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路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

 路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

【米国】:「日本は1945年以来学んでいない」 USスチール買収意欲の米企業CEO、猛批判展開

2025-06-15 23:59:00 | 【第二次世界大戦・軍部の功罪・戦後80周年・東京大空襲他・犠牲者へ無補償

【米国】:「日本は1945年以来学んでいない」 USスチール買収意欲の米企業CEO、猛批判展開

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【米国】:「日本は1945年以来学んでいない」 USスチール買収意欲の米企業CEO、猛批判展開 

 米鉄鋼大手クリーブランド・クリフスゴンカルベス最高経営責任者(CEO)はUSスチールの買収に重ねて意欲を示した13日の記者会見で、先の大戦を引き合いに日本への批判を展開した。日本に対し「世界が平和になるにはわれわれの血を吸うのをやめないといけない。1945年以来、われわれの実力を学んでいない。日本は自分が何者であるか理解していないことを自覚すべきだと述べた。

記者会見する米クリーブランド・クリフスのゴンカルベスCEO(共同)

 ◆日本は中国より悪い

 クリーブランド・クリフスは、日鉄が2023年12月に買収計画を表明する前にUSスチールの買収に手を挙げた経緯がある。

 ゴンカルベス氏は会見で「中国は悪い。中国は邪悪だ。中国は恐ろしい」と述べつつ、「しかし日本はもっと悪い。日本は中国に対してダンピング(不当廉売)や過剰生産の手法を教えた」と言及した。

 日鉄によるUSスチール買収を巡り、バイデン米大統領が3日に国家安全保障を脅かす恐れがあるとして禁じたことについて、ゴンカルベス氏は「ようやく、やるべきことをやった」と評価した一方、6、7日の日程で来日したブリンケン国務長官に関しては「最初に行ったのは日本人とすしを食べることだった」と述べ、不十分だとした。

 ◆石破首相はトランプ氏に同じ要求を

 石破茂首相が6日の記者会見で、バイデン氏の買収禁止命令を疑問視したことに関しては、「この首相には(20日の米大統領就任式まで)後7日待って、同じ要求をトランプ次期大統領に繰り返してもらいたい」と挑発気味に語った。

 ゴンカルベス氏は「米国第一主義」について「恥じていない。米国人の幸福が必要だ。それさえあれば世界は平和になる」と持論を展開した。一方で、「私は日本人を心から尊敬している。日本人は善良で素晴らしい人だ。ただ日本政府は違う」とも語った。

 ゴンカルベス氏は会見で、買収に引き続き関心を寄せた一方、「USスチールが日鉄による買収を断念する決定をしない限り何もできない」と言及している。

 元稿:産経新聞社 主要ニュース 国際 【北米・カナダ・米鉄鋼大手クリーブランド・クリフスのゴンカルベス最高経営責任者(CEO)はUSスチールの買収に重ねて意欲】  2025年01月14日  16:47:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【政界地獄耳・05.14】:決着していない「むちゃくちゃ」な西田発言

2025-05-20 07:40:10 | 【第二次世界大戦・軍部の功罪・戦後80周年・東京大空襲他・犠牲者へ無補償

【政界地獄耳・05.14】:決着していない「むちゃくちゃ」な西田発言

 『漂流する日本の羅針盤を目指:【政界地獄耳・05.14】:決着していない「むちゃくちゃ」な西田発言 

 ★自民党参院議員・西田昌司は沖縄県で開かれた3日の憲法シンポジウムで「歴史を書き換えている」「連合国、米国が正しいという歴史観で歴史が塗り替えられた」などと発言。7日には会見を開き「考えを撤回しない」とした。だが11日には自身の京都の選挙と沖縄の自民党のことを考えてか「ひめゆりの塔」の展示内容を巡る自身の発言について「丁寧な説明なしにひめゆりの塔の名前を出したこと自体、非常に不適切だった。沖縄県民、ひめゆりの塔の関係者におわびを申し上げる。発言は訂正削除する」としたが「沖縄の場合は地上戦の解釈を含めてかなりむちゃくちゃな教育をされている」との部分については撤回しないとした。この謝罪を10日付沖縄タイムス社説は「これで謝罪と言えるのか」と訴えた。

【画像・写真】国会内で記者会見する自民党の西田昌司参院議員=9日午後

国会内で記者会見する自民党の西田昌司参院議員=9日午後

 ★西田は沖縄の教育を問題視したが、12年の第2次安倍内閣以降10人の文科相のうち、下村博文、馳浩、松野博一、柴山昌彦、萩生田光一、末松信介の6人が西田と同じ安倍派だった。西田は彼らに沖縄の教育がひどいと訴え、おのおのの大臣はそれに答えたのか。むちゃくちゃな怒りを沖縄に突きつけたのが西田そのものではないか。12日の衆院予算委員会で首相・石破茂は「全部を承知をしていないが報道の限りにおいて、私は認識を異にいたしておるところ」とぼやけた答弁をした。なぜ党として西田に事情聴取し、厳しく対応しなかったのか。自民党のご機嫌を損ねたくない今の立憲民主党にはこれ以上問うことは無理なのか。

