たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

宙組『エルハポン-イスパニアのサムライ』『アクアヴィーテ』LV

2020年02月16日 23時28分15秒 | 宝塚
 一週間前の今日は梅田芸術劇場で『紅-ing』を観劇したの、夢をみていたんじゃないかと思いながら、今日は遠くなった日比谷に想いを馳せつつライブビューイング会場へ。いつもより小さいスクリーンで狭くて開演前も幕間も客席すごく暗いし、どうなるかと思いましたが上演中は楽しくてしばし現実を忘れることができました。お正月に観劇した、わたしにとって心の故郷日比谷にある東京宝塚劇場、門松からお雛様が飾られるまでの長い公演でした。芝居で最後にききちゃんアレハンドロさんが繰り出してきたのは、まさかの「友達の名前はゆりかちゃん」でした。お昼公演では台本どおり「キキちゃん」だったのかな?最後に余裕のアドリブ。想定外のことにフェルディナントの従者たちが反応できず、素で困ってた?真風さん治道は素で笑いをこらえていた?それまでシリアスだった空気がいっきにかわって楽しい雰囲気に。回想シーンの、治道は戻ることを許されず藤野が和賀城と共に焼け落ちていくところで涙なり、最後は大団円で悪役フェルディナントが登場しますが終わった時どこにも負の感情が残らない心地よさに満たされた芝居でした。何気に深いということを語りたいですが時間がありません。

 ショーは、ライブビューイングのカメラが、オープニングのブルースをグラスを片手にブルースを歌い始める時のピンスポットが当たった、どの角度からみてもかっこよく仕草が美しい、なんなら影までかっこよくみえる、徹頭徹尾かっこよさに徹した真風さんをとらえきれていなかったかな、残念。ウィスキーというワードから世界を広げて命を歌い上げるショー。『エルハポン』の最初の酒場の場面で仙台藩士がウィスキー?のみながら「南蛮では生命の水というそうだ」って言っていることに三回目でようやく気づきました。全部の場面が見どころですがまどかちゃんとキキちゃんが腕を絡めながらせり上がってきてスタートする麦芽のシーンがいちばん好きかな。音楽に和太鼓の音も入っていてソーラン節のような衣装、ダンスだけで蒸留酒へと変化していく躍動感のあるシーン。デュエットダンスの時のキキちゃんのソロ以外にも聴いたことあるような気がする歌だなあと思ったのは西城秀樹さんのウィスキーレインだとお正月の観劇後ツィッターから知り動画でみることもできていたのはよかったです。ウィスキーはお好きでしょの乾杯のあと、拍手が長くて客席のみなさまお疲れ様でしたがこもっていたし、退団していく実羚淳さんの驚異の、ハイレグ脚長で足が顔にくっつくダンスの場面、ソロで歌い終わったキキちゃんがウィスキーの瓶もちながら銀橋から拍手を送っていたし、あったかい雰囲気の千穐楽でした。

 退団者は4名、在団11年、12年、13年はそれぞれ納得ですかね。10年を超えてあの舞台を立ち続けたこと、すごいと思います。組長さんも真風さんも相当疲れ切っていたのを振り絞って声出していたと思います。「体調管理がいちばんむずかしいこの時期に全員で無事千穐楽を迎えることができてよかった」「しばらくは外箱で別れるので」と、真風さんがカーテンコールの最後、治道の声で「各々方さらばでござる」だったかな、すごくいい声でした。

 まだまだ画像も整理しきれていないし、語りたいこといっぱいですが時間切れとなりました。明日はお昼の電話当番、明後日はまた気温が下がって雪が降るの?苦しい現実、きつい郷里の生活、冬の雨の自転車は車があぶないところへなお体にこたえる、雪が降ったりしたらなす術はない、自分の努力でどうにかなるものではない生活。4月からのことはなにも決められない生活。なんとか無事に生き延びられますように、今はそれだけ。帰省しなかったら関西は遠かったんだからさ、出会うことはなかったであろう景色がいっぱいあるからさ、後悔するでないよ、自分を責めるでないよ、自分・・・。



 

宝塚歌劇の殿堂より_宙組『オーシャンズ11』キキちゃん

2020年02月16日 13時59分00秒 | 宝塚
anan2020年1月1日-8月合併号より

「押し出しの強さや洒脱さが加わり、男役としての魅力を増している芹香斗亜さん。『オーシャンズ11』では、主人公・ダニーの親友のラスティ-役に。遊び慣れた男のスマートな軽やかさを粋にえんじてみせた。しかし、稽古は始まった当初は、「まるで真面目な銀行員みたいだ」と言われていたそう。

「演出の小池先生からは、ラスティ-はお洒落な男だと言われていたのですが、どう表現していいのかわからない。それでお洒落な人のマインドを想像してみたんです。ラスティ-って犯罪者でありながら派手な服を着ているような人なんです。その理由を考えていったら、人生を謳歌したいからだというところに行き着いた。銀行強盗も、彼にとってはきっとそのひとつなんですよね。そうう視点で役を捉えるようになってから、演じ方が変わった気がします」

