路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

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【ニュース裏表】:安倍元首相三回忌法要 いくら願っても戻ってくることはない安倍氏 拉致解決、憲法改正が残されたわれわれに課せられた責務

2024-07-07 07:46:50 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【ニュース裏表】:安倍元首相三回忌法要 いくら願っても戻ってくることはない安倍氏 拉致解決、憲法改正が残されたわれわれに課せられた責務

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【ニュース裏表】:安倍元首相三回忌法要 いくら願っても戻ってくることはない安倍氏 拉致解決、憲法改正が残されたわれわれに課せられた責務 

 2022年7月に暗殺された安倍晋三元首相の三回忌法要が6月30日、東京・芝公園の増上寺で営まれた。参列者の一人として読経が響くなか、安倍氏との思い出を振り返った。

 安倍氏に初めて会ったのは02年7月だった。産経新聞官邸クラブキャップになったばかりで、小泉純一郎内閣で官房副長官を務めていた安倍氏にあいさつした。はつらつとしていた印象だった。当時の官邸クラブは、サブキャップが阿比留瑠比記者、安倍番は石橋文登記者、総理番は田北真樹子記者らと個性的な布陣である。

2002年9月、小泉純一郎首相(左)は訪朝し、金正日(キム・ジョンイル)総書記と握手した。左奥は官房副長官として同行した安倍氏=平壌市内(共同)

 何事もない夏かと思いきや、小泉首相は水面下で「北朝鮮訪問」を計画していた。8月30日朝、社会部の加藤達也記者から「小泉さんが訪朝を計画しているらしいです」との一報が届き、確認に追われた。

 安倍氏もこの日まで計画を知らされていなかった。小泉首相から訪朝を伝えられた安倍氏は「平壌(ピョンヤン)に同行するよう言われた」と明かした。

 私たちにとって、韓国紙に特ダネを抜かれた苦い思い出であるとともに、安倍氏との結束を強める契機ともなった。 

 帰国した拉致被害者5人を北朝鮮に戻そうとする動きに、断固反対したのが安倍氏や中山恭子内閣官房参与らで私たちも同調した。「5人を戻すのか」と追及する阿比留記者の質問に、別の方向を向きながらいやいや答える福田康夫官房長官の姿は印象的だった。

 結局、5人は日本で家族の帰国を待つことになった。

 田中均外務省アジア大洋州局長の言う通りに、5人を北朝鮮に戻していたら二度と帰って来られなかっただろう。

 訪朝をめぐり蚊帳の外だったことに安倍氏も内心じくじたる思いだった。それを挽回して主導権を取り戻した行動力は目を見張るものがあった。これは安倍氏が衆院議員になる前から拉致問題に関心を持ち、被害者家族らとの信頼関係を築いていたからこそ実現できたことだった。

 あれから22年の歳月がたった。

 菅義偉前首相も三回忌法要後の直会(なおらい)の席上、「2年を振り返ると、長かったと思うときもあれば、なぜこんなに短いんだろうと、いろいろ考えながら過ごしてきた」とあいさつしたが、皆が同じ思いをしているのではないか。 

 私自身、月刊「正論」増刊号『不屈の政治家 安倍晋三』のグラビアを見た酒巻俊介カメラマンの提案を受け、何かに憑りつかれたように、東京と大阪、安倍氏の地元・山口県下関、台湾の台北、山口県とも縁が深い台南の5カ所で「安倍晋三写真展」を開催した。多くの方が来場し、在りし日の安倍氏の写真に見入っていた。

 昭恵夫人が直会の最後に言われたように、いくら願っても安倍氏が戻ってくることはない。安倍氏が望んだ「拉致問題の解決」「憲法改正」などに取り組むことが、残されたわれわれに課せられた責務であろう。

 今回から、かつて1年間働いた夕刊フジで連載を担当することになった。夕刊フジでは政治部とは違った角度から永田町・霞が関を見ることができ大変勉強になった。しばらくお付き合いいただきたい。(産経新聞特別記者・有元隆志)

  元稿:夕刊フジ ZaKZak 主要ニュース 政治・国際 【政治ニュース・連載「ニュース裏表」】  2024年07月05日  06:30:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【花田紀凱 天下の暴論プラス】:安倍元総理の三回忌法要に出席「気がつくと…まだ電源を切ってなかった主人のパソコンが、たまについています」昭恵さんの挨拶に泣く

2024-07-07 07:46:40 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【花田紀凱 天下の暴論プラス】:安倍元総理の三回忌法要に出席「気がつくと…まだ電源を切ってなかった主人のパソコンが、たまについています」昭恵さんの挨拶に泣く

