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Activated Sludge ブログ ~日々読学~

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●「赤紙」の来る時代・・・綿井健陽さんの「“平和”のありがたさをしみじみとかみしめたくなる映画」

2015年01月03日 00時00分28秒 | Weblog


レイバーネットTVhttp://www.labornetjp.org/tv)の『●木下昌明の映画の部屋』(http://www.labornetjp.org/Column)に出ていた映画批評『★木下昌明の映画の部屋・第188回 ●綿井健陽のドキュメンタリー『イラク チグリスに浮かぶ平和』 安寧はチグリス川の水面に~映像記者が追ったイラク戦争 (2014年10 月25日)』(http://www.labornetjp.org/news/2014/1025eiga)。

 「イラク戦争が始まった2003年、バグダッドの中心部で米軍の侵攻を待ち構えていた綿井健陽(たけはる)というフリーの映像ジャーナリストがいた。彼は空爆下の惨状を撮ったり、米兵に「この戦争は虐殺じゃないか」と詰問したり―」。

   ●イラク人女性: 「自衛隊を派遣した日本にも、
              (この事態を引き起こした)責任がある」


 「自衛隊を派遣した日本にも、(この事態を引き起こした)責任がある」。またしても、「積極的平和主義」=「死の商人」・・・・・・。「赤紙」の来る時代にもかかわらず、「眠り猫」がアベ様達を支え、「信任を得た」と嘯くニッポン。これで本当に良いのでしょうか?

   ●いろんな意味で疲れます・・・住民基本台帳活用と
           アイドルによる「番宣」で「果てしない夢」へGO!
   『●「最高の責任者」アベ様のオツムの中身
   『●「戦争の不条理を問い掛けるベルギーの絵本」『ちいさなへいたい』


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http://www.labornetjp.org/news/2014/1025eiga

木下昌明の映画批評 : 綿井健陽のドキュメンタリー『イラク チグリスに浮かぶ平和

綿井健陽のドキュメンタリー『イラクチグリスに浮かぶ平和
  安寧はチグリス川の水面に~映像記者が追ったイラク戦争


 イラク戦争が始まった2003年、バグダッドの中心部で米軍の侵攻を待ち構えていた綿井健陽(たけはる)というフリーの映像ジャーナリストがいた。彼は空爆下の惨状を撮ったり、米兵に「この戦争は虐殺じゃないか」と詰問したり―。それが日本のお茶の間に流れたことを記憶している。

 撮り続けた映像を2年後、『Little Birds――イラク 戦火の家族たち』というドキュメンタリーにまとめた時、彼のイラクでの仕事は終わったと思っていた。

 あれから10年、『イラク チグリスに浮かぶ平和』を見て、今なお綿井が戦争に関わり続けていることを知った。開戦時、空爆で3人の子どもを同時に失い、悲嘆にくれるアリ一家を中心にイラクのこれまでと今を記録したものだ。当時、アリは綿井と同年代の31歳。両親と妻、生き残ったもう一人の娘と暮らしていた。前作もこの一家に焦点を当てていたが、今作はそれをふまえて宗教対立の内戦に翻弄されるさまを追っていた。終わりなき戦争がそこにあった

 アリはイラン・イラク戦争で2人の兄、2人の叔父を亡くした上に、今度は子どもたちまで失った。仕事もなく、弟が営む青果店を手伝っていた。その弟がテロで殺され、アリは弟の家族の面倒を見ることに、しかし……。

 綿井はアリ一家と関わりながら、10年前の開戦時に出会った人々も訪ねている。

 その一人、フセインの肖像を倒して「これが自由だ」と叫んだ青年はどうなったか――彼はバスの車内で銃撃され、重傷を負っていた。自由を叫んでいた「あの時の記憶を消したい」と悔いていた

 映画の副題は、戦争で息子を失い、自らも右腕を失った初老の男が、家族と遊覧船に乗って漏らした「イラクの家族にとっては、このチグリスの川の上にしか平安がない」という言葉から取っている。平和のありがたさをしみじみとかみしめたくなる映画である。

(『サンデー毎日』2014年11月2日号)

*10月25日より東京・ポレポレ東中野ほか全国順次公開。写真(C)ソネットエンタテインメント/綿井健陽
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●東京電力原発人災から『X年後』・・・・・・取り返しのつかないことが現実化してはいまいか?

2014年12月25日 00時00分34秒 | Weblog


東京新聞の記事【水爆実験映画「X年後」伊東英朗監督が出版 調査報道の足跡を本に】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2014120402000189.html)。
レイバーネットTVhttp://www.labornetjp.org/tv)の『●木下昌明の映画の部屋』(http://www.labornetjp.org/Column)に出ていた映画批評【★木下昌明の映画の部屋・第187回 ●『続・放射線を浴びたX年後~日本に降り注いだ雨は今』をみて 昭和史に埋もれた史実を発掘~消せない記録「放射能と日本」】(http://www.labornetjp.org/news/2014/1002eiga)。
東京新聞の記事【福島で甲状腺がん増加か 子ども4人、放射線影響か確認】(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014122301001939.html)。

