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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『ちひろのことば』より_わたしの仕事場

2015年04月23日 22時56分31秒 | いわさきちひろさん
 私のわりと大きい机の上は、絵具、筆、画用紙といったいわゆる仕事道具の群れと、
画の割り付け用紙とか、原稿、資料など、場所をとって面倒くさいけれど必要なものの一群と、もう一つ、それはいろいろな感じをおこさせ、後味のよくない印刷物の山とでいっぱいです。それらの山積物をおしのけて、やっと40センチ四方を確保して私はかろうじて仕事をしています。そんなせまいところで仕事をするのなら、感じのわるい一群の印刷物は捨ててしまえばいいのにと人は思うでしょうけれど、そう簡単にはいかないところに問題があるのです。

 その感じのよくない印刷物の群れは、毎日わが家に配達される郵便物の中にそうとう多くまぎれこんでいて、どんどんたまっていくのです。捨てきれないその机の上の沈殿物を分析すると次の三つ位にわけられます。

 その第一は、感じの悪い群れにいれたりすれば私の良心が疑われるたぐいのものです。
それは私たち人間の切なる願いや要求、大きな不正に対する憤りが込められている大事な
問題に対する私の協力や回答をもとめたものです。たいていはかたい活字がたくさん並んでいて勉強好きな人でないと読みきれない長い文面です。それを努力して読むと私はその事がらにどう協力するか、その集まりに出席か、欠席かを決断しなくてはなりません。出席とすれば、明快な見解をもつ学者、文化人、たくましい労働者たちのなかで私は大へん気おくれがして、人目にたたないように身をひそめて出席していなければならないのです。それでも見つけられて、何か意見をもとめられれば、ばか正直なものだから思わずめめしい意見などしゃべったりして、そのあとの私の後悔ぶりはひどいもので、私の胸の鼓動ははげしくなりっぱなしです。この状態は何としても体によくないので、もう少し生きて仕事をしたい私にはどうしても出席は無理でやはり欠席にせざるを得なくなります。欠席と書いても本当は協力の意志はあるのですから何か一言かきそえなければなりません。よくある「お言葉」にという欄です。これはわずか二、三行ですが、ここに書く言葉は欠席裁判みたいに大ぜいの前で読みあげられたり、よく印刷物のなかにすりこまれたりするので、おろそかにして適当に書くというわけにはいかないのです。それでじっくり考えようと思っているうちに締め切りはいつか過ぎ、その集会も終わってしまうのです。そういったたぐいの手紙は、私の無能をせめるが如く、次々と机のうえにいすわって埃をかぶり、むなしく返信用のはがきや切手がてもとにのこるということになります。

 その第二は慈善事業の寄付の手紙です。普通の心根をもつ人間だったら協力せざるを得ないような不幸な人びとの写真や、身体障害者の作品を絵葉書やシールなどにして送られてきます。そしれそれに対してお金を払うようにと書いてあります。もし心ざしがなければそのままねこばばしてもかまわないともあります。だれとだれがねこばばしたか、むこうの名簿にはちゃんとしるしがついていて、ニヤニヤしている感じです。少しこわいです。

 さいごは最も積極的な手紙の群れで、これを捨てたら天罰てきめん、税務署からの手紙です。私はこの種のものをどれだけ机の上にためこんだかわかりません。これは払わないと大事になるのは知っていますから、時々日付を見てはいるんですけれど、つい仕事にとりまぎれていると、あっという間に督促状がやってきます。督促状をいつまでもほうっておくと延滞金というのが毎日ついてくるので、ある日意を決して現金書留で送るのです。それでも送りそびれがあって最終催告というきびしい葉書がやってきます。これは全く感じがわるいので、机の上におくにしのびず捨ててしまうので何と書いてあったか今ここでたしかめられませんが、差し押さえを覚悟しろというようなことなのです。こんなありさまなので、いつだったか私は同じ税金を二度も払ってしまいました。そしたら大分たってから納め過ぎた分を返すから何々銀行とかにとりにいってくれと通知がありました。慈善事業にはまわさずに防衛費にいってしまうお金を払い過ぎたなんて残念なのでどんな少しでもとりいかなければと思いますけれど、いまだにいっていないのです。この書類もまだ机の上ですから、いつかなくなってしまうかもしれません。差し押さえにはきてくださるんですから、こういうときにも、ぜひ返しにきてほしいと思っています。

 何と無能力、おまえはなんにもしないで机の上をいっぱいにしてただ悩んでいるだけじゃあないかと、どうか笑わないでください。

(『ちひろのことば』昭和53年11月10日第一刷発行、講談社文庫より引用しています。)

私の手元にあるものは、昭和57年第13刷発行です。



ちひろのことば (講談社文庫)
いわさき ちひろ
講談社