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【ニュース裏表】:【花田紀凱 天下の暴論プラス】:安倍元総理の三回忌法要に出席「気がつくと…まだ電源を切ってなかった主人のパソコンが、たまについています」昭恵さんの挨拶に泣く 

 安倍晋三元総理の三回忌。

 そうか、もう2年という歳月が経(た)ってしまったのか。

 「日本は世界は、最も必要な時に、最も必要な人を喪ってしまった」

 ぼくは2年前にそう書いた。

 日本政治の現在の混乱、ウクライナ戦争やパレスチナの終わることない紛争を見るにつけ、この思いを深くするばかりだ。

三回忌法要の引き物としていただいた品

 

 6月30日、日曜日の午後、芝・増上寺で、安倍家による「三回忌法要」が執り行われ、ぼくも出席した。

 法要の後、隣の東京プリンスホテルで直会。

 岸田文雄総理、菅義偉前総理夫妻、そして車椅子の森喜朗元総理。櫻井よしこさん、加藤康子さん、金美齢さんなどの顔も。

 同じテーブルには岩田明子さん、小川榮太郎さん……。ぼくの左隣は安倍総理の盟友、荒井広幸さん(元衆院、参院議員、内閣官房参与)だった。

 菅前総理は月刊『Hanada』8月号のインタビューでも話されていた『フィナンシャル・タイムズ』の記事を紹介。

 「日本人は安倍総理に感謝すべき」と。 

 森元総理は、現在の政界の微妙な状況にも触れながら、最後に、

 「お墓というものは人々の心をひとつにします。昭恵さん、寂しいかもしれないけれど、たまには油谷のお墓の前で、歌でも歌ったらいい。そうすれば元気が出ますよ」

 いかにも森元総理らしい、温かい励ましの言葉だった。

 そして、最後、昭恵さんの挨拶に泣いた。

 「早いもので、あっという間の2年でした。初めの頃は現実を受け止めることができませんでしたが、最近、ぼちぼち、取材を受けたりして、主人のことを思うことが多くなりました。

 生前には知らなかった主人のことをいろいろ知り、ほんとうに多くの人に愛された素晴らしい人だったんだ、こんな人と私は結婚してたんだと感謝の気持ちでいっぱいです」

  最近になってやっと遺品の整理をする気持ちになったとも。

 「ボチボチと家の片づけをし、古いアルバムなど見ながら、こんなこともあった、あんなこともあったと、いろいろと思い出しているところです。

 気がつくと、まだ電源を切ってなかった主人のパソコンが、たまについています。 

これはどういうことなのか、もしかしたら、主人は生きてるんじゃないかな、なんて思いながら、主人の遺品を整理しているところです」

 月刊『Hanada』今月号のインタビューでも、最近、よく泣いていると仰っていた昭恵さん、涙ぐんでいた。

 「今、世界は大変な状況にあります。日本がしっかりしなくては世界は平和にならない。私はそう信じています。

以前、森総理が『日本は神の国』と言われて、大変な問題となったことがありましたけれど――」

 会場に笑いが。

 森元総理の目の前で、こんなことを言えるのが昭恵さんだ。

 「私も森総理と同じく日本はまさしく『神の国』と思っておりますので、そのことを広く伝えていきたいと――。

 皆さま、機会があれば山口のお墓にもぜひ、お参りいただければ嬉しく存じます」

 「次は七回忌か。ぼくはもう出られないかも」と、つぶやくと、隣の荒井広幸さんが、

 「いやいや、ぜひ出てください」

 当たり前だけれど、安倍元総理を好きな人ばかりの会場。終始、なごやかで、良い会であった。

花田紀凱
 月刊『Hanada』編集長

  元稿:夕刊フジ ZaKZak 主要ニュース 政治・国際 【政治ニュース・連載「花田紀凱 天下の暴論プラス」】  2024年07月04日  11:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【大谷昭宏のフラッシュアップ・06.24】:今くるよさん、桂ざこばさんへの思い 声がよみがえる「話になりまへんがな」

2024-06-24 08:00:20 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【大谷昭宏のフラッシュアップ・06.24】:今くるよさん、桂ざこばさんへの思い 声がよみがえる「話になりまへんがな」

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【大谷昭宏のフラッシュアップ・06.24】:今くるよさん、桂ざこばさんへの思い 声がよみがえる「話になりまへんがな」