 「一九五四年三月、米国が太平洋・マーシャル諸島のビキニ環礁で行った水爆実験の真相に迫り、大きな反響を呼んでいるドキュメンタリー映画「放射線を浴びたX年後」。映画を製作した南海放送(松山市)の伊東英朗(ひであき)ディレクター(54)が、十年余りの調査報道の足跡、映画化までの舞台裏を明かした著作(映画と同一タイトル)を出した。「一人でも多くの人に、未解明のビキニ被害へ関心を寄せてほしい」との願いを込めた力作だ」。

   『●映画『放射線を浴びた『X年後』』: 
      「こんな巨大な事件が、・・・日本人としての資質が問われる」

    「たとえば「第二幸成丸」の乗組員20人中17が、「新生丸」では
     19人中17が死亡している。それなのに米政府は、200万ドルの
     慰謝料を支払うことで“完全解決”を図り、日本政府が受諾し、
     一切の調査を打ち切って隠蔽した。翌年から、すべての魚が無検査で
     全国の食卓にのぼった
」・・・・・・。
    「山下は語る。「こんな巨大な事件が、全体像が明らかにされないまま
     現代史に埋没するなんてことは、日本人としての資質が問われる
」と。
     この映画から、フクシマの「X年後」が見えてきて誰しも愕然となろう」


   『●米軍の「差別性の極み」:NNNドキュメント’14
       『続・放射線を浴びたX年後 日本に降り注いだ雨は今』

   『●東電原発人災の『X年後』:
       厚生省「1.68ミリシーベルト」 vs 研究者「1400ミリシーベルト」

    「厚生労働省は・・・・・・「被曝線量1.68ミリシーベルト」と算定し、
     「1事故あたり100ミリシーベルト」という国際基準を大幅に
     下回っているという結論、を示していた。・・日大(放射線防護学)
     野口邦和准教授は、「1400ミリシーベルト(1.4シーベルト)」という、
     桁違いの被曝量の可能性を指摘している!! 厚生省の言う
     「1.68ミリシーベルト」に対して、船員が何も除染しなければ
     「1400ミリシーベルト」・・・・・・事実、多くの船員が亡くなっていった」


   『●「アベノミクス選挙という愚」
       『週刊金曜日』(2014年12月05日、1019号)について

    「【金曜日から】の「単行本『放射能を浴びたX年後』・・・
     その「ただちに」から「X年後」、我々は黒塗りの理由を知ることに
     なるのだろうか。(本田政昭)」」


 同じ構図を・・・・・・3.11東京電力原発人災でもやってしまっているのではないか・・・・・・、ということをとても怖れる。過小に見積り、情報が隠され、「ただちには影響はない」とした「X年後」に、取り返しのつかない何かが起こってしまいはしないか? ・・・・・・「事故直後の1巡目の検査では「異常なし」とされた子ども4人が、4月から始まった2巡目の検査で甲状腺がんの疑いと診断・・・・・・1986年のチェルノブイリ原発事故では4~5年後に子どもの甲状腺がんが急増した」。取り返しのつかない「X年後」が経過してしまったのではないでしょうか。親御さんの心情を察するに、たまりません・・・・・・。電力会社も自民党議員も、原発賛成派の誰も責任の取りようがありません。汚れた大地を元に戻して見せてほしい! 子供たちの体を元の健康なものに戻してほしい!

 自公投票者や「眠り猫」の皆さんは、アベ様達が川内原発高浜原発を再稼働させようとしたり、大間原発を稼働させようとしていることをこのまま放置していて大丈夫、とお考えなのでしょうか? 想像を絶します。あまりの愚かさに、腹立たしい。


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http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2014120402000189.html

【放送芸能】
水爆実験映画「X年後」伊東英朗監督が出版 調査報道の足跡を本に
2014年12月4日 朝刊

 一九五四年三月、米国が太平洋・マーシャル諸島のビキニ環礁で行った水爆実験の真相に迫り、大きな反響を呼んでいるドキュメンタリー映画「放射線を浴びたX年後」。映画を製作した南海放送(松山市)の伊東英朗(ひであき)ディレクター(54)が、十年余りの調査報道の足跡、映画化までの舞台裏を明かした著作(映画と同一タイトル)を出した。「一人でも多くの人に、未解明のビキニ被害へ関心を寄せてほしい」との願いを込めた力作だ。 (安田信博)

 「広島、長崎に続く第三の被ばくの真実を闇に葬ってはいけない」-。伊東さんがこんな思いから取材を始めた水爆実験の真相。史実としては、一隻の日本漁船が「死の灰」を浴び、無線長の久保山愛吉さんが亡くなった「第五福竜丸事件」として記録されている。しかし、高知県で他の元漁船員の調査を地道に続ける教師と出会ったのを機に、自らも証言を求めて各地に足を運んだ。

 コツコツと集めた彼らの証言を軸に「第五福竜丸」は千隻近い被災船の一隻に過ぎなかったという衝撃的な事実を突き止め、二〇〇四年に「わしも“死の海”におった」のタイトルで全国放送。その後も、被災船の三分の一を高知県籍が占め、乗組員の多くががんなどで早世していること、米国エネルギー省の機密文書から死の灰は日本列島全体を覆っていたことなどを次々と白日の下にさらし、ローカル枠や全国枠で放送。専門家から評価されても、視聴者の反応は期待していたほどではなかったという。

