たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

雨の誕生日

2016年03月07日 22時10分38秒 | 日記
 一応自分にお祝いをと、ちょっと高めのデザートを買いました。まだスマホをもっていないのでさっと写真が載せられずに味気なくて申し訳ないです。雨の降りしきる誕生日でした。といっても働きに出かけたので、雨の中にいたのは朝の通勤時とお昼休みにコンビニで買ったカフェオレを飲みながら公園を散歩した時だけでしたが・・・。

 子供の頃、私が産まれた日の朝早く雪が降っていたと父から何度もきかされました。父も、私を産んでくれた母もこの世にはもういません。いまだに信じられないといえば信じられません。こうしてどうにかこうにか生き延びることができていることに感謝したいと思います。生きているのではなく、生かされていることに感謝したいと思います。私に与えられたいのちの時間があとどれぐらいあるのかわかりませんが精一杯生きていくだけ。ただそれだけです。それだけで十分だと思います。ないか形に残ることができなくても、目にみえることができなくても、ただこうしてどうにかこうにか生きている。そのこと自体が十分にすごいことなんだと思います。

 今日も何の変哲もなくただ働きに出かけて帰ってきて、ごはんを食べて洗濯物を片づけたらあとは明日のために休むだけ。ただそれだけですが当たり前のように日々を突然理不尽なかたちで失ってみて、その当たり前がいかにむずかしいかよくわかりました。当たり前のような日々を取り戻して一カ月。ちょっと慣れてきたかなー。ちょうど先週の月曜日と似たような対応に苦慮する、また隠し持っていたモノを持っていないと一度は言われてしまった場面が訪れましたが先週の経験があったのでうまく話を運んでいくことができて怒りをかうこともありませんでした。チームの人のフォローもありがたかったです。今までやったことのないことはいくつになってもこうして失敗しながら、怒られながら身につけていくものなんでしょうね。明日は明日で責任者から怒られることになりそうです。できるだけ一回一回深く傷つかないようにしたいです。といってもなかなか私にはむずかしいですが・・・。

 使い捨てにされた元派遣労働者としての闘いは、どうやら本当の終わりがみえてきたようです。最後に言いたいことを書面で提出したら終わりでしょう。やるだけのことはやりました。やっていなかったら、言うべきことを言っていなかったら悔いが残ったと思うので、さらに何重にも悔しさを引きずることになったと思うので、ものすごく辛い日々でしたが言うべきことをちゃっと言ってよかったと思います。これ以上私がやれることはないし、人生の時間には限りがあるので終わりにしたいです。くさったような会社のために時間を費やすの、もういいかな。高度な専門職がつくるような書面をつくることはできないので、自分のことばで書けることを書くしかありません。時間が限られているので間に合うように書ききることができるかどうか、それだけが心配です。連休は先週の疲れが出てしまい、結局ボッティチェリ展に行けませんでした。書面を受け取ったのでメールを書いたりとバタバタしました。休日のまとまった時間にしかやれないので昨日中にやっておきたかったです。あとはきたる三連休にちゃんとできるかな。まとまった時間はそこしかないのでギリギリ。ちょっと気持ち焦りますが焦っても仕方ないですね。今週はまた土曜日に出勤しなければならないので、金曜が休みの変則勤務。それでまた来週は5日間フルとかって。大変だぞい。ふんばれるか、わたし・・・。

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若松英輔
‏@yomutokaku
何かを書きたい、でも書けないという気持ちはよく理解できる。初めて活字になったのは22歳、でもその次は38歳だった。16年の間、全く書けない。書くのを諦めたことなど一日もない。だが今は、書けない現実に正面から向き合うことこそが、新たに「書く」の始まりの合図になることも、よく分かる。