【政界地獄耳・07.09】:会長死去後も受け継がれる、あしなが育英会創立の志
『漂流する日本の羅針盤を目指:【政界地獄耳・07.09】:会長死去後も受け継がれる、あしなが育英会創立の志
★5日、一般財団法人あしなが育英会会長・玉井義臣が敗血症性ショックで死去した。90歳だった。経済ジャーナリストからスタートし、母親の交通事故死をきっかけに交通評論家となり、1969年に交通遺児育英会を設立。さらに災害や病気などで親を亡くした子どもたちを支援するあしなが育英会を93年に創設、98年から会長を務め、奨学金制度などを通じ遺児らの進学支援に尽力した。阪神・淡路大震災で被災した「震災遺児」やアフリカの「貧困遺児」にも救済対象を広げた。支援で高校や大学などに進学した遺児は11万人余り。

★参院選の最中の訃報は皮肉なものだ。多くの国民が生活苦やコメ問題を選挙の争点とする。物価高や生活の困窮に多くの国民が苦悩すると、遺児たちの立場は一層弱くなる。募金者に余裕がなくなるからだ。高校の無償化や大学の奨学金の議論は政治の世界ではあるものの、役に立つ金を動かし、進学した多くの生徒には玉井の支援があった。政治や行政の整備が進む前から民間団体としての活動は相当の苦労もあったはずだ。実は同会出身の政治家も複数いる。自民党で文科相を務めた下村博文は63年、小学3年の時に父親を交通事故で亡くした交通遺児育英会の交通遺児奨学生第1期生だ。都議を経て衆院議員に。あしなが育英会の副会長を務めた。
★民主党・野田政権の官房長官・藤村修は大学のボランティアで関わり、卒業後に育英会に就職。同会副会長、同理事も歴任した。07年12月にがんで亡くなった元民主党参院幹事長・山本孝史も兄の交通事故が遠因に。大学でボランティアをしていたまま育英会に就職。ホームページによれば93年6月、「前年秋から玉井先生を通じて細川護熙氏の日本新党から立候補しないかとお話があった。『政治が動く、その日まで』を合言葉に交通遺児救済運動を展開したが、政治は動かない。では自らが動かそうと思ったのだが、なかなか決意できず、同僚の藤村修代議士の選挙事務所を手伝っていた。告示直前となって決断」とある。玉井の思いはまだまだ続く。(K)※敬称略
◆政界地獄耳
政治の世界では日々どんなことが起きているのでしょう。表面だけではわからない政界の裏の裏まで情報を集めて、問題点に切り込む文字通り「地獄耳」のコラム。けして一般紙では読むことができません。きょうも話題騒然です。(文中は敬称略)
元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【コラム・政界地獄耳】 2025年07月09日 07:36:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。