 国際花と緑の博覧会(大阪花博)の開幕が近づいた1990年春、大阪のテレビ番組の花博にちなんだクイズで、なぜか漫才の今くるよさんとコンビを組んだ私は、まぐれもあってあれよあれよという間に優勝。結構な旅行券をいただいた。

 そのくるよさんが亡くなって、あのとき得意の「どやさ」は出たのかな、なんて思い出にひたっていると、追いかけるように桂ざこばさんの訃報が届いた。お二方とも私より若い76歳。寂しさが募る中、スタジオでご一緒することの多かったざこばさんへの思いも尽きない。

 とりわけ2012年大阪でのトーク番組。そのころ関西の人気漫才芸人が高額な年収があるのに母親に生活保護を受けさせていたことが問題となり、この日のゲストはその芸人批判の急先鋒(せんぽう)の女性国会議員だった。

 それ以前に芸人が記者会見で「浮き沈みの激しい仕事なので母に生活保護をそのまま受けさせていた」と泣いて謝罪した場面の映像が流れても「制度の悪用は許さない」と息巻く議員に、ざこばさんは一言、「そこまで言うんは(芸人への)みせしめでっか」。その言葉とともに番組はCMに入った。

 すると議員はCMが流れる中、だれに言うともなく、「大阪っておっかしなところよねえ。こういう政治的なことにも芸人が口をはさむのね」とやったから、ざこばさんの怒りの導火線に火がついた。

 「あんたもまた妙なことを言う人でんな」とうなるような声。だけど議員は引っ込まない。「留学していたフランスでもコメディアンは尊敬されてるわ。でも立つ舞台が違うのっ」。

 だが議員は、ざこばさんの「話になりまへんがな」のひと言で完全に浮き上がってしまった。まさに強い者に厳しく、弱い者にはやさしい浪速の笑いの真骨頂。

 だけど、あれから10年余り。時の総理がなんば(グランド)花月の舞台に初めて立ち、悪評ばかりの万博アンバサダーも浪速の芸人がつとめる。

 話になりまへんがな-あの日のざこばさんの声がよみがえる。

 ◆大谷昭宏(おおたに・あきひろ)

 ジャーナリスト。TBS系「ひるおび!」東海テレビ「NEWS ONE」などに出演中。

大谷昭宏のフラッシュアップ

 ■大谷昭宏のフラッシュアップ

 元読売新聞記者で、87年に退社後、ジャーナリストとして活動する大谷昭宏氏は、鋭くも柔らかみ、温かみのある切り口、目線で取材を重ねている。日刊スポーツ紙面には、00年10月6日から「NIKKAN熱血サイト」メンバーとして初登場。02年11月6日~03年9月24日まで「大谷昭宏ニッポン社会学」としてコラムを執筆。現在、連載中の本コラムは03年10月7日にスタート。悲惨な事件から、体制への憤りも率直につづり、読者の心をとらえ続けている。

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【話題・連載・「大谷昭宏のフラッシュアップ」】  2024年06月24日  08:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【筆洗・05.19】:古代ローマの都市ポンペイはベズビオ火山の噴火によって、一夜…

2024-05-20 07:25:40 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【筆洗・05.19】:古代ローマの都市ポンペイはベズビオ火山の噴火によって、一夜…

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【筆洗・05.19】:古代ローマの都市ポンペイはベズビオ火山の噴火によって、一夜…

 古代ローマの都市ポンペイはベズビオ火山の噴火によって、一夜にして壊滅した。<赤い火をふく あの山へ 登ろう 登ろう>-。イタリア歌謡の「フニクリ・フニクラ」(1880年)はこの火山の登山鉄道のCMソングである

 ▼大ヒットし、勘違いする人も。ドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウスはこれをイタリア伝統の民謡と思い込み、自分の曲の中に取り入れてしまった。それほど地元に溶け込んだCM曲なのだろう

 ▼<とれとれぴちぴち かに料理><あーらよ、出前一丁>。この人のCM曲だって負けていまい。作曲家のキダ・タローさんが亡くなった。93歳。何も知らない異国の方が聞けば大阪あたりの民謡と勘違いされる…ことはないかもしれないが、時代を超えて広く浸透し、愛されたのは確かである

