「るろうに剣心『最終章』2部作がワンツー!」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/4eaff5b2a27282eacf64b147438282ea
KEISHI OTOMO(大友組)
@TeamOTOMO
https://twitter.com/TeamOTOMO
「1)タクシーの運転手さんとさっき話したのですが、都内では6月に入ってめっちゃ人出が増えてます。底が抜けつつある。夜の店もお酒の提供も。緊急事態宣言下であっても、何がなんでもオリンピックは開催。そんな行政の態度を察して、現在進行形で喘いでいる人たちが要請に素直に応じられる訳がない。
2)宣言を骨抜きにし、オリンピックを素直に受け入れられない状況を作っているのは、いったい誰なのでしょう。色々動いてみて改めて思ったのですが、国会や都庁という象牙の塔にこもっている方々には、そもそも国民の生活に対する共感力が欠けているんですね。
3)言わずもがなですが、コロナだけが人を殺すのではない。生活の困窮や破綻、商売や学業ができなくなること、そしてそれに由来する絶望や不安が人々の命と健康を脅かす。何年もかけて作り上げた作品の発表の機会が奪われることも同様です。
4)小さな生活の、細やかな、とるに足らないことの中にこそ、個々の幸福や生の実感がある。#るろうに剣心thebeginning で描いているのは、そうしたことです。既に公開している #るろうに剣心最終章TheFinal で描いているのは、それが奪われた後の「怨嗟の連なり」の構造です。
5)ギリギリの中で生活を守るために、もはや要請に従ってはいられないと、悲鳴のような声をあげている人たちが沢山います。誰にとっても一度きりのかけがえのない日々は、そもそも「私権」という法律上の概念で一括りされるようなものではありません。
6)国民の命と健康を守ると、政治はお題のように繰り返すけれど、一つ抜けています。守らなければならないのは国民の命と健康と「当たり前の暮らし」です。制約を強いるばかりではなく、政治は知恵を発揮して、日々の喜びを取り上げるのは辞めて欲しい。本末転倒の言葉はもう聞き飽きました。」
『るろうに剣心』の大友監督のツィッターの声、そのまま引用させていただきました。映画館や劇場を中止させておいて、オリンピックの開催にあわせた緊急事態宣言の発出、延長、そして解除?心の中で血と涙を流しながら稼いだささやかなお給料から納めた税金が湯水のように垂れ流されている状況は目も当てられません。時給日給以前と変わらないのに社会保険料はあがるばかり、それで現役世代には70歳まで死ぬほど働けといわんばかりだしひどいです。大切な、大切なお金は未来を担う子供たちのために、社会のセーフティネットの間で本当に困っている人たちのために使ってほしいです。なんでオリンピックのために湯水のようにどんどん流れていくのか、消費税10%も大きいのに、これ以上税金を使わないでください。どうしてもオリンピックをやりたいなら、やりたい人たちがポケットマネーでやってください。劇場に要請したように「無観客」でやってください。都内の寄席が不要不急にはあたらないとして公演を続けたら中止を要請しましたよね。無観客開催の要請は、毎日毎公演ライブ配信を実施できるわけではない、全ての劇団はできるわけではないので実質中止せよと同じこと。それによって億単位のチケット収入が入らないということは、これでごはんを食べている方々が生活できないということです。当たり前の暮らしを続けていくことができないということです。
詳細は書けませんが8年前全く想定していなかった労働紛争となってしまったとき、ある政党の事務所に行ったことがあります。国会議員と話をしました。国会議事堂で行われる特別委員会を傍聴し、当時の総理大臣の嘘の答弁を目の当たりにしたこともあります。永田町の参議院会館にも何度か行きました。その時自分のしていたことの是非はともかく、なんて私たちからかけ離れたところにいる方々なのかと感じました。ただし、一部そうではない国会議員もいますが、誰のための、何のための政治なのかと考えてしまいました。そんなことばっかり言っていないでとか、そんな話ばっかりしていないでとか、その頃周囲には言われてこういう話をするのは異端みたいになり、生活していくことはできないので自分でも閉じました。本当は私たちの暮らしそのものだと思います。
『るろうに剣心 最終章 The Beginning』に描かれた、剣心に幼馴染の許嫁を斬られ復讐のため剣心に近づいた巴と、その真実を知らないまま巴を守りたいとする剣心とのつかの間のささやかな当たり前の暮らしが沁みました。巴が剣心にぶつけた、新しい国をつくるためには刀を持った幕府側の人間はどんな人でも斬られていいのか、誰もひとりひとり守るべき人がいる、守るべき暮らしがある、そんな内容の言葉を巴が剣心にぶつけているのが沁みました。新しい国をつくるために今人を斬っている剣心は、新しい時代がやってきたらそれ以上にたくさんの人を守る、だから剣心を死なせはしない、幕府側の冠者に利用されたと知った巴は剣心を守るため剣心の刃に倒れます。巴の亡骸と共に当たり前の暮らしを営んだ家に火を放ち、巴が願った平和の暮らしのために誰かがやらなければならないと刃を振るい続けた剣心は最後の戦いに勝つと刀を地面にぶっさして姿を消します。深い物語、殺陣のシーンはよくできているのでちょっとこわいですが、こんな時たくさんの人にみていただきたい作品。