   「画面に集中してもらいやすく、観客の息遣いも手に取るように
    分かる映画を作りたいとの思いがたぎってきました」

 映画化に向けて始動したのと相前後して起きたのが二〇一一年三月十一日の東日本大震災。福島原発事故で被ばくに対する世間の関心が一気に高まり、一地方局の調査報道がにわかに脚光を浴びた。「ただちに健康に影響はない」-。原子力の専門家らがそろって口にする光景を目の当たりにして、「X年後」という語句が生まれ、一二年一月に全国枠で「放射線を浴びたX年後」を放送した。

 同一タイトルの映画は同年九月十五日に東京、松山の劇場で公開されたのを皮切りに、全国各地で上映。ギャラクシー賞報道活動部門大賞など数々の賞に輝き、自主上映を希望する声も続々寄せられ、二百を超えた。伊東さんは可能な限り、現地に足を運ぶ。「観客の皆さんに直接被害実態の調査を呼び掛けることも映画化の大きな目的でした」

 今回の出版に際しては、放送、上映されなかった取材映像をすべて保存、膨大な時間数の証言を丹念にすべて文字に起こしていたことが功を奏した。「大変労力のいる作業でしたが、その証言が将来大きな意味を持つ可能性もあるので、捨てるという判断はありえなかったのです」

 ことし九月十九日、厚生労働省は、これまで「保有していない」としてきた第五福竜丸以外の船の被ばくを裏付ける文書を開示。これを受け、高知県は国に対し科学的な検証を行うよう求める方針を明かした。六十年の歳月を経て、被ばくの実態解明への厚い扉が開かれようとしている。損害賠償を求めて訴訟を起こす動きもあるという。

 伊東さんは今後も取材を継続、さらに多くの証言を集めて、「できれば来年秋には映画の続編を公開したい」と明かす。自らの死で「ビキニのX年後」を伝えている数多くの元漁船員。「ビキニの真相を解明することが、福島の明日にも役立つ。第五福竜丸以外は日本人の記憶から消えてしまったビキニ事件から学ぶことは多いのです」

 本は講談社から出版。千七百二十八円。

 <ビキニ事件のその後> 米の水爆実験による放射性物質に汚染されたマグロの被害が相次ぎ、反核世論が高まるきっかけとなった。マグロの汚染規制値は当初の100カウントから500カウントに緩められ、1954年12月28日にはマグロ放射能検査の打ち切りを閣議決定。55年1月、米が日本に見舞金200万ドル(当時のレートで約7億2000万円)を支払うことで政治決着した。
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http://www.labornetjp.org/news/2014/1002eiga

●『続・放射線を浴びたX年後~日本に降り注いだ雨は今』をみて
  昭和史に埋もれた史実を発掘~消せない記録「放射能と日本

 『昭和史全記録』(毎日新聞社)の昭和29年のぺージを開くと、「第五福竜丸ビキニ被爆」の見出しと写真が目をひく。同じ年、放射能雨による野菜の汚染や京都で8万カウント、山形で12万カウントの雨が降ったと問題にされ、同11月には写真入りで「水爆大怪獣ゴジラ現る」が……。

 この年、日本人がいかに核実験に翻弄されていたかが推察できる。では、あの放射能雨はどうなったか。

 一昨年、南海放送の伊東英朗監督がつくった『放射線を浴びたX年後』は、被曝したのは第五福竜丸だけでなく992隻もの漁船が被曝し、多くの漁船員は人知れず次々とがんや心臓マヒで亡くなった…と告発していた。

 ビキニから35年後、高知の海岸に放置された漁船に放射能検知器を当てるとガーガーと不気味な音を発するシーンは衝撃的だった。どんなに歳月がたとうと放射能は生きている。これは高知の高校教師・山下正寿とその教え子たちのゼミナールが、地道な聞き取り調査で掘り起こしたものだ。

 今年8月には、続編とも言うべき30分TV番組『続・放射線を浴びたX年後~日本に降り注いだ雨は今』が放映された。この作品も伊東・山下のコンビだが、今度は福島の原発事故をきっかけに、60年前の大地に降った雨の行方を追いかけたものだ。ここでは特に沖縄に焦点を当てている。

 当時、沖縄は米軍の統治下にあり、マグロの被曝で大騒ぎしていた本土とは違って、同じ汚染海域のマグロを獲っても、米軍が測定して安全を宣言していた。伊東・山下は元漁船員を訪ね歩き、それが米軍による「完全なごまかし」だったと明らかにしていく。

 驚くのは、沖縄の古書店にあった『気象要覧』になんと17万カウント(3万7000ベクレル)もの雨が降っていたと記載されていたこと。また、沖縄などの住居を訪ね、床下の土壌を採集して調べる徹底ぶり。埋もれた歴史が顔をのぞかせる。

 伊東は「新事実が浮かんできたので、早い時期に映画の続編を公開したい」と言う。待ち遠しい。(『サンデー毎日』2014年10月12日号)


〔追記〕この伊東・山下両氏の追求しているビキニの問題は、遠い過去のことではありません。それはフクシマにつづくいまの日本人の問題であります。わたしはこうした問題意識をふまえ、来る10月4日(土)午後2時からハウズ(TEL03-5804-1656)の「映像をみながらビキニからフクシマを考える」という講座で報告します。みなさんの参加をお待ちしています。大いに語り合いましょう。10.4ハウズ講座
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http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014122301001939.html

