砂の中に隠し、見なかったよ~ということなのか。日本人の発想にはなりそうにないかな。同じ意味で"fare come lo struzzo"という言い方もあるのだそうですが、こちらの方は面白い。struzzoはダチョウで、「ダチョウのようにする」という直訳になるのですが、ダチョウは危機が迫ると砂の中に頭を突っ込む習性があると言われているところからそのように言われるそうです。

数日後のこと、町を歩いていたら、なんともタイムリーな貼り紙発見!





犬の飼い主のダチョウさんが、自分の飼い犬の糞を見て見ない振り。つまり、犬の飼い主方に対して「ダチョウをしないでください(見て見ぬふりをしないでください)、ちゃんと拾ってください!」を伝える貼り紙です。

ここでイタリア語は"Non fare lo str...uzzo..."と書かれていますが、上でお話ししましたように、struzzoはダチョウ、これに似た言葉でちょっとお下品な言葉があって、その言葉とかけているんです、きっと。意味は「くそったれのようなことをするな!」って感じですかね。

誰かさんが手書きで付け加えているのも、ちょっと下品な言葉使いですが、犬曰く「私のご主人には本当に困らされるよ」というような意味合いにでもしておきましょう。

お蔭さまでこの諺の意味がよ~くわかりました。



チェリオの丘の聖アンドレア・聖グレゴリオ教会

2017-03-09 19:15:09 | 「ローマの見どころ1001」

随分とご無沙汰してました。常にひきこもり大好きの私は、ブログを書くことで、書くことを探しにでかけることを目的にこのブログを始めたのでした。が、いつの間にか怠け癖が勝つようになり、遠のいておりました。またひきこもり病が出始めているのと、今のまま体を動かさないと今後将来への不安もあり、またブログ書きを始めようかなとローマ散策を始めました。そしたらやはりこれは面白い!いろいろな不便、不都合だらけのローマですが、歩き出すと歴史や文化の深さをの凄さを感じさせられます。そしてその中に入っていくと元気になる私がいます。

「ローマの見どころ1001」のガイドとちょっと難しいけれど完璧なツーリングクラブの赤いガイドブックで勉強しながら、ローマの興味深いところが紹介できたらと思います。と言っておいて、また途中で止まることもあると思いますよ。お許しください。 さて、天気の良い平日、まずは自宅から近場のチェリオの丘の上の教会です。最近家族の健康とか、まあ心配ごとっていうのもあり、神頼み系で教会訪問がメインになります。でも教会もいろんな発見があります以前はちょっとした散歩にはよくチェリオの丘に行っていました。天気の良い日はとても気持ちがいいのです。ヴィラ・チェリモンターナという素敵な公園もあって癒し効果抜群の丘です。地下鉄B線のチルコ・マッシモの駅からも近いので便利ですよ。 さて、タイトルの教会はこちらです。

矢印に従って右側を歩いていくと、「教会を訪問されたい方は呼び鈴を鳴らしてください」とあり、時間帯が一緒に書かれてあります。以前は正面の扉が普通に開いていた記憶なのですが、ガイドブックにも確かに「呼び鈴を鳴らして入れてもらう」とあります。ローマの教会のほとんどはお昼に一旦閉まり、また夕方に開くのですが、それを知りながらもいつも閉まる頃に動き出す私。今回もどうやら失敗、後5分。諦めようと思いながら、回廊を見学していた時、ドアを開錠する音が何度となく聞こえたのです。恐る恐るドアを押してみるとドアが開きました。中からカメラでうろうろしているところを見られていたんですね、「どうぞ、どうぞ」と手招きされました。「すみません、5分で行きますから」というと、「どうぞ、ごゆっくり」と言われました。こういうことがあると嬉しいですね。というわけで、時間外に行っても、とりあえず呼び鈴を押してみるもありかもしれませんよ。 廊下を進んで横の入り口から教会に入ります。私以外に誰もいなくて、こういうのがとてもいい。(きっとカメラでは監視されてるんでしょうけど。)教会に入る前のスペースに由緒ある修道院の薬局と生産物を売るコーナーもあります。修道院の畑で収穫された有機レモンが気になりましたが、一袋がすごい量なので持ち歩けないと断念。