 ★西田発言後は、党内右派も在野の同様の歴史修正主義者も西田の擁護をせず裏で接触するも「西田は間違っていない」と声を上げる者はいなかった。ちゃんと決着させなかったおかげで10日、青森市内の街頭演説で9日に代表続投が決まった参政党の神谷宗幣が「今、自民党の西田先生もたたかれている。歴史認識で。私は細かい所までどういう発言をしたか、ちゃんとチェックはしていないが認識は近いと思う。日本軍が沖縄の人たちを殺したわけじゃない。にもかかわらず日本軍にやられましたみたいな記述があるのはおかしい」と沖縄戦で県民が差別された事例を矮小(わいしょう)化、歴史修正にはあたらないとした。西田問題は終わらない。(K)※敬称略

 ◆政界地獄耳

 政治の世界では日々どんなことが起きているのでしょう。表面だけではわからない政界の裏の裏まで情報を集めて、問題点に切り込む文字通り「地獄耳」のコラム。けして一般紙では読むことができません。きょうも話題騒然です。(文中は敬称略)

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【コラム・政界地獄耳】  2025年05月14日  07:44:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【政界地獄耳・05.07】:いつ捨てられたのか、次世代へのバトン 歴史に向き合わない保守政治などない

2025-05-13 07:40:30 | 【第二次世界大戦・軍部の功罪・戦後80周年・東京大空襲他・犠牲者へ無補償

【政界地獄耳・05.07】:いつ捨てられたのか、次世代へのバトン 歴史に向き合わない保守政治などない

 『漂流する日本の羅針盤を目指:【政界地獄耳・05.07】:いつ捨てられたのか、次世代へのバトン 歴史に向き合わない保守政治などない 

 ★3日に神道政治連盟県本部と県神社庁、日本会議県本部でつくる実行委員会(自民党県連共催)が那覇で開いた「憲法シンポジウム」で沖縄の自民党衆院議員・国場幸之助とともに講演した同党参院議員・西田昌司は何十年か前に訪れたというひめゆりの塔について言及。「要するに日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆりの(学徒)隊が死ぬことになった。アメリカが入ってきて、沖縄は解放されたという文脈で書いている」「まるで亡くなった方々が報われない。歴史を書き換えられると、こういうことになっちゃう」とした。県の沖縄戦教育についても「ここまで間違った歴史教育は(自分の選挙区)京都でもしていない。かなりむちゃくちゃな教育をされている」と全面批判した。

憲法改正を考えるシンポジウムで登壇した自民党の西田昌司参院議員=3日、那覇市の県男女共同参画センター「てぃるる」

憲法改正を考えるシンポジウムで登壇した自民党の西田昌司参院議員=3日、那覇市の県男女共同参画センター「てぃるる」

 ★ひめゆり平和祈念資料館館長・普天間朝佳は「塔や資料館の記述にはない」と完全否定、ひめゆりの塔の前にある1975年建立の「ひめゆりの塔の記」に西田の言う記述もない。かなり適当な話に聞こえる。またおかしなことに共催した自民党県議からも「ひどい、歴史の書き換えだ」と西田に謝罪と撤回を求めるという。お好みの歴史を語る西田発言の検証は無用だが、自民党結党70年、党の山中貞則、野中広務、小渕恵三ら先人たちの戦後の沖縄への思いはここまで踏みにじられたのか、次世代にバトンを渡すどころかバトンはいつ捨てられたのか。自民党の持つ穏健保守の精神は既になくなった。なぜなら連休にかこつけ、自民党を始め閣僚も首相も西田をとがめようとしない。党として許容していると言わざるを得ない。

 ★1月に本年度沖縄振興予算の増額を求めた野党全党の決議案に対して棚ざらしにした挙げ句、4月11日の沖縄北方問題特別委員会理事会で「すでに来年度予算は成立し、決議は不要」と拒否した。公共事業費(一括交付金)は沖縄県の要求額700億の半分になった。自民党沖縄選出議員は沖縄のためにも働かず減額に汗をかくと言われても仕方あるまい。戦後80年でこのざまだと、あと数年で自民党は「沖縄戦はなかった」と教科書に書けと言い出すのではないか。歴史に向き合わない保守政治などない。(K)※敬称略 

 ◆政界地獄耳

 政治の世界では日々どんなことが起きているのでしょう。表面だけではわからない政界の裏の裏まで情報を集めて、問題点に切り込む文字通り「地獄耳」のコラム。けして一般紙では読むことができません。きょうも話題騒然です。(文中は敬称略)

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【コラム・政界地獄耳】  2025年05月07日  07:42:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【社説①・05.06】:戦後80年に考える 米国と格闘の日々再び

2025-05-06 07:43:50 | 【第二次世界大戦・軍部の功罪・戦後80周年・東京大空襲他・犠牲者へ無補償

【社説①・05.06】:戦後80年に考える 米国と格闘の日々再び

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説①・05.06】:戦後80年に考える 米国と格闘の日々再び 