 ▼覚えやすく、高度成長期にマッチした朗らかな曲調。当時の子どもはよく歌った。商品名を曲に乗せるのが巧みで名を売りたいスポンサーには頼りになる人だったはずだ

 ▼<アリマヒョウエノコウヨウカクヘ>。昔、兵庫出身の友人がよく口にしていた。聞き慣れぬ文句に民謡か何かかと尋ねて恥をかいた。関西では有名な老舗旅館のCM曲である

 ▼漢字だと「有馬兵衛の向陽閣へ」。わずか3秒少々の曲に場所と旅館名と誘い文句の「へ」まで入っている。これも「浪花のモーツァルト」の名人芸である。

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【筆洗】  2024年05月19日  06:56:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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【天風録・05.02】:鈴が鳴る道

2024-05-04 07:01:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【天風録・05.02】:鈴が鳴る道

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【天風録・05.02】:鈴が鳴る道

 わずかに動く口で筆をくわえる詩画家、星野富弘さんと対談中、傍らの妻に作家の三浦綾子さんが水を向ける。夫婦げんかはするの―。「あまり無い」との答えに感心する三浦さんに種が明かされる。「けんかしそうなときは口に筆をくわえさせちゃって」

 ▲「三浦綾子対話集1」(旬報社)から引いた。死線をさまよう星野さんへの恋心に戸惑って、結婚前には「愛することをやめさせてください」と神に祈った人である。冗談交じりに話せるまで至った夫婦の軌跡を思う

 ▲それほど愛され、そして愛した星野さんが78歳で亡くなった。不慮のけがで手足の自由を失い、闘病中に見つけた絵手紙風の詩画が生きがいとなった

 ▲野の花を好んで描き続けたが、野道は苦手だった。電動車いすだとガタガタ揺れ、「脳みそがひっくり返る」感じがしたらしい。ある日、車いすに鈴をぶら下げてみると、「チリーン」。鳴る鈴に心洗われるようになり、凸凹道が楽しみに変わった

 ▲随筆に書いている。〈人も皆、この鈴のようなものを、心の中に授かっているのではないだろうか〉。平らな道で鈴は鳴らない。人生の凸凹道でうつむく心に、詩と絵で鈴を思い出させる人だった。

 元稿:中国新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【天風録】  2024年05月02日  07:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【社説②】:鳥山明さん追悼 国境を超えて愛された

2024-03-13 08:06:40 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【社説②】:鳥山明さん追悼 国境を超えて愛された

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説②】:鳥山明さん追悼 国境を超えて愛された

 フランスのマクロン大統領をはじめ、世界中から寄せられた追悼の言葉が、その存在の大きさをあらためて感じさせる。「Dr.スランプ」や「ドラゴンボール」で知られる漫画家の鳥山明(とりやまあきら)さんが、1日に亡くなった。68歳、まだまだこれからも活躍してほしかった表現者の、突然の他界を悼む。

 愛知県出身の鳥山さんは1980年、ギャグ漫画「Dr.スランプ」の連載を「週刊少年ジャンプ」で始め、大ヒットした。
 
Dr.スランプ
Dr. SLUMP

大泉アニメゲートに設置されている、
「ねりまアニメ年表」の一コマ。
 
 それまでの日本の漫画は「劇画調」が主流の一つだったが、それとは画然としたタッチやポップな描線、洒脱(しゃだつ)なキャラクター造形、優れたデザイン感覚が実に斬新だった。たちまち時代を代表する漫画家になった。
 
 その後に手がけた「ドラゴンボール」は、子どもから大人にまで熱烈に支持された。掲載した「週刊少年ジャンプ」が、実に600万部以上もの発行を記録する原動力にもなった。
 
 
 さらに作品はアニメ化されて、80以上の国や地域で放送。「クールジャパン」とされる日本発のさまざまなジャンルの創作を象徴する名作アニメとなった。まさしく「ソフトパワー」=文化の影響力の好例といえよう。
 
 一方、漫画以外に多彩なデザインも発表した。その一つでキャラクター創作を担当したゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズは、空前のヒット作になった。こうした「社会現象」ともいえる足跡を残したことは忘れがたい。
 
 その活躍ぶりとは裏腹に、自身は人前に出るのをあまり好まず、顔写真の公開も望まなかった。自らを描く時は、ロボットのような自画像にするのが常だった。
 
 この人に送られたあまたの告別の辞で目を引いたのは、中国外務省の毛寧(もうねい)副報道局長が「深い哀悼の意」を表したことだ。
 
 普段は日本に厳しい姿勢になりがちな中国の報道官までもお悔やみを述べたのには、国境や立場の違いを超えて愛され得るポップカルチャーの真価を見た思いだ。
 先に亡くなった指揮者の小澤征爾(おざわせいじ)さんが「世界のオザワ」と呼ばれたように「世界のトリヤマ」と呼びたいほどの才能だった。
 
 人気キャラクターの「アラレちゃん」が口にする独特の言葉で、かつて大流行した「アラレ語」を借りて、お別れを告げたい。
 
 鳥山さん、バイちゃ!

