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路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

 路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

【社説・06.04】:長嶋さん死去/昭和を彩るスターだった

2025-06-07 06:00:20 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【社説・06.04】:長嶋さん死去/昭和を彩るスターだった

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説・06.04】:長嶋さん死去/昭和を彩るスターだった 

 プロ野球巨人で選手や監督として活躍した長嶋茂雄さんが3日、89歳で亡くなった。後に永久欠番となる背番号「3」を付け、チャンスに強い打撃と華麗な守備で多くのファンを魅了した。1965(昭和40)年から9年連続の日本一達成に貢献したが、この時期は高度経済成長期と重なり、戦後の日本社会に明るさをもたらした。野球界にとどまらず、昭和史そのものを彩る大スターだった。心から追悼の意を表したい。

 長嶋さんは数々の記録を残した。首位打者6度、打点王は5度で、本塁打王も2度経験した。通算打率3割5厘、本塁打444本といずれも称賛に値する。だが数字以上にファンの心に刻まれたのは、グラウンドで見せた個々の名プレーだろう。ヘルメットを飛ばすほどのスイングや流れるような送球に全力を注ぎ、4番打者としても三塁手としても、ここぞという場面で輝き続けた。

 引退セレモニーでの「わが巨人軍は永久に不滅です」などの名言で知られるほか、忘れ物が多いなどユーモラスなエピソードにも事欠かず、その明朗な人柄が親しまれた。

 立教大時代から注目を集め、58年に巨人に入団した。デビュー戦では国鉄の金田正一投手から4打席連続三振を奪われた。ここから奮起し、1年目で本塁打王、打点王となって新人王を獲得したのが、努力家で負けず嫌いの長嶋さんらしい。

 翌59年の6月25日、プロ野球で初めての天覧試合では、阪神の村山実投手から劇的なサヨナラ本塁打を放った。阪神ファンにとっては悔しい記憶となったが、球史に残る名シーンであることは間違いない。

 一塁手で3番を打った王貞治さんと「ON」コンビを組んで「V9」時代を支えた。「ミスタージャイアンツ」「ミスタープロ野球」の代名詞通り、巨人の黄金期をけん引すると同時に野球界、ひいてはスポーツ全体の人気を高めた。その功績は極めて大きく、国民栄誉賞や文化勲章を受けたのもうなずける。

 74年の引退後は、巨人の監督を2度にわたって務め、5度のリーグ優勝と2度の日本シリーズ制覇に導いた。指導者としても一流だった。

 日本代表監督に就いたものの、アテネ五輪出場権を得た後の2004年に脳梗塞で倒れ、五輪での指揮はかなわなかった。しかし厳しいリハビリを経て表舞台に戻った。21年の東京五輪開会式では王さん、巨人などに在籍した松井秀喜さんと聖火リレーに参加し、拍手を浴びた。

 日本の野球選手が世界でも通用する時代になったのは、長嶋さんらが道を切り開いた結果だ。今後も多くの若い人がその後に続き、野球ファンを楽しませてもらいたい。

 元稿:神戸新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2025年06月04日  06:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【社説②・06.04】:長嶋茂雄氏死去 時代照らした永遠のミスター

2025-06-06 05:00:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【社説②・06.04】:長嶋茂雄氏死去 時代照らした永遠のミスター

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説②・06.04】:長嶋茂雄氏死去 時代照らした永遠のミスター 

 華麗なプレーと、はじけるような笑顔で、時代を明るく照らした。まさに太陽やひまわりのような存在だった。日本中のファンとともに、「どうか安らかに」と願う。 

 プロ野球・読売巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんが亡くなった。89歳だった。選手、監督として多大な功績を残し、日本のプロ野球人気を不動のものにした。「ミスタープロ野球」の称号にふさわしい国民的スターだった。

