たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2018年『1789バスティーユの恋人たち』_三度目の観劇でした

2018年05月04日 20時29分03秒 | ミュージカル・舞台・映画
 『1789バスティーユの恋人たち』、12時開演を観劇してきました。すごく楽しみにしていて気がはってたのが終わったら一気に抜けがら。夜の部、当日券まだ少しあるっぽいのに、そこまでは無理なので後ろ髪を引かれる思いで帝国劇場をあとにしました。終演後東京宝塚劇場で月組のパンフレットを購入、日比谷ミッドタウンで蘭ちゃんお気に入りの鈴懸で白玉ぜんざいを購入、シャンテで食事しようとしたけど混みすぎてたのでまた帝劇に戻り地下で食事、それから帝劇に別れを告げようと正面玄関に行ったらなんと虫さんたちをお見かけしました。秘密警察ラマールさんの部下のお二人、アントワネットの登場場面、仮装パーティで虫の格好をされていますが、場面に間に合わせるために上演中こうして役の扮装で劇場の中を走っているのかとびっくり。お一人と目があってしまいました。

 Wキャストは、ロラン:小池徹平くん、オランプ:夢咲ねねちゃん、マリー・アントワネット;龍真咲さん、でした。

 またゆっくり何カ月もかけて思い出していきたいですが忘れないうちに思いつくままの走り書き。徹平くんロナンはほんと可愛くて和樹さんロナンと全く雰囲気が違うのにどちらもロナンの魂を生きている感じですが、徹平くん、声が耳に心地よく響くし、歌詞がすごく聴き取りやすいんだなと感じました。2年前よりミュージカル役者としてのスキルが確実にあがっているということなんでしょうね。歌が上手いのはもちろんですが、なんというか役者としての力を感じました。革命の兄弟をうたう場面で、ロベスピエールとでムーランにはさまれてちょっとでこぼこな感じなるのが、和樹さんロナンとは違う雰囲気でこれまたよし。これから故郷に帰ってオランプと一緒に生活を立て直していこうとする時ペイロールに撃たれてしまうロナンの人生、やっぱり切な過ぎます。彼の魂が革命家たちを人権宣言採択へと駆り立てていったのかなと。

 2年前から6度目にしてようやく会えた夢咲ねねちゃんオランプ。これまた沙也加ちゃんとは全く違う雰囲気。衣装も同じようなデザインなのに色が少し違っていたりして可愛いドレスばかり。ねねちゃんの着こなしとドレスさばきはさすがでした。凛とした立ち姿に娘役スキルを発揮しつつ、さらに役者としての力を加わってきたんだろうなっていうのを感じました。徹平くんと並んでいると背がほとんどかわらないのに、寄り添う場面では少しねねちゃんの方が低くみえるようにちゃんとみせていて、それが全く不自然ではなく、どうなっているんだろうと不思議でした。一幕の終わりを背負うのはシャルロットとオランプ、そこに立っているだけで客席に伝わる凛とした雰囲気。舞台の真ん中に立つことができる華。これがプリンシパルキャストとしての力なんだなと。ねねちゃんオランプ、もっと会いたかったなあ。

オランプとアントワネットとポリニャック伯爵夫人の三人だけの場面のとき、宝塚OGだけの並びなのだと。渚あきちゃんのポリニャック。王妃にみせる味方ですの顔と王妃にはみせることのない裏のあざとい表情との両面がしっかりと出ていてさすがの芝居力。革命が始まりさっさと逃げようとするときの王妃に対する「フランスに秩序が戻れば戻ってまいります、それまでお元気で」の言い方にポリニャックのキャラが滲み出ているなあと感じました。

