たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『エリザベート』_花總まりさんのシシィに思う

2015年07月12日 13時51分13秒 | ミュージカル・舞台・映画
『エリザベート』の観劇日記とついでに他の記事も読んでくださっているのでしょうか。
つたないものをありがとうございます。
6月20日のあと、次の観劇までに間があいてしまうなあとさみしく思っていましたが、気がついたらあと一週間になりました。あっという間ですね。
その前に、一日だけですがひと仕事大事なことをやろうとしています。おかしなことになっている現実を社会にあぶり出していこうとすることは全身のエネルギーを消耗します。そのあとで、「私だけに」にまたエネルギーをもらえるかな。

今の舞台の花ちゃんシシィの「私だけに」は、自分を守るのは自分しかないという、とてつもなく孤独な中に身を置いたことを知った10代の女性が生きるために選んだ一つの道ということなんですね。すごいエネルギーにあふれていました。
『モーツアルト』の中に、ヴァルトシュテッテン男爵夫人の夜会でウィーンの貴族社会の足のひっぱりあいと恐ろしさが歌われている場面がありましたが、そんな所に自然児で自分に正直な、まだ自我も確立していない10代の女性が一人で身を置いたら、おかしくなってしまうのは不思議ではないですね。『エリザベート』の中に、嫁いできたシシィが馬車を降りるときに王冠を落としたことを貴族たちが嘲笑っている歌がありますが、史実なんですね。おそろしいです。リベラルな考え方が身についたシシィには耐えがたく、旧態然とした宮廷社会を体感することになっただろうと思います。
宮廷のしきたりの中で育ってきたフランツには、シシィの、頼る人はあなたしかいないという思いが伝わりきらなかったのかな。わかっていても母の手前、そしてまた皇帝という大きな責務を担っている中ではどうすることもできなかったのかな。田代さんフランツがシシィへの優しさと想いを全身で体現されているだけに、二幕の二人のすれ違いがいっそう切なくなります。
史実では、フランツは旅から旅に明け暮れて、ウィーンにはろくすっぽ立ち寄らないシシィあてにまめに手紙を書き、シシィもそれにこたえようとしていたようです。


それにしても、ミーミルの可愛らしさは変わらないまま、二幕のあがないきれない内在化された死へのあこがれを抱きつつ彷徨する晩年までのシシィを演じ切った花ちゃんはすごいです。
特に二幕は、花ちゃんの実年齢とあってくることもあってか本当にしっくりとせつないものがあります。少女時代のシシィが生命力にあふれる、フランツもトートも好きにならずにはいられないだけの説得力をもっているのでいっそう二幕も観客が感情移入しやすいシシィになっていると思います。

去年『レディ・ベス』で10年ぶりぐらいに花ちゃんを観た時、変わっていないことにすごく安心感。恋人役と実年齢は離れているのでどうなのかなとちょっと思ったりしたのですが、花ちゃんにはそんなこと関係ありませんでした。
年齢に関係なくどんな相手と組んでも、相手をひきたてつつも自分を主張する演技ができる。女性として尊敬します。なかなかできることではないですね。
そんな花ちゃんが演じているシシィだから、気品にあふれつつも等身大で共感できる。
真の姫役者に成長されました。
一路さんの相手役になられた時はここまで成長されるとは正直思いませんでした。一路さんと組んで色々と吸収されたと思います。そして自立した最初の作品が、一路さんの退団公演となった『エリザベート』のシシィだったと思います。初々しいながらも貫録のあるシシィでした。

今同じ舞台になっているたーたんさんとは、『サジタリウス』の場面を思い出します。
普段のショーよりも時間が短かったけれど全体的に楽しいショーだったのでよくおぼえています。映像でも繰り返しみました。
高嶺さんと組んだ『虹のナターシャ』のナターシャもかわいかったです。
ずんこさんと組んだ『カルメン』はそれまでに演じたヒロインと色がちがっていて印象深かったです。
二度目の『エリザベート』では、フランツに最後通告を渡したシシィに忍び寄ってきたずんこさんトートの妖しい手つきとそれにおののくシシィが忘れらません。

書き始めると色々と思いは尽きませんが、役者さんが自分の生きてきた時間と共に成長されているように、舞台を観てきているわたしにも色々なことがあり、時は流れました。
これからどう生きていけばいいのか見えなくて苦しい時。
自分が自分を信じることの大切さ。誰が信じなくても自分が信じてあげなければ生きていくことはできない。そんなことを花ちゃんシシィから教えてもらっています。

岡村孝子さんの歌にもあるように、「私は変わらずに私でいるしかできない」んです。人の都合にばっかり一方的にあわせることなんてできない。自分の中で折り合えそうな所を手探りしながら生きていくしかないです。折り合えないとわかった所は、自分を守るためには離れるしかない。
どうやって現実と折り合いをつけながら生きていくのか。生きていくことは試行錯誤の連続でむずかしいです。

「(「私だけに」を)、以前は自分を奪われたのが悔しくて悲しくて、それこそ泣きながら歌っていました。でも今は、”私は束縛されることなど決して望まない人間なのだ”と自覚し、”この私で生きていく“という光を見つけた、希望の歌の側面も感じられて。歌っている間にどんどん光が増していき、輝くように演じられたらいいなと思っています。」
(シアターガイド2015年7月号、花總さんインタビュー記事より)


写真は2013年12月の『モンテクリスト伯』のチラシ。
残念ながら見逃してしまいましたが、このチラシをみたとき変わらない花ちゃんに、すごく嬉しかったです。一路さんの舞台を観る時と同じで、勝手に懐かしい人に再会したような心持ちでした。(一路さんと東宝の舞台で共演なんてないかな・・・。)

ルドルフのことを書こうとしていましたがまた後ほど。


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