 そこに到達できたのは、ここまでの「経験値があったから」。

 「星組、花組、そして宙組と3組を経験したことで、それぞれの組のいいところを吸収できたのがよかったと思っています。特に歴史に70年近い差がある花組と宙組とでは、雰囲気も作品へのアプローチの仕方も全然違うんです。宙組は新しい組らしく自由でのびのびしていて、みんなで一緒に頑張っていこうという雰囲気がある。一方の花組は一番伝統のある組なので、ひとりひとりが花組の男役であることに誇りを持っていて、個々が競い合って上を目指していくスタイル。私はもともと自分から前に出ていくタイプではなかっただけに、花組で鍛えられた部分がすごくありました。」

 余裕と貫禄でラスティ-を生きているようにみえた裏にはこんな努力がありました。舞台ではさも生まれた時からそうであるように魅せてくれたところが実力だと思います。組替え(人事異動)はタカラジェンヌをさらなる成長へと導くものなんですね。宙組に来ることができてほんとによかったと思います。真風さんダニーの隣にはキキちゃんラスティ-しかあり得なかった。二人で舞台を回していく力がすごかった。二人の並びは尊すぎました。チャラいけどポーらを大切に思っていてポーラのためにイレブンに加わったというところが丁寧に出ていたところも素敵なラスティ-でした。

とてつもなく似合っていた紫ピンクのスーツの色目、間近でみるともっと素敵でした。
これをさらっと着こなしてくれたのカッコよすぎました。



ジョンソン先生の聴診器も展示されていました。








宙組『エルハポン‐イスパニアのサムライ』_少し復習と予習

2020年02月15日 19時25分07秒 | 宝塚
「月ノ浦にしのぶ支倉常長

 バスの窓から右かがを見ると、やがて月ノ浦、荻浜があらわれてきた。この月ノ浦は、藩主伊達政宗の命によって、慶長18年(1613)、支倉六右衛門常長が遣欧の壮挙に船出した港である。一行は常長やフランシスコ会の宣教師ソテロをはじめとする180余人で、同地で陸奥丸と名づけた洋式帆船を建造し、9月15日ともづなを解いたのである。メキシコ、スペインを経てローマへ向かうこのけわしい道をあえて選んだのは、「図南の鵬翼(ほうよく)いずれの時にか奪わん」という正宗の野心」からであったが、それが政治的意図に出たものか、それとも信仰のためか貿易か、キリシタン禁制の当時としていずれとも判断しかねるほどの破天荒な挙であった。

 所期の目的を十分遂げることができなかったにしても、常長はローマ法王にまみえて使命をはたし、7年後の元和6年(1620)8月26日、月ノ浦に無事帰着したのであるから、わが国をはじめて世界史の舞台にのせた人物として、その功を高く評価しなければならない。ただ常長にとって悲劇的なことは、折から幕府のキリシタン弾圧が、彼の帰国を待っていたことである。帰国後2年目の元和8年(1622)7月1日、52歳で没したと伝えられる。遣欧の記録や資料いっさい、世にあらわれることもなかった。常長におくれて日本にたどりついたソテロは、異端の徒として寛永元年(1624)刑死した。結末は悲劇的であったにしろ、いまから三百数十年前のむかし、大海を越えて異国におもむいた雄志と、この挙によっていままで閉ざされていた世界への道をひらいた歴史的意義とは、今日なおかえりみられなければならない。眼下に牡蠣棚のならぶ月ノ浦の入江を見ながら、バスは半島の背をつづら折りに走っていく。」

 (千趣会発行 『文学の旅‐東北Ⅱ岩手・宮城・福島』より)

 たまたま断捨離のために読んでいる本の中に記載されていました。航海の場面、映像による演出でした。どんな経路だったのか気になっていました。今飛行機に乗れば10数時間で飛べる経路とは逆回りですね。舞台では真風涼帆さん演じる蒲田治道の風貌の変化で船旅のきびしさと時の流れを現わしていました。支倉常長は組長の寿つかささん。この時代に目を向けた大野先生のマニアックな博識と蓋をあけてみたらキキちゃんが一心に背負っていたマカロニウエスタンとの融合。道化師のみなさん歌が上手かったし、細かい時代考証に基づいた作品でなぜなのかことばにうまくできませんがみればみるほどじわじわくる世界観。

 いつもより長めの一か月半の公演期間はオケのみなさんも大変だとか。いちばん寒さの厳しい季節にハードな舞台。ほんとにすごい。真風さん、キキちゃん、桜木みなとさんの、背が高くて手が長くて腰の位置も高い三人の並びのずんどこがみられるショーもたまりません。そらさんの成長著しく活躍の場多めなのも楽しく、見どころいっぱい。『紅‐ing』の会場に毎公演いらしていたという藤井先生、明日は宙組の大千穐楽、ご覧になるかな。楽しみです。