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2024年03月12日  07:56:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【訃報】:国内最高齢38歳スナメリ天国へ「貴重な知見を残してくれた」鳥羽水族館の「勇気」

2024-03-08 07:37:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【訃報】:国内最高齢38歳スナメリ天国へ「貴重な知見を残してくれた」鳥羽水族館の「勇気」

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【訃報】:国内最高齢38歳スナメリ天国へ「貴重な知見を残してくれた」鳥羽水族館の「勇気」

 三重県鳥羽市の鳥羽水族館は7日、雌のスナメリ「勇気」が老衰のため38歳で死んだと発表した。

死んだ国内最高齢のスナメリ「勇気」(鳥羽水族館提供=共同)死んだ国内最高齢のスナメリ「勇気」(鳥羽水族館提供=共同)

 水族館によると、国内で飼育されているスナメリで最高齢だった。スナメリはイルカの仲間で、体長約2メートル。7日朝に飼育係が死んでいるのを確認した。21年ごろから加齢による食欲減退がみられ、1日の給餌回数や餌の種類を増やすなどしながら療養していた。

 勇気は1985年4月、鳥羽水族館で生まれ、スナメリの長期飼育の日本記録を更新していた。水族館は「長期飼育を通しスナメリの健康管理について貴重な知見を残してくれた」とコメントした。

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【訃報・三重県鳥羽市の鳥羽水族館は7日、雌のスナメリ「勇気」が老衰のため38歳で死んだと発表】  2024年03月08日  07:37:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【社説②】:小澤さんを悼む 名演生んだ人柄と情熱

2024-02-15 07:54:40 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【社説②】:小澤さんを悼む 名演生んだ人柄と情熱

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説②】:小澤さんを悼む 名演生んだ人柄と情熱

 ウィーン国立歌劇場やボストン交響楽団の音楽監督などクラシック音楽界の頂点と言えるポストを歴任した指揮者、小澤征爾さん。並外れた技術と情熱で聴衆を魅了したのはもちろん、後進の育成に果たした貢献も多大だった。

 小澤さんの音楽人生の基層には「平和への思い」があったのではないか。被爆地・長崎市の浦上天主堂(現カトリック浦上教会)での「平和への復活コンサート」でマーラーの交響曲第2番「復活」を指揮し、広島出身の糀場(こうじば)富美子さん作曲「広島レクイエム」の米国初演をボストン響で実現したことからも、それはうかがえる。
 
 小澤さんは家族とともに東京・立川で空襲に遭った体験がある。2015年、共同通信のインタビューには「日本は戦争で間違いをして、戦争の一番いやな体験をした。戦争を歴史にしてしまうことは相当危険だ」と述べている。
 
 旧満州生まれの小澤さんは日中の音楽交流にも力を注ぎ、中国でもたびたび演奏活動を行った。
 
 大混乱した文化大革命直後の1978年、中国中央楽団を指揮したブラームスの交響曲第2番の演奏は、音楽史にとどまらず日中交流史の記念碑的偉業でもある。
 
 さらに特筆すべきは若い音楽家の育成に傾けた情熱だ。「小澤征爾音楽塾」や「小澤国際室内楽アカデミー」を主催して国内外の若手演奏家を熱心に指導し、多くがプロとして世界に羽ばたいた。
 
 小澤さんの音楽の最大の特徴は作品の解釈を的確にオーケストラの団員に伝える卓越した指揮技術にある。音楽人生を支えた技術の基礎は恩師で名チェリストの故斎藤秀雄氏による指導で培われた。留学経験がない小澤さんは、日本の音楽教育が生み出した至高の芸術家とも言えるだろう。
 
 小澤さんは作曲家の故山本直純さんと終生の友だった。山本さんが司会を務めたテレビ番組「オーケストラがやって来た」にしばしば出演。軽妙なやりとりでクラシック音楽の魅力を語り、ファン層の拡大にも寄与した。
 
 音楽への激しい情熱を持ちながらユーモアを忘れず、誰とでも分け隔てなく交流する小澤さん。底抜けに温かい人柄こそが数々の名演を繰り広げた原動力だった。
 
 世界中の音楽ファンに愛された偉大なマエストロの逝去。平和への思いを受け継ぎ、拍手と「ブラボー」の掛け声で送りたい。

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2024年02月14日  08:02:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【社説①】:小沢征爾氏死去 情熱のタクトで感動を届けた