福島で甲状腺がん増加か 子ども4人、放射線影響か確認
2014年12月24日 02時00分

 福島県の全ての子どもを対象に東京電力福島第1原発事故による放射線の影響を調べる甲状腺検査で、事故直後の1巡目の検査では「異常なし」とされた子ども4人が、4月から始まった2巡目の検査で甲状腺がんの疑いと診断されたことが23日、関係者への取材で分かった。25日に福島市で開かれる県の検討委員会で報告される。

 甲状腺がんと診断が確定すれば、原発事故後にがんの増加が確認された初のケースとなる。調査主体の福島県立医大は確定診断を急ぐとともに、放射線の影響かどうか慎重に見極める。

 1986年のチェルノブイリ原発事故では4~5年後に子どもの甲状腺がんが急増した。

(共同)
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●木下昌明さん、壊憲された「「憲法」に呪縛されて原発国家を推進する安倍自民党の奴隷となる日」

2013年08月29日 00時00分17秒 | Weblog


アップする機を逸したけれども、壊憲についての二つのちょっと古い記事。
 gendai.netの記事【安倍首相 本当に無知だった! 憲法論争で一言も答弁できず】(http://gendai.net/articles/view/syakai/141712)と、レイバーネット日本http://www.labornetjp.org/)の『●木下昌明の映画の部屋』に出ていた記事【木下昌明の時評 : 天皇もギョッとする? 自民党憲法改正草案】(http://www.labornetjp.org/news/2013/0625kinosita)。

 憲法も経済も不勉強で、壊憲と経済を語る・・・とは、恐れ入る。参院選でも自公の政治家に「25%」もの人が投票してしまい、木下昌明さん言うところの、壊憲された、「いまや国民は、この「憲法」に呪縛されて原発国家を推進する安倍自民党の奴隷となる日」を迎えてしまったのかもしれない。だって、「国民を抑圧しようと企図していることが歴然」としている壊憲案を出すような自公の議員を大量に当選させていて、平気でいられるわけだから。

   『●情報は統制される: 知らなかったでは済まされない、騙されたでは済まされない

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http://gendai.net/articles/view/syakai/141712

安倍首相 本当に無知だった!
2013年4月1日 掲載

憲法論争で一言も答弁できず

 よくもまあ、この程度の知識で「改憲」を掲げられたものだ。大新聞テレビは、ほとんど報じていないが、安倍首相の国会答弁があまりにもヒドいとネット上で話題になっている。

 3月29日の参院予算委員会。民主党の小西洋之議員(41)から憲法論議を挑まれた安倍首相は、一言も答えられず醜態をさらしたのだ

 小西議員は、まず憲法13条について質問。13条は〈個人の尊重〉を記した憲法の柱だ。ところが、首相は13条について知らなかったらしい。素直に「知りません」と答えればいいものを、悔し紛れに「クイズのような質問は生産的じゃない」「子供っぽいことは、やめましょうよ」と抗議する始末

 さらに小西議員が「憲法学者の芦部信喜、高橋和之、佐藤幸治をご存じですか」と聞くと、「私は憲法学の権威でもございませんし、学生だったこともございませんので、存じておりません」と開き直ったのだ。

 しかし、3人は日本を代表する憲法学者である。普通のサラリーマンは知らなくても恥ずかしくないが、総理として「改憲」を訴えながら「大御所」の名前をひとりも知らないとは信じがたい。憲法を勉強していないのか。

 さすがにネット上では、「経済学をやりながらケインズを知らないと同じだ」といった声が飛びかっている。憲法学者の金子勝・立正大教授が言う。

   「憲法を勉強する学生なら3人の名前を知っていて当然です。
    東大教授だった芦部信喜先生の著書『憲法』(岩波書店)は、
    大学の憲法学の教科書としても使われています。安倍首相は
    憲法を勉強していないから、無責任に改憲を掲げられるのでしょう」

 自民党の中堅議員が言う。

   「安倍首相の母校である成蹊大法学部をバカにするわけでは
    ありませんが、正直、安倍首相は、あまり優秀ではない。
    憲法も経済もほとんど理解していないでしょう。アベノミクスなど
    ともてはやされているが、経済も本当はチンプンカンプンのはずです」

 こんな男が「政治は結果だ」と威張りちらしているのだから、日本の政治は末期的だ。
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http://www.labornetjp.org/news/2013/0625kinosita

木下昌明の時評 : 天皇もギョッとする? 自民党憲法改正草案
木下昌明

 都議選に引きつづき、参院選でも自民党が圧勝する気配が濃厚になってきた。そんななか自民党の憲法改正草案がいよいよ現実味を帯びてきた

 わたしは改正草案といっても現憲法を土台にしているのであれば、そんなに変えられるものでもないだろうと高をくくっていた。が、いざ二つを比較してみるとあまりの違いにがくぜんとなった。文字面ではいっけん現憲法をチョコチョコっと手直ししているようにみえたが、中身はまるで月とスッポン