 さて、この教会について勉強しましょう。 ローマ教皇グレゴリオ1世が575年に聖アンドレア(聖アンデレ)に捧げた礼拝所と修道院を設立した場所にこの教会は建てられました。(だからその二人にちなんだ名前になったわけですが、当初は聖アンドレア教会、のちに聖グレゴリオが追加されました。)教皇グレゴリオ1世の死後、修道院は見捨てられていましたが、教会が建てられたことで、修道院が再び記憶に取り戻されました。 内部はこんな感じ。 

13世紀に遡るコジマテスクの床が美しいです。中央の祭壇には聖母マリアと聖アンドレア、聖グレゴリオが描かれた祭壇画があります。

主祭壇の右側には「聖グレゴリオの部屋」という小部屋があり、そこには当時の床が残っています。その部屋の前にある聖グレゴリオの礼拝堂に、大理石の聖グレゴリオの椅子があります。なんと紀元前1世紀のものです。「聖グレゴリオの30のミサ」を示した主祭壇の浮彫も大変美しいです。

主祭壇の左には、秘跡の礼拝堂があり(写真なし)、その更に左に入ると美しいサルヴィアーティ礼拝堂があります。Francesco da Volterraによって計画され、Carlo Modernaによって完成されました。 

ここには古い聖母マリアと幼子イエスのフレスコ画があります。伝説では聖母マリアが聖グレゴリオに話しかけたそうな。

 随分前にこの教会を訪れたときには、この礼拝堂は閉まっていたのですが、教会の人にこっそり入れていただいた良い思い出があります。そのときにはもう一つの聖母マリアのフレスコ画がこんなところにもあるよと教えていただきました。  どういう意図で作られた空洞なのかわかりませんが、壁に掘られた小さな空洞の中にも聖母マリアが描かれていました。電気がついていなかったので、見づらいですね。

 深く探ればまだまだストーリーが出てきそうな教会です。また発見がありましたら追加したいと思います。

 

 

 

 


オペラ”アイーダ”の公開リハーサル

2015-05-01 20:20:30 | ローマ生活体験記



イタリアと言えば、思いつくものの一つにオペラがあります。一番有名なのはミラノのスカラ座でしょうか。ミラノのオペラ座よりは少々地味ですが、ローマにもオペラ座があります。(以前にもローマのオペラ座について紹介しました。→ こちら

イタリアオペラの日本公演は私などはとても高くて手が届きそうにありませんが、イタリアでも決して安くはありません。しかしながら、公開リハーサル公演を見に行くと言うちょっとお得なチャンスがあります。本番ではないので、オーケストラの人びとは普段着ですし、うまく行かないところがあるとやり直しなんていうこともあり得るのですが、舞台の上では本番通りの衣裳を身に付けた出演者や歌手がほぼ本番通りの公演をしてくれます。少なくとも私の経験からはそうでした。

公開リハーサルは毎回あるわけでなく、あっても有料な場合がほとんどのようですが、今回無料公開という機会に恵まれ、アイーダを見てきました。本当なら100ユーロはする席で本場イタリアオペラを無料で堪能させていただきました。アイーダは中でも大好きなオペラの一つでしたから、もう感激。

このような公開リハーサルはイタリア語でprova generaleと呼ばれています。オペラシーズンにイタリアに来られるなら、是非ちょっと検索してみてはいかがでしょうか。運が良ければチャンスがあるかもしれませんよね。今年はなんと今月も5月20日にフィガロの結婚の公開リハーサルが行われます。こちらはチャリティーイベント(癌の研究のために寄付されるとかそんな話)で有料ですが、本番よりはずっとお得です。イタリア語と英語の字幕もついていますし、たとえ何もわからなくても劇場も素晴らしく、素敵な体験になること間違いなし。


白いハエ

2015-04-15 17:37:25 | おもしろいイタリア語
夫ダニィのことを話すとき、どうしても「サッカー狂でね~」というのが外せません。ローマチームの試合があるときは何よりもそちらが優先。私なんてもう存在しないわけで。ダニィの実家は皆がそんな調子なので、これはもうきっと生まれる前にマンマのお腹の中にいるときから、もうすでに胎教として洗脳されてしまっているのだと思う。これではもう太刀打ちできない。

