たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

旅の思い出写真_パリ市内

2017年06月07日 16時31分38秒 | ドイツロマンティック街道とスイスアルプス
 ぐちゃぐちゃになっていた10年前の旅の写真の整理がついてきて、わたしの気持ちの整理もついてきて、最終地パリへとたどり着き、旅の終わりがみえてきました。

 パリへたどり着いた翌日、2007年10月26日(金)、日本を出発して7日目、午前中はツアーに組み込まれたパリ市内観光ツアーに参加しました。シャイヨー宮、コンコルド広場、ノートルダム寺院、シャンゼリゼ通り、凱旋門、オペラ座、エッフェル塔、マドレーヌ寺院とバスに乗り点で移動。10月のヨーロッパ、小雨が降り、ものすごく寒かったです。日本で真冬に着るコートを着ていました。日頃の疲れもあって、体がきつくなってきた記憶が・・・。

 オペラ座周辺はものすごい人だかりで騒然としていて、いつどこでスリに遭遇するかと気が気でなく、オペラ座をゆっくりとめでる余裕はなかったような記憶が・・・。

 エッフェル塔のすぐ近くに立った時は、写真などであまりにも触れる機会がありすぎたからか、なんだか本物の近くに立っているという実感がありませんでした。わざわざパリまできたのに不思議な感覚でした。パリにきたんだと実感がわいたのは、シャンゼリゼ通りを歩いたとき、凱旋門がみえてきた時だったでしょうか。

 午前中のツアーが終わったあとは、ライン川クルーズでご一緒させてもらった女性の二人連れと一緒にお昼をいただきました。中華だったかなあ。すぐお隣のテーブルでは、あでやかな赤いお洋服を着こなした、白髪の美しいご年配の女性が旦那さんと一緒に好奇心いっぱいの瞳で箸を使って食事されていました。パリへやってきたんだと実感したひとときでした。

 パリはそれほど広くないので歩く街。食事が終わると地図をみながらわたしはルーヴル美術館の鑑賞ツアーに参加するため、日本人向けツアーをやっている旅行会社へ歩いて向かいました。お二人も地図をみながら徒歩で観光へ。地図の通りの名前はフランスなのでストリートではなく、アベニューなのだとお二人に言われて、そうでしたと納得。細かく思い出すことはできませんがデパートの角を曲がったところにあるツアー会社までドキドキしながら一人で歩いて行きました。ルーヴル美術館の鑑賞ツアーが終わるとシャンゼリゼ通りを足が痛くなるほど歩き、ホテルまで戻ったかな。ルーヴル美術館を出たあと、観光客に道をたずねられたような記憶が・・・。わたし、馴染んでいるようにみえたのでしょうか。

 地下鉄に乗ったのは翌年再びパリを訪れた時だったので、この時は全て徒歩でした。シャンゼリゼ通りを歩いていたとき、足元からなにか人が生きているエネルギーが伝わってくるような感覚がありました。パリは基本宵っ張りの街だという説明でした。ホテルに戻ると歩き疲れ、お腹もすいていたので一階のレストランで食事。前菜、スープ、パンを注文して、これで全部ですとおぼつかない英語で伝えたらお店の人がびっくりぽんな表情をしていましたが小さい体の日本人にはこれで十分。メインディッシュのお肉を、大柄なヨーロッパの方々が召し上がっているのをみただけでお腹いっぱいになってしまったんです。翌年安いツアーで再びパリを訪れた時、このホテルを素通りしなければならなかったのはつらかったです。お値段の差は、ホテルのランクに歴然とあらわれるのだと知りました。

 そんなこんなでルーヴル美術館鑑賞ツアーに参加した翌日、旅の最終日は午前中ヴェルサイユ宮殿の日帰りバスツアーに一人で参加、パリへ戻ってきてからは午後ツアーメンバーの女性ふたり連れとたまたま一緒にセーヌ川クルーズに参加。たどたどしい英語でなんとか乗り切り、夕刻ドゴール空港へ。20時発の成田空港行きの飛行機に乗ったのでした。成田空港の文字が見えた時、現実が戻ってきた時、「いよいよ日本へ帰っちゃいますね」「現実ですね」「帰りたくないですね」とツアーメンバーと会話。帰る場所があればこその旅。同日日本を出発する予定だった同じツアーは、台風のため出発できなかったとのこと。わたしはやっぱり運のいい、晴れ女でした。







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