たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ようやく木曜日の年度末・・・

2016年03月31日 21時57分37秒 | 日記
 ちょうど2年前の自分を振り返ってみたらこんな状況でした。

 http://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/m/201403

 会社に対して闘いを挑もうとしていましたが、全くそんなつもりはなくもっと簡単に甘く考えていました。どれほどきついことに自分が足を踏み入れようとしているのか、この時は全くわかっていませんでした。結果的に会社に対してひどいじゃないか!っていうためには闘いにならざるを得ませんでした。社会から孤立しながら心身をすり減らしていく日々の始まりでした。それから二年が過ぎ、この時には全く想像することすらできなかったところまでたどり着きました。結果的になにも変わらなくても書類は行くべき所までいきました。今さら変わったところで私が利するところはどのみちなにもありません。ただ使い捨てにされたという事実が残るだけ。ここまでがんばって書類を出すべき所にだしたのは、恩を仇で百倍返しにしてきた会社に対する私の復讐行為のようなもの。まだまだ悔しさはあります。私が何年にもわたってどれほど悔しい想いを噛みしめてきたのか、誰にもわからないと思います。やっぱり悔しいです。でも人生の時間には限りがあるので、いつまでもくさったような会社にこだわり続けていては前に進むことができないのでもう忘れていきたいです。忘れていかないといけないです。
ありがたいことに忙しくて疲れてしまっているので自ずと記憶から遠ざかっていきつつあります。13年も働いたのに「お世話させていただきました」「お疲れ様でした」と普通に挨拶をかわすことができないままになっていることだけが心残りです。なぜ一生懸命に働いて会社に貢献したはずの私が苦しまなければならなかったのか、不利益をこうむらなければならなかったのか、今もわかりません。全て働いてきた私の自己責任にしてしまった方が都合がいい。自己責任にできるようにうまーく社会の仕組みはつくられています。その中で声をあげていこうとしたいました。自分に再び働ける日が訪れることを全く想像することができませんでした。社会復帰できなくなるのではないかという不安と背中合わせの中できついことに足を踏み入れようとしていました。

 それから二年が過ぎ、これまた全く想像することすらできなかった職場で働くことになりました。苦しい日々が続いてきましたが二カ月近くが過ぎ、どうやら最初の大きなヤマを私は乗り越えることができたようです。2月9日の業務開始から研修生バッジをつけていましたが本日をもって外すよう責任者から指示がありました。ある程度仕事ができるようになったと認められたようです。擦り切れた自分がこうしてまた働くことができるようになるとは思いもしませんでした。再び元気に働いている自分の姿を想像することが全くできませんでした。業務内容と環境はともかく、こうして働くことができるんだっていう自信を取り戻していくことが今の私には一番必要なこと。ようやくどうにかこうにかそこまでたどり着くことができたようです。研修生バッジを外して仲間に入れるようです。きつくって仕方ないですが今週はすごい怒りに遭遇してしまうことなくやっと木曜日まできました。あと一日。無事に終わっていきますように・・・。

 年度末の今日で退職される方もあり、人事異動もあり、挨拶の場面に居合わせました。明日は4月1日。前職で毎年のように新入社員に社内手続きを色々と教えていました。社員よりも私の方が諸々の社内手続きを熟知していたってどういうことなんでしょうね。もう忘れていきましょう。私はまだやれます。自分で思っているよりもやれるのです。やれているのです。気負わず私らしくできるだけ笑顔を毎日を過ごしていけるといいなと思います。あと一日。ふんばれ、わたし!