そんな話をすると皆が皆「イタリアでは仕方がないよ」という、イタリアでは完全に受け入れられている現実のようです。でも不思議と自分はそうじゃないんだけどね、という答えが返ることが結構多いのです。ダニィも他では、自分はそれほどじゃないけどね、とか言っているんじゃないかと疑います。

というわけで、この前もそんな話題になったとき、相手の人が、私はサッカーには興味ないんだけどね、"Sono una mosca bianca. (私は白いハエですよ。)"と言いました。「なんで白いハエなんですか」と聞くと、「ハエって普通黒いでしょ。白いハエはいないから、唯一とか珍しいっていう意味だよ」と教えてくれました。

私はあまり珍しい人でもないので、使う機会なく・・・。

今年の復活祭

2015-04-14 23:55:58 | イタリアのこと
またしても長らくご無沙汰しました。書きたいことはたくさんあるんですけれど、歳と共になかなか頭がまとまらなくなってきます。また少しずつ続けたいなという気分になっていますが、いつまで続くことやら。

今年も少し前に復活祭(イースター)がありました。イタリア語ではパスクワと言いますが、パスクワがくると春が来た気分になります。キリストの復活のお祝いなため、日本では一部の人にしか関係がありませんが、キリスト教国イタリアでは重要な祝日です。とは言っても、宗教色はだんだんと薄れて、家族、親戚で食卓を囲む日といった感じに見えます。

今年は夫の実家でのイースターランチに参加しました。参加率は悪く、不思議な顔合わせのランチでしたが、大人数の集まりが苦手な私には丁度よく。この家族で信仰心が強いのは夫の父親のみで、なんとも早口言葉のようなお祈りを捧げランチが始まります。地方色の強いイタリアは場所によってお祝いの食卓の内容も変わるのでしょうが、ローマでは子羊の肉やカルチョーフィ(アンティチョーク)を食べるようです。夫の両親も高齢になり、だんだんとお祝いも簡素化、いつもは派手に包装された大きな卵型チョコレートが必ずあるのに、今回はそれも目にしませんでした。イースターと言えば、子供の頃通っていたプロテスタントの教会学校でゆで卵に色づけをした思い出ですが、イタリアではもっぱらチョコレートです。中にプレゼントが入っているびっくりするほど高額なものもありますよ。

そしてこれもイタリアに来てから知ったことですが、普段は甘いもの(ビスケットとか菓子パンとかケーキなど)しか食べないイタリアの朝食もこの日だけは甘くないのです。茹で卵にソーセージ入りのパン、サラミなどを食べます。今回ご紹介したいのがこれです。私たちは頼まれて持っていきました。



夫の家ではCasatielloと呼んでいましたが、呼び方も色々あるようです。もともとナポリのイースターの食べ物だそうですが、ベーコンやサラミやチーズの入ったパンといった感じでしょうか。上にぼこぼこでているのは殻つきの卵です。日本には調理パンなるものが色々ありますが、イタリアでは普通はこういうパンはあまり見かけません。パンは日本人にとってのご飯のような役割がメインだからでしょうか。このCasatiello、なかなかおいしいのです。普段から売ってくれるといいんですけれど。

パスクワは日曜日ですが、翌日の月曜日はパスクエッタ(小復活祭)と呼ばれて祝日です。「何の日か」と聞くと、「ピクニックをする日」との答えが返ります。本当はキリストのお墓にやってきた女たちが、天使とそこで会うという日の祝日のようですが、実際には春の連休を楽しむものになっているのですね。






バラの花束は奇数で

2014-05-02 00:09:00 | ローマの平日



ダニィの姪っ子は日本でいえば、高校3年生。半年前に彼が出来て、今とにかくラブラブな毎日です。日本語を私と勉強していますが、勉強中も携帯が手放せない。充電器も手放せない。彼はもともと親友のお兄さんで、そこのところでお友達との仲が複雑になってしまったとか。でもそのお友達の気持ちもちょっとわからなくはないですね。

さて、この間彼女の祖父母(私の義父母)のところに彼を連れてランチに来たと聞いていたので、義母にこっそりと「どんな男の子でしたか」と聞いてみたわけです。すぐに返ってきたのが「現代っ子ね」でした。義父の方は「若いのにもう働いていて感心じゃ」との見方。姪っ子より5歳ぐらい年上ですが、もうとっくの前から働いていて(とはいえ父親の会社のようですが)、お金持ちのようです。義母はその後に耳の近くでこそっと、「前髪のところを金髪に染めちゃって、ロレックスの時計なんかしてたのよ」と。両親と違い、おばあちゃんの孫の彼に対する感情というのはよくわかりませんが、100%合格ではなさそう。

