たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

守ってくれていると信じて・・・

2014年11月16日 13時50分16秒 | 祈り
本当に寒くなってきました。
長時間労働しているときにはわからなかったですがなんとも落ち着かない住環境で、
精神的にこたえています。冬を乗り超えられるのか心配です。
古いものを全部洗い流して、できれば環境も変えて生き直していきたいと思います。
でも今はまだたくさん古いものを抱えている状態で、混乱が終わらないので、
身動きとれません。なんとかトラブルにならないように気をつけながらやっていくしかないです。
ここまできてようやく少し風向きが変わってきたような感じになってきました。
ようやくです。ここまでくるまでの道のりも並大抵のことではないきついことの連続。
すでに満身創痍な状態。身体がもつのか自分自身でもちょっと不安。でもまだまだ色々とやらなければならないことがあります。
本当に丸ごとの私でぶつかっていかないと乗り越えられないむずかしい、困難なこと。
これからどうやって自分にごはんを食べさせていけるのかがみえてこない不安を抱えています。
それでも今は混乱をやり抜くことが自分に与えられた役割なんだと思います。

なぜ妹が先に逝って、私は今ここに、こうして生きているのか。
同じ母から生まれて同じ家で暮らしていたのになぜ違うのか。
その答えはどこにもない。どこかにあると思って探し続けたけれどどこにもないということがわかった。ただ宇宙的な大きな流れの中で、神様がそういうふうに決められた。

思想家の若松英輔さんの講演を聴いた時に、お話の中で、スピリチュアルなものは人間にとって必要、それがキリスト教でも仏教でも太陽でも自然でもいい、正確ではありませんがそんな内容のお話があったと思います。
若松さんは、生後四週間で洗礼を受けたカトリックだそうです。
私は特定の宗教をもってはいませんが、どこかに神様はいて役割が決められているような気がします。因果関係、理屈では説明のつなかいことが現実にはたくさんあります。

私は今妹の導きにしたがって歩んで行けばいいんだと信じ続けます。
このブログに書いた過去の自分にエネルギーをもらったりしています。
きっと道は開けてくると信じ続けます。

混乱の内容を説明して人にわかってもらうのは結構大変。
表面だけ聞くと、何言っているの、わかってやってきたことじゃないの、自分が悪いんじゃないの、と言われても仕方ないといえば仕方ないこと。
でも知っている人は知っている、私が心の血を流しながらひたすら歩き続けてきたことを。
乗り越えられたときには心から自分をほめてあげよう。

「1995年9月6日(水)

(大学の通信教育の)リポートがひとつ書きあがったせいか、ぼうっとしている。
真夏にコツコツとやっていた疲れがでたのだろう。できあがってみればいつもの如く、こんなものか、って感じだけど、行き着くまでにはすごく時間がかかった。さあ、テストの準備をしよう、っていう気にはまだならない。

生活の基盤となる仕事もなくって、あせりはじめている。
できるだけ、自分にプラスになるようなことをしたいけど、なにを習得するにしても時間がかかってしまう。こんなわたしを受け入れてくれるとことはないものだろうか。

らせん階段をのぼる如く・・・。
あの純粋な気持ちはどこへいってしまったのかい。
じっとしていればいい、どうすればいいのかわからない時は・・・。

今が苦しみの時だと思う。
きっといいことだってあるにちがいない。
いいきかせている。
テーマがみつからないから、苦しいのだと思う。
きっと、大きいのかもしれない。それさえ見つかれば強いものが生まれるだろうに。

毎晩のように夢をみるので、目がさめた時、疲れてぼうっとしている。
ぐっすり眠りたいなあ。とにかく眠ることだ。
自分は人よりそんなに劣るわけではないし、ダメな奴でもない。
人と話すのがTELだけだし、いつかかってくるのかわからないTELを待つのにもすっかり疲れてしまった。ただ、それだけだ。
しばらくぼうっとすれば、また元気がでると思う。
Mちゃんが夢に出てくるのが、とても苦しい。
もう帰ってこない者にまだとらわれているわたしだ。」



春のプリンス・エドワード島、オーウエル・コーナー歴史村です。
またいきたいな・・・。