2024-02-12 05:01:35 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【社説①】:小沢征爾氏死去 情熱のタクトで感動を届けた

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説①】:小沢征爾氏死去 情熱のタクトで感動を届けた

 国境を超えて、クラシック音楽の発展に果たした役割は計り知れない。世界に感動や熱狂をもたらした日本人指揮者として、多くのファンの記憶に刻まれるだろう。 

 指揮者の小沢征爾さんが死去した。88歳だった。米国の名門ボストン交響楽団、世界最高峰のオペラハウスといわれるウィーン国立歌劇場で音楽監督を務め、ベルリン・フィルなどトップクラスの楽団とも共演を重ねた。

 小沢さんの指揮は、的確な技術と、全身を使った表現が特徴だった。ベルリオーズやマーラーなどの作品を得意とし、深い譜読みと解釈によって、情熱的かつ精妙な響きを引き出した。

 その活躍は、日本をクラシック大国に押し上げただけでなく、欧米の音楽界にも新風を巻き起こした。クラシック音楽をアジアなどの非西洋圏に普及させる役割も果たしたと言えるだろう。

 20歳代で世界への扉を開いたことも、高度経済成長期に入った日本人を勇気づけた。

 単身渡欧した1959年は、海外旅行がまだ一般化していない時代だった。日の丸の国旗を付けたスクーターでパリなどを駆け回りながら、フランスのブザンソン国際指揮者コンクールなどを制して活躍の舞台を広げていった。

 20世紀を代表する指揮者のカラヤンやバーンスタインのもとで 研鑽けんさん を積んだことが、後に大きな財産となった。誰とでもすぐに親しくなれる気さくな人柄も、成功の原動力となったに違いない。

 特筆すべきは、海外で培った貴重な経験を、惜しみなく日本に還元したことだ。晩年の小沢さんは「僕は天才ではない。努力家です」と語り、「残された時間で、次の音楽家を生み出す」との決意をにじませていた。

 長野県松本市で前身の音楽祭から30年以上続く「セイジ・オザワ松本フェスティバル」に、その思いが表れていた。小沢さんを慕って、世界から集まった演奏家が生み出した名演は数知れない。

 小沢さんは昨年も車いす姿で舞台に上がった。思いの詰まったフェスティバルだったのだろう。

 日本やスイスでは、若手演奏家向けの教育プログラムを主宰し、深夜まで熱心に指導する姿も見られた。指導を受け、世界を舞台に活躍し始めた若手もいる。

 日本のオーケストラは近年、技量が向上し、演奏を充実させている。後に続く指揮者や演奏家たちには、小沢さんが切り開いた道を一層広げていってもらいたい。

 元稿:讀賣新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2024年02月10日  05:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【筆洗】:伝説の始まりはこうだ。貨物船でフランス・マルセイユに到着し…

2024-02-11 07:33:40 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【筆洗】:伝説の始まりはこうだ。貨物船でフランス・マルセイユに到着し…

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【筆洗】:伝説の始まりはこうだ。貨物船でフランス・マルセイユに到着し…

 伝説の始まりはこうだ。貨物船でフランス・マルセイユに到着した青年は日本製のスクーターで単身パリへ向かう。背中にはギター。ヘルメットには日の丸。かなり珍妙ないでたちである。その道が「世界の巨匠」につながっているとは当時の青年自身も思っていなかったかもしれぬ。指揮者の小澤征爾さんが亡くなった。88歳

インタビューに答える指揮者の小澤征爾さん=東京都千代田区の毎日新聞東京本社で2015年3月30日、竹内幹撮影

 ▼ボストン交響楽団、ウィーン国立歌劇場など名門を率いたタクトは日本人にクラシック音楽をより身近なものとし、自慢の種でもあった

 ▼マエストロの長い道程を見れば、曲がり角には助けてくれる人物がしばしば登場するようである。カラヤンやバーンスタインとの出会いと師事はいうまでもないが、こっちの話も信じがたい

 ▼1959年、ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、世界への道を開くことになったが、参加を決めたときは既に申込期間が過ぎていた。頼み込む小澤さんを見た関係者が大会側に働きかけて、どうにか出場が認められた

 ▼才能と努力に培われた音楽家としての土台と、小澤さんという人間としての大きな魅力に人が手を貸し、巨匠への道を後押ししたか。そして、ときに助けられた小澤さんの振るタクトには人間の善を信じる強く、美しい心が宿ったのだろう

