【社説・05.24】:連続児童殺傷/遺族の思い生かす施策を
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説・05.24】:連続児童殺傷/遺族の思い生かす施策を
1997年に神戸市須磨区で小学生5人が襲われた連続児童殺傷事件で、6年生の土師淳(はせじゅん)君が亡くなってきょうで28年になる。この間、父親の守さんたちは癒えることのない悲しみを抱えながら、犯罪被害者や家族の権利確立に奔走してきた。その心情や歩みに深く思いをはせる機会にしたい。
事件当時、被害者や家族を支える仕組みは皆無に等しく、守さんは「被害者の権利は基本的人権以外にはなかった」と振り返る。2000年に結成された全国犯罪被害者の会(あすの会)に参加して署名などの地道な活動を展開した。
04年に実現させた犯罪被害者基本法は、被害者を取り巻く環境の改善を後押しする。これを機に、刑事裁判で被告に質問できる被害者参加制度が設けられ、殺人など凶悪犯罪の公訴時効が撤廃された。
しかし、まだ十分とは言えない。
昨年には国の犯罪被害者等給付金の増額が決まり、兵庫県独自の見舞金支給も始まった。だが、事件で家族を失った絶望で働けなくなる窮状を救うには程遠い。遺族らは加害者が支払うべき損害賠償金の国による立て替え制度を求めている。踏み込んだ検討が欠かせない。
あすの会が強く訴えてきた未成年の被害者やきょうだいに対する教育支援は、一昨年施行の兵庫県犯罪被害者等支援条例に盛り込まれた。実効性を高め、兵庫モデルとして全国に広めてもらいたい。
被害者を一元的に支援する体制整備も課題だ。守さんたちは北欧の「犯罪被害者庁」の開設を提案する。被害者一人一人のニーズにきめこまかく応えるには何が必要か、先行例から学ばなければならない。
事件当時、被害者に取材が殺到する「メディアスクラム」が非難の的となった。報道機関として改めて反省を胸に刻みたい。
今年2月、長らくあすの会の代表幹事を務め、守さんとともに闘ってきた岡村勲(いさお)弁護士が亡くなった。
岡村さんは連続児童殺傷事件と同じ年、自宅にいた妻を殺害される。代理人を務める証券会社への「逆恨み」が動機だった。生きる気力を失いかけた岡村さんは、同じ境遇の被害者と出会い「まだやることがある」と思い直したという。
18年にあすの会を解散したが、「まだ残された課題がある」として22年に「新あすの会」を結成し、92歳で再び代表幹事に就いた。岡村さんの死去を受け、守さんは「残されたメンバーで遺志を可能な範囲で引き継いでいければ」と話す。誰もがいつ犯罪に巻き込まれ、被害者の立場になってもおかしくない。官民が協力し支援を充実させる必要がある。
元稿:神戸新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2025年05月24日 06:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。