 明日のライブビューイングに向けて、少しばかりの予習と復習でした。

『紅-ing』_「わたしは私」

2020年02月15日 13時11分22秒 | ミュージカル・舞台・映画
「I am What I am-わたしは私-(’84年月組・バウ)宝塚歌劇70周年の年頭を飾った作品。

 作詞:酒井澄夫、作曲:寺田瀧雄

 わたしは私 わたしは私 他の誰でもない私 今生きている私
 人は誰でも旅芸人 人は誰でも道化役者
 青いライトでおどけて踊る 嬉しい芝居 悲しい芝居

 わたしは私 わたしは私 どんな時でも どこにていも私
 どんな役でも演じます どんな姿にもなりましょう
 それは今夜の一つの芝居 それはある日の一つの戯れ

 あなたの瞳に見える私 あなたの瞳に映る私
 夜明けのまどろみの中に 過ぎゆく時の夢の間に
 映る私は夢まぼろし 夢の終わりの白い影

 綺麗な私 哀れな私 可笑しい私 悲しいこの私
 誠は一つ 真実一つ 誰でもないの この生きている私

 わたしは私 それでもあなたの代わりはしない 
 あなたはあなただから 誰でも人は悲しい愛を
 求めて生きる 孤独な道化師」

 大地真央さんが歌われた「わたしは私」、こんな歌詞でした。SNSにあげてくださっている方がいて参照させていただきました。『エクレール・ブリアン』で素敵に紅さんの卒業を飾ってくれた酒井先生、梅田芸術劇場の2日目かな、客席にいらしていたとのこと、ウィキペディアをみると酒井先生が宝塚歌劇団に就職したのは1959年(昭和34年)とのこと。ずんこさん(姿月あさとさん)の退団公演を手がけたときすでに60代だったということか。80歳を過ぎてなおあんなにおしゃれで斬新なショーを創り上げられたことに尊敬しかありませんが、『エリザベート』の「わたしだけに」が誕生する前にこんな素敵な歌詞をかかれていたとは知りませんでした。今の紅さんの歌声にまるで当て書きのようにあっていたと思います。この歌詞をフルには歌われなかったと思いますが涸れそうな心に沁みわたりました。生で聴くことができて幸せでした。

 『紅-ing』、東京公演限定は『モーツァルト』の「僕こそ音楽(ミュージック)」、どんなドラマが生まれたのでしょうね。わたし、『モーツァルト』の中でタータン(香寿たつきさん)が歌う「星から降る金」は歌声がドラマだと思っているのですが、紅さんが歌ったらタータンとはまた違うドラマが生まれるように思えます。歌は心、舞台は正直でものすごく上手くてもただ上手いだけといえば上手いだけでなにも伝わってこないこともたまにあるわけで、伝えようとする心なのだとあらためて思いました。いつか、少し先の未来に清史郎君のヴォルフガング、紅さんのヴァルトシュテッテン男爵夫人で『モーツァルト』をみたいと一人妄想中です。そんな未来がもし待っているのならまだ死ぬわけにはいかない、そんな未来がもし訪れた時には生きていてよかったとむせび泣くことでしょう。

 怒りと不満にあふれた日常、一ミリも笑いのない日常、人の言うことを自分に都合のいいように脳内変換する身勝手さにうんざりなっている日常、慣れない暮らしに必死に立ち向かっている日常、おかしくなりそうになっている心が救われました。お金と時間かかってもこうして舞台に出向かなかったら、たぶんとっくにほんとにおかしくなっています。人生に必要な時間。

 東京公演、あっという間に千穐楽、遠くなった日比谷に想いを馳せつつ、無事に幕が降りることを祈っています。

 (舞台写真は、中日スポーツの公式ツィーターよりお借りしています。)

 2月9日の梅田芸術劇場、出待ちのあと凍えた体を温めるべく野菜レストランかな?でおそいお昼をいただいて外に出たら、ポスターはすでに『フランケンシュタイン』にかわっていました。フランケンシュタインもみたいですが今のわたしには重すぎるので今回はみないかな。梅田芸術劇場、地下にHUBが入っていることを事前に知る余裕がなかったのでポイントカード持っていきませんでした。次の機会には忘れずに持っていきます。『ニュージーズ』、日帰りできるから梅田芸術劇場かな。






 