その彼が彼女に半年目の記念日に(毎月記念日をやっているようですが)バラの花束を贈ったそうなのです。それも51本。というわけで、彼女に「どうして51本なの」と聞いてみると、「なんでも1年目で100本、半年だからその半分らしいよ」とのこと。「でも、51本のこの1本はなんなわけ?」

イタリアではバラの花は奇数では贈ってはいけないというルールがあるのだそうです。でもどうして?彼女も「え~知らない。どうしてだろう。」

伝統的にそういうルールがあるのだそうで、そのことは誰もが知っているのですが、理由は誰も知りません。実際には12の倍数は良いとか、数が多くなれば関係ないような、そんな話もあるようです。ネット検索でもあまりわかりませんでしたが、お葬式やお墓へのお供えのときは偶数であるべきといったようなこと、数字占い上の理由などがあるようです。

バレンタインデーの日には、1本のバラ、それもなぜか茎の長~いものがリボンつきの透明の袋に入って、そこいらじゅうで売られます。この長い茎も何か理由があるのでしょうか。こちらも謎です。

上のバラの写真は、ローマのバラ園でバラコンクールをやっていたときにたくさん撮った写真の1枚。昨年のものですが、今年のそろそろその時期です。

こんな変わったバラもありました。

  

地下鉄B線チルコマッシモの駅からすぐのところにあります。
眺めも素晴らしいところにあって、有名な観光スポットではありませんがおススメです!

キプロスの旅(4)~首都ニコシアで②~ 入国スタンプ事件

2014-02-22 23:04:53 | 旅 ~イタリア国外~
毎度の如く、キプロスの旅行記も途中で止まったままでした。薄れた記憶をたどってもう少し続けます。

首都ニコシアに行けば、そこから近郊の観光地行きのツアーバスか何かが出ているものと思いこんで、ニコシア3泊を予定してきた私たち。早速期待を裏切られる結果となりました。ホテルのレセプションで聞くと、「うちのホテルはどことも提携していないので・・・」との回答。「では、どこか旅行代理店とかないですか」と聞くと、ニコシアからのツアーはないという。キプロスには世界遺産が3か所あって、私の今回の目的のパフォスのモザイクのほかに、トロードス地方の壁画教会群、ヒロキティアの古代の住居跡というのがあります。世界遺産なのだから簡単にアクセスできるものと思ったら、どうやらそうでもないらしい。

取りあえず街中の観光案内所に確認することにしました。前日のようにホテルの無料送迎サービスを利用して旧市街へ。お土産屋や観光客向けのレストランの集中する一角に観光案内所はありました。なんだか横柄な感じのおばさんがいて、ツアーのことを質問したり、トロードス地方へ行く方法を尋ねたりしたものの、なんだかあまり情報を持っていないようで、しかもそのことを隠そうとしているような態度が気になりました。トロードス地方へはバスが出ていて、その時刻表を見せてくれたのですが、行先はどうもその地方の中の大きな町に着くというだけで、世界遺産の教会を見て回ることとは全然関係ない情報だということがわかりました。なんとも役立たずな案内所のおばさんです。観光客のために働いているのに、どうしてそういうことに気が付かないのでしょうかね?いつもそのおばさんなのか、そこのところはわかりませんが、「使えない」案内所という印象でした。


開店準備の朝のお土産屋さん街

やはりレンタカー要ですね。ここの観光は。または、パフォスからならば、観光ツアーがあります。つまりニコシアは首都というだけで、観光の中心はパフォスなのでした。ニコシア3泊・・・仕方がない。ホテルは快適だし、たまにはのんびり旅行もいいかも。

気を取り直し、昨夜は真っ暗ですぐに戻ってきてまったので、じゃあ、もう一度トルコ側(北キプロス)に行ってみるかということになりました。検問所も昨日確認しているし、手続きも経験済みだし、昨日のドキドキ感無く、検問所に向かったのですが・・・