 今から30年以上前の1992年1月7日のことです。現在の経済産業相の前身、通商産業相だった渡部恒三氏(2020年に死去)は奈良県橿原市に向かう電車の中で、隣席の記者に、こう語りかけました。
 「自分は安全なところにいて、外国に威勢のいいことばかり言う政治家は真の政治家じゃない」
 「悔しいけど外国に気を使い、時には頭を下げて、国益を守るのが政治家の仕事だ」
 渡部氏の行き先は橿原市に翌日開店する米国の玩具販売大手、トイザらス2号店。同店を視察に訪れるジョージ・H・W・ブッシュ米大統領を迎えるためでした。
 「日米構造協議」。1989年から翌年にかけて行われた2国間協議です。目的は日米間の貿易不均衡の是正、つまり日本の対米貿易黒字を減らすことでした。貿易交渉の議題は通常、品目別の関税率の扱いですが、構造協議の主役は日本の非関税障壁でした。

 ◆貿易は日本の黒字続く

 米国は日本の政策や商習慣が公平な貿易を妨げると主張。「輸出を増やす投資ではなく国内の公共投資を増やせ」などと内政干渉に近い要求を繰り広げたのです。
 協議では大型店の出店を規制していた大規模小売店舗法(2000年廃止)も問題になりました。米国の小売業者進出の障壁となっているとの主張です。トイザらスの日本進出はこうした米国の圧力を受ける形で実現しました。
 再選を目指すブッシュ氏は、協議の成功例として自国民にアピールするために視察したのです。
 日米貿易収支は1960年代半ば以降、日本の黒字が続きます。この間、繊維や自動車、農産物、半導体などさまざまな分野で経済摩擦が断続的に起きましたが、当時は日本製品の輸出競争力があまりに強く、自動車では輸出の自主規制措置さえ取られました。
 しかしバブル経済崩壊後、摩擦は徐々に消えていきます。
 安倍晋三政権の経済政策「アベノミクス」の大規模な金融緩和は事実上の通貨安政策でしたが、輸出に有利な円安に誘導しても米国からの文句はほとんどなく、「日本の競争力は本当に落ちた」「米国と格闘する時代は終わった」と痛感せざるを得ませんでした。
 だからこそ、日本にも高関税を課すというトランプ米大統領の宣言には、理不尽さを覚える半面、「まだ輸出強国だと思われていたのか」との思いもありました。
 貿易を巡るトランプ氏の発言を聞くと、30年前に戻ったような感覚に襲われます。米国の自動車や鉄鋼産業は衰退して久しいにもかかわらず、それらを守ろうとする政策だからです。
 米国は戦後、関税貿易一般協定(ガット)を軸に関税引き下げ交渉に熱心でした。低関税は競争力の強い大国に有利だからです。
 ところが、日本やドイツ、やがては中国という強敵が次々と登場し、米国の製造業は劣勢に立たされます。その代わりに米国では一時、巨大な金融機関が経済の中心を担って投資全盛の時代を迎え、2008年のリーマン・ショック後は、ビッグテックと呼ばれるIT産業が覇権を握ります。
 IT産業は今、米国に莫大(ばくだい)な富をもたらしていますが、雇用への貢献が少ないという欠点もあります。富の大半は経営者や投資家に流れ、米国内の経済格差が一層拡大したのです。
 米国内の問題にもかかわらず、恩恵を受けていないと感じる工場労働者たちがトランプ氏にあおられ、怒りの矛先を日本に向けているとすればやっかいです。
 米国はかつての構造協議で、消費者よりも生産者を優先しがちだった日本の経済構造を綿密に調べて、数値や理屈をたてに交渉を有利に進めました。

 ◆トランプ関税の理不尽

 しかし日本が今、向き合わねばならないのは「ずる賢くもうけているだろう」と誤解する一部の米国民の感情です。高関税の根拠とは無関係に、とにかく「黒字を減らせ」の一辺倒で理不尽です。
 トランプ氏の再登場は米国と格闘する日々の再来を意味します。かつての日米交渉は外圧で規制が緩和され、消費者の利益となることもありましたが、トランプ氏の要求は百害あって一利なし。安易な妥協は国益を損ないます。
 戦後80年にわたり、日本は対米交渉で米国の顔色ばかりうかがっていました。しかし今回ばかりは日本に理があります。交渉に当たる政治家や官僚たちの「威勢のいい夏」に期待がかかります。
 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2025年05月06日  07:48:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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《社説①・04.14》:戦後80年の首相談話 今こそ平和の意志示す時

2025-04-14 02:05:50 | 【第二次世界大戦・軍部の功罪・戦後80周年・東京大空襲他・犠牲者へ無補償

《社説①・04.14》:戦後80年の首相談話 今こそ平和の意志示す時

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《社説①・04.14》:戦後80年の首相談話 今こそ平和の意志示す時

 法の支配に基づく国際秩序が危機に直面する今だからこそ、平和への力強い決意を示す首相談話を出すことが求められる。

 石破茂首相が戦後80年談話の発表を見送る意向を固めた。代わりに有識者会議を設けて戦争に至った経緯を検証し、メッセージを出すという。政府の意思表明となる閣議決定を伴わず、首相の個人的な見解との位置付けになる。 

 元稿:毎日新聞社 東京朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2025年04月14日  02:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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《社説①・04.13》:戦後80年 ホロコーストの教訓 排外主義の再来を危ぶむ