また時間給をつかってしまいました

2020年02月14日 19時55分47秒 | 日記
 昨夜また眠剤一錠でも眠れず、さらに半錠、さらに半錠で4時頃ようやく眠ることができました。弟が今週また夜勤をやっているらしく夜中に帰ってくる前に全部終えなければならないプレッシャーもきつければ、2階の足音バタバタで眠ることができないのもきつい。30年間も一人で暮らしていた自分が今さら共存はほんとに無理でした。車が危ないところを自転車の生活もきつくってきつくって、たぶんもう限界を超えています。なので携帯アラームをサイレントモードにして10時半までに電話連絡できるよう目覚まし時計をセットして休みました。結果的に二度目がさめながらもぎりぎりの時間まで起き上がることができませんでした。一昨日に続いてまた時間給を2時間とってしまいました。こんなこと9カ月目まできたし3月末で契約終了だからやれることで怒られちゃいますね。そうでもないのかな、どうなんでしょうかね。なんとも不思議な雰囲気なのでわかりません。どう思われても影でなにを言われていても最初のころのように自分の耳に入ってこさえしなければ、残り1カ月半なのでどうでもいいです。話す人がいなくてすごく孤独ですが話したいとも思わない、自分から人に話しかけることはできないので、ダメなときはどこにいってもこんなもんといえばこんなもんだたのかも。慣れない地域性という土壌の上で、半ば病んでいるような人たちのなかできつい業務。昨日は関係先の不手際による手間をいくつもくってしつこく電話で確認しようとしていたらなぜだか向こうがふてくされてくる始末でまいりましたが、職員の中にも抜けを指摘するとふてくされるような態度をとる人がいるのでほんとにいや。こんな基本的なことスルーするの?っていうスルーに気がついてしまい、またふてくされられるのだろうな思うとほんとにいやだと思いました。昨日と今日休んでいたので、こっちがかんべんしてくれだよと思いながらメモつけてしれっと机の上に置きました。口きかずに仕方なくやるんでしょうね。ほんとに態度が悪い。病んでいるよなあと思います。二度と関わりたくない・・・。

 有給休暇は残り2日と3時間となりました。雪がふることはもうなさそうですが雨がひどい朝やこんなふうになかなか寝つけなかった朝を考えるともしかしたら足りないかもしれないという不安。一日一日でなんとかやり遂げることを目指していくのみ。ここまでよくきたと思います。想定をはるかに超えるきつい田舎生活。

 最寄り駅で電車に乗る前におそい朝食兼お昼の軽食として雑貨も売っているこじゃれたカフェに入ろうとしたらクローズになっていてびっくり。近くで唯一の、貴重なカフェがなくなってしまいました。またさびれ感マシマシ。最寄り駅近郊、コンビニと駐車場とタクシー会社があるばかり。さみしくてさみしくて、手放してしまった駅を降りたらぶらっと立ち寄れるカフェがいつくもある生活が恋しくてなりません。ド〇ールやス〇バがあるのは巨大ショッピングモールの中。ショッピングモールがひとつの街であとは真っ暗。車さえあれば便利だけど車がなかったら不便すぎて暮らすことはできないさみしいところ。山奥じゃないですけどわたしには暮らせない。

 今夜も楽しそうだなあと、遠くなった日比谷に想いを馳せます。日曜日は宙組のライブビューイング。明日、予習と復習で歌劇を読み返さなければと思います。エルハポン、観劇と観劇の間にじわじわときているのはわたしだけではなさそう。お正月の東京公演は大劇場よりも明らかにパワーアップ、二日目にして安定感抜群でした。千穐楽はどうなるのか、楽しみで仕方ないです。キキちゃんがどんなふうに笑わせてくれるのか、楽しみで仕方ないです。キキちゃん笑いには人を幸せにする力があります。日常生活で笑うことは一ミリもないので貴重なひととき。

 来週は五日間フルでとてつもなく長いということを今は考えない、考えない。来週のことは来週のわたしが知っている。ライブビューイングが終わるまで考えるのはやめませう。チケット引き換え、タカラヅカスペシャルの時のように忘れないようにしないとです・・・。



東京国際フォーラムに思いを馳せる夜

2020年02月13日 22時46分15秒 | 日記
 昼間は暖かだった2月半ば、木曜日の夜、自分の4連休明け、3日間の稼働が長くてつらい、あれやこれやで振り回されて人の身勝手さやらこんな事務処理レベルで大丈夫なの?にうんざりなった一日、特に寄りたいところもなく息詰まりそうになりながら、車危ないの中をなんとか無事に帰りついた夜。今日から『紅-ing』が始まった東京国際フォーラムに思いを馳せています。なんども通ったなつかしのCホール。気持ちを救われたCホール。都営三田線の日比谷駅からすぐ、ほんとにすぐ。今だ備忘録を書けていませんが、一年前の2月はラブネバを観劇するために遠征して、前日フォーラムのベルばらコンサートに当日券で入ることができました。梅田芸術劇場に遠征してきたばかりなのに、SNSで今日行かれた方々の声をよみながら行きたくて行きたくてたまりません。苦労して家賃を払っていたとき日比谷まで1時間半足らずの道のりだった自分が今は遠くなってしまったさみしさ、もどかしさとたたかっています。追加のチケットがあっという間になくなってしまうのはさすが東京、人口密度の差ですね。3日間は短すぎます、どう考えても無理で明日と明後日行ける方々が羨ましいです。東と西を同時に叶えている方もいらっしゃるみたいですが自分にはそこまでの力がないです、残念ながら。西だけでも観劇できたのだから万歳。