 「燃える男」は大舞台になるほど力を発揮した。1959年の天覧試合では、九回裏に阪神の村山実投手から劇的なサヨナラ本塁打を放った。王貞治選手との「ON」砲で巨人のV9を支え、「記録の王、記憶の長嶋」と言われた。

 昭和の高度成長期、多くの国民が、 溌剌 はつらつ とプレーする長嶋さんを発展する社会に重ね、明日への活力にした。エラーをしてもファンが喜ぶのは、長嶋さんぐらいだろう。アンチ巨人の人々からも、これほど愛された人はいない。

 「巨人軍は永久に不滅です」という言葉を残して74年に引退した後は、2度にわたり、監督としてチームを率いた。

 94年は、リーグ優勝を巡る中日との「10・8決戦」を制したうえ、日本一に輝いた。96年には首位広島との11・5ゲーム差を逆転してリーグ優勝を果たした。

 王監督率いるダイエーと日本一を争った2000年の「ミレニアム決戦」には、日本中が沸き立った。劇的な展開が次々と現れるのも、千両役者ならではだろう。

 常にプラス思考で、「メークドラマ」「ミラクルアゲイン」など数々の語録を残した。時には「打つと見せかけてヒッティングだ」「初めての還暦を迎えました」など、思わず笑ってしまう「迷言」もあり、ファンを魅了した。

 忘れてはならないのが、松井秀喜選手を、押しも押されもせぬ4番打者に育て上げたことである。3年間で一流打者に育てるという「1000日計画」を掲げ、二人三脚でバットを振り込んだ。

 松井さんが引退した際は「これまでは、あえて称賛することを控えてきたが、『現代で最高のホームランバッター』という言葉を贈りたい」と語った。松井さんは今も長嶋さんとの素振りの時間を振り返り、感謝を口にしている。

 04年に脳 梗塞 こうそく で倒れ、右半身 麻痺 まひ などの後遺症が残った。それでも「もう一度走りたい」と懸命にリハビリを続けた。「天才」だと言われることが多かったが、「たゆまぬ努力」の人でもあった。

 元稿:讀賣新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2025年06月04日  05:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【社説②・04.24】:ローマ教皇死去 平和への訴えを深く胸に刻め

2025-04-27 05:00:25 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【社説②・04.24】:ローマ教皇死去 平和への訴えを深く胸に刻め

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説②・04.24】:ローマ教皇死去 平和への訴えを深く胸に刻め

 世界で戦火がやまず、多くの人命が失われている。かつてない危機の深まりの中、平和への訴えは極めて切実だった。 

 カトリック教会最高指導者のローマ教皇フランシスコが死去した。

 2月に入院し、一時は危篤とされたが持ち直し、死去の前日にはバチカンで信者の前に姿を見せてキリスト教の復活祭の声明を発表したばかりだった。

 声明では「平和は可能だ!」として、パレスチナ自治区ガザの戦闘停止を呼びかけた。ウクライナでの公正で持続的な平和を達成するため関係国に努力を促した。

 死の直前まで和平の希望を訴え続けた教皇の「遺言」は重い。世界の安定に責任を負う立場にありながら混乱を深めている大国の指導者らは、胸に刻むべきだ。

 約14億人の信者を有するカトリック教会のトップに2013年に選ばれた。以来12年にわたり、信者のみならず、紛争や貧困に苦しむ人々の救済に力を尽くし、言葉と行動で平和の尊さを説いた。

 16年米大統領選で候補者だったトランプ氏がメキシコ国境に壁を建設すると訴えると、「橋ではなく壁を築くことばかり考える人はキリスト教徒ではない」と批判した。宗教指導者として超大国にも臆することはなかった。

 19年には教皇として38年ぶりに日本を訪れ、長崎と広島から核廃絶を世界に訴えた。

 在位中訪れた国は約60を数える。初めて南米から選ばれた教皇として、欧州出身の歴代教皇があまり目を向けてこなかったアフリカやアジアの途上国にも積極的に足を運んだ。欧米で進む教会離れへの危機感もあったのだろう。