2025-04-14 02:04:50 | 【第二次世界大戦・軍部の功罪・戦後80周年・東京大空襲他・犠牲者へ無補償

《社説①・04.13》:戦後80年 ホロコーストの教訓 排外主義の再来を危ぶむ

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《社説①・04.13》:戦後80年 ホロコーストの教訓 排外主義の再来を危ぶむ

 不寛容と憎悪が大虐殺へと結びついた歴史を忘れてはならない。

 第二次世界大戦中のナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の事実が明るみに出てから、80年が経過した。

アウシュビッツ強制収容所の跡地=ポーランドで2024年10月13日、小国綾子撮影

 ナチスは欧州のユダヤ人らを差別・迫害し、推計600万人以上を虐殺した。ポーランド南部のアウシュビッツ強制収容所では約110万人が犠牲となった。 

 元稿:毎日新聞社 東京朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2025年04月13日  02:01:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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《余録・04.11》:「メード・イン・オキュパイド・ジャパン(占領下の日本製)」の英字が入った玩具は…

2025-04-14 02:02:30 | 【第二次世界大戦・軍部の功罪・戦後80周年・東京大空襲他・犠牲者へ無補償

《余録・04.11》:「メード・イン・オキュパイド・ジャパン(占領下の日本製)」の英字が入った玩具は…

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《余録・04.11》:「メード・イン・オキュパイド・ジャパン(占領下の日本製)」の英字が入った玩具は…

  「メード・イン・オキュパイド・ジャパン(占領下の日本製)」の英字が入った玩具は好事家たちに珍重されるらしい。終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は玩具を生活必需品に指定し、生産や輸出を奨励した

 ▲米軍の担当者は「米国の子どもたちはおもちゃに飢えている」と語ったという。戦前からの輸出品で技術力は高かった。日本各地を空襲したB29のおもちゃが米国でヒットしたという皮肉な逸話も残る

米ホワイトハウス近くの土産物店で売られている中国製のクリスマス・オーナメント=9日、ロイター

 ▲独立後も玩具は長く主要な輸出品。特にクリスマス時期の米国の需要は巨大で、クリスマス飾りを含めた対米輸出が高度成長を下支えした。「もうクリスマス用に 忙しい輸出おもちゃ作り」。1964年4月の小紙記事の見出しである

 ▲今は主要な産地が中国に移ったが、受注が集まり、生産が始まるのはやはり4月ごろという。だが今年は異変が起きた。中国を狙い撃ちにしたような「トランプ関税」の影響である

終戦の翌年、輸出用に生産されたサンタクロース人形=1946年6月撮影

終戦の翌年、輸出用に生産されたサンタクロース人形=1946年6月撮影

 ▲受注が激減し、生産の見通しも立たない。米国の輸入業者や中国製の原材料に頼る玩具メーカーも戦々恐々としている。輸入する玩具やクリスマス飾りの約8割は中国製。すぐに代替できる国は見当たらない

 ▲「トランプ氏はクリスマスを中止したのか」と見出しをつけたメディアもある。子どもたちの夢まで貿易戦争の道連れになるのか。英作家チャールズ・ディケンズの「クリスマス・キャロル」で強欲な主人公を改心させた精霊たちにお出まし願い、トランプ氏に未来の姿を示してもらいたいところである。 

 元稿:毎日新聞社 東京朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【余録】 2025年04月11日  02:05:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【社説①・04.09】:陛下硫黄島訪問 惨禍の記憶を継ぐ「慰霊の旅」

2025-04-09 05:00:50 | 【第二次世界大戦・軍部の功罪・戦後80周年・東京大空襲他・犠牲者へ無補償

【社説①・04.09】:陛下硫黄島訪問 惨禍の記憶を継ぐ「慰霊の旅」

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説①・04.09】:陛下硫黄島訪問 惨禍の記憶を継ぐ「慰霊の旅」

 天皇、皇后両陛下が日本各地で戦没者を追悼される「慰霊の旅」が始まった。戦後80年の節目を迎え、平和の尊さを改めてかみしめたい。 

 両陛下が、太平洋戦争の激戦地だった硫黄島を訪問された。上皇ご夫妻が在位中の1994年に慰霊されて以来、31年ぶりの訪問となった。

 硫黄島では戦争末期の45年、日米両軍の兵士ら2万7000人以上が戦死した。現地には、1万人を超える日本の戦没者の遺骨が今なお収集されずに残っている。

 島民の大半にあたる1000人は44年に疎開を余儀なくされた。火山活動の影響などを理由に、今も帰島がかなっていない。

 両陛下は島内の慰霊施設を巡り、鎮魂の祈りをささげられた。戦没者の遺族や旧島民の家族とも懇談し、「大変ご苦労をされましたね」と声をかけられた。悲しみに心を寄せられる姿は、広く国民の共感を呼んだに違いない。

 両陛下は今年、被爆地の広島と長崎、激戦地だった沖縄にも足を運ばれる予定だ。先の大戦に向き合われる1年となるだろう。

 上皇さまは在位中、国内外で戦没者の追悼を重ねられた。戦後50年の95年には長崎、広島、沖縄を訪問された。戦後60年にあたる2005年は米サイパン島、戦後70年の15年にはパラオを訪れ、退位まで慰霊の旅を続けられた。

