鹿児島・甑島(こしきじま=薩摩川内市)に、単身漁師志願し、島民となって12日で丸1年を迎える26歳の女性がいる。尼崎市(兵庫)の実家を離れて人生初の1人暮らし、前職看護師から転身した。周囲からは猛反対されたが、ベテラン漁師について春夏秋冬を乗り切った。後継者不足に苦しむ甑島では、漁師26人が立ち上がって取れた魚のブランド化を目指して「甑島社中」を設立したばかり。奮闘する新米女性漁師に密着した。(敬称略)
「鳥ノ巣山展望所」は、甑大橋を上から見られるビュースポットです!
甑大橋
■懇願し「1回体験」
「いい島ですよね…、甑島大好きです」と自家用車のハンドルを握りながら、ハミングするように話した。武輪愛花厘(たけわ・あかり=26)は、島内を案内しながら漁師になったいきさつについて語った。祖母が甑島出身。看護師を3年務めて、いきなり昨年4月に甑島に渡って漁師になった。
漁師をするなら祖母の故郷と決めていた。「漁師」「募集」でネット検索すると甑島の「日笠山水産」がヒットした。もちろん、誰も知った人はいない。電話をかけて「漁師になりたいんです」と懇願。23年7月だった。電話口に出た日笠山水産社員の藤原真子(29)は漁師の募集をしていないことを告げたが、愛花厘の熱意にほだされて「じゃ、1回体験に来てみる?」と提案した。すぐに母親と一緒に来島し、キビナゴ漁に同行した。
漫画「Dr.コトー診療所」で知られる東シナ海に浮かぶ孤島。生まれて初めて漁船に乗った。乗船してすぐに気持ち悪くなり、胃の内容物を全て吐いた。11月にも体験で島に渡り、そのときも激しい船酔いで、またもや吐いた。しかし、愛花厘の決心は曇らずますます濃くなっていった。社長で船長の日笠山誠(53)とじっくり話して正式に漁師に転職することに決めた。
24年3月31日に看護師を辞め、4月12日から島で漁師生活をスタートさせた。看護師としては一般外科の病棟勤務。重度の患者も見る担当で「たいていのことでは驚かない。船酔いで吐いたら慣れればいいと感じていた」と平然と話した。
未経験者ではあったが「なるようになる。気持ちが大事」とすべてを前向きにとらえた。船上では日笠山や先輩漁師の寺下卓良(たくろう=37)に怒鳴られながら、1つずつ仕事を覚えていった。
■カンパチの養殖
日笠山水産の社長でありながら、日笠山は島の漁師集団「甑島社中」の代表も務める。22年8月に立ち上げ、島の漁師が結託して、取った魚に甑島ブランドを確立させて直接関東や関西エリアの飲食店などに販売を持ちかけることを目的とした。魚の新鮮さを広報してファンを増やしている。日笠山は愛花厘を日笠山水産ではなく、甑島社中の第1号社員として採用した。
メインはキビナゴ漁。3~4月にシーズンインするが5~6月は産卵場を封鎖して資源保護期間としている。その他にカンパチを養殖。1度入ると逃げられない鉄製カゴを沈めてクエ、ハタ、アラ類の高級魚を狙う。夏が過ぎると通称「秋太郎」と呼ばれるバショウカジキを捕獲する漁に出る。現在、もっとも推しているのは沖で釣る1キロ超のメジナ。鮮度の良さを武器に販路を拡大している。

- 午前2時、愛花厘は船上で刺し網漁でキビナゴの漁獲に追われる
■深夜2時に出船
愛花厘はすべての魚種に乗船。さらに工場で養殖魚やしめた切り身をラッピング作業をするなど、事務作業にも従事する。
深夜2時に出船してキビナゴ漁に出て、網を打って、巻き取りや網の流しをする作業の合間に、マダイや、スマガツオ、大サバを釣って、早朝に帰港する。太陽がうっすらと昇る手前で漁を終える。網をたたんで、船からあがる。バケツに入れたキビナゴをもって、軽く塩でもんで七輪であぶる。「自分で取ったキビナゴをあぶって食べる。とんでもない幸せを感じます。ありがたいですね」。星の間に暗闇がちりばめられるぐらいに満天のまたたきの下で潮風に吹かれる。
看護師時代は心を落ち着かせるためにたばこが手放せなくなった。漁師になってからは自然と禁煙できるようになった。「素直に空気がおいしいって感じる。この島が本当に大好きです」。船上でぐらつかず心と体の安定感は増してどっしりしてきた。【寺沢卓】

- 甑島里港で水揚げしたばかりのキビナゴを七輪で軽くあぶる。ぷりんとしておいしい
■愛花厘の成長に目を細める漁師生活34年目日笠山社長
細かい隙間の網を海中に投じることで、網にキビナゴの群れが刺さって捕獲できる。網に刺さったキビナゴを船上で振り落とす。波で不安定な船上で網を上下動させてキビナゴを傷つけずに捕獲していく。さらに氷水に浸してピンとまっすぐに締めていく。
甑島の名産でもあるキビナゴ。細かく砕いた氷を海水に近い3%濃度の塩水にぶち込む。網にかかったキビナゴを手早く氷水に浸すことで、魚体が曲がらずにピンと伸びる。
漁師家系3代目で漁師生活34年目の日笠山は「このひと手間が、キビナゴの商品価値をぐんとあげる。島の漁師が生き残っていくためには、このひと手間を惜しんじゃいけない。キビナゴだけじゃない。すべての魚を丁寧に」と愛花厘に手取り足取り基本をたたき込んできた。「まだまだ小僧、ただガッツはある。覚えもいいし筋もいい。このまま育てばいい漁師になる」と成長に目を細めた。
里漁港の薩摩川内市観光物産協会の支店長瀧津岳大(たきつ・たかひろ)は「26歳の女の子でジャコ(キビナゴ)漁の船で漁師をやってるなんてスゴい。自分の知り合いも漁師を目指してジャコ漁をやったけど男でも続かずにやめていく。観光物産協会としても彼女に注目していきたい」と話した。
■漁師700人以上から156人に激減
約30年前の甑島の漁師は漁協の登録者だけで「700人以上はいたはず」と日笠山は話す。昨年の甑島漁協の正規会員は156人と激減。愛花厘のような島外の未経験者が飛び込んでくる例はまずない。「どんどん減っていく漁師の育成は必須課題」とも話しているが、今後は島の魅力を積極的に伝えていくことも考えている。
甑島ミュージアムのオープンで恐竜という新たな観光の芽も可能性が出てきた。ただ、日笠山は漁師として主要魚種のキビナゴについて「当たり前に朝飯として食べているけど、これは来島の武器になるかもな、取ってきて刺し身と七輪であぶるのは島じゃないとできない」とキビナゴで楽しむ朝飯をどうアピールできるか真剣に考え始めている。