たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

明日からまた・・・

2017年01月03日 21時21分17秒 | 日記
 わたしの体はもう少しお休みしたがっていますが、昨年のことも、一昨年までのこともまだまだ片付けきれないでいますが、明日からまた始めなければなりません。午後、定期券を購入してから、面接の時以来すっかり忘れてしまっていた通勤経路を再確認しようと外に外に出たはいいですが、まずは定期券の購入で想定外のつまずき。今までとは違う最寄り駅で鉄道会社も今までとは違うところを利用することになりますが、なんと手持ちのクレジットカードが使えませんでした。ガーン! 手持ちのクレジットカードを使って定期券を購入するためにいつもの最寄り駅まで歩いて出直さざるを得ませんでした。これだけで汗だくのへとへと。さらに今度は乗り換えが二回。電車に乗っている時間は長くありませんが、車輌の場所によってはエスカレーターまでけっこう歩く羽目に。さらにエスカレーターもけっこう長いです。また朝早いしこれは疲れるなあとあらためて思いました。帰りは早いですが、ラッシュの時間帯の朝は乗り換えにどれぐらいかかるのか読めません。契約は8時45分からですが、所々の状況から明日は8時30分に行くことにしているので、間に合うかどうか、めっちゃ緊張しています。プレッシャーで押しつぶされそうです。到着駅から就労場所までの道のりも再確認。ぱっと駅前に出ても面接に行った時と同様わかりませんでした。思い出しながら歩いて行って道のりを確認。さらに夜間の通用口を確認するために建物の周りを一巡。暗くなってきてしまったので一巡目ではわかりませんでした。あせりつつ二巡目に確認。また到着駅まで道のりを確認しながら戻ったところで汗だくのへとへとになりました。こんなんじゃきびしいなあ。

 まだまだ前職の余韻と疲れを色濃くひきずっています。国家試験合格から10年が過ぎたのでテキストを読み直しておかなければと思いながら、予想通りまったく手をつけられませんでした。資格をもっているのに、なんて言われないか心配です。やりながらでいいですよ、という面接のときの言葉を信じるしかありません。新しい場所、新しい人、新しい業務内容。年齢的にかなりきついです。わたしは大丈夫でしょうか。まずは明日とまた一日一日でやっていくしかありません。前職ほど窓口で大きな声をはりあげなければならないということはないだけいいはずです。キイキイ声の人はいないはずなのでそれだけでいいはずです。わたしにはやれるいだけの勇気とエネルギーがあると言い聞かせるしかありません。

 気がついたら服などがよれよれ。前職、前々職の疲れとアカがどっぷりとしみついてしまっているではありませんか。これではみっともないし気持ちを切り替える意味でもインナーとカーディガンを一枚ずつだけ新規購入。今までのものとはお礼を言ってお別れするつもりです。ほんとにまだまだお別れしたいもの。お別れしてリニューアルしたいものがたくさんありますが追いついていません。あせるなかれ。まだ人生の時間はあるので、少しずつ、少しずつ・・・。

 元気が出るように今日もパブロとケント王子が遊んでいる場面のお写真を・・・。この笑顔、ほんとに可愛いですね。いやされます。3日間がんばれば、三連休が待っていると言い聞かせてなんとか、なんとか。やり残していることはたくさんあれど、さっさと準備して休まねばですね。年賀状のお返事は連休に持ちこします。送ってくださったわずかな方、本当にごめんなさい。書き入れていない観劇日記なども連休に書ければと・・・。

 写真はステージナタリーから転用しています。

 

『マリー・アントワネット展』に行ってきました

2017年01月02日 22時30分03秒 | 美術館めぐり
 年明け、無職なってから呑気に行くつもりだった、ヴェルサイユ宮殿監修『マリー・アントワネット展』になんとか行ってきました。六本木ヒルズ森タワー52階。あのような大都会の、広くて複雑な超高層ビルとショッピングビルはは苦手、二度目ですが相変わらず迷子になっていました。なかなかに疲れますが、飛行機に10時間余りのってフランスにいってもお目にかかることができないものばかりで、『1789バスティーユの恋人たち』の観劇日記に書き連ねていることを実感して、胸が熱くなりました。こういう品々が海を渡ってよく日本に貸し出されたもんだと関心しました。音声ガイドのアントワネット役が花ちゃんというのも贅沢でした。フェルゼン役の平川さんの声も素敵でした。アントワネットと長女、長男の肖像画あたりから涙。37年という時間を、毅然として生き抜いた一人の女性の波乱に満ちた生涯をたどった感でした。