 今の天皇陛下は今年2月、誕生日にあたっての記者会見で、「戦後80年という節目を迎え、各地で亡くなられた方々や、苦難の道を歩まれた方々に、改めて心を寄せていきたい」と述べられた。

 戦前に生まれた人は年々減少している。 凄惨 せいさん な戦争体験をどのように語り継ぎ、次代につないでいくかが課題になっている。

 戦後生まれの陛下は歴史に向き合い、平和の尊さを伝えることの大切さを上皇さまから受け継がれているのだろう。世代を超えて、惨禍を二度と繰り返さないという誓いを新たにしたい。

 両陛下は、国際親善を目的として23年にインドネシア、昨年は英国を訪ねられた。いずれも現地の若者らと交流を深め、日本と相手国の未来を志向する、温かい時間を過ごされた。

 今年7月には、天皇、皇后として初めてモンゴルを公式訪問される。日本人抑留者の慰霊碑を訪ねることも検討されている。

 ロシアのウクライナ侵略や、パレスチナ自治区ガザでの戦闘が続いている。平和を願う親善交流が果たす意義は大きい。

 元稿:讀賣新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2025年04月09日  05:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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《社説①・03.29》:80年談話見送り 平和国家の使命放棄だ

2025-04-02 09:31:25 | 【第二次世界大戦・軍部の功罪・戦後80周年・東京大空襲他・犠牲者へ無補償

《社説①・03.29》:80年談話見送り 平和国家の使命放棄だ

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《社説①・03.29》:80年談話見送り 平和国家の使命放棄だ 

 党内力学を優先して見送るのは、平和国家の使命の放棄である。

 閣議決定による戦後80年の「首相談話」の策定だ。石破茂首相が見送る意向を固めた。

 戦後の首相談話はこれまで、50、60、70年と10年ごとに発表してきている。石破首相も歴代内閣の立場を全体として引き継ぎ、歴史認識や平和国家としての決意を示す談話を公表する方向だった。

 ロシアによるウクライナ侵攻や、イスラエルのガザ攻撃などで国際情勢が緊迫化し、核による威嚇も起きている。台湾有事もささやかれる。再び惨禍を起こさないため、悲惨な結果を招いた先の大戦を検証し、新たな見解を示す必要があるとの判断だった。

 唯一の被爆国として、国際社会に平和の尊さを訴える意義も大きいはずである。

 それなのに、自民党内の保守派を中心に根強い異論が噴出した。

 戦後50年の村山首相談話と60年の小泉首相談話は、アジアの国々に対する「植民地支配」や「侵略」を認め、「痛切な反省」と「心からのおわび」を表明した。

 これに対し、70年の安倍首相談話は四つのキーワードを入れた上で、将来の世代に「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」とも主張した。党内保守派には、安倍首相談話で「謝罪外交」に区切りがついているとして、新たな談話は不要との意見が根強くある。

 石破首相は最終的に、首相談話を出すことで歴史認識を巡る論争が再燃し、党内基盤が揺らぐことを恐れたとみられる。高額療養費制度の見直し凍結に至る迷走や、商品券配布問題で、内閣支持率が急落していることも理由だろう。

 代替案として、首相の私的諮問機関で先の大戦を検証し、記者会見などで首相が個人的な見解を表明することを検討する。教訓を共有し、平和国家としての決意を示すというものの、歴史認識には踏み込まない見通しだ。より「穏便」な形を模索するという。

 重視すべきは、党内への配慮や政権基盤の維持といった内向きな志向ではない。国際社会の中で、日本が平和国家としての役割をどう果たすか―の表明である。

 侵略と植民地支配に対する反省が薄らげば、平和への決意を示しても中国などアジア諸国の疑念を生み、説得力も失われよう。

 緊迫化する国際情勢の中で、日本が歴史を直視し、力による現状変更の危険性を世界に訴える意義は大きい。この10年の情勢を踏まえ、平和を希求する「首相談話」を出すべきである。

 元稿:信濃毎日新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2025年03月29日  09:31:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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《産経抄・03.31》:百害あって一利ない「戦後80年」メッセージ 政治家の思い出作りを英霊喜ばず

2025-03-31 05:03:45 | 【第二次世界大戦・軍部の功罪・戦後80周年・東京大空襲他・犠牲者へ無補償

《産経抄・03.31》:百害あって一利ない「戦後80年」メッセージ 政治家の思い出作りを英霊喜ばず

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《産経抄・03.31》:百害あって一利ない「戦後80年」メッセージ 政治家の思い出作りを英霊喜ばず 

 鬼哭啾啾(きこくしゅうしゅう)とは、このことか。バスがその山の頂上付近に着くや否や、澄み切っていた青空が一天にわかに搔(か)き曇った。強風が容赦なく降り立った人々の顔をたたいたが、祈りをささげると、風はぴたりとやんだ。

天山慰霊碑前で行われた硫黄島戦没者慰霊追悼顕彰式で献水する石破茂首相=29日午後1時32分、東京都小笠原村(代表撮影)