 現憲法は「日本の国民」の主権をうたい、人権を尊重したものだが、草案の方は「国家」による国民の支配・管理を主張したものなのだ。これは「改正」とか「改悪」とかではなく、別の国の憲法だといえる。冒頭前文の「日本国民」ではじまる一文からして「日本国民」から「民」を外して「日本国」として、いっけん現憲法を踏襲しているようにみせて、そっくり「国家」支配の一文にさしかえている

 第一章にあった「象徴」としての「天皇」が、草案では「日本国の元首」に変えられている。「元首」とは何か? 共和国なら大統領である。それも主義主張をとなえ、国民の総意による選挙でえらばれた人物が一定期間(4年なり8年なり)国の最高責任者となる者である。しかし、天皇の場合、主義主張もとなえず、選挙でえらばれるわけでも一定期間だけでもなく、その存在自体が「元首」にしたてられ、最高責任を務めさせられるーーこれは世襲制の君主を意味し、戦後「日本国」が主軸にしていた民主主義とは対立する君主国家となる。

 現憲法では、天皇は政治にタッチしない「象徴」に置かれていたが、それが一国の大統領のように権限をもち、代々世襲による交代で絶対的権力をもたされる。これには天皇もギョッとなるのでは? それは現政権が敵対している北朝鮮の世襲による権力移譲体制とそっくりとなる。

 ところが奇怪にも「天皇」に責任を負わせるくだりをすっぽり抜かしている。

 現憲法の「第十章 最高法規」の「第九十七条」には、「基本的人権」の大切さを高くうたった条項があるが、これがまず丸ごと削除されている。天皇を柱にすえるには「人権」が柱となっては困るからである。その上で「第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し、擁護する義務を負ふ」という箇所を逆転させている。つまり、草案では「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」と国民に「義務」を押しつけている。本来、この条項は、国家の公務に携わる天皇以下の人々に憲法の尊重を指示したものだが、そこから「天皇又は摂政」を削除し、憲法自体を国民のためのものではなく、国家のためのものにひっくり返しているのだ

 戦前の「最高国策の決定機関」であった「御前会議」をわたしは想起した。御前会議とは、天皇を前に閣僚らが会議を開くのだが、天皇は絶対権限をもちながら、その席上での発言をひかえていた。そのことで何か間違いがあっても天皇には責任を負わせないーーそんな奇妙な装置だった。そのからくり仕掛けが、この草案にそのままもちこまれている。これによって頂点にたつ「元首」の責任が問われなくなり、以下の閣僚らの責任も軽減され、「無責任体系」が完成するしくみとなる。そこで草案前文にいう「天皇を戴く国家」を強調することで、その下の実質的権限を握った機関が好き勝手なことをしても責任をまぬがれる国家システムとなる。

 その他、この自民党改正草案にはあぜんとすることばかりが羅列されているが、基本は、国民の自由や権利をうたった条項にクギを刺すように、3ヵ所にわたって「公益及び公の秩序」に反してはならないという言葉を使って、国民を抑圧しようと企図していることが歴然としている。

 いまや国民は、この「憲法」に呪縛されて原発国家を推進する安倍自民党の奴隷となる日はそう遠くない

(2013.6.25)
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●終わらない原発人災の影響: 「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ・・・」

2013年08月24日 00時00分56秒 | Weblog


レイバーネット日本http://www.labornetjp.org/)の『●木下昌明の映画の部屋』に出ていた記事【木下昌明の映画の部屋・第158回 ●四ノ宮浩監督『わすれない ふくしま』】(http://www.labornetjp.org/Column/20130301)。

吉沢正巳さんについての追記が末尾にあります。吉沢さんについては、『●「浪江町で300頭の牛を一人で飼っている牧場主の吉沢正巳さん」国会前スピーチ』『●大飯原発再稼働撤回に向けて、この熱気を見よ!』。]

 原発再稼働や原発輸出なんて言っている自公その他の議員や電力会社・・・・・・、全く腹立たしい限りである。汚染水は垂れ流し続けであり、(敢えて控えめに書くが)東京電力福島第一原発周辺の漁業は壊滅であり、一方、農業・畜産業についても「福島の百姓は終わりだ」。そこで「生業」を営むどころか、住むことさへ出来なくしておいて、ヌケヌケと原発再稼働や原発輸出を口にできる無責任な自公議員や電力会社に無性に腹が立つ。

   『●哀しい遺書: 「原子力さえなければ」
   『●ドキュメンタリー映画『わすれない ふくしま』: 「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ・・・」
   『●「「3.11」から2年② 原発という犯罪」『週刊金曜日』(2013年3月8日、934号)
   『●「原発さえなければ」「福島の百姓は終わりだ」: 東京電力原発人災と自殺には因果関係あり

 「震災さえ」ではなく、 「原発さえなければ・・・」である。
 「原子力郷土の発展豊かな未来」「原子力明るい未来のエネルギー」「原子力正しい理解で豊かなくらし」を信じ込ませた自民党議員や電力会社幹部といった東京電力原発人災の責任者・「罪人・犯罪者」は、誰一人として罰せられることもなく、まだのうのうと生活している。

   『●何がメルトダウンしたのか?
   『●福島県双葉町「原子力明るい未来のエネルギー」・・・・・・いま、その〝少年〟は?

