たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

「忘れた」出来事と生きる

2016年03月08日 22時02分47秒 | 気になるニュースあれこれ
(東日本大震災5年)私たちは変わったのか:1 記憶と忘却

http://digital.asahi.com/articles/DA3S12246078.html?rm=150

■「忘れた」出来事と生きる 若松英輔さん(批評家)

 震災のことをあの頃のように思い出すことができない。あんな大事なことを忘れていく自分が許せない、そう思う方の気持ちはよく分かります。誤解を恐れずにいえば、人は出来事を必ず、忘れる。

 震災が起こったときは非日常的経験です。でも、私たちは今、日常に生きている。誰もが日常のなかに非日常を包みこみながら生きている。出来事が自分の心にあまりに近くなって意識できなくなる、それが人々のいう「忘れる」という現象ではないでしょうか。

 でも、それは記憶が消えたことを意味しません。むしろ、意識の表層から、もっと奥深いところへと移っている。わざわざ思い出さなくても、その出来事とともに生きている状態を指すように思われます。

 私にも近しい者を亡くした経験があります。ある日、そのことをタクシーで女性の運転手さんに話したことがありました。すると彼女が、「私もそうなんです。旦那が亡くなって15年になります」と。「この仕事を始めて子どもを2人育てました。それで、お父さんに時々手を合わせて言うんです。思い出してあげなくてごめんねって」

 なんと深い情愛だろうと思いました。確かに夫が、彼女の意識に上る回数は少ない。しかし、決して忘れたわけではない。亡くなった相手を思うより、2人の一番大事なものを守り育てることを、彼女は亡くなった夫とともにやってきたのではないでしょうか。こういう追憶の道もあるのです。

 彼女は子どもを懸命に育てることで、人生を自分にとって誇り高いものにしたかったのではないかとも思います。自分をいつくしむことがそのまま、亡き人との忘れえない経験を守ることになる。逝った人々をずっと意識するより、心の奥に抱いて生き続けることが託されたもっとも大事なことと感じていたのだと思います。震災の経験も同じではないでしょうか。

 気をつけたいのは、同じ経験は二つとないということです。似ているようですべての経験には、それぞれ固有の意義がある。大きい悲しみも小さい悲しみもありません。あるのは、ただ一つの悲しみです。それぞれの出来事にはかけがえがない意味が潜んでいる。

 他者には理解されないとしても、自分の心のなかにとても大切な何かがあることに気が付くと、同じものが他の人の胸にも宿っていることを感じ始めます。悲しみが心と心をつなぐ。まったく異なる二つの悲しみが響き合う。

 今、改めて「個」であることの重要さを考えています。個の自覚を深めることで、他者との理解を深めていくのではないでしょうか。それぞれの人生には何人も代わり得ない意味があるとそれぞれの人間が深く認識することが、現代日本におけるきわめて切迫した問題なのではないでしょうか。

 震災以後、私たちは幾度となく「集う」機会を経験してきました。「集う」と「群れる」は違います。個は集い、大衆は群れる。

 特定の思想信条を掲げながら群衆の中に溺れると人は、個では何もできないと思い込んでしまう。こうした思考は今の日本にある、大きな落とし穴ではないでしょうか。「群れる」と人は、個々の心にある苦しみや悲しみを十分に顧みることができなくなる。個の問題よりも、世に言う「大きな」ことの方が重要に思えてくる。

 「集う」のはよい。でも、そこでも人はあくまで個である尊厳と意味を見失ってはならない。それは被災地の現状を考えるときも、とても重要な視座のように感じられます。

 震災から5年だと世の中が騒ぐ。しかし、被災地の方は同じようには感じていないと思います。彼、彼女らにとっては、それは時間の経過によって変化することではないからです。克服したとか、アンダーコントロールとか、どう言おうとこの震災は終わらないということです。終わらないことを覚悟できたら、忘れる、忘れないということから自由になれるのだと思います。

 (聞き手・村上研志)

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 わかまつえいすけ 1968年生まれ。2007年、三田文学新人賞。13~15年、「三田文学」編集長。著書に「魂にふれる 大震災と、生きている死者」「悲しみの秘義」「イエス伝」など。

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 若松英輔さんの言葉は心に沁み入ります。次の休日にあらためてかみしめたいです。ヘロヘロに疲れて今はあまり頭が回っていません。今日もご年配の方々やなかなかにむずかしいことをおっしゃる方々にご理解いただくために大きな声で話し続けたので喉がかれています。昨日一日だけでかなりバッテリーがきれてしまい十分に回復できないまま今日を迎えたのでかなりきつかったです。色々とむずかしいことがあり過ぎてすごく大変。色々とやりたことがあれど疲れてしまってやれないですね。