 大国の思惑によって世界の分断が深まる中、立場の異なる相手と向き合い、寛容の精神を体現しようとした姿勢は際立っていた。

 キリスト教が東西分裂して以降、東方正教会の最大勢力であるロシア正教会トップと初めて会談した。中国とは、中国側が選ぶ司教候補をバチカンが任命する暫定合意を結んで関係を改善した。

 「開かれた教会」を目指して改革を進めた。司祭が同性カップルに祝福を与えることを認めるなどタブーの打破に挑んだが、伝統を重んじる保守的な聖職者から強い批判を招いた。

 近く教皇に次ぐ高位聖職者の枢機卿による投票が行われ、新しい教皇が決まる。戦争の出口が見えない中、新教皇が、平和で寛容な世界の実現に向けて志を引き継ぐことを期待したい。

 元稿:讀賣新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2025年04月24日  05:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【訃報】:紀藤正樹弁護士「衝撃。悲しすぎる」元兵庫県議の死去報道受けXに思いをつづる

2025-01-19 16:28:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【訃報】:紀藤正樹弁護士「衝撃。悲しすぎる」元兵庫県議の死去報道受けXに思いをつづる

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【訃報】:紀藤正樹弁護士「衝撃。悲しすぎる」元兵庫県議の死去報道受けXに思いをつづる

 紀藤正樹弁護士は19日、自身のX(旧ツイッター)を更新し、斎藤元彦兵庫県知事の疑惑告発文書問題を厳しく追及し、インターネット上で誹謗(ひぼう)中傷を受けたことを理由に、県議を辞職していた竹内英明氏(50)の死去が報じられたことを受けて、哀悼の意を示した。

紀藤正樹氏(2022年7月撮影)

 竹内氏は県議会会派「ひょうご県民連合」に所属し、斎藤知事の疑惑に対する県議会調査特別委員会(百条委員会)の委員を務めていた。昨年11月の知事選の際に、中傷が過熱したことを受け、投開票後の18日に議員辞職した。

 選挙戦では、斎藤氏を応援する目的で立候補した政治団体「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志氏が、竹内氏ら、委員に関する情報などを街頭やネット上で発信。県民連合幹部によると、立花氏がSNS上で竹内氏の自宅に行くと予告するなどし、家族を守るために辞職を決断したと説明されていた。

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【訃報・地方自治・兵庫県・県議会100条委員会委員】  2024年01月19日 16:28:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【訃報】:東国原英夫氏「この死、何とか防げなかったのか」元兵庫県議死亡に

2025-01-19 15:12:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【訃報】:東国原英夫氏「この死、何とか防げなかったのか」元兵庫県議死亡に

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【訃報】:東国原英夫氏「この死、何とか防げなかったのか」元兵庫県議死亡に 

 元宮崎県知事でタレントの東国原英夫氏(67)が19日、X(旧ツイッター)を更新。斎藤元彦兵庫県知事の疑惑告発文書問題を厳しく追及し、インターネット上で誹謗(ひぼう)中傷を受けたことを理由に県議を辞職していた竹内英明氏(50)の死去に言及した。

東国原英夫氏(2024年1月撮影)

 竹内氏は県議会会派「ひょうご県民連合」に所属し、県議会調査特別委員会(百条委)の委員を務めていた。昨年11月の知事選の際に、中傷が過熱したことを受け、投開票後の18日に議員辞職した。

 選挙戦では、斎藤氏を応援する目的で立候補した政治団体「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志氏が、竹内氏ら、委員に関する情報などを街頭やネット上で発信。県民連合幹部によると、立花氏がSNS上で竹内氏の自宅に行くと予告するなどし、家族を守るために辞職を決断したと説明されていた。

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【訃報・地方自治・兵庫県・県議会100条委員会委員】  2024年01月19日 15:13:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【訃報】:立岩陽一郎氏、元兵庫県議死亡に「本当に深刻に考えないといけない」

