たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

日本文化に出会って受けたもの・手ばなしたもの

2014年11月12日 22時35分56秒 | グリーフケア
11月6日のグリーフ・ケアの講座の内容を整理してみました。

来日して30年、普段は英語で授業をしているフランス人の先生が日本語で講義をされました。使われる日本語が私たちには不慣れで難しくて聴き取るのが疲れてしまいました。
内容もちょっと難しかったですが、こういう見方もあるという意味で面白い内容だったと思います。その全てを正確に記録することはできておらず。私が理解できたことにとどまります。また長くなりますが、よろしかったら読んでください。

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通訳には限界がある、絵の方がわかりやすいということで絵や写真を載せた簡単な資料を準備された。

日本におけるグリーフ・ケアには二通りある。
ひとつ目は喪失体験をした人に、あなたは今非人間的だからグリーフ・ケアが必要ですよ、と言って分ける。病院に入れば番号が付けられる。差別される。あなたは病気ですよ、あなたにはグリーフ・ケアが必要ですよ、という。
二つ目は、英雄扱い・犠牲者扱いする。

どうして今日本でグリーフ・ケアを受け入れるのか、横文字のまま一つの流行のようになっているのか。
ビジネスになるからではないか。例えばこうして大学でグリーフ・ケアとして講座を開けば人がたくさん集まる。(他の題目で開けば人はそれほど集まらないだろう。) いい悪いではなく、一つの見方としてそういう観点から自分はグリーフ・ケアを見ている。

日本は明治時代、早い段階でヨーロッパの啓蒙思想を受け入れた。
啓蒙思想は、弱い人々を踏みながら力をつけるのが特徴。啓蒙思想の価値観を持っている日本がどうしてグリーフ・ケアを受け入れるのか。弱い人々を踏みながら、裕福な人々は生きている。グリーフ・ケアがビジネスとして成り立つ。

日本をブランド化したのは旧国鉄がJRになった時。今も政府は日本のブランド化のために莫大なお金を使っている。そのために本当に大事なことが見えにくくなる。弱い人々が置き去りにされている。
資本主義を支えるためには、弱い者を踏みつけていくグリーフ・ケアが必要。
啓蒙思想に沿えば、完全なグリーフ・ケアの形があって、それを実行していくのがグリーフ・ケア。
島国に住んでいる人を本当に助けようとすれば、大変なこと。
「インターナショナル」と「国際」は少し違う。
日本は本当の意味で国際的になっていない。閉鎖的。どこかで深く根づいていない。一日も早くグローバル化を考える方がいい。
啓蒙思想は自分中心の妄想をつくらせる。現代主義の人間は、その妄想の中で生きている。
創造と妄想とは違う。お金があればよくなる-は資本主義の妄想。
どこまで日常生活で妄想を膨らませるか、想像するか。
都民の税金を使って進めた大学のグローバル化構想は、目指したところに少しもたどりつけなかったと思う。全てが妄想だった。
妄想だから全てOK。誰も責任を持たない。

グリーフ・ケア‐グリーフは悲嘆、ケアをどうやって訳すか。情(なさけ)。どういうふうに人間関係をつくるか。相手がフランス人だからいい、中国人だからいやだ、から抜け出さなければならない。本当のグローバル化はあり得ない。

芸術家は悲嘆のかたまり。だからとてもいい表現をしている。

弱い人々を踏みながら豊かな人々の生活をつくっているのが今の中国。張洹「ZHANG HUAN」はそれに対して、体全部を使って怒りを表現している。資本主義社会を批判。中国の今の資本主義は弱い人にとってきつい。展覧会の場で作品を創って終わったら壊す人。貧富の差が激しい上海に行って、貧しい人たちの住む所で全身にはちみつを塗って座り続けた。いろんな虫が寄ってきて体はぼろぼろになる。それが彼の怒りの表現だった。芸術家はそれほどのことをする。
杜維明(といめい Tu Wei-ming) も批判している。今の中国では自然は全滅する。彼の考え方は大事。今の日本も似ている。残っているのは資本主義モデルしかない。
坂口恭平は、3.11の津波と原発事故の時、政府のやり方に強い怒りを感じた人。
中西進の『日本人の忘れもの』は現代社会を批判的にみるために役に立つ。「強いモノは必ずこわされる」例えば原発。「弱い」の反対は「強い」ではない。

グリーフ・ケアを本当にやるなら、私たちの価値・社会を批判的にみる必要がある。
”情(なさけ)“を考え直さなければならない。そうすれば日本のいいものが生まれてくる。
今の日本で、自殺者、過労死の数は少なくない。そこをきちんと見なければ、グリーフ・ケアはただのビジネスに終ってしまう。

人間の脳の働きは理性的ではない。不思議なもの。まだフランスにいた頃、二十歳ぐらいの時、病院で出会った、バイクの事故で足を失った若者が読んでいたのはバイク雑誌だった。

グリーフそのものは文化がつくっている。カタカナを利用して、何かを訴えようとしている。現代社会のいい意味での批判的な概念になれば素晴らしい。今のままの日本では将来がない。”情(なさけ)“が育てば将来が生まれてくる。

耳の脳はとても大切にしている。(ここは先生の日本語を聴き取ることができず、内容を理解できていません。)
カナ-日本人は一つの小さなことばを大切にしている。
日本の歴史の中でグリーフ・ケアは現われてこない。
先生は縁があって30年前の来日直後、高野山で2月15日に行われる常楽会という儀式に参加した。尼さんの達の末席に坐った。
日本のお葬式の形は、お釈迦様が亡くなった時の儀式から生まれている。涅槃。お釈迦様は亡くなる時「私の伝えた音だけ守りなさい」と言われた。

万葉集11巻、2453 柿本人麻呂歌集
「春楊(はるやなぎ)
 葛城山(かつらぎやま)に
 たつ雲の
 立ちても坐(ゐ)ても
 妹(いも)をしそ思うふ」

万葉集の中に、素晴らしい「グリーフ」が現われている。
妹や幼い子供が亡くなった時、当時の人は詩を詠んだ。
亡くなった人は雲の形になって生きている。今も奈良に行くと美しい雲をみることができる。今生きている人と亡くなった人は、雲の形をとっている。雲全体の風景は生命のリズム。
”情(なさけ)“と耳が育つために、万葉集はとても大事。

グリーフ・ケアの目的は人を強くすることではない。
グリーフを経験している人は弱い人ではない。考えられない、いい表現をする。生命力は素晴らしい。ストレッサーはある程度必要である。3.11のような刺激を受けた時、強いものが生まれてくる。いい反応が生まれてくる。

弱い者は資本主義が喜ぶ人材。
グリーフ・ケアは、その弱い者が、弱い者を踏みながら強い者が生きてゆく資本主義社会を批判する力になり得る。グリーフは予防できる。

antifragile(中西進の造語)→弱いの反対は強いではない。

最後に高木先生がまとめ直してくださったこと。
ブランド化された資本主義社会の日本を批判する力にグリーフ・ケアがなり得る。”情(なさけ)”がグローバル化されて、違う宗教・文化・民族と出会うことによって深められて行く。弱い者はすごいエネルギーを持っている。そのエネルギーを引き出すのが、グリーフ・ケア。グリーフ・ケアは、“情(なさけ)”を育てる。

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私自身、聴き取ることができず十分に理解できていないところもありますが、以上のように整理してみました。