 ▼スクーターは懐かしいラビット・ジュニア。今、夕日に向かって走っていく。口笛は、「G線上のアリア」か。

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【筆洗】  2024年02月11日  07:14:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【訃報】:安倍晋三元首相の母・洋子さんが死去、95歳 岸信介元首相の長女

2024-02-05 00:58:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【訃報】:安倍晋三元首相の母・洋子さんが死去、95歳 岸信介元首相の長女

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【訃報】:安倍晋三元首相の母・洋子さんが死去、95歳 岸信介元首相の長女

 安倍晋三元首相の母で、岸信介元首相の長女の安倍洋子(あべ・ようこ)さんが4日、死去した。95歳。東京都出身。

安倍洋子さん(共同)

           安倍洋子さん(共同)

 1928年、岸元首相の長女として東京都で生まれた。51年に毎日新聞政治記者だった故安倍晋太郎元外相と結婚。晋太郎氏が衆院議員に初当選して以来、選挙に積極的に関わった。

 91年に晋太郎氏が死去。後を継いだ次男の晋三氏の政治活動を支えた。三男は岸家に養子に入り、防衛相を務めた岸信夫元自民党衆院議員。(共同)

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【話題・訃報】  2024年02月05日  00:58:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【筆洗】:寄席演芸の世界で「ヒザ代わり」といえば最後に出演するトリの…

2024-01-29 07:44:40 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【筆洗】:寄席演芸の世界で「ヒザ代わり」といえば最後に出演するトリの…

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【筆洗】:寄席演芸の世界で「ヒザ代わり」といえば最後に出演するトリの…

 寄席演芸の世界で「ヒザ代わり」といえば最後に出演するトリの落語家の直前に登場する芸人のこと。この「ヒザ代わり」の役目が難しいそうだ。客を楽しませるのは当然なのだが、あまり受けすぎても、次に出てくるトリの落語家はやりにくい。客席をほどよく温めておく芸がいる

 ▼この人に「ヒザ代わり」を務めてもらいたがった噺家(はなしか)さんは多かろう。紙切り芸の第一人者、林家正楽さんが亡くなった。76歳。亡くなる直前まで寄席に出演していたという。昭和の芸がまた消えた

 ▼芸歴は50年を超える。三味線に合わせ、踊るように体を揺らしながらハサミをふるう姿と見事できあがった藤娘、弁慶、双子のパンダなどを思い出す

 ▼数分の間に一筆で作品を完成させるだけでも苦労なのに客席のリクエストに応じ、作品をこしらえるのは骨だっただろう。前もって何が流行しているか、どんな求めが出そうかを、研究していたそうだ。大谷翔平選手やゼレンスキー大統領も難なく切れた

 ▼ある日の寄席。トリの立川談志さんがやって来ない。40分を紙切りでつないだ。それでも客に文句を言わせない芸の力があった

 ▼お客の注文にはおかしなものもあったらしい。あるときはお客さんがお菓子か何かの袋を差し出したそうだ。「封が開かないからハサミで切ってくれ」。事実ならこれもまた、正楽さんの愛した寄席らしい話である。

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【筆洗】  2024年01月28日  07:04:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【筆洗】:日本語を解さない海外の人を笑わせるのは難しいだろう。どんな…

2024-01-24 08:03:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【筆洗】:日本語を解さない海外の人を笑わせるのは難しいだろう。どんな…

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【筆洗】:日本語を解さない海外の人を笑わせるのは難しいだろう。どんな…

 日本語を解さない海外の人を笑わせるのは難しいだろう。どんな落語の名人が熱演したところで言葉が分からなければ爆笑は期待できまい

 ▼笑わせる方法はある。作家の中島らもさんが日本のギャグ芸人の海外公演に付き合ったときの話がある。言葉が通じなくても笑いを誘う「技」があることを知った。それは「こける」「口の中に入れた握りこぶしが抜けなくなる」などの身体を使ったギャグと「うんち」。不格好な動きと愚かさ、下品さは言葉が通じずとも笑いを生む。プラトンが笑いとは「他人に対する優越感」と説いたのを思い出す

 ▼この人も海外で笑わせるコツを知っていたのだろう。サソリを口に入れる、毒グモを顔に這(は)わせる、おしりに挟んだサボテンを折る…。体を張ったむちゃな芸で世界を笑わせた「電撃ネットワーク」。リーダーの南部虎弾(とらた)さんが亡くなった。72歳