2025-01-19 12:43:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【訃報】:立岩陽一郎氏、元兵庫県議死亡に「本当に深刻に考えないといけない」

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【訃報】:立岩陽一郎氏、元兵庫県議死亡に「本当に深刻に考えないといけない」

 ジャーナリスト立岩陽一郎氏が19日、X(旧ツイッター)を更新。斎藤元彦兵庫県知事の疑惑告発文書問題を厳しく追及し、インターネット上で誹謗(ひぼう)中傷を受けたことを理由に県議を辞職した竹内英明氏(50)が死亡したことについて言及した。

※写真はイメージ※写真はイメージ

 立岩氏は、竹内氏の死亡を報じる記事を引用し、「また一人、犠牲者を出してしまったということか。本当に深刻に考えないといけない」と指摘した。

 疑惑を巡っては、斎藤氏のパワハラなどを指摘した元県西播磨県民局長が、百条委への証人出席を前に亡くなった。また、プロ野球阪神とオリックスの優勝パレードの資金集めを担当し、病気療養中と記されていた元課長が昨年4月に死亡していたことが明らかになっている。

 竹内氏は県議会会派「ひょうご県民連合」に所属し、県議会調査特別委員会(百条委)の委員を務めていた。昨年11月の知事選期間中に中傷が過熱したことを受け、17日の投開票後の18日に議員辞職していた。

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【訃報・地方自治・兵庫県・県議会100条委員会委員】  2024年01月19日 12:43:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【訃報】:斎藤元彦兵庫県知事を追及の元県議が死去 百条委委員、誹謗中傷受け辞職

2025-01-19 12:32:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【訃報】:斎藤元彦兵庫県知事を追及の元県議が死去 百条委委員、誹謗中傷受け辞職

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【訃報】:斎藤元彦兵庫県知事を追及の元県議が死去 百条委委員、誹謗中傷受け辞職

 斎藤元彦兵庫県知事の疑惑告発文書問題を厳しく追及し、インターネット上で誹謗(ひぼう)中傷を受けたことを理由に県議を辞職した竹内英明氏(50)が死去したことが19日、関係者への取材で分かった。関係者によると、18日夜、姫路市の自宅で家族が異変に気付き救急搬送を要請。死亡が確認された。

※写真はイメージ※写真はイメージ

 竹内氏は県議会会派「ひょうご県民連合」に所属し、県議会調査特別委員会(百条委)の委員を務めていた。昨年11月の知事選期間中に中傷が過熱したことを受け、17日の投開票後の18日に議員辞職した。

 選挙戦では、斎藤氏を応援する目的で立候補した政治団体「NHKから国民を守る党」党首立花孝志氏が、竹内氏を含む委員に関する情報などを街頭やネット上で発信。県民連合幹部によると、立花氏が交流サイト(SNS)上で竹内氏の自宅に行くと予告したり、デマ情報を流したりして生活が脅かされ、家族を守るために辞職を決断したとの説明を受けていた。(共同)

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【訃報・地方自治・兵庫県・県議会100条委員会委員】  2024年01月19日 12:32:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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《金言・01.10》:家を建てた元大統領=小倉孝保

2025-01-10 02:01:20 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

《金言・01.10》:家を建てた元大統領=小倉孝保

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《金言・01.10》:家を建てた元大統領=小倉孝保 

 <kin-gon>

 ジョギングを好んだ米大統領は少なくない。ブッシュ(父と子)、クリントン各氏も走った。

 メディアを前にジョギングを始めたのは、昨日国葬が営まれたカーター氏(100歳で死去)だと言われている。在任中の1979年9月には、倒れそうになり周囲を慌てさせた。

 退任の3年後、ニューヨーク市をジョギング中、建設現場を目撃する。国際NGO「ハビタット・フォー・ヒューマニティー」のボランティアたちが貧困層に住宅を提供しようと活動していた。

