2017年10月11日(水)に世田谷の五島美術館を訪れました。目的は10月7日(日)から15日(日)まで特別出展された「国宝紫式部日記絵巻」でした。ギャラリートークが開催されていたので途中から聴講し、そのあとで鑑賞しました。作品を守るために照明はかなりおとされていましたが、お話にあったように、正面からではなく少し角度をかえてみると黒一色にみえる装束に濃淡のあることなどがよくわかりました。細やかに描かれていて驚きました。20数年前、都心で暮らし始めた頃「国宝源氏物語絵巻」が展示された時に一度訪れて以来でした。現在絵巻はデジタル化が進められているというお話もありました。貴重なコレクションを伝えていくために欠かせませんね。
「紫式部日記絵巻の成立
・平安時代・11世紀初めの紫式部著『紫式部日記』を役250年後の鎌倉時代・13世紀前半に絵画化し絵巻にしたもの。
・伝承筆者・詞書=後京極良経(1169~1206)、絵=藤原信実(1176?~1265?)」
五島美術館Webサイト
https://www.gotoh-museum.or.jp/より
「五島美術館所蔵五島本第一段
寛弘5年(1008)10月17日の夜、昇進した御礼を中宮彰子(藤原道長の娘、999-1074)に啓上しようと、藤原斎信(967-1035、42歳)と藤原実成(975-1044、34歳)が、宮の内侍と紫式部を訪ねる場面。左側に大きく庭を描き、建物を斜めに配した大胆な画面構成を示す。左上の銀の月が、詞書にある「月いとおもしろきに」「月いとあかしに」を象徴。」
「五島美術館所蔵五島本第二段
寛弘5年(1008)11月1日、皇子誕生50日目の祝の日の様子。朽木文様の几帳で仕切られた神殿の内部に、敦成親王(のちに後一条天皇、1008-36)を抱く中宮彰子(988-1074、21歳)と、髪を上げ正装で奉仕する女房たちを描く。松喰鶴文様の敷物の上に高杯を置き、食膳を配す。右下の女房が、詞書に「おくにゐてくはしは見侍らす」とある紫式部か。」
「五島美術館所蔵五島本第三段
第二段と同じ寛弘5年(1008)11月1日、儀式後の宴会の様子。女房の扇を取り上げ、冗談を言う藤原顕光(944-1021、65歳)、素焼きの杯を持ち催馬楽「美濃山」を謡う藤原斉信(967-1035、42歳)、女房装束の棲や袖口の襲の色を観察する藤原実資(957-1046、52歳)、「あなかしこゝのわたりわかむらさきや候」(詞書)と、紫式部をさがす藤原公任(966-1041、43歳)など、各人の様々な姿や表情を生き生きと描き出す。」
高校時代、古典の授業がひそかに好きでした。おばあちゃん先生が怖くてみんな嫌っていたので口に出すことができませんでしたが一人期末テストの成績も悪くなかった。参考書を片手に「紫式部日記」を読みました。断捨離してしまいましたがノートに原文と現代語訳を書き留めました。デジタルでは残したはず。いつかこの世にいる間に「万葉集」と並んで「源氏物語」をゆっくり読み返したいです。そんな穏やかな時間がわたしの人生に訪れるでしょうか。訪れてほしいです、許してほしいです。
9月15日(金)に五島美術館の庭園を散策しました。庭園の散策のみは300円。
ムラサキシキブ
光源氏
またこの頃と同じことの繰り返し、どこかにたどり着けると信じて一生懸命やれることをやってきたはずなのに、気がつけば何度目かの無職、もうこんなに苦しいことは終わりにしたいのに終わりません、永遠にこの時が続いていくような気がします。こんな一番社会が不安なときに何故自分は無職なのか、しかもコロナが理由じゃないので、コロナじゃないんですかってなる。人生の選択を間違えてばかりですが引き返すことはできません。4月末で逃げ出したところは、また人を募集しています。誰も続かない、7か月も持ちこたえたわたしはえらいですが、全部わたしが悪者、こわくて何を信じればいいのか、希望はありませんがまだこの世にいる間にこんなことをやりたいをいくつか積み残しているので生き延びていくしかありません。