 掛け声は東京の方がおとなしめなのかな。わたしが体験した、子どもちゃんの掛け声もとんでいた賑やかな空間は西のノリということのようです。どこを切り取っても楽しいばかりが甦ってくるコンサート、笑顔にあふれていたコンサート。東京の壱城さんと小南さんのデュエットダンスの曲が気になる、東京限定の曲が「僕こそ音楽」なのはプログラムで知りました。これも聴きたすぎる。紅さんの歌声がほんとうに綺麗。地声が高めの紅さん、男役ではなくなったことで本来持っている声色が無理なく発揮できる音域で歌うことができるようになって持ち味がより生かせるようになったということなのかな。

 大地真央さんが歌った「わたしはわたし」の歌詞をSNSにあげてくださっている方がいて、このことは休日にあらためて書きたいなと思います。エリザベートの「わたしだけに」のはるか前に酒井澄夫先生がこんなに素敵な日本語の歌詞を書かれていたことに感動。紅さんの声で聴くことができてほんとうによかったです。沁みました。願わくば、ぜいたくを承知でもう一度聴きたいです。心がぼきっと折れそうになる背中を優しくそっと押してもらえる感覚。

 明日は金曜日、今週の電話当番は昨日だけでした。来週になったらカウントダウン始められるかな、いや来週は5日間フルだからまだあります。来週末になったら始められるかな。げっそり、うんざりだらけ。収入は必要だから交通費返さなくてすみようなんとか無事にやり遂げるのだよ、自分。

 蓮さんや壱城さんのインスタを拝見して共有できるのも楽しい、蓮さんの事故発言に「竜平さんのファンに謝りなさい」と怒られていたの、なんだったかな。ドーランを塗れない舞台化粧に苦労したとか、芸も化粧も足すよりも引く方がむずかしいとか、フムフム。15年間もほとんど毎日顔を合わせて苦楽を共にしてきた仲間はお互いに心のふるさとのような存在なんだろうなと思ったりしつつ、土曜日まで心は東京国際フォーラムに! みなさまそろって無事千穐楽を迎えられますように!自分もなんとか生き延びるんだよ・・・。

💛💛💛

2020年02月13日 01時23分23秒 | 日記
 ファンクラブにむけて配信されたメッセージを読んで元気出ました。お墓の中までついていくことは無理と思いますが、康次郎さんご一行と一緒ならあの世もすごく楽しそうなのでお墓の中までついていきたいところですが新たなる人生への船出を応援させていただきつつ、自分自身の船出の道のりをともに歩んでいきたいと思います。はじめてファンクラブなるものに入ってみましたがよかったと思います。幸せ。これで明日のつらい一日を乗り切っていけそうです。

カウントダウンまでもう少し

2020年02月12日 19時16分45秒 | 日記
 自分にとって4連休明け、朝1時間時間給を取得して残りの有給休暇は2日と5時間となりました。2月半ばにさしかかり、残りの実稼働日数そろそろ30日を切ってくる頃です。カウントダウンまでもう少し。まだ油断はできませんがようやくここまできました。なんとも言葉にしようのない居心地の悪さ。怒られたりするからだと思いますが半ば病んでいるような人たちばかりだし、受け付けた書類には必ず名前を記入しましょうと言われても名前がなかったりするのはどういうレベルなんだろと残念ですがやっぱり思わざるを得ません。態度が悪すぎるんじゃないかと感じることもあり、たまたまわたしが確認した大量書類を入力しなければならないタイミングになったとき、ゲッ!とか言ってるのがしっかり聞こえてしまい、どうなのよって思ってしまいました。お昼休みに執務室で平然とお弁当ひろげるのも当然のことみたいで信じられなくって、色々な場面で30年間暮らしたところとは全く違う地域性の中で自分は今いるのだということを感じます。お風呂屋さんの出入り口の真ん前に喫煙所があることすらわたしダメ。煙草の煙にむせてしまうので受動喫煙防止法はどうなっているのとついつい思ってしまいます。首都圏よりもおくれているということなのだと理解する他ありませんがコンビニの前なんかも全部喫煙所があって、わたしにとっては、あーあっていう感じです。