 カーター氏は妻ロザリンさん(2023年死去)に手伝おうと持ちかけた。大工道具を持った経験のない妻は、食事の用意ならできるかなと思って参加する。

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 元稿:毎日新聞社 東京朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【金言】  2025年01月10日  02:01:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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《余録・01.07》:「我が国では最終的決定は民主的に行われ…

2025-01-07 02:03:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

《余録・01.07》:「我が国では最終的決定は民主的に行われ…

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《余録・01.07》:「我が国では最終的決定は民主的に行われ…

 「我が国では最終的決定は民主的に行われ、過激な提案や思慮に欠ける提案は穏健化される」。昨年末に亡くなったカーター元米大統領は2002年のノーベル平和賞授賞式で米政治の長所を強調した

大統領候補に選ばれたニュ-ヨークでの民主党大会で支持者に手を振るカーター夫妻=1976年7月15日、AP

 ▲「私はウソをつかない」はジョージア州知事から1976年大統領選に出馬した際のキャッチフレーズ。南部出身者の善良さにベトナム戦争やウォーターゲート事件のトラウマを癒やしたい国民が期待を寄せた

 ▲文化や芸術を愛し、5年前のドキュメンタリー映画「ロックンロール大統領」にはボブ・ディランさんら伝説のミュージシャンとの交流が描かれた。イラン大使館人質事件や物価高騰に翻弄(ほんろう)され再選を果たせなかったが、引退後の43年間に人柄が表れた

大磯の旧吉田茂邸で行われた2回目の日米首脳会談終了後、ワイシャツ姿で旧吉田邸の庭を散策するカーター米大統領と大平正芳首相=神奈川県大磯町で1979年6月、平嶋彰彦撮影

 ▲講演料は受け取らず、年金とベストセラーを含めた30以上の著作の印税が収入源。30代で建てた故郷の質素な家に終生暮らした。77年間苦楽を共にした妻のロザリンさんと平和や貧困、疾病撲滅を訴えて世界を回る傍ら、家具を作り、油絵を描いた

 ▲トランプ次期米大統領の支持者らが連邦議会を襲撃した事件から4年。「ウソをつかないように努力した最後の大統領」と評される敬虔(けいけん)なキリスト者には極端な議論がまかり通る政治が不可解だっただろう

 ▲最後は病院治療を断り、自宅でのホスピス生活を選んだ。人生百年時代を体現した米大統領初の「センテナリアン(百歳以上の長寿)」。9日の国葬後、自ら掘った池の木のそばに1年先に亡くなった妻と共に葬られるという。

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《滝野隆浩の掃苔記・01.05》:「弔われない人」なくせ

2025-01-05 02:01:10 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

《滝野隆浩の掃苔記・01.05》:「弔われない人」なくせ

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《滝野隆浩の掃苔記・01.05》:「弔われない人」なくせ

 <滝野隆浩の掃苔記(そうたいき)>

 引き取り手のない遺体・遺骨に各自治体がどう対応しているのか。全国調査の結果が昨年12月、相次いで公表された。急増しているのに統一した決まりがないため、現場は混乱している。この問題に早くから取り組んでいる日本総研の岡元真希子・副主任研究員に話を聞いた。

 頼る人がいない1人暮らしの人が急死したら、市区町村の職員はまず身寄り捜しに苦労する。ようやく捜し当てても遺体引き取りを断られることも多い。最後は自治体が火葬や埋葬をするのだが、統一ルールはない。その実態が12月21日、国立歴史民俗博物館(歴博)主催のシンポジウムで公表された。また雑誌「日経グローカル」(12月16日発行)は「『無縁死社会』 増す自治体負担」という特集で全国自治体調査の結果を報告している。

 見えてきたのは遺骨の保管期間も場所も、残された金品の処理手順もバラバラな現況だった。供養をするかどうかも自治体判断だが、「歴博調査」では6割以上は「儀礼なし」と回答。その人の生前の情報がないと、職員は供養すらできないのだ。 