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http://www.labornetjp.org/Column/20130301

木下昌明の映画の部屋・第158
四ノ宮浩監督『わすれない ふくしま
社会に潜む「差別構造を暗示――原発で狂わされた人生に密着

 「3・11」から2年。何が変わり、何が見えてきたか。

 四ノ宮浩監督の『わすれない ふくしま』は、いまだに高濃度の放射能に汚染されている福島県で、生き方を狂わされた人々の生活に密着したドキュメンタリー。二つの家族と牛を飼う牧場長、三つのケースに焦点を当て、福島のいまを映し出している。

 最初は「日本一美しい村」といわれた飯舘村の建設作業員一家。見合い結婚したフィリピン人の妻と子どもが3人いる、一家は線量の高い家を離れて隣町へ引つ越し、さらに福島市の仮設住宅へと移る。夫は作業中に大けがで入院、妻は国の妹に送金を続ける。

 次は、同じくフィリピン人の妻との間に2人の子がある相馬市の酪農一家。夫は妻子が日本から一時避難して帰国していた時、堆肥小屋の板壁に「原発さえなければと書いて首を吊り、自殺する

 映画は2組の家族に光を当てることで、惨事だけでなく、もう一つの現実をも浮かび上がらせる。それは「外国人妻」を迎えざるをえなかった過疎化した農村の問題――そこから日本とアジア、日本の中の地方と都市の差別的な構造の一面があぶり出されてくる。 四ノ宮監督は『忘れられた子供たち』(1995年)などで、フィリピンの巨大なゴミ捨て場で暮らす人々を描き続け、その名を知られたドキュメンタリストだ。彼は長年、かの地の人々に寄り添うことで、そこで生まれた子はその場所から逃れられない社会の過酷さを浮き彫りにした。今度の映画も、惨事に翻弄される人々に密着することで、そのフィリピンとは地続きにあることを暗示する。

 四ノ宮が、酪農家の自殺した理由を村人に聞いて回るシーンでは、農家の実情が垣間みえる。彼らも異口同音に原発さえなければと語るその言葉は重い

 また四ノ宮は、東京の街頭で抗議の声を上げ、東京電力から賠償金5億円を得た希望の牧場」の場長の生き方にも迫っている。(『サンデー毎日』 2013年3月10日号)

*3月2日より東京・恵比寿の東京都写真美術館ホールで公開

追記〕上記の紹介批評を『サンデー毎日』に掲載した折に、編集部のデスクに「事実無根の箇所がある」との電話がありました。それは最後のくだり「……東京の街頭で抗議の声を上げ、東京電力から賠償金5億円を得た「希望の牧場」の場長の生き方にも迫っている」の箇所についてでした。電話の中身は、「希望の牧場~ふくしま~」のブログに〈サンデー毎日3.10増大号「希望の牧場」関連記事について〉と題して掲載されています。それを以下に全文紹介します。

   「当該記事の最後に、『(略)東京の街頭で声を上げ、東京電力から
    賠償金5億円を得た「希望の牧場」の場長の生き方にも迫っている』
    とありますが、これはまったくの事実無根です。記事中の「賠償金」とは
    おそらく「牛の損害賠償金」を指していると思われますが、牛の損害賠償金は
    牛の所有者に支払われたのであって、希望の牧場が現在飼養管理している
    牛350頭の所有権は各農家さん(エム牧場ほか)にあり、希望の牧場ならびに
    吉沢個人が所有する牛は一頭もいません。よって希望の牧場ならびに
    代表吉沢は、東京電力から一円の賠償金も受け取っていません
    本件につき、複数のサポーターさんからお問い合わせをいただきましたので
    以上回答いたします。また本日、サンデー毎日に対し、当該記事の
    訂正報道を求めましたので合わせてご報告いたします。
    「希望の牧場・ふくしま」事務局」

 そこでわたしは、早速、『わすれない ふくしま』の映画製作事務所に電話して、四ノ宮監督に事実関係を問い合わせたところ、監督は「誤解される方が多いので字幕を変えました」と答えました。そのくだりの字幕は「吉沢さんの度重なる交渉によりエム牧場は5億円の損害賠償金を受け取った」となっていました。そのくだりを監督は「エム牧場の社長が受け取った」にしましたと答えたのです。彼はわたしに誤解を与えたことをわび、吉沢さんに会った折に話しておく旨ものべていました。わたしは、公開前の訂正なので由としました。

 なお、わたし自身、吉沢さん活動に共感する一人として声援するつもりで書いたのですが、とんだ誤解を与えてしまいました。もちろんわたしの本意ではありません。これによって吉沢さんたちの活動に支障がきたさないことを願うばかりです。

 ということで、最後の文章を以下のように訂正します。 〈また四ノ宮は、東京の街頭で抗議の声を上げ、東京電力や政府の責任を追及する「希望の牧場」代表の前向きな生き方にも迫っている。〉と。
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●子供にもSLAPPする国: 三上智恵監督・映画『標的の村 ~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』

2013年08月18日 00時00分47秒 | Weblog


gendai.netの記事【オスプレイに反対したら訴えられた…ドキュメンタリー映画が話題】(http://gendai.net/articles/view/syakai/144036)とレイバーネット日本http://www.labornetjp.org/)の『●木下昌明の映画の部屋』からの 【木下昌明の映画の部屋・第166回 ●三上智恵監督『標的の村』】(http://www.labornetjp.org/Column/20130731)。

