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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ミュージカル『ミス・サイゴン』より_ベトナム戦争の世界と時代(2)

2020年04月16日 09時24分43秒 | ミュージカル・舞台・映画
(2014年帝国劇場公演プログラムより)

「★ベトナム戦争の起源

 歴史的事象の起源を探ることは難しい。歴史を紐解くということは、現在という点が描かれた軌跡が過去であり、その線をどこまでたどるかはそれぞれである。また、ソ連というマルクス・レーニン主義に基づいた国家が消滅した今、社会主義と共産主義の解釈があいまいになっている。

 ベトナム戦争の起源を区切るために、日本軍の仏印進駐までさかのぼりたい。資源を求めた日本軍は1940年、仏領インドシナ連邦(インドシナ、現在のベトナムとラオス・カンボジア)に武力侵攻した。1945年3月の日本軍全土制圧でフランスが撤退し連邦が解体して以降は、日本の軍事的な干渉下に置かれていた。第二次世界大戦終戦後、世界各地で民主主義が台頭する。ベトナムも同じであり、日本軍の撤退によりフランスの支配が開始されると、一気に独立の気運が高まった。

 ホー・チ・ミンに率いられたベトナム独立同盟(ベトミン)は、終戦後即座に、ハノイにおいてベトナム民主共和国(北ベトナム)の建国を宣言した。宗主国であるフランスは、これを認めず、1946年3月にフランスはベトナム南部にコーチシナ共和国を成立させる。フランスはベトナム民主共和国に武力で侵攻、第一次インドシナ戦争と呼ばれる戦争が始まった。そして新たにサイゴン市を中心に1946年6月ベトナム国(南ベトナム)を成立させる。同年7月ラオス、11月にカンボジアを独立させ、ベトナム国の正当性を認めさせようとした。これが南北分断の起源といえる。

★冷たい戦争

「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまでヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテンが降ろされた。中部ヨーロッパ及び東ヨーロッパの歴史ある首都は、すべてその向こうにある。」

 アメリカを訪れた、イギリスのチャーチル首相が1946年フルトンの大学での講演で使用した「鉄のカーテン」という言葉に象徴されるように、第二次大戦終結かr、1989年12月、地中海のマルタ島でソ連のゴルバチョフ書記長とアメリカのジョージ・H・W・ブッシュ大統領が会談し、終結を宣言するまで、世界はアメリカを盟主とする資本主義(自由主義)の西側陣営、ソ連を中心とする社会主義(共産主義)の東側陣営の二極対立の緊張状態が続いていた。まさに、お互いに核兵器を突きつけてのロシアンルーレットのような緊張を生んでいたのである。これが東西冷戦といわれる状態であり、ヨーロッパの東西で睨み合い、様々な途上国で大国の覇権をめぐる戦争や紛争が続いた。

 ベトナムも例外ではなく、ホー・チ・ミンのベトナム民主共和国は、ソ連と中国がベトナムを正当な政府と認め、武器援助をし、一方アメリカは、フランスとインドシナ三国に武器援助をした。特にアメリカは、「一国が共産化されれば周辺諸国も共産化する」という、猜疑的な「ドミノ理論」という考えを持っていた。」