 ■この記事は、有料記事です。残り501文字(全文961文字)

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 元稿:毎日新聞社 東京朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【滝野隆浩の掃苔記】  2025年01月05日  02:01:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【天風録・12.31】:カーターさんと鐘

2024-12-31 07:00:40 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【天風録・12.31】:カーターさんと鐘

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【天風録・12.31】:カーターさんと鐘

 年越しそばが並んだ広島市中区本通の土産物店「ひろしま夢ぷらざ」で見つけた。広島県三次市甲奴町特産の「カーターピーナッツ」。包装袋の真ん中に貼った星条旗と日の丸のシールが誇らしげだ

 ▲種は23年前、米ジョージア州でピーナツ農園を営む政治家から譲り受けた。かつて大統領の座にあったジミー・カーターさんである。甲奴町には以後、その名前を付けた生涯学習拠点や通り、野球場までできた。今で言う地域活性化の先駆けだろう

 ▲弾みをつけたのがカーターさんのノーベル平和賞受賞である。紛争の平和的解決に力を傾け、長年いがみ合うエジプトとイスラエルの和平に道を開いた。人道支援にも尽くした人生のページをおととい閉じた。100歳だった

 ▲甲奴町とは、釣り鐘が取り持つ縁である。町内の寺から戦時供出の憂き目に遭い、なぜかジョージア州に渡っていた。カーターさんも警鐘を鳴らし続けた。「力による平和」を危ぶみ、足を運んだ中東で今戦火が広がり、北朝鮮もきなくささを増す

 ▲<一年のこだまとなりて除夜の鐘>児玉三枝。以前の中国俳壇から引いた。内外の情勢に心のざわついた一年。こよい、百八の鐘にどんな思いが浮かぶか。

 元稿:中國新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【天風録】  2024年12月31日  07:00:00  これは参考資料です。転載等は、各自で判断下さい。

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【産経抄】:「産経抄」35年書き続けた名コラムニスト石井英夫さん逝く

2024-12-31 05:03:35 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【産経抄・12.30】:「産経抄」35年書き続けた名コラムニスト石井英夫さん逝く

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【産経抄・12.30】:「産経抄」35年書き続けた名コラムニスト石井英夫さん逝く

 『産経抄』を35年にわたり執筆した石井英夫さんは、読者からの問い合わせがあると、必ず自分で応対した。執筆中のある日、「今日の産経抄について聞きたい」と読者から卓上に電話がかかってきた。

洒脱かつ鋭い世相分析で知られた石井英夫さん

 ▼「今日、私何を書きましたっけ?」と返す石井さんに、読者は「今日書いたことをもう忘れるのか」。石井さんは苦笑交じりに言ったという。「明日のことを書きながら電話を受けているので、今日までの分をいったん忘れないと前へ進めないんです」

 ▼世の中の全てのニュースは哀歓苦楽を伴う。「忘れる」は、それらの感情を引き受け、筆を執るコラムニストの重責の暗喩ではなかったか。週6日の執筆を重ねること35年、その数は1万本に上る。産経抄を小紙の顔へと育てた石井さんの訃報が届いた。91歳だった。

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 元稿:産経新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【産経抄】  2024年12月30日  05:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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《斜面・12.29》:こころざしのリレー

2024-12-29 09:31:45 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

《斜面・12.29》:こころざしのリレー

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《斜面・12.29》:こころざしのリレー

 年末になると著名人の墓碑銘が新聞に載る。

 各方面で活躍して逝った方々に自らの記憶を重ね、事績を振り返る読者も多いだろう。

 名の知れた人ばかりではない。

 地域に、身近な人の輪に、確かな足跡を残して去った人々もしのばれる

 ◆長野市生活就労支援センター「まいさぽ長野市」の…、

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 元稿:信濃毎日新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【斜面】  2024年12月29日  06:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【訃報】:「浜松のスズキ」を「世界のSUZUKI」へ 死去のスズキ・鈴木修相談役