 昨夜家のお湯がでなくなったのは機器の寿命が尽きたのが原因だったようです。人間様に寿命があるように家という構造物も寿命が尽きてくるわけで30年過ぎると特に水回りはきびしい。未来永劫のつもりで建てたであろうデカい家が近隣でのきなみ空き家として打ち捨てられているのをみると、なんとも儚いものを感じます。持ち家信仰が高い地域なので、この世にいなくなったであろう親やその前の代は子どもや孫の代まで未来永劫住むであろうつもりで建てたのだろうけれど利便性低い地域、離れたら戻ってくることはないということなんでしょうね。お金をかけてもどってきた自分、ほんとにアホ。いや断捨離のためにまとまった時間は必要だったのですよ。かつてのように自転車でなんとかなるという甘い見通しがあったのですが時は移ろい車に乗らない限り暮らすことはできないところとなりました。自転車で暮らしていくのは危ないし、体がきつい。東にも西にも遠征できるのになあと思ったりもしますが仕事をしていくのが無理だとわかったので無理。手放してしまったものを取り戻していくのは年齢考えるとかなり険しい。体が動かなくなるぎりぎりのところまで自分を食わせるために稼いで家賃を払い続ける生活に戻って行くことができるのか、母がいなくなった8年前てんがいこどくの身になっていたので自分だけの居場所をまた見つけ直していかなければなりません。命日だと亡き人を偲ぶ会話も一切なく、人って哀しいなあと思いますが洗濯ネット投げつけられた事実は消えないのでお弁当を買って食べる生活を続けています。遺品整理と自分の荷物整理のカタがついて次に離れたらもう戻ってくることはない郷里。30年以上前に買った本断捨離のために少しずつ読み進めていますが、石川啄木の斬新な考え方は陰気な地域性の中では受け入れられず孤立し、石もて終わるるごとく郷里を離れることになったのかとあらためてしみじみ。郷里がやさしいものとはかぎらない、そこからはみ出ちゃうものにはすこぶる居心地が悪い。わかってなかっただけ。

 お風呂屋さんからの帰路、車が危ないのも大変ですが体が冷え切ってしまい足腰の疲れも抜けきれず昨夜は心配していたとおり眠剤のんでもなかなか寝つけませんでした。なので朝一時間の時間給をとったしだい。楽しかった思い出日記のあとで平日はこんな泣き言しか書けないのほんとに情けないし、みっともないかぎり。希望があるって基本思っていませんがひとかけらの希望を信じてカウントダウンまでもう少し。なんとか無事に生き延びていくべし。

 お金使ってしまいましたが、生の舞台に出会う時間がなかったらもっとおかしくなってしまっています。観劇は人生に必要な時間。


『紅‐ing』_ひとかけらの勇気をもらえた

2020年02月11日 19時34分14秒 | ミュージカル・舞台・映画
 衣舞(いぶ)ちゃんと礼良(れいら)ちゃんの「ルージュの伝言」、すごく可愛かった。退団公演となったエルベとエストレージャスでエトワールをつとめたれいらちゃんの歌声、パンチがあってさすがの歌唱でした。宝塚の娘役としてはもしかしたら個性が強すぎたのかもしれないれいらちゃん、紅さんが声かけてくれてほんとによかったと何心かわかりませんが思いました。聴き惚れながら子供の頃から存在そのものがあまりにも当たり前すぎているせいかユーミンの名前がとっさに脳内再生できず時間かかったことを自覚。確実に老いはやってきているのだということにまた気づかされました。紅さんよりはるかにはるかに年くっている自分が第二、いや第三ぐらいの人生をこれから歩んでいかなければなりません。お金をかけて手放してしまったものをまたお金をかけて取り戻していくには、やり直していくには年をとりすぎてしまいました。自分の前には登れそうにない山、渡れそうにない川が立ちはだかっているようにしか思えず、手放さなければよかったと後悔にむせび泣いた夕暮れ、いやそんなことはない、このタイミングで一度手放すことは必要だった、間違いではない、帰省しなければ一年前大劇場でエルベに出会うことはできなかったと自分にいいきかせた夕暮れ。今の紅さんが歌う、「ひとかけらの勇気」、沁みました。いっちゃん(一路真輝さん)が35周年記念のコンサートで今のわたしが歌う「わたしだけに」を聴かせくれたように、紅さんにはライフソングとしてこれからも機会あるごとに歌ってほしいなと思います。わたしの勝手な願望・・・。

以下盛大にネタバレしています。

 紅ティボルトを場面のことをもう少し。踊っていた田極翼さんと如月蓮さんの二人が対決しているかのような振りがあったのですが、二人の激しく挑みあう様がティボルトの影(魂)と死のように感じたとSNSで書いている方がいてなるほどと思いました。男役だった蓮さんのパンツスタイルのダンスは儚い少年性を感じさせたし、ロミジュリにも出演されていた、トートダンサーとしての表現力をもつ翼さんのダンスはしなやかで力強い鋼のようなものがあって、二人のにらみ合いはいいペアだったと思います。いとこのジュリエットを愛しているのにいとこだから自分のものにすることができない苛立ち、ロミオへの憎しみをたぎらせて最後は破滅するティボルトと、破滅へ導いてやろうと忍び寄る死の影、リフトはティボルトが死の影の前に破滅したことを現わしていたのかな、短い時間の中にドラマのある場面でした。カゲコーラス、少ないメンバーでがんばっていたのかな。チームワーク感があってそれもよかった。

