たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

大震災の喪失体験を通して考える「悲嘆」(1)

2014年11月05日 14時07分17秒 | グリーフケア
10月30日のグリーフケアの講座でお聴きした五百旗頭真(いおきべまこと)さんのお話をまとめたので載せてみようと思います。

五百旗頭さんは、前防衛大学校長、東日本大震災復興構想会議議長をつとめられました。
現在は、ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長、熊本県立大学理事長をされています。

講座ではよどみなくお話をされました。
そのすべてを正確に記録することはできておらず、私がその場でメモをとったことと記憶に残っていることからまとめたものですので、お話しされたことから言葉が違っていたり、
こぼれおちたりしています。その点ご了承ください。

一回で載せるには長いので分けてみます。
よろしかったらお読みください。


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悲嘆は死別体験ばかかりではない。喪失も悲嘆。
今の日本には四つの喪失の危機がある。

①中国の台頭。これは人類史上画期的なこと。19世紀ドイツが台頭したことにより第一次世界大戦が起こった。国の規模がドイツよりもはるかに大きい。経済力の上に軍事力を持っている。国益のために軍事力を使う恐れがある。尖閣諸島をとられるだけでも日本にとっては大きな悲嘆となるだろう。もうすぐ日中首脳会談があるが、力を蓄えた中国とのつきあいは難しい。

②GDP200%の赤字。国家予算の半分は来年送りとなっている。税金で半分しかとれていない。一定の成長率と共に税金を増やしていかなければならない。高齢化で、地方の市町村の80-90が消滅していく。就学・就労の為に人口が東京に集中し過ぎている。東京が差し出すべき地方が死んでいく。提供すべき側の東京は、人口の再生産をしない。ギリシャは赤字140%で破綻した。日本は国債を発行して国の内部に借金をしているのでまだもっている。金利を上げなければ国債はもたない。それはもう目の前。団塊の世代が負担しなければならないのに、そうなっていない。

③首都直下型地震と南海トラフ。3.11の時に帰宅困難者がたくさん出て大混乱したが、一極集中で直下型地震が起こったら、政治、経済、全て止まってしまって大変なことになるだろう。

④人口減少。地方も東京も衰退していく。


五百旗頭(いおきべ)さんは阪神淡路大震災の罹災者。地震に対して敏感になっている。3.11の時は横須賀の防衛大学にいたが、最初の揺れから、さらに大きな揺れがきたのですさまじい地震だと感じた。すぐにドアを開けて避難経路を確保してくれた女性がいた。それからラジオで宮城沖が震源地であることを知った。

阪神淡路大震災は、1995年1月17日午前5時46分。いきなり下から上につぎあげてきた。家を揺らされて殺意を感じた。実際には20秒だったと後で知ったが揺れている間2分ぐらいに感じた。下から突き上げられると家も電車も一度浮かび上がり、降りてくるときに横揺れがくる。阪急電鉄の伊丹駅は3階にあった。地震を想定して造られてはいたが、一度浮かび上がることは想定していなかった。3階にあったため、電車の重さで崩れて、下にあった交番がつぶれた。警察官二人が生き埋めとなり、一人は存命だったが、一人は遺体で発見された。
その日はたまたま下の娘と2階の部屋で一緒にベッドで寝ていたので、揺れ続けている間娘が地震に連れ去られないように押さえつけていることができた。(とっさにそれしかできなかった。)

2階の自分の部屋にいた上の娘もベッドで寝ていたので助かった。家具が飛んでいたがベッドまでは降りてこなかった。
家族四人無事であることを確認した後、食料を確保できるのか、本当に助かったのかを確かめるために、お父さんが代表で1階に降りていってみることになった。暗闇の中で蝋燭をみつけたがマッチがどこにあるのかわからなかった。上京していた息子の部屋にラジオがあった。ラジオで震源が淡路島だと知って驚いた。関西に地震はこないという神話に毒されていたので、東京が震源地ならとてつもなく大きな地震で、小松左京の「日本沈没」が現実に起こったのではないかと震源地を知るまで妄想した。

一階に降りていって、玄関でスリッパをはいた時安心した。こういう時スリッパをはくと安心する。表玄関のドアは揺れで歪んでいて開けられなかったので、勝手口に行ってみることにしたが、台所は家具などが倒れて三層にふさがれてしまい、勝手口に行くことはできなかった。
2階の窓から下の娘の同級生の女の子がいる。すぐ近所の社長の豪邸がつぶれているのが見えた。大きな庭があって野菜づくりをしていたので、娘たちがたびたび遊びに行っていた家だった。娘が友だちの名前を呼び続けていたら、友だちが無事な顔を見せた。梁と梁との間で友だちは助かった。針の先ほどの偶然がこういう時生死を分ける。

視点を変えることによって人は救われる。
昨年亡くなられた奥さまはそれまで趣味で器が好きだった。台所で、散らばった器を「私の柿右衛門・・・」などひとつひとつ名前を呼びながら拾っていた。それ以降、相対化して物事を考えるようになり、器はなんでもなくなった。
大震災前は旧約聖書。大震災以後、別の人生を生きている。
今この瞬間を大事に生きるようになった。明日はないかもしれない。