 「国が、国策に反対する住民を訴えるという前代未聞の裁判」があった。国が行うSLAPPSLAPPスラップ)である。

   『●SLAPPと原発、沖縄
   
    「国が、国策に反対する住民を訴えるという前代未聞の裁判
     反対意見を封じ込めることを目的に権力のある側が個人を訴えることを
     アメリカではSLAPP裁判とよび、多くの州で禁じている。しかし日本に
     その概念はなく、被告にされた高江の住民らは3年半に及ぶ裁判の間、
     資金も時間も奪われ身体的・精神的な苦痛を強いられた。沖縄の
     住民運動が最後の抵抗手段にしてきた「座りこみ」。それを
     「通行妨害」に矮小化して住民を裁判にかける手法が成立するなら、
     国に都合が悪い沖縄の声はますます封殺されてしまう。」

   『●「敗戦特集」『週刊金曜日』(2013年8月9日、955号)についてのつぶやき
   
    ■『週刊金曜日』(2013年8月9日、955号) / 【『金曜日』で逢いましょう 
     三上智恵さん】、「無断で入ることをためらう若いスタッフには、映画
     『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』・・を見せ、
     「問題自体が法を犯したものであれば、報道カメラマンは法を
     犯しても構わない」」・・・
    ■『週刊金曜日』(2013年8月9日、955号) / 【『金曜日』で逢いましょう 
     三上智恵さん】、「・・を見せ、「問題自体が法を犯したものであれば、
     報道カメラマンは法を犯しても構わない」」という福島さんの言葉で撮影を説得した」

 上記の週金の記事から、グリーンピース・ジャパンGPJ)のクジラ肉事件も思い出した。

   『●GPJ「クジラ肉裁判」と検察審査会
   『●『創(2010年11月号)』読了
   
    ======================================
     星川淳さん、「[グリーンピース裁判]特別寄稿/「クジラ肉裁判」判決間近/
    税金ドロボーはどっちだ!?」(pp.122-127)。「・・・若い検察官
    (・・・志布志事件の担当・・・)は「NPOの分際で捜査機関さえ令状がなければ
    できないことをやったのは絶対に許せない!」と啖呵を切った。
    私は〝正義の番人〟のはずの検察官が民主主義の真逆を口にする 
    司法教育の崩壊ぶりに驚き呆れ、心の中で徹底抗戦を誓った」。
    「・・・青森地裁、仙台高裁、最高裁の全てが証拠開示の必要なしと判断した。
    原告側・弁護側が対等に争う条件である証拠の全面開示なしに、
    どうして公正・公平な裁判が可能だろう? 国策扱いの調査捕鯨を
    国家ぐるみで必死に守ろうとする姿勢は戦前・戦中を思わせる」。
    「・・・国際人権(自由権)規約に基づき、おおよそ次のように立論する。
    民主社会において一般市民やジャーナリストやNGO職員が公共の利益の
    ために政府などの不正を明らかにしようとする際、やむを得ず法律の枠を
    踏み越えた場合は、その行為によって得られた公共の利益と、失われた
    法益とを秤にかけ、前者の方が大きければ許容(違法性阻却)されるべきだし、
    かりに形式上の罪を問うとしても過重な懲罰を与えてはならない
    なぜなら、不均衡で過重な懲罰は市民による政府監視を委縮させるからだ
    と―――。・・・西山事件や立川・葛飾ビラ入れ事件などについても
    同様なことがいえる」。
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http://gendai.net/articles/view/syakai/144036

オスプレイに反対したら訴えられた…ドキュメンタリー映画が話題
2013年8月15日 掲載

 米海兵隊ヘリが沖縄の大学に激突した事故から9年。先週5日には、沖縄本島中部のキャンプ・ハンセンで米空軍ヘリの墜落事故が発生したにもかかわらず、16日には事故機と同型のヘリが追加配備される。そんな中、沖縄基地問題をテーマにした映画「標的の村」が10日に都内で公開され、注目を浴びている。監督は琉球朝日放送・報道制作局の三上智恵氏。95年の開局以来、基地問題を追ってきた三上氏は、オスプレイ反対運動の苦悩をドキュメンタリー映画にした。

 本土ではまったく報じられていないが、沖縄では5年前、反対運動を起こした住民が通行妨害で国に訴えられたのである。

   「オスプレイの着陸帯建設に抗議して座り込みをした東村・高江の住民が
    訴えられたのです。政府は、こんな小さな160人くらいの集落の
    座り込みなんて裁判でもやったらすぐに潰せると思っていたんですね。
    しかも、世間に知られないうちに。そうでなければ、あんなに残酷なことは
    しなかったはずです。私は食いついて映画にまでしましたが、そういうのが
    なければ誰にも知られなかったでしょう。国が決めたことに反対する人は
    裁判にかけられちゃう国に住んでいるのは、北海道まで全員一緒なんです。
    沖縄の人たちだけが、味わう恐怖ではないのです」

 その三上氏に今度のヘリ墜落事故についても聞いてみた。

   「あの時もHH60の2機が上になったり下になったりしながら複雑な動きを
    していたという目撃証言があるんです。敵のレーダーに見つからないために
    山の稜線に沿って飛ぶ“低空飛行訓練”をしていたんじゃないか
    と思うんですね。アクロバチックな動きをマスターするためにやっている。
    危険なのはオスプレイだけではないのです」