 ▼20年ほど前、硫黄島を訪ねた。上陸した米海兵隊員が、両軍あわせ途方もない死傷者を出した末に星条旗を立てた摺鉢(すりばち)山の光景は、一生忘れまい。自衛官に案内され、日本軍が立てこもった壕(ごう)のほんの入り口に足を踏み入れたが、サウナ風呂のような暑さだった。眼鏡はすぐ曇り、3分といられなかった。

 ▼クリント・イーストウッドが、メガホンをとった「硫黄島からの手紙」は、なかなかの佳品だったが、壕内の「暑さ」は伝わってこなかった。劣悪という表現では、とても書き尽くせない環境下で戦った英霊たちには、頭(こうべ)を垂れるしかない。

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 元稿:産経新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【産経抄】  2025年03月31日  05:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【社説①・03.31】:80年首相談話見送り 平和国家の責任を果たせ

2025-03-31 04:00:50 | 【第二次世界大戦・軍部の功罪・戦後80周年・東京大空襲他・犠牲者へ無補償

【社説①・03.31】:80年首相談話見送り 平和国家の責任を果たせ

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説①・03.31】:80年首相談話見送り 平和国家の責任を果たせ 

 戦争の惨禍を二度と繰り返さぬよう、平和国家としての決意を内外に発信すべきだ。

 石破茂首相は、閣議決定による戦後80年の「首相談話」策定を見送る意向だ。

 首相談話を見送る代わりに先の大戦の検証に着手する考えで、首相の私的諮問機関として会議体を設置する案も浮上している。4月にも有識者から意見聴取を始める方向で、何らかの形で戦後80年にあたって見解を示すという。

 これまで、1995年の村山富市元首相による戦後50年談話、小泉純一郎元首相の戦後60年談話、安倍晋三元首相の戦後70年談話と、10年ごとに首相談話を出してきた。戦後80年となる節目に、首相談話が出されないことは、大いに疑問だ。

 村山談話では「植民地支配と侵略への反省とおわび」を明記、小泉談話も基本的に、村山談話を踏襲した。70年の安倍談話は、歴代内閣の立場を紹介する形で「わが国は繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた」との言及にとどめた。さらに「戦争に何ら関わりのない世代に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」とし、「謝罪外交」に区切りを付けた。

 石破首相は「なぜあの戦争に至り、なぜ途中で止められなかったかの検証は、今を逃してはできない」と、検証に前向きだった。公明党の斉藤鉄夫代表も「平和国家を目指す日本として談話を出す意義がある」と提唱していた。

 にもかかわらず、首相談話を見送るのは、国内外での歴史認識を巡る論争の再燃を回避したい狙いや、安倍談話の書き換えを懸念する保守派を中心とした自民党内の根強い異論に配慮した形だ。高額療養費などを巡る混乱や商品券配布問題での求心力低下も背景にあろう。

 しかし、首相談話の意義は、国内外に対し正義と秩序を基調とする国際平和の重要性を発信することだ。政権基盤安定や党内の求心力維持を理由に見送るべきではない。

 戦後80年がたち、沖縄を含め国内外の戦争体験者は減少しつつあり、継承が課題だ。歴史認識を巡る課題は依然、アジア各国との間に横たわる。80年談話見送りは、誤ったメッセージとして受け止められる可能性もある。過去の植民地支配への「反省とおわび」を継承し、未来志向の外交を探っていかねばならない。

 ロシアのウクライナ侵攻やパレスチナ自治区ガザでの戦闘と、世界情勢は緊迫している。唯一の被爆国である日本は戦後、憲法で「平和主義」をうたい、平和国家として歩んできた。国際情勢が不安定な時だからこそ日本がリーダーシップを発揮しなければならない。80年談話見送りは、平和国家としての責任を放棄することにもなる。

 過去の反省を踏まえた新たな平和国家の姿と平和外交の在り方を、戦後80年の首相談話として打ち出すべきだ。

 元稿:琉球新報社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2025年03月31日  04:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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《社説①・03.29》:80年談話見送り 平和国家の使命放棄

2025-03-29 09:31:50 | 【第二次世界大戦・軍部の功罪・戦後80周年・東京大空襲他・犠牲者へ無補償

《社説①・03.29》:80年談話見送り 平和国家の使命放棄

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《社説①・03.29》:80年談話見送り 平和国家の使命放棄 

 党内力学を優先して見送るのは、平和国家の使命の放棄である。

 閣議決定による戦後80年の「首相談話」の策定だ。石破茂首相が見送る意向を固めた。

 戦後の首相談話はこれまで、50、60、70年と10年ごとに発表してきている。石破首相も歴代内閣の立場を全体として引き継ぎ、歴史認識や平和国家としての決意を示す談話を公表する方向だった。

 ロシアによるウクライナ侵攻や、イスラエルのガザ攻撃などで国際情勢が緊迫化し、核による威嚇も起きている。台湾有事もささやかれる。再び惨禍を起こさないため、悲惨な結果を招いた先の大戦を検証し、新たな見解を示す必要があるとの判断だった。