検問所の上にはためくトルコの国旗

昨夜とは打って変わって、観光客などグリーンラインを超える人が大勢いました。なので検問所ではちょっとした列ができていたのですが、私が並んでいた列の横の窓口が先に列がなくなり、何も考えずにそちらの方にパスポートを出しました。後で思えば、なんで昨日もらったスタンプの押してある紙も一緒につけて出さなかったのか大後悔。おまけにダニィも後になってから、何かあの検問官は胡散臭いと直感で感じたというのですが、それならその時に言ってくれればいいのに。

前の記事にも書きましたが、北キプロス側に入るときには、パスポートではなく、そこに用意されている別紙に入国スタンプを押してもらうことという注意事項があるのですが、昨夜の経験から、こちらが何も言わなくても、検問官の方でさっさと別紙を用意してくれるものと思い込んでいました。ところが、パスポートをペラペラめくっていたかと思うと、がちゃん、嫌な音が・・・。そう、パスポートにスタンプを押されてしまったのです。有り得ない、有り得ない、まず99%の外国人はパスポートに押されることを望んでいないのだから、嫌がらせとしか考えられない。私が青くなって、何か言おうとしたのと同時に、ダニィも検問官に怒鳴りかかってました。相手は、何を言われているんだかわかりませ~んっていう態度でしたが、隣のもう少し偉そうな人がやってきたので、ダニィがその人に苦情を言うと、ノープロブレム、ノープロブレムと言うのみです。ノープロブレムじゃないよとつっかかると、ノープロブレム、アンダースタンド?と今度は威嚇するような顔になって(逆切れ?)言ってきたのです。相手は警官なわけだし、北側で問題を起こすと、助けが呼べないというのも書いてあったので、このまま通路を逆行してギリシャ側に戻るか(また出国手続きをして戻ると、ギリシャの検問所の方でもしかしたら入れてもらえないかもという心配)、でも逆行して捕まえられたらどうしようというものあり、その場でおろおろしていると、先ほどの検問官たちがにやにや笑ってこっちを見ているのです。不安と悔しさで涙が出そうでした。ダニィの方はちゃんと別紙にスタンプを押してもらえたのですが、私の方がもうそこで観光するような気分ではなく・・・。万一、ギリシャ側(南キプロス)に戻れなくなって、ここに残されて日が暮れたら・・・昨夜の人っ子一人いないゴーストタウンのような怖い状景が頭に戻ってきます。インターネット情報の中には、ギリシャ側に戻れないと、トルコに渡って、そこからイタリアに戻るしかないような話もありました。

ダニィは落ち着いていて、折角来たのにトルコ側の観光ができないのをちょっと残念に感じていたようでしたが、私がそれどころでない気分だったので、取りあえずギリシャ側に戻ることにしました。再度出国窓口に行き、仕方なくパスポートの入国スタンプの横にさらに出国スタンプも押され、ギリシャ側の入国ゲートに進みます。出るときは、何もチェック無しでしたが、入るときは検問があります。ダニィが先にパスポートを出し、平静を装い私もパスポートを渡しました。日本のパスポートが幸いしたのかわかりませんが、写真のページをちらっと見ただけで返されました。心配損でしたが、やれやれ、ネットで脅かされたようなことは起きず、無事にレストランの並ぶにぎやかな繁華街に戻りました。たった数メートルの距離なのに、まるで別世界です。武力で占領しようというような国には行くもんじゃない。

ダニィがイタリア人の体験談の中に、修正液でスタンプを消したという話を読んだというので、「さすがイタリア人だね、やることが大胆。でも修正液の跡が残ってたら、後で問題にならないのかな」と言ったら、「違う、違う、ギリシャ側の検問官が、入国を許可するために修正液で北キプロスのスタンプを消してなかったことにしたってこと」と。私が読んだ中にも、スタンプを押されて困ると言った人(これは日本人の話)が、上からCancelledというスタンプを押されたというのもあったけれど、有り得えな~い!!!

