たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ミュージカル『モーツァルト』-2021年4月19日帝国劇場(3)

2021年05月16日 17時01分29秒 | ミュージカル・舞台・映画
ミュージカル『モーツァルト』-2021年4月19日帝国劇場(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/7e41b0856604edb5ff0ea35a4ee13ab9

「プリンスは出て行った♪ ナンネール/レオポルト

私たち プリンスとプリンセスだったの
子供の頃 夢の国 信じてた
でも今 別の世界に生きているわ

プリンスは出て行った
残されたプリンセス
微笑みも忘れて お城に一人
私の結婚に パパは反対よ
貧しい相手だと
パパもお金がない
私の結婚資金 あなたの為使った
どうか返して頂戴 私の人生を
ここでは 息づまる

プリンスは出て行った
残されたプリンセス
微笑みも忘れて お城に一人
プリンスは出て行った
希望の光は消えたの
あなたの他 この家族を
誰も救える者はいない


ナンネールは
毎日泣いている
お前は家族を見捨てたままなのか
お前の居場所は ここだけだ
早く帰れ ザルツブルクへ
お前の他 この家族を
誰も救える者はいない」


 ヴァルトシュテッテン男爵夫人に誘われて故郷のザルツブルクを飛び出し、ウィーンへと旅立ったヴォルフガングをひたすら待ち続ける姉ナンネールと父レオポルトの姿がいちだん切なく痛ましく迫ってきました。発散できる場面のない役どころ、歌も辛抱が求められる歌詞と曲調になっているので力量のある方でないと歌いこなすことはかなり難しいのだろうと思います。2018年『モーツァルト』のあと、出産育児で舞台から離れていた和音美桜さんが、3年ぶりに再びナンネール役で帝国劇場の舞台に復帰。3年前は歌うことに囚われすぎて役として生きることに集中しきれていなかったのでもう一度やりたかったとブログに書かれています。

和音美桜オフィシャルブログ
https://ameblo.jp/miou-kazune/entry-12670030286.html


 舞台ではウィーンで売れっ子となりアマデと共に作曲にいそしむヴォルフガングの部屋を夜シカネーダーたちが押しかけてお金を無心、結婚するナンネールのもとへ送ろうとしていたお金を、郵便馬車はもう出てしまったと知らされるとおだてにのって「やるよ」と言ってしまう、あぶなっかしいヴォルフガングの姿が描かれています。ヴォルフガングの様子を知ることができるのは当時手紙だけ。そんなこととは知らないナンネールは新居に送られてヴォルフガングからの手紙を、瞳を輝かせて読み上げます。ナンネールの夫はかなり年が離れていたことを思わせるようになっていますが調べてみると史実のようです。子どもが生まれたばかりであろうことを想起させる舞台セット、結婚式に出席しなかったヴォルフガングに対して嫌味たっぷりに稼ぎがいいのなら雨漏りする屋根の修理代を出させろと言わんばかりの夫の姿は、ナンネールの結婚生活が幸せなものではなかったであろうことを想起させていちだんと切なくなりました。「ご自分で用意なすってください」というナンネールの言葉が3年前よりも夫に対して強くなった女性に感じました。ヴォルフガングに失望した父レオポルトはナンネールが生んだ男の子を「わたしはもう一人天才を育てることができます」とコロレド大司教に引き合わせようとしますが、ヴォルフガングの才能にほれこみ独り占めしようとしていたコロレドは全く相手にしません。子どもの頃、ヴォルフガングと共に演奏旅行に出かけ、皇帝陛下の御前でヴォルフガングと共にピアノを演奏しながら、女性であるが故に音楽を続けることを許されなかったナンネール。

 アマデと共に命果てたヴォルフガングの傍らに落ちていた宝石箱、神童と呼ばれた子どもの頃皇帝陛下からもらいアマデが片時も話さなかった宝石箱、もつことが許されたのはアマデだけだった宝石箱、その箱をナンネールが開くとまばゆいほどに光があふれるラストシーン。ナンネールの瞳が明るく輝くようにみえて、ナンネールがそこにみたものはなんだろうと毎回気になります。そこにみたのはヴォルフガングの音楽が時を超えて演奏され続け人々に与えることとなっている後世の様子なのかなと今回勝手に解釈しました。人によって、状況によって解釈は違ってくると思うのでこれが正解なのかどうかはわかりません。ただヴォルフガングの音楽がこうして受け継がれ続けてきていることで、ナンネールの人生も報われる、ヴォルフガングと共にナンネールもまた後世に生き続けている、うまく言えませんがそんなふうに思いたいです。あふれる光の中で、神のもとへと召されたヴォルフガングが神となってわたしたちのもとへと帰ってくる、そんなことを想起させるラストシーンでしょうか。

 奥が深い作品、まだまだ気づいていないことがたくさんありそうです。緊急事態宣言が発出される北海道で明日札幌公演の千穐楽、無事に幕が上がることを祈るばかりです。

 みりおちゃん(明日海りおさん)主演での上演が発表された『マドモアゼル・モーツァルト』、音楽座が91年にミュージカル化した作品が東宝主催公演としてあらたに生まれかわるようです。主人公にナンネールの姿が重なります。

ミュージカル『マドモアゼル・モーツァルト』2021年10月10日-31日
https://www.tohostage.com/mm/?_ga=2.96583775.1969670203.1620263388-2030582022.1620263388
 

(2018年公演プログラムより)

「-モーツァルトのさまざまな顔 萩尾瞳-

 99年ウィーンで生まれた『モーツァルト!』が日本初演された02年よりも前に、彼を題材にしたミュージカルが日本で生まれていた。いや、彼ではなく彼女というべきだろう。モーツァルトは女性だったという奇想天外なアイデアの『マドモアゼル・モーツァルト』である。福山康治の漫画を原作に、音楽座が91年にミュージカル化したものだ。音楽は小室哲哉で、モーツァルトの曲も織り込まれている。

 この作品から想起するのは、モーツァルトの姉ナンネールのこと。彼女を主人公にした映画『ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路』(10)では、14歳の彼女の葛藤が描かれる。弟と共にベルサイユ宮殿に上がった彼女は、王太子ルイに恋をし、彼に励まされて作曲をするが・・・、という話。「女は音楽家にはなれない」と、父レオポルトから作曲を禁じられヴァイオリンさえ取り上げられる彼女の姿が痛ましい。『モーツァルト!』でナンネールが歌う♪もし私が男なら音楽を続けた♪という歌詞は、まさにこのヒロインの心である。」

4月19日の帝国劇場











東京宝塚劇場





日比谷コテージに『こう見えて元タカラジェンヌです』を出版した天真みちるさんのコーナーがありました。




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