 ▼節度とは縁遠く、子どもにはあまり見せたくない芸かもしれぬが、規格外の「ばかばかしさ」は言葉の壁を軽々と乗り越え、世界を笑わせた。どんなことをしてでも笑わせる。そんな凄(すご)みも潜んでいた

 ▼ある国の女王陛下の前でも品のない芸を披露した。女王は嫌がって手で顔を覆っていたが、指の隙間からしっかりと見ていたそうだ

 ▼人間の根源にある笑いを引きだす南部さんと電撃の芸。どんな方でもあらがうことはできなかったとみえる。

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【筆洗】  2024年01月24日  07:01:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【筆洗】:<砂と糊(のり)みたいな声。その言葉はぼくらをくぎ付けにし…

2024-01-11 07:34:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【筆洗】:<砂と糊(のり)みたいな声。その言葉はぼくらをくぎ付けにし…

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【筆洗】:<砂と糊(のり)みたいな声。その言葉はぼくらをくぎ付けにし…

 <砂と糊(のり)みたいな声。その言葉はぼくらをくぎ付けにした>-。デビッド・ボウイのアルバム「ハンキー・ドリー」(1971年)にこんな一曲がある。「ボブ・ディランに捧(ささ)げる歌」

 ▼ディランの歌声をザラザラとした砂と粘り気のある糊に例えている。なるほどディランの声が聞こえてくる

 ▼砂と糊よりも独特な歌声をなんと例えるべきだろう。昭和後期を代表する歌手、八代亜紀さんが亡くなった。73歳という若さと哀愁あるヒット曲の輝いた時代を思い、しょんぼりする

 ▼子どものころからハスキーな声だったそうだ。18歳と偽って、クラブ歌手になったのが15歳。父親は「殴る蹴るほど」に怒ったとエッセーに書いている。デビュー後も思うようには売れなかった。下積みの日々が長く続いた

 ▼おそらく八代さんの声には苦労という少し重い「煙」が混じっている。苦労を知る歌声だからこそままならぬ恋心や孤独さを真実味をもって表現できたのだろう。経済成長を成し遂げ、豊かな時代。その裏側に潜む「しんどさ」や「やりきれなさ」をその声は人の背をさするように慰めた

 ▼代表曲「舟唄」。作詞家の阿久悠さんは「美空ひばり」を想定して書いたが、今では八代さんの声しか想像できない。中ほどに入る「ダンチョネ節」は端唄ではこううたう。<泣いてくれるな 出船のときにゃヨ>…。舟が遠くに出ていった。

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【筆洗】  2024年01月11日  06:51:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

 

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【筆洗】:写真家篠山紀信さんに撮られる時はどんな心境なのか▼葉月里緒…

2024-01-06 07:26:40 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【筆洗】:写真家篠山紀信さんに撮られる時はどんな心境なのか▼葉月里緒…

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【筆洗】:写真家篠山紀信さんに撮られる時はどんな心境なのか▼葉月里緒…

 写真家篠山紀信さんに撮られる時はどんな心境なのか

 ▼葉月里緒奈さんは「魂を吸い取られるような気持ち」などと言う。写真家には納得できぬポーズを強いる人もおり、そんな時は「途中で帰る」と語る女優も篠山さんとは衝突しなかったという

 ▼「写真に撮られるって、実際に裸にならなくても裸になることじゃないですか」「心が通じ合わない人、馴(な)れていない人の前で、心を裸にするなんてできないはずですよね。人間の内面は、恥ずかしいものでしょう?」。篠山さんには心も見せられたよう。作家大岡玲さんが密着して書いた『篠山紀信 目玉の欲望』から引いた

 ▼篠山さんの訃報に接した。葉月さん、宮沢りえさん、樋口可南子さん、本木雅弘さんら数多くの俳優のヌードを撮った人

 ▼大岡さんの著書によると「すりよってもだめ、怒鳴ってもだめ。結局、誠心誠意被写体と渡り合う。畏れを持ちながら、一緒に動く」と語っていた。持ち続けたのは被写体への敬意と愛情のようだ。アフリカ系女性に見えるモデルが乳房の手術痕のようなものをあらわに、硬い表情で立つ作品もあるが「美しいと感じたから撮った」と話していたという

 ▼「ぼくが撮りたいのは裸そのものじゃないんです。存在そのものの美しさっていうとキザだけどさ、ま、そういうことなんだよね」。人間そのものを見つめ続けた人だったのだろう。

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【筆洗】  2024年01月06日  07:03:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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