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路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

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【オウム真理教】:地下鉄サリン25年後の死者 浅川幸子さん56歳

2020-03-20 00:02:00 | 【思想信条(保守・右翼・左翼)、イデオロギー(民主、共産、社会主義他)】

【オウム真理教】:地下鉄サリン25年後の死者 浅川幸子さん56歳

『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【オウム真理教】:地下鉄サリン25年後の死者 浅川幸子さん56歳

 オウム真理教が1995年3月に起こした地下鉄サリン事件から、きょう20日で25年を迎えた。事件の被害者で寝たきりの生活が続いていた浅川幸子(あさかわ・さちこ)さんが今月10日午前9時34分にサリン中毒による低酸素脳症のため亡くなっていたことが19日、分かった。56歳だった。介護を続けてきた兄の浅川一雄さん(60)が記者会見で明らかにした。一雄さんは「妹にとって25年は本当につらい時間だったと思う」と語った。

15年1月、兄一雄さん(右)の家で療養を続ける浅川幸子さん(共同)15年1月、兄一雄さん(右)の家で療養を続ける浅川幸子さん(共同)

  ◇  ◇  ◇

 一雄さんは、「僕たち家族が幸子から力をもらった部分がある。25年間お疲れさま」と会見で妹への思いを明かした。

 幸子さんは95年3月20日、勤め先の研修に向かうため、地下鉄丸ノ内線に乗車中、サリンを吸い、心肺停止となった。命は取り留めたが、手足にまひが残り、重い言語障害が残り、家族の介護を受けながら自宅で寝たきりの生活になった。一時は補助があれば起き上がれるまで回復したが、ここ数年で症状が悪化、17年10月から入院していた。一雄さんは、亡くなった幸子さんの耳元で「よく頑張ったね。おつかれさま」と声を掛けたという。

 一雄さんは被害者の家族として、一連のオウム事件の裁判とも向き合ってきた。18年の刑事裁判終結後に開かれた同事件被害者の会の集会では、死刑囚らの執行に向けた動きについて「被害者は命の大切さを知っている。多くの命を奪った事件の片棒を担ぐような気がして、執行時期については話したくない」と、複雑な心境も明かしていた。

 また、18年以降は公安調査庁のホームページで手記も発表している。今年の手記では、「被害者というのは単に被害を受けた当事者だけの事ではなく家族も被害者になってしまいます。決して人ごとや当事者だけの問題ではないのだと皆さんに知ってもらいたいと思います」とした上で、「このような理不尽なテロ事件が2度とおきないよう皆さんも過去の事と思わず忘れないでいてほしいと感じています。オウム真理教は絶対的に許す事はできません」と訴えた。

 一雄さんはこの日の会見で、「何の落ち度もない妹が亡くなったが、幸子が悲しまないよう前向きに生きていきたい」と語った。

写真・図版 地下鉄サリン事件発生直後の日比谷線築地駅付近。地上に運び出された乗客は救急車などに収容された

写真・図版

 地下鉄サリン事件の直後、病院には被害者が次々と運び込まれ、医師の手当てを受けた=1995年3月20日、東京都中央区

 ◆地下鉄サリン事件 

 裁判資料などによるとオウム真理教幹部らが共謀し、引き起こした無差別テロ事件。1995年3月20日午前8時ごろ、教団への強制捜査を避けるため営団地下鉄(現東京メトロ)日比谷線など3路線5電車で猛毒神経ガス「サリン」をまいた。14人が死亡、6000人以上が重軽傷を負った。18年7月に死刑が執行された松本智津夫元死刑囚(執行時63=教祖名麻原彰晃)が首謀、村井秀夫元幹部が総括指揮を担当、井上嘉浩元死刑囚(執行時48)が現場調整役を務めた。サリンは事件前日、中川智正元死刑囚(執行時55)、遠藤誠一元死刑囚(執行時58)、土谷正実元死刑囚(執行時53)らによって生成された。

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【事件・犯罪・オウム真理教による犯罪】  2020年03月20日  00:00:00  これは参考資料です。転載等は各自で判断下さい。


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