日本型企業社会の中で、新卒の男性はこれまで「就職」ではなく、会社組織に「就社」してきた。[i] 就職するに際し、十分な知識も準備もないまま、そして就職したあとどういう仕事をするのかもよくわからないまま、ともかくどこかの会社に入ればよかった。会社に入れば、ローテーションによって異動を繰り返し、様々な業務を経験しながら管理職に向かっていく。こうした会社本位主義的なシステムは崩壊しつつあるが、これまでは、男性であれば、係長になって、課長になって、ここら辺の地位まであがりたい、こういう仕事をしたいと出世の各段階で先を読むことができた。男性には仕事が自己実現のようなところがある。[ii]
男性に対して、昇進・昇格の道が閉ざされてきた女性の場合、先のプログラムを作ることはなかなか困難である。考えられるとしても、だいたいは結婚までのプログラムである。筆者自身、高校卒業後、銀行に入行した時(1981年)、数年したら当然結婚退職するものだと思っていた。23・4歳は当時の適齢期であった。結婚が女の花道であり、他の、見本となるような生き方をしている「普通の」女性が身近にはいなかった。1970年代から80年代にかけて20代を過ごした松永真理は、こう述懐している。視界のなかには、多数の「ああはなりたくない」サンプルか、立派すぎて「ああはなれない」少数のサンプルのどちらか一方だった。自分の望む「ふつうのいいもの」は、ひとつもなかった、と。[iii] ここでは、筆者が均等法施行前に就職した世代であることから、プレ均等法世代を念頭におきながら、女性が人生80年のライフサイクルを描くことが困難であることを考察したい。
日本型企業社会は、女性には持てる能力を社会ではなく、家庭のなかで発揮するよう期待してきた。そのように育てられ、均等法施行前に就職した世代の女性は、特に昔ながらの社会的通念、「女は子供を産んで一人前」「家事・子育ては女の仕事」が潜在化しており、自分の将来を一般主婦にしかおくことができなかった。そして、一般主婦として描くことができるプログラムはだいたい次のようなものである。学校を卒業後は、とりあえずどこかの一般企業に入り、OLをする。仕事は9時から5時まで。責任はないからラクといえばラクである。アフターファイブは、お茶にお華、英会話に通ってもっぱら自分を磨く。靴はいつもピカピカにブラシをかけ、爪には毎日マニキュアを施し、24歳でほどよく婚約、25歳で結婚。27歳で第一子、30歳で第二子を産み終えると、35歳からは第二の人生をスタートさせる。よく聞かれたのは、「結婚したら行けなくなるから今のうちに外国へ行っておく」「結婚したら遊べなくなるから今のうちにいっぱい遊んでおく」といった言葉である。女性の人生は結婚相手次第という「あなた任せのプログラム」は、結婚する人によってどんな人生を送るかわからない、結婚しても子供が何人できるかわからないし、どれくらいの収入があって、どういう家に住んで、といった不確定要素がいっぱいで、人生80年のライフサイクルで、プログラムを描くことなどできなかったのである。
しかし、先述したように80年代を境に女性の生き方は変わってきた。今や女性の前には、様々な選択の道が用意されている。教育も、結婚年齢も、仕事も自分で選ぶことができるのである。仕事一筋の男性と違っていろいろな生き方の選択肢があるためにかえって、生き方について悩む率が高い。今の女性にとって、大きな悩みや不安があるわけではないけれど何か物足りない、何か打ち込めるものを探したいという、「自分さがし」は大きな関心事となっている。女性誌には、女性の生き方に関するテーマがたびたび取り上げられる。例えば、「あなたが選ぶ生き方-わたし行きの切符を探せ!」[iv]、「恋、仕事、人生・・・そうだ!自分リセットして出直そう」[v]、「転職、別れ、結婚、出産・・・人生は迷いと選択の繰り返し-決断して始める新しい私」[vi]等、このままではいけない、自分は何がしたいのか、何ができるのか、自分らしい何かを見つけなければいけない。これらのテーマは、「自分さがし」へと女性を誘う。留学、転職、キャリア・アップ等のキーワードは、今の自分には足りないものがあると感じさせ、否が応でもそれまでの過去を全部捨ててリセットしなければいけないかのように女性を惑わせる。
ここで、 松原惇子の『クロワッサン症候群』の記述に沿って、80年代の女性の生き方の変化と女性誌の影響について触れたい。1970年代から80年代にかけて「女性雑誌の時代」と呼ばれるほど日本では女性雑誌が隆盛した。70年代はじめに若い女性向けのファッション雑誌が次々と登場し、続いて70年代後半には、「大人の女」向けの雑誌が続々と創刊され、「自立」「キャリア・ウーマン」といった流行語を生んでいった。「大人の女」向けの雑誌が推進したのは、職業をも視野に入れた「ライフスタイルの自由な選択」とでもいうべきもので、カラフルなグラビアと「素敵」「新しい」「おしゃれ」などのコピーを伴いつつ、多様な女性の生き方を読者に紹介したのである。60年代にアメリカで始まったウーマンリブ運動が70年代の後半に日本でも定着しつつあった。日本の女性に自立ブームが起こった。この流れを大衆規模に拡大したのが女性誌である。女性誌は一斉に叫びだした。自立している女こそ、素敵な女なのよ、女よ!もっと自由に!結婚という枠にとらわれずに生きようよ!知的な女は飛ぶのを怖がってはいけないわ!それまで女性が社会的にスポットライトを浴びた時代はなかった。雑誌が提案した「女性の新しい生き方」、「結婚以外の生き方」に当時の迷う若い女性たちは飛びつき、松原が「クロワッサン症候群」と名づけた中途半端な独身女性を生み出した。
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引用文献
[i] 奥村宏「揺らぐ日本型就職システム」内橋克人・奥村宏・佐高信『就職・就社の構造』34頁、岩波書店、1994年。
[ii] 鴨下一郎『女性がストレスとつきあう本』180頁、大和書房、1996年。b
[iii] 松永真理『なぜ仕事するの?』5頁、角川文庫、2000年(原著は1994年刊)。
[iv] 『OZマガジン1999年SPRING号あなたが選ぶ生き方』、スターツ出版、1999年。
[v] 『コスモポリタン2001年11月号』、集英社、2001年。
[vi] 『日経ウーマン 2003年3月号』日経ホーム出版社、2003年。