 だんだん時間切れとなってきましたがもう少し備忘録。

 ブルゾン紅子WithBの場面、退団したゆずるちゃんは女優になる、女優はおんなにやさしいと書く、ゆずるちゃんがおんなやさしいになってしまう、はなかなかに意味不明。ベルサイユ宮殿みたいな紅子さんの部屋つながりだったかな、ベルばらの話が出ました。どこまで台本でどこからアドリブなのか、ほんとに気になります。ゆずるちゃんはオスカルみたいに中性的な感じで行くべきよ!と紅子さん。でも(ゆずるちゃんは)ベルばらには出られなかった、出ていないから、ベルサイユのばら〇〇〇周年記念とかあっても出られない、新人公演で一回だけベルばらに出たけど侍従長やったしな、とゆずるさんでは言いづらいことをばんばん口にできる紅子さん、便利キャラだなあ、もちろんいい意味で。楽し過ぎました。イケメン執事のリュウヘイが紅子さんに飲み物、なんだったかな?を差し出すところもあったと思うのですが、セリフを話すことに慣れない小南さん、ほんとがんばってくれたし、やさしかった。紅子さんがパンチした風船をやさしくキャッチしてしまったリュウヘイ執事。紅子さん、困って照れちゃってましたかね。気を遣って遠慮しながらもポイントは外さないBOYSとの絡み、アドリブ返せなかったときは自主練までしれくれたみたいで楽しませてもらえました。

 紅子さん、2回目の登場も客席から。2階席と3階席の人は見えないと思うのでわたしの声をラジオできいていると思ってねというあたりの気遣いさすがでした。すぐ見える所にいくから待ってねえみたいな感じだったかな。『エクレール・ブリアン』の「ひとり星の上で」を再現していました。梅田芸術劇場に銀橋はないので端にすわって、ついに少し歌っていたと思います。歌詞を少し替えていたかな。スカートなので足ひろげられないんだけどねと。楽しんでる?インフルエンザに負けていない?なんとかウイルスに負けてない?と元気いっぱい。客席からの掛け声がばんばんとんで聴き取れないこともたびたび。全部聴き取って返そうとしてくれる紅子さん、パワーありすぎる。掛け声のタイミングで台本どおりの台詞がたぶんとびそうになってしまったのかな、これから台詞を言いますからねみたいな強気な紅子さんでしたが、子どもちゃんにはデレデレで弱いですね。怒ってしまってから子どもちゃんの掛け声もあったことに気づいたのは紅子さんではなくゆずるちゃんだったかな。そうですね、ペットボトルの水を飲んだとき、ボトルカバーに「紅-ing」とはいっていて、特別に衣装部さんがつくってくれたので売ってませんよ、と言うと客席からほしいという声がいくつもあった中に子どもちゃんの声もあって売ってないっていってるでしょと怒ったあとで子どもの声もあったことに気づいたのでした。ちょっとびっくりしましたが、子どもちゃんも一緒になって楽しめた、そういう雰囲気の空間だったということが嬉しいなあと思います。客席参加型。

 オープニングで紅さん、最初まちがえて受け身でと言ってしまい、受け身ではなく周囲に迷惑がからないようにしながら参加型でと呼びかけてくれました。わたしのすぐ後ろの方がすごく笑っていたし、客席全体笑いがあふれていて、これはのっていなかい手はないという雰囲気でした。生の劇場空間って、出演者と客席とで創り上げるものなんだという嬉しみをあらためて感じさせてくれたコンサート。こんな年をとってから楽しみがあることは生きる喜びとなります。6月の新橋演舞場も行きたい、一等席は高いのでまだ坐ったことがないです、るろ剣の時もあきらめました。働く気満々なのに、働く力はあるはずなのに、この地域では、家からでは無理だという現実。4月から収入の目途が、目途が、ああ・・・。

 まだありますがいいかげん時間切れ。明日電話当番?それより家のお湯が出なくなったのきつい。


(舞台写真、日刊スポーツさんからお借りしています。)




『紅‐ing』_楽しいがあふれた時間でした

2020年02月10日 21時04分21秒 | ミュージカル・舞台・映画
 現実に戻る前に思い出すままに備忘録、終演後の客席は、楽しかったねーにあふれていて、お腹の底から笑って軽やかになった感が満ち溢れているように感じました。日々きびしい現実の中で闘っているのは決してわたしだけではない、みなさんそれぞれ大変なことがあるのだろうなと思いました。紅さんの、楽しんで笑顔で帰ってほしいという想いに満ち溢れた時間でした。4月からまた失業者になることを思うと往復の新幹線大きいですが人生にはこういう時間が必要、こういう時間がないと生きていけないです。カーテンコールで最後にひとりずつことばをのとき、出演者のみなさんがこの舞台に立つことができて本当に幸せでしたと口にされるのをきいているこちらも幸せでした。最後の最後、宝塚OGたちが紅さんにハグしにいくとき、トートダンサーのお二人はさすがにからめず遠慮していると、「気ををつかってくれてねんねな」と紅さん。小南さん、「稽古場で最初どれぐらい距離をとれれいいのかはかっていた、これぐらいかな、これぐらいかなと」「そうやったの?」みたいな感じがあり、「今は紅さんにかわいがっていただいています」と。