その後もパスポートに傷がついたことで、ずっと嫌な気分で、今度は帰りに出国するときに何か言われるのかなとか、新たな心配も出てきます。ネットの情報収集で私なりに理解したことは、スタンプを押されてしまった日本人は結構いるようだということ、今のパスポートを使っている限りは、ギリシャと南キプロスには今後入国できない可能性があるということ、でも他の国では問題にされないだろうということ。何も悪いことをしていないのに、ギリシャに入国許可されないというのは理不尽ではありますが、パスポートの有効期間にギリシャに行く予定があるわけでもなく、まあ希少価値のスタンプを手に入れたと思うことにしました。パスポートは2020年まで有効なので、後6年・・・ギリシャに行けるようになる頃は、今以上にりっぱなおばさん年齢だと思うと、少々悲しくなりました。





キプロスの旅(3)~首都ニコシアで①~

2013-12-06 23:59:49 | 旅 ~イタリア国外~
キプロス島探索の第一日目は首都ニコシアから。到着が夕方だったので、ホテルの人に車で送ってもらい、夕食を食べに出かけました。ダニィが作ってきたレストランリストの中の最初のお店で車から降り、なかなか良さそうなところ思っていたら、ダニィはなぜか(高そうと思ったか!?)他のところも見ようとか言い出し、取りあえずニコシアの旧市街の方に向かうことにしました。土地勘もなく、道を聞き聞き、私たちはなんとか再度バスターミナルのところに行きつき、ホテルで入手してきた地図を頼りに、とりあえずメインストリーらしきところを目指しました。ギリシャ語だかトルコ語だか、慣れない通り名は地図で探すのも一苦労。それでも、なんとかマクドナルドなどのあるお店がたくさん並ぶ明るい通りに出ました。ダニィがネットで調べてきたレストランを探すのですが、人に尋ねても発音が悪いのか見つけられません。ある店員さんに、「じゃあ、どこかお薦めのところを教えて」と紹介してもらったお店に向かって行ったところ、北キプロスへの入口のある検問所に着きました。以前にも触れましたが、キプロス島の北37%はトルコが占拠して独立国としていますが、南キプロスや世界はそれを認めていないので、国境があるはずがないのですが、トルコ側からすれば国境があるわけですね。そこで北側に入るには入国審査がある検問所を通らなくてはなりません。そんな状態になってもうかなりになるので(1974年から)、住民や観光客の国境を行ったり来たりが現在では簡単にできるようになっているとのことでした。


<ビルの展望台から見た北側。山の上にトルコの国旗が。「ここはトルコ人のものだ!」と言っているようですね。こういうのを見ると、この国の状況を実感します。最近、日本もこういうことが他人事ではなくなってきていますが、紛争はいいことなどもたらしません。>

そんなわけで、北側でトルコ料理食べてくるって、そんなアイデアも当然出てきます。南キプロスだけならば、ダニィはパスポートを持って行かなくてもいいところでしたが、北側へ行くことを考えてパスポートを持って楽しみにしていたぐらいでしたからね。ただ、出発前にインターネットでそのことについ調べてたところによると、北側には行かれるけれど、その際にパスポートではなく、別紙に入国のスタンプを押してもらうこと、というのも万一パスポートにスタンプを押されてしまうと、南キプロスに入れなくなる可能性あり・・・とのこと。そうなっても自己責任で解決するしかなく、北キプロスにはもちろん日本大使館はなく、南キプロスもアテネにあるギリシャの日本大使館が管轄だそうで、一応その電話番号は控え持っていました。でも、ちょっとドキドキです。

南側はチェックも何もなく、一応入口となっている方から入ります。以前は普通にお店などが並んでいたのだろうなという南でも北でもないゾーンを歩いていくと、北側の検問所窓口が現れます。時間はもう夜の9時頃だったかもしれません。一緒に入っていく人がいないのに、ちょっと不安を感じましたが、検問所の人はもう慣れているかのように、パスポートと交換に例の別紙を渡してきました。そこにパスポート番号と名前を書かされ、スタンプを押され(90日間有効になっていました)、グリーンラインと呼ばれる境界線を越え「入国」しました。北側に一歩入ると、そこは全くの別世界。南側は東京でもローマでも見るような(というよりはちょっと田舎っぽいか)普通の夜の繁華街の雰囲気でしたが、北側はまるでゴーストタウン。地図もガイドブックもなしで、こんなところを歩いていて大丈夫なのだろうかと、正直怖くなりました。危険ではないという話でしたが、とにかくほとんど人がいないのです。検問所の近くには、おせじにもきれいとは言えない食堂のようなところがあって、飲食をしている人が少しはいましたが、そこから離れると、紛争中を思わされるようなぼろぼろの建物が並んでいて、古めかしいポスターが貼ってあったり、電気も薄暗く、どこからか撃たれるのではないかと思うぐらいな感じです。たまに、人がベンチに座ってたり、歩いていたりはあるのですが、人が現れるたびにむしろギクッとしてました。