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/4eaff5b2a27282eacf64b147438282ea
KEISHI OTOMO(大友組)
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https://twitter.com/TeamOTOMO
「1)タクシーの運転手さんとさっき話したのですが、都内では6月に入ってめっちゃ人出が増えてます。底が抜けつつある。夜の店もお酒の提供も。緊急事態宣言下であっても、何がなんでもオリンピックは開催。そんな行政の態度を察して、現在進行形で喘いでいる人たちが要請に素直に応じられる訳がない。
2)宣言を骨抜きにし、オリンピックを素直に受け入れられない状況を作っているのは、いったい誰なのでしょう。色々動いてみて改めて思ったのですが、国会や都庁という象牙の塔にこもっている方々には、そもそも国民の生活に対する共感力が欠けているんですね。
3)言わずもがなですが、コロナだけが人を殺すのではない。生活の困窮や破綻、商売や学業ができなくなること、そしてそれに由来する絶望や不安が人々の命と健康を脅かす。何年もかけて作り上げた作品の発表の機会が奪われることも同様です。
4)小さな生活の、細やかな、とるに足らないことの中にこそ、個々の幸福や生の実感がある。#るろうに剣心thebeginning で描いているのは、そうしたことです。既に公開している #るろうに剣心最終章TheFinal で描いているのは、それが奪われた後の「怨嗟の連なり」の構造です。
5)ギリギリの中で生活を守るために、もはや要請に従ってはいられないと、悲鳴のような声をあげている人たちが沢山います。誰にとっても一度きりのかけがえのない日々は、そもそも「私権」という法律上の概念で一括りされるようなものではありません。
6)国民の命と健康を守ると、政治はお題のように繰り返すけれど、一つ抜けています。守らなければならないのは国民の命と健康と「当たり前の暮らし」です。制約を強いるばかりではなく、政治は知恵を発揮して、日々の喜びを取り上げるのは辞めて欲しい。本末転倒の言葉はもう聞き飽きました。」
『るろうに剣心』の大友監督のツィッターの声、そのまま引用させていただきました。映画館や劇場を中止させておいて、オリンピックの開催にあわせた緊急事態宣言の発出、延長、そして解除?心の中で血と涙を流しながら稼いだささやかなお給料から納めた税金が湯水のように垂れ流されている状況は目も当てられません。時給日給以前と変わらないのに社会保険料はあがるばかり、それで現役世代には70歳まで死ぬほど働けといわんばかりだしひどいです。大切な、大切なお金は未来を担う子供たちのために、社会のセーフティネットの間で本当に困っている人たちのために使ってほしいです。なんでオリンピックのために湯水のようにどんどん流れていくのか、消費税10%も大きいのに、これ以上税金を使わないでください。どうしてもオリンピックをやりたいなら、やりたい人たちがポケットマネーでやってください。劇場に要請したように「無観客」でやってください。都内の寄席が不要不急にはあたらないとして公演を続けたら中止を要請しましたよね。無観客開催の要請は、毎日毎公演ライブ配信を実施できるわけではない、全ての劇団はできるわけではないので実質中止せよと同じこと。それによって億単位のチケット収入が入らないということは、これでごはんを食べている方々が生活できないということです。当たり前の暮らしを続けていくことができないということです。
詳細は書けませんが8年前全く想定していなかった労働紛争となってしまったとき、ある政党の事務所に行ったことがあります。国会議員と話をしました。国会議事堂で行われる特別委員会を傍聴し、当時の総理大臣の嘘の答弁を目の当たりにしたこともあります。永田町の参議院会館にも何度か行きました。その時自分のしていたことの是非はともかく、なんて私たちからかけ離れたところにいる方々なのかと感じました。ただし、一部そうではない国会議員もいますが、誰のための、何のための政治なのかと考えてしまいました。そんなことばっかり言っていないでとか、そんな話ばっかりしていないでとか、その頃周囲には言われてこういう話をするのは異端みたいになり、生活していくことはできないので自分でも閉じました。本当は私たちの暮らしそのものだと思います。
『るろうに剣心 最終章 The Beginning』に描かれた、剣心に幼馴染の許嫁を斬られ復讐のため剣心に近づいた巴と、その真実を知らないまま巴を守りたいとする剣心とのつかの間のささやかな当たり前の暮らしが沁みました。巴が剣心にぶつけた、新しい国をつくるためには刀を持った幕府側の人間はどんな人でも斬られていいのか、誰もひとりひとり守るべき人がいる、守るべき暮らしがある、そんな内容の言葉を巴が剣心にぶつけているのが沁みました。新しい国をつくるために今人を斬っている剣心は、新しい時代がやってきたらそれ以上にたくさんの人を守る、だから剣心を死なせはしない、幕府側の冠者に利用されたと知った巴は剣心を守るため剣心の刃に倒れます。巴の亡骸と共に当たり前の暮らしを営んだ家に火を放ち、巴が願った平和の暮らしのために誰かがやらなければならないと刃を振るい続けた剣心は最後の戦いに勝つと刀を地面にぶっさして姿を消します。深い物語、殺陣のシーンはよくできているのでちょっとこわいですが、こんな時たくさんの人にみていただきたい作品。