以下盛大にネタバレしています。


大阪限定、ティボルトの歌のときの田極翼さんと如月蓮さんのデュエットダンス、蓮さんが(星組公演のとき)モンタギュー家だったのでティボルトの歌で踊ることができてすごく嬉しかったといったときの笑顔が最高でした。リフトされたときのフォームがすごく美しくて素敵でした。師匠と自主稽古を繰り返したとのこと。いろいろとダンスのことを教えてもらって在団中に知っていればもう少し違ったかもと。退団後もひとつひとつ学び。進化を楽しみにしています。わたしなんか、って言わないでね。

もう一つの大阪限定場面は「最後のダンス」でした。SNSで事前にネタバレしていました。在団中歌う機会のなかった曲を歌いたい、しかもむずかしい曲をうたおうと自分にプレッシャーをかけてハードルをあげたとのこと。紅トートはねっとりとした雰囲気でした。紅トートの『エリザベート』を今からでもみることは叶わないのかしらと思いました。次のガラコンサートなど、在団中に出演していないと無理ですかね、思わず期待したくなるような場面でした。フランツと結婚したシシィをトートが黄泉の世界へと誘いかける楽曲、舞台ではシシィがいる場面、トートからの誘いにあがなうシシィが本当にそこにいるかのような空気感でした。歌唱と声量と声のつやが訴えかけてました。バックのダンスはいうまでもなくトートダンサーのお二人。東宝エリザで十分すぎるぐらい拝見しましたが、黄泉の世界観を創り出すしなやかでばねのあるダンス、さすがでした。

大好きな作品となった『鎌足』の、「夢のまほろば‐大和し美し」を生できくことができたのも嬉しかったです。音源が配信されてからタブレット端末にダウンロードして毎朝電車の中で聴いている楽曲、バックに流れる映像とすきとおるような歌声との融合が素敵でした。ぼうっと聞きほれていました。『スカレーット・ピンパーネル』の「ひとかけらの勇気」もはじめて生で拝聴。3年前のライブビューイングを思い出すと格段に進化されたと思いました。「登れない山、渡れない川、あまたの障壁のりこえて~」、色々な思いが胸の中にあふれて沁みました。3階席だと見切れていたのが残念でしたがバックで舞台写真がふんだんに流れました。

もう一回みたい、東京公演にもいきたすぎる、無理ですが、無理ですが行きたいなあ。藤井先生作詞のテーマソング、もう一回きいたらおぼえられそう。「おしゃべる星人」っていう当て書きそのもののフレーズがきこえきて笑えました、もちろんいい意味で。もう一回ききたい。

始まったばかりなのに、宝塚OGで「さよなら皆様」を歌って梅田芸術劇場の緞帳がおりたときなにごと?って思ったら、ゆずるちゃんが宝塚を退団しちゃったのよ、どうして退団しちゃったのよ、ときこえてきたのは客席に響き渡る紅子さんの甲高い声。みえていない2階席と3階席にも声をかけながら登場して、ブルゾン紅子WithBのはじまりでした。紅子さんのベルサイユ宮殿みたいな?秘密の部屋?を初公開、ソファの両脇にはプレゼントとお手紙の山、田極さんと小南さんが執事として仕えているという場面でした。イケメン執事二人になかなかきびしい紅子さんでしたが、田極さんに「ねぇ紅子のどこが好き?」ってきいて、「素直なところ。あと、褒めると照れるところ」って真顔で素直に答えられたときは素で照れてしまっていて、かわいいゆざるさんでした。ふだんの舞台では台詞をいって芝居をすることのないダンサーのお二人がイケメン執事を真面目にやってくれたことに感謝、楽しめました。どのあたりまで台本どおりなのかすごく気になるところ。

壱城あずざさんの髪型と立ち姿がかっこよくて素敵なのも印象的でした。紅5のときはTシャツの袖あげてました。かっこいい女性の代名詞みたいな佇まい。すでに退団して出演していない「killerRouge」のキラッキラッの振付をかっこよくキラキラに決めていたのがかっこよすぎました。「エストレージャス」ですでに退団して出演していない十碧れいやさんがかっこよく振りをきめているのもなんだかむねあつでした。「エクレール・ブリアン」はみんなで歌唱。わたしはみていない、大介先生が生み出したもうひとつの個性的なキャラクター「双子座のジェミニ」が登場したのも嬉しかった。高い声と低く太い声との瞬時の切り替えがすごい。宝塚メドレーの時のパンツスタイル、バックからみるとスカートみたいな衣装なのもよかった、もちろん紅色。

東京国際フォーラムの上演時間、いつの間にか公式に2時間と変更されました。それでもたぶん足りない、盛りだくさんすぎる楽しいひとときでした。誰もが笑顔になれる、コンサートというよりは楽しいがあふれた不思議といえば不思議な時間でした。