 唯一の被爆国として、国際社会に平和の尊さを訴える意義も大きいはずである。

 それなのに、自民党内の保守派を中心に根強い異論が噴出した。

 戦後50年の村山首相談話と60年の小泉首相談話は、アジアの国々に対する「植民地支配」や「侵略」を認め、「痛切な反省」と「心からのおわび」を表明した。

 これに対し、70年の安倍首相談話は四つのキーワードを入れた上で、将来の世代に「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」とも主張した。党内保守派には、安倍首相談話で「謝罪外交」に区切りがついているとして、新たな談話は不要との意見が根強くある。

 石破首相は最終的に、首相談話を出すことで歴史認識を巡る論争が再燃し、党内基盤が揺らぐことを恐れたとみられる。高額療養費制度の見直し凍結に至る迷走や、商品券配布問題で、内閣支持率が急落していることも理由だろう。

 代替案として、首相の私的諮問機関で先の大戦を検証し、記者会見などで首相が個人的な見解を表明することを検討する。教訓を共有し、平和国家としての決意を示すというものの、歴史認識には踏み込まない見通しだ。より「穏便」な形を模索するという。

 重視すべきは、党内への配慮や政権基盤の維持といった内向きな志向ではない。国際社会の中で、日本が平和国家としての役割をどう果たすか―の表明である。

 侵略と植民地支配に対する反省が薄らげば、平和への決意を示しても中国などアジア諸国の疑念を生み、説得力も失われよう。

 緊迫化する国際情勢の中で、日本が歴史を直視し、力による現状変更の危険性を世界に訴える意義は大きい。この10年の情勢を踏まえ、平和を希求する「首相談話」を出すべきである。

 元稿:信濃毎日新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2025年03月29日  09:31:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【2025年03月26日 今日は?】:楽聖と称されるドイツの作曲家ベートーベンがウィーンで死去、56歳

2025-03-28 00:00:30 | 【第二次世界大戦・軍部の功罪・戦後80周年・東京大空襲他・犠牲者へ無補償

【2025年03月26日 今日は?】:楽聖と称されるドイツの作曲家ベートーベンがウィーンで死去、56歳

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【2025年03月26日 今日は?】:楽聖と称されるドイツの作曲家ベートーベンがウィーンで死去、56歳

 ◆3月26日=今日はどんな日

  楽聖忌

 シュヴァルツシュパニエル通り15に掲げられた銘板

 ベートヴェンの葬儀 フランツ・クサーヴァー・シュテーバー英語版

 ◆出来事

  ▼楽聖と称されるドイツの作曲家ベートーベンがウィーンで死去、56歳(1827)▼米軍が沖縄の慶良間諸島に上陸、太平洋戦争の最終局面となる沖縄戦始まる(1945)▼ロシア大統領選でプーチン首相が初当選。昨年3月の選挙で通算5選目(2000)

 

【原文和訳】「偵察 日本兵のやり方を熟知している米陸軍第77歩兵師団のベテラン軍人たちが、後に琉球戦の第1段階で島を制圧する第10陸軍の制圧するルートを偵察しながら慎重に渡嘉敷島の山道を上る。日本から南325マイル離れた場所で戦う兵士たちはグアムやレイテ島作戦の経験者。日本軍の犠牲者はすでに多数。」1945年3月26日 場所:渡嘉敷島 米陸軍通信隊写真15 111-SC-272354

 ◆誕生日

  ▼後藤久美子(74年=女優)▼上原ひろみ(79年=ピアニスト)▼YUI(87年=シンガー・ソングライター)▼柳楽優弥(90年=俳優)▼髙木雄也(90年=Hey ! Say ! JUMP)▼RIMA(04年=NiziU)

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【話題・今日は?】  2025年03月26日 00:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【社説①・03.26】:[沖縄戦80年]慶良間「集団自決」 悲劇の背景に軍の存在

2025-03-27 04:01:40 | 【第二次世界大戦・軍部の功罪・戦後80周年・東京大空襲他・犠牲者へ無補償

【社説①・03.26】:[沖縄戦80年]慶良間「集団自決」 悲劇の背景に軍の存在

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説①・03.26】:[沖縄戦80年]慶良間「集団自決」 悲劇の背景に軍の存在

 「島は一木一葉に至るまで軍の支配下だった。軍の存在なしには起きなかったことなのです」 

 今から80年前、渡嘉敷島の「集団自決」(強制集団死)で家族を亡くした金城重明さん=享年93=の言葉だ。

 集団自決の凄惨(せいさん)な現場に居合わせた金城さんは戦後、自らに課された使命のように、さまざまな場所で繰り返し語ってきた。

 米軍は1945年3月26日阿嘉、慶留間、座間味に、翌27日には渡嘉敷に上陸した。沖縄戦最初の地上戦が始まった。

 日本軍はこの上陸を想定していなかった。

 各島には、沖縄本島へ向かう米艦船を背後から攻撃するための海上挺進(ていしん)戦隊が駐屯。海上特攻作戦用に「マルレ」と呼ばれる1人乗りのベニヤ製特攻艇が各所に隠されていた。