 三浦涼介さんロベスピエール、いちばん聴かせるナンバーの「誰のためにおどらされているのか」が、すごく声質にあっているんだなあと感じました。古川雄大さんロベスピエールのひんやり感と違って熱量を感じさせるロベスピエール。ロナンが亡くなったあとは汗だくで髪を振り乱しながら悔しさを体中で現わして人権宣言を高らかに告げる姿が、わたしのなかで、雪組の望海さんが演じた『ひかりふる路』のロベスピエールの姿へとつながりました。社会を変えたい、良くしたいという熱い熱い想いがいつしか革命に取りつかれるようになり、仲間だったデムーランとダントンを粛清し、自らもまた粛清されなければならないと悟るに至るその後のロベスピエールの運命を感じさせる熱量でした。顔ちいさくってほそくって、コート姿のダンスシーンも熱く語る姿も素敵でした。2年前の『黒執事』で感じた役者としての力は確かなものなのだと再確認。2年前古川さんロベスピエールにはまりまくりましたが、これまたロベスピエールにはまりました。

 休憩をはさんで3時間の舞台、盛りだくさんで展開が早いし長いのにダンスシーンに見惚れているとやっぱりあっという間。怒りを表現したダンスシーンも技術的なダンス力の上に芝居心がさらにうまくのっかってきているなあと感じました。また上演されるにしてもキャストは変わるだろうからプリンシパルキャストはたぶん見納め。まだまだ名残おしいですが、お金と時間には限りがあるのでわたしの『1789バスティーユの恋人たち』はこれでおしまい。

 次回日比谷は三週間後。お昼に宙組、夜は『モーツァルト』。それまできびしい仕事を生き延びていけるのか全く自信がありません。生き延びていくしかないんですけどね。年末の舞台のキャストスケジュールや宝塚は来年の日程が早くも発表されましたが、わたし先の目途が全く立たず何をしているのかわからないんですよね。あと6カ月と一週間をやり抜けるか不安しかありませんが同時に早くも社会に取り残されている感。収入のあてがなければ観劇もできないし、これからどうやって生きていけばいいのか全くわかりません。今は目先の一日一日を生き抜いていくだけ。疲れちゃってそれ以上のことは考えられずです、なさけないですが・・・。

「悲しみの酬いとして人は夢見る権利を持つ」、最後のナンバーの歌い出しはシャルロット。子役ちゃんすごい。ありきたりかもしれませんが、悲しいことはもういい、いつの世も犠牲になるのはいちばん弱い立場の者たち。強い立場の者たちが自分たちを守るために弱い立場の者たちを犠牲にする社会はもういいなって思います。

 さてと疲れてきたし、観念してちっそくしそうな部屋に帰るとしますか。またまた連続投稿、失礼しました。

 写真は二年前の帝国劇場です。




シルクロードの旅からの便り

2018年05月04日 19時13分44秒 | 祈り
「昨日、カシュガルに到着しました。
 ウルムチよりトルファンを経て、シルクロードを1,500kmバスで走ってきました。
 順調に旅は続いています。
 ここは東洋と西洋の間、イスラム教徒の街です。
 もはや、中国という感じではありません。

  1991年5月5日たんぽぽ」

 母の遺品の中にあったわたしの手紙と葉書から、先日に続いて、父と母に宛てて書いた、旅先からの便り。北京からウルムチまで飛行機で飛び、ウルムチからカシュガルまでバスの旅。天山山脈の南側をバスで走りました。カシュガルまでたどり着くと、山の向こうはパキスタンだと聞かされ、日本では実感する機会のない、国境を超えるという感覚に生まれてはじめて触れてなんだか体が震えたことを思い出します。ここは大陸なのだと、世界は広いのだと体で感じました。もっともっと世界をみたいと思いました。それから27年が過ぎました。相変わらずほとんど英語もできないままですが、少しは広い世界をみることができたでしょうか。カナダ、アメリカ、フランス、ドイツ、韓国、パラオ、中国もその後二度旅しました。少しはできましたね。この世にいる間に、シルクロードへの旅の振り返りも書けたらいいなと思います。間に合うかな。どうでしょう。