夜間保育は仕事柄、毎日夕方に子どもを迎えに行くことが難しい飲食店関係者や看護師、会社員などさまざまな仕事の親が利用している。夜間に働く親にとって子どもの成長を支える重要な公的サービスだ。

 一方、経費がかかることなどから夜間保育を実施する園は少ない。国からの運営費の加算は基本時間の11時間のみで、以降は開所時間に比例した補助体制がない。

 県内では那覇市、沖縄市、名護市の3カ所のみ。そのうち県都の1カ所が休園するという。地域に与える影響は大きい。

 同園が挙げる理由の一つが保育士不足だ。夜間専任の職員を配置した上で、職員が不足した場合は昼間の職員がカバーしてきた。しかし現在、昼間を含めて保育士が集まらなくなっているという。

 元々の保育士不足に加え、那覇市が認可園を急速に増やしてきたことも関係している。2009年55カ所だった認可園を24年90カ所まで増加。それにより待機児童は同年18人にまで減少した。

 ただ、こうした増加に保育士の数が追いついていない。公的保育サービスの提供は自治体の責務だ。とりわけ数が少ない夜間保育を途絶えさせてはならない。

 市は県内の他の自治体と同様県外からの保育士の移住支援などに取り組むものの、現場の逼迫(ひっぱく)した状況を見れば運営費の補助などさらなる対策の強化を急ぐ必要があるだろう。

           ■    ■

 二つ目の理由は園児の減少だ。

 00年の開所当初、同園の夜間保育の定員は30人だった。だが年々減少し、現在の利用は定員20人に対し15人という。

 一方、市内には夜間保育や24時間の一時預かりを実施する認可外施設がいくつもある。少子化で子どもが減っているとはいえ、夜間保育のニーズはあることの証しではないか。

 県内にはひとり親も多い。親の帰りが遅く、1人で夜間を過ごす子どもも少なくない。

 親子に必要な保育が届いていない可能性がある。情報が届いていなかったり、手続きが煩雑だったりするなど利用にハードルはないのか。市はニーズをきちんと把握する必要がある。

                ■    ■

 玉の子夜間保育園が開所した背景にはいわゆる「ベビーホテル問題」があった。1970~90年代、全国の夜間や一時預かりの認可外施設で乳幼児の死亡が相次ぎ社会問題となった。

 資格を持つ保育士による整った環境下での保育が夜間も必要と、97年に県のモデル事業としてスタートしたのがはじまりだ。

 夜間安心して子どもを預けることができる場の存在は親の就労支援にもなる。「玉の子のおかげで仕事が続けられた」と話す親は多い。

 親子の砦(とりで)をなくしてはならない。