 <まるでゴーストタウン。>

ダニィのレストランリストには、北側のお店もあって、そんな数少ない人たちに場所を訪ねると「ああ、そのお店は確かにあったけど、今は閉店してなくなっちゃってるよ」と、評判のいいお店だったはずなのに、どうなっているのだろう、ここは。他のお店を紹介してもらい、薄暗い道を歩いて行くと、急に明るい所に出ました。どうもモスクかなにからしい。ライトアップされていて、素晴らしい。

 


恐る恐る頭から持っていたスカーフを被り中に入ると、中にはお祈りをしている人びとがいました。ダニィがずかずか入っていったので、私も後からついて行くと、しばらくして父と子のような二人が近づいてきました。父親のような男性が「今は見学時間でないので、明日9時から見学できるので、また来てください」と英語で話しかけてきたのですが、子供の方はその後もしつこくダニィの腕を引っ張って何か言っているので、ダニィは気を悪くし、私はなだめなだめ、そそくさと外に出ました。どうやらそこは北ニコシア側の最大の見どころ、セリミエモスク(旧聖ソフィア大聖堂)だったようです。

明るいのはそこだけで、真っ暗な街の中を教えてもらったお店を見つけ出す気も萎え(ちょっと不気味さの漂う雰囲気でしたから)、ここはさっさと南側に戻り食にありついた方が懸命ということになりました。途中、インターネットで見たような見どころスポットがありましたが、戻る道もあやふやで、ここはとにかく南へのゲートを目指しました。復路はスタンプを押された紙に出国スタンプを押され、南側に戻ると窓口の人は手でどうぞなんて感じだったので、パスポートを出すこともなく、ネオン明るい街中に無事戻りました。

ところで、まだ食べるところは決まっていません。教えてもらったところも見つからず、気を取り直し、ダニィのリストのお店をまた探し始めましたが、この街はどうも道が曲がりくねっていて、地図を見ていても本当にわかりにくい。でも実際はそんなに大きな街ではないので、同じところに何度も戻ってきてしまったりするんです。ダニィが途中で「まあいいんじゃないか」風のお店があったというから、そこで食べることにしました。

Taverna Zanettosというお店です。ただメニューはキプロスの名物メゼのみ。メゼっていうのは、料理の名前ではなくて、20種類ぐらいの料理が出てくるセットメニューと言ったところでしょうか。色んなものが味わえるので、とてもお得感があります。ただ、先に始めた他のお客さんたち(どうも旅行者)のテーブルを見ると、テーブルにあふれんばかりの料理で、ほとんど手が付けられていない状態。メゼでも種類があるのかなと思ったのも束の間、出てくる出てくる、私たちのテーブルも料理であふれました。一つの料理が結構な量ありで、これって最終的にいくらとられるのだろうかと心配になったぐらいです。楽しいのは楽しいのですが、最後の方はこんなに残していいのだろうかと頑張らねば状態になり、美味しいも何もわからなくなりました。とにかく完食は無理ですが、お店の人も慣れているのでしょう、残しても問題ないと最初から言われましたが、途中でもったいないのでここで終わりにしてくださいと伝えたら、なんか気を悪くした感じでした。


<途中経過。これで全部ではありませんよ。>


こんなに食べて一人2000円ぐらいでした。デザートまでちゃんと付いています。後からきた現地の人びとらしいグループはどんどん食べていたので、キプロスの人には普通なのかもしれません。ダニィはメゼは経験したから、これで最後と言い切ってました。確かにちょっともったいないです。(残り物を使い回ししてないといいけれど・・・。)

メゼでも他のお店ではまた違うかもしれないし、キプロスに行ったら一度は注文してくださいね。ここのお店も悪くなかったけれど、最後は食べ過ぎで苦しくなってしまったので、味の方の記憶が薄らいでしまいました。一刻も早く、シマウマ柄のベッドに横たわりたい気分で一杯だったし。キプロス第一日はこうして終わりました。

Taverna Zanettos
Trikoupi 65 Street, Old Nicosia