ずっと書きたいと思っていたことを4年越しでようやく書けました。
若かりし頃に読んだ本たち、いろいろと整理して、もう一度ゆっくりと読み返したいです。
「紫式部日記絵巻の成立
・平安時代・11世紀初めの紫式部著『紫式部日記』を役250年後の鎌倉時代・13世紀前半に絵画化し絵巻にしたもの。
・伝承筆者・詞書=後京極良経(1169~1206)、絵=藤原信実(1176?~1265?)」
五島美術館Webサイト
https://www.gotoh-museum.or.jp/より
「五島美術館所蔵五島本第一段
寛弘5年(1008)10月17日の夜、昇進した御礼を中宮彰子(藤原道長の娘、999-1074)に啓上しようと、藤原斎信(967-1035、42歳)と藤原実成(975-1044、34歳)が、宮の内侍と紫式部を訪ねる場面。左側に大きく庭を描き、建物を斜めに配した大胆な画面構成を示す。左上の銀の月が、詞書にある「月いとおもしろきに」「月いとあかしに」を象徴。」
「五島美術館所蔵五島本第二段
寛弘5年(1008)11月1日、皇子誕生50日目の祝の日の様子。朽木文様の几帳で仕切られた神殿の内部に、敦成親王(のちに後一条天皇、1008-36)を抱く中宮彰子(988-1074、21歳)と、髪を上げ正装で奉仕する女房たちを描く。松喰鶴文様の敷物の上に高杯を置き、食膳を配す。右下の女房が、詞書に「おくにゐてくはしは見侍らす」とある紫式部か。」
「五島美術館所蔵五島本第三段
第二段と同じ寛弘5年(1008)11月1日、儀式後の宴会の様子。女房の扇を取り上げ、冗談を言う藤原顕光(944-1021、65歳)、素焼きの杯を持ち催馬楽「美濃山」を謡う藤原斉信(967-1035、42歳)、女房装束の棲や袖口の襲の色を観察する藤原実資(957-1046、52歳)、「あなかしこゝのわたりわかむらさきや候」(詞書)と、紫式部をさがす藤原公任(966-1041、43歳)など、各人の様々な姿や表情を生き生きと描き出す。」
高校時代、古典の授業がひそかに好きでした。おばあちゃん先生が怖くてみんな嫌っていたので口に出すことができませんでしたが一人期末テストの成績も悪くなかった。参考書を片手に「紫式部日記」を読みました。断捨離してしまいましたがノートに原文と現代語訳を書き留めました。デジタルでは残したはず。いつかこの世にいる間に「万葉集」と並んで「源氏物語」をゆっくり読み返したいです。そんな穏やかな時間がわたしの人生に訪れるでしょうか。訪れてほしいです、許してほしいです。
9月15日(金)に五島美術館の庭園を散策しました。庭園の散策のみは300円。
ムラサキシキブ
光源氏
またこの頃と同じことの繰り返し、どこかにたどり着けると信じて一生懸命やれることをやってきたはずなのに、気がつけば何度目かの無職、もうこんなに苦しいことは終わりにしたいのに終わりません、永遠にこの時が続いていくような気がします。こんな一番社会が不安なときに何故自分は無職なのか、しかもコロナが理由じゃないので、コロナじゃないんですかってなる。人生の選択を間違えてばかりですが引き返すことはできません。4月末で逃げ出したところは、また人を募集しています。誰も続かない、7か月も持ちこたえたわたしはえらいですが、全部わたしが悪者、こわくて何を信じればいいのか、希望はありませんがまだこの世にいる間にこんなことをやりたいをいくつか積み残しているので生き延びていくしかありません。
ずっと書きたいと思っていたことを4年越しでようやく書けました。
若かりし頃に読んだ本たち、いろいろと整理して、もう一度ゆっくりと読み返したいです。