【話題の本・著者に聞く】:日本一のマンモス私大「日大帝国」の権力と闇 『魔窟』 ■著者・森功氏に聞く
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【話題の本・著者に聞く】:日本一のマンモス私大「日大帝国」の権力と闇 『魔窟』 ■著者・森功氏に聞く
日本一の学生数を誇る日本大学。逮捕された田中英壽元理事長(2024年1月没)の時代に築かれた闇を、流行作家の林真理子理事長が切り崩し、改革を断行していくかに見えたが、実態はどうか。ノンフィクション作家の森功氏に聞いた。
◆日大田中帝国の権力と黒い繋がり
──日大といえば田中英壽という剛腕理事長を想起します。
08年に日大理事長に選出された田中は、政官業から右翼・暴力団に至る地下水脈とつながり、巨大な利権、言うなれば「田中帝国」を築き上げた。
──田中の大学統治手法にはモデルがあったようですね。
田中は、日大中興の祖と呼ばれる古田重二良(じゅうじろう)を師と仰いでいた。
古田は戦中に縮小された日大の各学部を復活させ、新たな学部を次々に設置すると同時に、既存の学部を拡大・再編して日大を巨大組織によみがえらせた。
政界人脈を駆使し、私学助成制度の導入にも力を注ぐ。今や私立大学の経営の安定に不可欠となっている私学助成制度は、古田の尽力の賜物だ。
古田は1962年、各界の大物を引き入れ「日本会」という社団法人を立ち上げている。
世話人には岸信介、大平正芳、三木武夫、田中角栄、福田赳夫、中曽根康弘ら首相経験者がずらり。松下電器産業(現パナソニック)創業者の松下幸之助や九州電力社長、会長を歴任した赤羽善治のほか、「黒幕」と呼ばれた国際興業グループの小佐野賢治の名もある。
日本会は日本の権力中枢が集った体制右翼組織だった。これだけの大物を集められる器量が古田にはあった。日本会の名簿には載っていないものの政財界のフィクサー児玉誉士夫や、右翼暴力団・住吉連合会(後に住吉会)の小林楠扶(くすお)とも古田は親交があった。
──日本会を組織した目的は何だったのでしょうか。
古田が頭角を現していった時期は、米軍や日本政府が左翼勢力の弾圧に乗り出した時期と重なる。
もともと日大は60年代半ばまで学生運動が存在せず、「眠れる大学」と揶揄されるほど学内は静かだった。日本会を率いる古田が、学生運動を徹底的に抑え込んでいたのだ。日本会設立の目的はここにあった。
政財界を動かした古田が日大の会頭だった65年、日大経済学部に入学したのが田中英壽だ。
2年後の67年4月20日、学内である事件が起きた。左翼学生たちが大学当局と衝突した「4.20事件」だ。古田ら当時の日大首脳は左翼学生に対抗すべく、運動部員を市ケ谷の本部にかき集めていた。あまり知られていない事件だが、目撃した学生はこう証言している。「応援団や空手部、相撲部などが中心になって(左翼学生に対する)凄惨なリンチが行われた。田中(英壽)は間違いなくその首謀者の一人だった」。
私が取材で入手した大学内部の資料にも、この事件の加害者として「田中英壽(相撲部)」という名前が記されていた。
4.20事件は学生運動の熱に火をつけ、日大紛争と呼ばれる激しい闘争へと発展してゆく。
田中自身は隠していたようだが、田中は伝統ある相撲部員として左翼学生に立ち向かった運動部員の一人であり、そこで存在感を発揮した。後に日本一のマンモス大学の理事長として権勢を誇ることになる田中の原点は、ここにある。
──田中が日大トップに上り詰めることができたのはなぜでしょう。
カギは経歴にある。99年に理事となった田中は、翌00年に運動部を抱える保健体育事務局長に就任。01年には120万人超の卒業生を束ねる校友会の本部事務局長、本部長、副会長のポジションを得た。02年には学校法人ナンバー2の常務理事に就く。
校友会は理事や評議員を送り込む。校友会を握れば、大学運営の重要決定事項のキャスティングボートを握れる。こうした仕組みの下で田中は権力基盤を固め、田中派を増やし、田中帝国を築いた。
その過程では、裏社会との交友もつねにささやかれた。住吉会や山口組の幹部とのツーショット写真がマスコミに出回り、国会でも議題になるほど注目を浴びた。
──21年9月から東京地検特捜部が日大の捜査に踏み込みます。
特捜部は田中帝国の闇に斬り込み、破壊した。同年11月、所得税法違反の容疑で田中を逮捕。当初、田中は無罪を主張したが、翌年の公判では「争う気はありません」とあっさり罪を認めた。
──その後、理事長には作家の林真理子が就任します。
就任会見では「マッチョな体質を変えたい」「親田中派はもういない」などと語り、旧田中体制との決別を宣言した。
自身もテレビや新聞に頻繁に登場しては改革をアピール。あるテレビ番組に出演した際には「(周囲は)私がここまでガツガツやるとは考えていなかったかもしれない」と自画自賛した。彼女を称賛するマスコミも少なくなかった。
◆林真理子改革の失敗と忖度
──今や失望の声が聞こえます。
ガバナンスが欠如している事例は数え切れず、本書に詳しく書き込んだ。典型例が薬物事件だ。
23年7月、林は理事長就任1年の節目に記者会見を開き、「すべてのウミは出し切った」と胸を張った。だが、実はその1週間ほど前、アメリカンフットボール部の薬物問題が発覚し、日大内部はパニックに陥っていた。林はそのことを知らなかったはずはない。
その後も日大執行部の不可解な言動が続いた。林改革は成功どころか、旧態依然とした隠蔽体質があらわとなり、ガバナンスはむしろ低下しているという職員たちの告発が絶えない。
「面白そう」などという好奇心だけで、日大という巨大組織の理事長は務まらない。彼女は理事長を引き受けるべきではなかった。
──もともと中央公論新社で出版する予定の本でした。
その予定で取材・執筆を進めていたのだが、原稿を送った後、中央公論新社から突如、企画中止を告げられた。愕然とした。
──出版業界において、流行作家である林真理子への批判はタブーとされています。
忖度(そんたく)だろう。出版中止に至った経緯は別の機会に書く予定だ。=敬称略=
(聞き手:野中大樹)
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