 国王一家と運命を共にし、アントワネットが心から信頼を寄せていたルイ16世の妹エリザベートの肖像画。たおやかな、優しさに満ちた表情でした。エリザベートのもとに届くことはなかった処刑される数時間前にアントワネットがエリザベートに宛てて書いた遺書。この手紙はロベスピエールの家で発見されたものだそうです。亡くなる二年前ぐらいにふたりがチュイルリー宮で作成したと思われる大きな大きな絨毯。フランス語なのでちゃんとは読めませんでしたが縁に王妃アントワネットと国王の妹エリザベートと、二人の名前が並んで刻まれていました。ヴァレンヌの逃亡に失敗して捕らえられたアントワネットがフェルゼン宛に書いた手紙。2016年1月黒く塗りつぶされた部分が解読されたそうです。フェルゼンの暗号を使った手紙。誰がこれらの手紙の橋渡しをしていたんでしょうね。アントワネットが断頭台にのぼる際に脱げ落ちたとされる靴の片方。小さいサイズでした。靴の中敷きに、たしかに人がはいていた足跡を感じて生々しかったです。囚われていたアントワネットが身に着けていたシュミーズと使用していた化粧水の瓶。贅沢の限りを尽くした宮廷生活を送っていた王妃の日用品としてはあまりにも質素。ルイ16世は一人の愛人も持たなかったことがアントワネットを不幸にしたかもしれないという音声ガイドの解説。それまでは王の愛人が憎悪の対象となっていたのが、そういう対象がいなかったために王妃が憎悪の対象となってしまったという内容でした。ヴェルサイユ宮殿の、寝室の冬用、夏用のタペストリーやら、王妃がコレクションした日本製の食器やら調度品やら、センスがよく贅を尽くしたものばかり。ヴェルサイユ宮殿で確かにみたなあと記憶がある王妃の寝室の写真。ヴェルサイユ宮殿は広すぎて見学者が多すぎて、お手洗いが少なすぎて大変でゆっくりと見学できた実感は皆無でしたが贅沢すぎるという実感は持てたと思いますが、食器までみることはできませんでした。今回展示されていた食器の一部だけでもほんとに贅沢。国庫が破綻していったのも無理からぬこと。アントワネットは自然を好む人だったのに、嫁いだばかりの頃、宮廷の贅沢にとりつかれてしまったのは心の隙間を埋めるためだったのでしょうか。本来の王妃を役割にアントワネットが目覚めたときはすで革命という火花が彼女を呑み込もうとしていました。いろいろな想いは、『1789~』の観劇日記に綴っているとおりです。

 トップの写真は、帝国劇場で上演された『1789バスティーユの恋人たち』のマリー・アントワネット。


 下記の写真はすべて、『マリー・アントワネット展』公式HPから転用しています。

ヴェルサイユ宮殿



1755年のオーストリア皇帝マリア・テレジア一家。真ん中のゆりかごにいるのが末娘のアントワネット。
 



大盛装したアントワネット。奇抜な羽飾りと衣装。すでにモード誌が発行されていたパリのファッションリーダーでした。宝塚の衣装ですっかりお馴染みになっていますが冷静にみるとやはりすごいですね。




解読された1792年1月4日付のフェルゼンに宛てた手紙。




 余談ですが『黒執事』に出演されていた方とそっくりな方を入口付近で見かけたのですが違う人かな・・・? 

 明日で休みは終わり。次の通勤経路と通勤場所を再確認に行かないと4日に出勤することができません。10日ぐらいやすみたいなあ。つらいなり・・・。

人の真価がとわれるとき

2017年01月01日 15時11分53秒 | 日記
 ツィッターから知った昨日(12月31日)、SMAPの中居君がラジオで語った言葉たち。自分自身と重ね合わせながら聴いていたら涙がでてきました。権力にしがみついて、人を貶めるために嘘をついたり群れて人を悪く言ったりする人たちにぜひ聴いてほしい。 

 https://www.youtube.com/watch?v=M7eAbkwYqC4&feature=youtu.be

 今まで教えられたことのない、出会ったことのない困難な壁にぶち当たった時こそ、その人が、その人の生き方が問われるのだとあらためて思いました。誰も悪くない。正解も不正解もない。自分のしてきたことを全部肯定するつもりはない。自分を肯定するために嘘をついたり、悪口を言ったりしたくない。いつも前向きでいられる人間ではないので、立ち止まってあの時どうだったかな、あの時こんな回り道していたんだって、振り返る時間がほしい。

 こんな内容のことを中居君は語っています。最後に流れる曲は、市販されていないものでこのためにレコード会社が音源を用意したものだそうな。彼らは権力に敗れたみたいにみえるけれど、現実と真摯にむきあい、自分に忠実に生きる者こそ、真の勝利者だとわたしなりに思います。そもそも勝ち負けじゃないですけどね、対立構造になってしまうとどちらが勝ちか、どちらが負けかをついつい考えてしまいます。わたしにそんな考え方が身についてしまったのかもしれません。

 わたしなんか特にファンとかじゃないですが、スマスマの最終回はワンセグで細々とみて、20年間という歳月に色々な想いが去来しました。20年前はわたしにとって、妹とのお別れからまだそれほど時間がたっていなくてすごく辛かった時、自分を責め続けていた時。それでもスマスマをみるとすっごく楽しくって心の底から笑えました。ロングバケーションの初回のあとの放送がスタートでほんとに楽しかったです。最終回を初回のオープニング映像で締めたところに想いがあふれているなあと思いました。震災への支援をよびかけて締めたところに彼らの人柄があらわれていますね。終わりじゃなくって、またね、バイバイ、っていう感じがします。年始から心に沁みる声を拝聴。どんな困難がまっているかわかりませんが、自分の声に忠実に生きていきたいとおもった次第です。年始早々、お写真もありませんが書かずにはいられなくて綴りました。