 しかし、それらは使う間もなく破壊され、島はあっという間に制圧された。米軍と交戦した中隊は多くの死者を出し、ほかは山中への撤退を余儀なくされる。

 そうした中、住民の間で起きたのが集団自決だった。

 座間味や渡嘉敷では日本軍が配った手りゅう弾や、持っていたカミソリ、その場にあった小木を使って、家族や親族がひとかたまりになって爆死したり、殺し合ったりした。

 慶良間諸島の4島では計570人が亡くなったとされる。

             ■    ■

 集団自決は、住民と軍が混在する中で起こった。

 各島は戦隊などの駐屯により、最も多い所でそれまでの人口の3倍もの兵士を抱えることになった。

 全ての軍命は役場を通して伝えられ、住民はマルレの秘匿壕掘りや陣地構築などに駆り出された。

 一方、軍は住民の存在を作戦遂行の障壁とも考えていた。島の出入りは許可制となり、座間味ではスパイではないと証明するため戦隊マークの着用が住民に義務付けられた。

 敵に捕まった場合の投降も事実上禁止されたほか、「米軍に捕らえられれば女は辱められ、男は股割きにされる」という恐怖を住民に植え付けたのである。

 これらは住民に自決を強制する「命令の形式を以てせざる命令」(伊藤秀美『沖縄・慶良間の集団自決』)だ。

 背後にあるのは「軍官民共生共死」の方針に基づく住民指導である。

              ■    ■

 あの日。金城さんの家族5人がいた壕では村長の「天皇陛下万歳」三唱が合図となりあちこちで手りゅう弾が爆発した。

 金城さんは、死にきれなかった妻子を小木でめった打ちにする男性の姿を見て「やるべきことが分かった」という。兄と2人で泣き叫びながら母と弟妹の頭に石を打ち下ろした。

 「私たちは自決を強いられた」。家族を手にかけた記憶に生涯苦しみ続けた金城さんの言葉ほど後世への重いメッセージはない。 

 元稿:沖縄タイムス 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2025年03月26日  04:01:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【社説①・03.26】:沖縄戦80年「集団自決」発生 「強いられた死」語り継ごう

2025-03-27 04:00:40 | 【第二次世界大戦・軍部の功罪・戦後80周年・東京大空襲他・犠牲者へ無補償

【社説①・03.26】:沖縄戦80年「集団自決」発生 「強いられた死」語り継ごう

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説①・03.26】:沖縄戦80年「集団自決」発生 「強いられた死」語り継ごう 

 80年前の沖縄戦最大の悲劇「集団自決」(強制集団死)はなぜ起きたのか。「強いられた死」の原因と背景を検証し、語り継がなければならない。

 沖縄各地で空襲と艦砲射撃を始めた米軍は1945年3月26日に座間味村の阿嘉島、慶留間島、座間味島、27日には渡嘉敷村に上陸した。両村で「集団自決」が起き、600人余が亡くなった。

 4月1日、米軍は本島西海岸に上陸する。2日には読谷村のチビチリガマで「集団自決」が発生した。その後も美里村(現沖縄市)や具志川村(現うるま市)などでも起きた。米軍が16日に上陸し、激戦地となった伊江村でも「集団自決」があった。

 日本軍から渡された手投げ弾を爆破させたり、農具やカミソリ、農薬を用いたりするなど、その様態はさまざまであった。「集団自決」の実態は家族や親類同士で殺し合うという凄惨(せいさん)なものであった。

 「集団自決」の原因として論じられてきたのが日本軍による「強制・関与・誘導」であり、背景には住民に対する同化政策、皇民化・軍国主義教育があったとされる。犠牲者は自ら望んで命を断ったのではなく、強いられたものであることは体験者の証言や沖縄戦研究によって明らかになっている。「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓もここから得たのである。

 日本軍との関わりでは、さまざまな議論や論争がある。

 座間味、渡嘉敷両村に配備されていた陸軍の特攻艇部隊から住民に自決を命じる「軍命」の有無を巡って裁判が起きた。日本史教科書における扱いも焦点となった。2007年には教科書検定で日本軍の自決強制・関与に関する記述が削除され、県民の抗議行動が巻き起こった。

 直接的な「軍命」の有無だけで自決の原因が定まるわけではない。

 1944年夏以降、沖縄への駐屯が本格化した日本軍の兵士は中国大陸での残虐行為を住民に話し、捕虜となることへの恐怖心を植え付けたことが指摘されている。「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず」として捕虜となることを兵士に禁じた陸軍の「戦陣訓」が住民を拘束したことも挙げられる。

 日本軍と住民との混在、「軍官民共生共死一体化」の方針が決定的な意味を持った。日本軍が駐屯した地域の行政や住民組織は軍の意向に従わざるを得ない環境にあった。米軍に捕らわれることを拒む住民意識を醸成したメディアの責任も重大である。

 「集団自決」が起きた原因や背景を直ちに今日の沖縄や日本の現状と重ねることは短絡との批判もあろう。しかし、米軍や自衛隊という武力組織との共存を強いられる中で、私たちは常に沖縄戦体験に照らし、県民の今とこれからを考えてきたのである。

 「集団自決」とは何だったのか。軍事要塞(ようさい)化が急速に進む中で、この悲劇を教訓とする必要がある。

 元稿:琉球新報社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2025年03月26日  04:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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