知らないところへ行くのがこわくて、それでも4月末に契約終了として以降この痛み方はもう尋常ではないという身体感覚があり、昨日ようやく近くの整形外科へ行ってきました。乳幼児のころ、おぼろげに記憶の中にあるギブスをしていた自分、母の背中におんぶされてチンチン電車に乗り、大学病院へと通院していた自分、右足の先天性股関節脱臼だったのでしょうか。具体的に病名をきいたことがあったのか、どうか遠い記憶をたどることはもうできません。2012年2月母が突然旅立ったあと、古いアルバムをめくると、モノクロ写真で父の膝の上にギブスをつけたわたし、その隣に学年は一つ下の妹。家族が幸せな時だったのだろうと思います。弟はまだ生まれていなかったのか、たしかにこの時家族は幸せだったにちがいありません。
それから半世紀以上の長い時が流れ、苦しみの上にさらにまた苦しみの上塗りとなりました。帰省してから田舎生活には必須の自転車に30年ぶりに乗ってから痛みがひどくなっていた股関節と腰、それでもどこへ治療にいけばいいのかわからず、マッサージを受けることもないまま時を過ごしました。この街に戻ってきてから気にはなりながらも歩く生活に戻れば、また以前の自分に戻れると過信していたところがありました。3年前の今頃まで毎日ものすごく歩いていて、マッサージに行けば太ももにしっかり筋肉がついていますねと言われていた自分に戻れると過信していました。訪問のある仕事に戻れると信じていました。振り返ってみれば、7カ月就労したところは別にして面接時になんとなく歩き方がおかしくバランス悪い、しゃきっとしないと見られていたということなんだろうと思います。7カ月間の通勤も遠くて、相当体にこたえていたはずなのに気力でここまで自分をひっぱってきました。
右の足が曲げられなくてヨガにいってもあぐらをかくことができないのがまだ若い時からわかっていましたが、無理に無理に無理を重ね続けた結果、レントゲン検査で変形性膝関節症という診断でした。手術をした方がいい、手術をして人工股関節にすればだいぶ楽になるという医師の話でした。今すぐ決めることはできないというと、リハビリをやってみるか手術をするか少し考えてみるように言われました。診察代を払った時リハビリをやってみたいと言うとまた医師の診察、一か月やってみてまた話をきかせてくださいということで、理学療法士によるリハビリを申し込みました。手術をするなら紹介状を出すと言われた病院三か所のうち二か所は3年前の今頃行ったことがあります。人のために働いていました。そうは言いませんが仕事で行ったことがあると言いました。
入院するには親族の同意書が必要なはず、てんがいこどくとなった自分が、無職の自分が、入院して手術して日常生活をまた送っていくという具体的なイメージが全くできません。どうすればいいのか思考はとまっています。お仕事さがしは、手術をすると決めるまで現状維持とするということだけ相談員さんと確認しました。保険診療の対象となることはネットで把握しました。行きたいわけではないですが、まずは役所に行って医療費の限度額証を出してもらえるか確認しますかね、それと一か月の限度額、低所得者はいくらだったか忘れてしまいました。限度額は一か月の診療の中でなので、もし手術をするのであればできるかぎり一か月の中でプロセスをおさめること。総合病院に紹介状を書いてもらって具体的なイメージを相談にいくことまでやってみるか、医師によってはまた違う診断にあるということはあり得ると思います。セカンドオピニオンをどこに求めるのか、かかりつけ医に相談してみますかね。長い間、社会保険料も税金も払い続けてきたのだから、これからは使える制度があれば使っていいのよと相談員さん。
手術をしてまで生きながらえていくのかという気持ちに昨夜はなりましたが与えられた命の時間、生きなければなりませんかね。月組の『桜嵐記』をライブ配信で視聴しながら、こうして争いで志を果たせないままたくさんの命が散っていった歴史の上に今のわたしたちの命はあるのだと沁みました。だから死んではいけないのだと思います。
考えなければならないこと、整理しなければならないことがあり過ぎて今考えられるのはここまででしょうか。試練につぐ試練、どうなっていくのか、どうすればいいのかわかりません。
ささやかなブログへの訪問と応援、いつもありがとうございます。
それから半世紀以上の長い時が流れ、苦しみの上にさらにまた苦しみの上塗りとなりました。帰省してから田舎生活には必須の自転車に30年ぶりに乗ってから痛みがひどくなっていた股関節と腰、それでもどこへ治療にいけばいいのかわからず、マッサージを受けることもないまま時を過ごしました。この街に戻ってきてから気にはなりながらも歩く生活に戻れば、また以前の自分に戻れると過信していたところがありました。3年前の今頃まで毎日ものすごく歩いていて、マッサージに行けば太ももにしっかり筋肉がついていますねと言われていた自分に戻れると過信していました。訪問のある仕事に戻れると信じていました。振り返ってみれば、7カ月就労したところは別にして面接時になんとなく歩き方がおかしくバランス悪い、しゃきっとしないと見られていたということなんだろうと思います。7カ月間の通勤も遠くて、相当体にこたえていたはずなのに気力でここまで自分をひっぱってきました。
右の足が曲げられなくてヨガにいってもあぐらをかくことができないのがまだ若い時からわかっていましたが、無理に無理に無理を重ね続けた結果、レントゲン検査で変形性膝関節症という診断でした。手術をした方がいい、手術をして人工股関節にすればだいぶ楽になるという医師の話でした。今すぐ決めることはできないというと、リハビリをやってみるか手術をするか少し考えてみるように言われました。診察代を払った時リハビリをやってみたいと言うとまた医師の診察、一か月やってみてまた話をきかせてくださいということで、理学療法士によるリハビリを申し込みました。手術をするなら紹介状を出すと言われた病院三か所のうち二か所は3年前の今頃行ったことがあります。人のために働いていました。そうは言いませんが仕事で行ったことがあると言いました。
入院するには親族の同意書が必要なはず、てんがいこどくとなった自分が、無職の自分が、入院して手術して日常生活をまた送っていくという具体的なイメージが全くできません。どうすればいいのか思考はとまっています。お仕事さがしは、手術をすると決めるまで現状維持とするということだけ相談員さんと確認しました。保険診療の対象となることはネットで把握しました。行きたいわけではないですが、まずは役所に行って医療費の限度額証を出してもらえるか確認しますかね、それと一か月の限度額、低所得者はいくらだったか忘れてしまいました。限度額は一か月の診療の中でなので、もし手術をするのであればできるかぎり一か月の中でプロセスをおさめること。総合病院に紹介状を書いてもらって具体的なイメージを相談にいくことまでやってみるか、医師によってはまた違う診断にあるということはあり得ると思います。セカンドオピニオンをどこに求めるのか、かかりつけ医に相談してみますかね。長い間、社会保険料も税金も払い続けてきたのだから、これからは使える制度があれば使っていいのよと相談員さん。
手術をしてまで生きながらえていくのかという気持ちに昨夜はなりましたが与えられた命の時間、生きなければなりませんかね。月組の『桜嵐記』をライブ配信で視聴しながら、こうして争いで志を果たせないままたくさんの命が散っていった歴史の上に今のわたしたちの命はあるのだと沁みました。だから死んではいけないのだと思います。
考えなければならないこと、整理しなければならないことがあり過ぎて今考えられるのはここまででしょうか。試練につぐ試練、どうなっていくのか、どうすればいいのかわかりません。
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