2024-12-27 16:38:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【訃報】:「浜松のスズキ」を「世界のSUZUKI」へ 死去のスズキ・鈴木修相談役

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【訃報】:「浜松のスズキ」を「世界のSUZUKI」へ 死去のスズキ・鈴木修相談役

 スズキは27日、鈴木修相談役が死去したと発表した。94歳だった。

 国内メーカーに先んじて進出したインドでトップシェアを誇る企業に育て上げ、「浜松のスズキ」を「世界のSUZUKI」へと脱皮させた。提携先の米ゼネラル・モーターズ(GM)の経営破綻、独フォルクスワーゲン(VW)との提携失敗などの危機も乗り越えた。ユーモアあふれる語り口、気さくな人柄でも愛されたスズキの〝中興の祖〟だった。

スズキの鈴木修相談役

 ◆招かれざる客

 中央相互銀行(現在の愛知銀行)に入行したが、鈴木自動車工業(当時)の創業家に2代目の鈴木俊三社長の娘婿として入ったのを機に自動車業界へ転身。当時のことを「招かれざる客だった」と振り返っており、将来を約束された「プリンス」に対し、周辺からは反発もあったようだ。だが、社員とのコミュニケーションについて「行動で示すことが一番だ」と話していた通り、経営の実績でトップとしての能力を証明してみせた。

 ◆インドに進出

 最も語り継がれる功績は、インドへの進出だろう。インフラ設備も脆弱で労働環境も異なる状況だったが、社内の反対を押し切った。「どこかで一番になりたい、と考えた。自動車メーカーのない国に行けばいいと思った」と振り返っていた。日本式経営を地道に浸透させ、インド政府との合弁会社をトップメーカーに育て上げた。

 リーマン・ショック後の自動車業界再編をめぐり、平成21年12月、独自動車大手フォルクスワーゲン(VW)との包括提携協定に合意。しかし、VWがスズキを支配する意向を示したため、法廷闘争の末に提携を解消。28年にはトヨタ自動車と「業務提携に向けた検討開始」で合意し、豊田章男社長(当時)と並んで会見を開いた。

 ◆ユニークな「修語録」

 鈴木氏を語るうえで欠かせないのがユニークな表現を交えた「修語録」の数々。GMとの提携発表では「GMはクジラで、スズキはメダカではなく蚊。蚊は空高く舞い上がり飲み込まれない」と発言。70歳の時に高齢を指摘されると、「僕の年齢は7掛けで厄年(49歳)だ」と切り返した。

 もっとも、存在感の大きさゆえに、世代交代には苦労した。12年に会長へと退いたものの、跡継ぎとして期待をかけていた娘婿の取締役は50代の若さで急死。この過程で復帰した社長職を27年に長男の俊宏氏に譲ったが、その後も会長として社内外で絶大な影響力を持ち続けた。

 高齢でも勇退せず、俊宏社長がリーダーシップを発揮できる環境を整えないことに対する批判もあったが、令和3年に会長を退任し、相談役となった。40年以上にわたり、社長と会長として、スズキの経営をリードし、「仕事一筋」の生涯を全うした。(高橋寛次)

 元稿:産経新聞社 主要ニュース 社会 【訃報】  2024年12月27日  16:38:00  これは参考資料です。転載等は、各自で判断下さい。

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【訃報】:スズキの鈴木修元会長が死去 94歳 「アルト」「ワゴンR」…軽自動車の普及に尽力

2024-12-27 16:23:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【訃報】:スズキの鈴木修元会長が死去 94歳 「アルト」「ワゴンR」…軽自動車の普及に尽力

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【訃報】:スズキの鈴木修元会長が死去 94歳 「アルト」「ワゴンR」…軽自動車の普及に尽力 

 元稿:産経新聞社 主要ニュース 社会 【訃報】  2024年12月27日  16:23:00  これは参考資料です。転載等は、各自で判断下さい。

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