 これは絶対に他人事ではない。
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http://www.labornetjp.org/Column/20130731

木下昌明の映画の部屋・第166
三上智恵監督『標的の村
「オスプレイ」反対運動の真実――本土には伝えられない沖縄

 三上智恵監督の『標的の村』は臨場感にあふれている。

 これは昨年、沖縄の米軍普天間基地に配備されるオスプレイに反対する沖縄県民の激しい闘いの軌跡を追ったドキュメンタリーだ。

 作品は三上が一人で取り組んだものではなく、沖縄の琉球朝日放送というローカル局が、三上を中心とした報道スタッフを編成、テレビの枠を超えて映画として仕上げた。 最近、この種のドキュメントが目につく。愛知・東海テレビ放送の『青空どろぼう』、愛媛・南海放送の『放射能を浴びたX年後』など。その地域放送局ならではの豊富な映像資料を使い、過去から引きずっている事件に焦点をあてて、隠された歴史を掘りおこす。

 オスプレイ配備反対の闘いは沖縄での10万人集会のニュースを通して、本土でもその一端に触れることができた。だが、岩国基地からオスプレイが飛来してくる前夜、普天間基地の四つのゲートを県民が完全封鎖して、一昼夜、機動隊と繰り広げた攻防戦は、本土に知らされることはなかった。画面はその息詰まる闘いを伝えている。

 映画の主な舞台は、沖縄北部、やんばるの森が広がる東村(ひがしそん)・高江(たかえ)。そこに暮らす160人のうち、安次嶺現達(あしみねげんたつ)夫婦と6人の子どもたちが自然と共に過ごす生活にカメラは密着し、彼らはなぜオスプレイに反対するのか、取材している。国は座り込み抗議をした住民らを恫喝的に訴えたが、なんと7歳の娘までも訴えられているのには驚いた。

 周辺地区は米軍戦闘訓練場で、高江集落は格好の標的」なのだ。ベトナム戦争時にはべトナム村が作られ、住民は黒い服のベトナム人に仕立てられた事実を、当時の写真やフィルム、元米兵の証言によって明らかにする。

 オスプレイの簡易発着場の工事現場。沖縄防衛局と住民の怒号の中で、三線にのって歌われるのびやかな抵抗の歌のシーンがいい。遠い本土からは見えない沖縄のもう一つの姿がここにある。(『サンデー毎日』 2013年8月4日号)

* 8月10日より東京・ポレポレ東中野ほか全国順次公開。

  〔追 記〕オスプレイの基地配備は沖縄だけではすまなくなった。
        岩国から横田へと全国的に広がりつつある。もはや基地は
        戦争のためだけでなく、米軍内で増殖した巨大軍事産業の
        利権システムを維持拡大するための場所である。日本の基地は、
        その利権を生みだす格好の足場となっている。
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●映画『放射線を浴びた『X年後』』: 「こんな巨大な事件が、・・・日本人としての資質が問われる」

2013年02月16日 00時58分32秒 | Weblog


レイバーネット日本(http://www.labornetjp.org/の『●木下昌明の映画の部屋』から(http://www.labornetjp.org/Column/20121211。東京新聞の記事(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012082290070613.html)とコラム「筆洗」(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2012091302000110.html。最後に、映画『放射線を浴びた『X年後』』のWPから(http://x311.info/message/、http://x311.info/keyword/)。

   「こんな巨大な事件が、全体像が明らかにされないまま現代史に
    埋没するなんてことは、日本人としての資質が問われる」

 こんな事件があったなんて、衝撃的。まったく知らなかった。1年ほど前に「NNNドキュメント」で映画の原本と云えるものが放映されたらしいが、覚えていないということは、見損ねたのか。
 第五福竜丸だけではなく、しかも日米両政府の「密約」があったというのが驚き。

   「たとえば「第二幸成丸」の乗組員20人中17人が、「新生丸」では
    19人中17人が死亡している。それなのに米政府は、200万ドルの
    慰謝料を支払うことで“完全解決”を図り、日本政府が受諾し、
    一切の調査を打ち切って隠蔽した。翌年から、すべての魚が無検査で
    全国の食卓にのぼった」・・・・・・。

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http://www.labornetjp.org/Column/20121211

木下昌明の映画の部屋・第153
伊東英朗監督『放射線を浴びたX年後』

「第五福竜丸」事件の実態暴く――フクシマ「X年後」の未来は……

 「3・11」以降に見た放射能問題を扱った数多くの映画のなかでも、伊東英朗監督の『放射線を浴びたX年後』は刺激的だった。一つの事件を介して、日本人とその社会のあり方を問うていたからだ
 この作品は今年1月「NNNドキュメント」で放映されたテレビ番組を、新たな映像を加えて映画用に編集し直したドキュメンタリーである。1954年、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」がビキニの水爆実験によって被曝した事件を扱っている。この事件が、戦後文化の象微となったゴジラ映画誕生のヒントとなったことはよく知られている。
 だが、実は被曝したのは1隻だけでなく992隻に上った。しかも、船員の多くは若くしてがんで人知れず亡くなっていた。たとえば「第二幸成丸」の乗組員20人中17人が、「新生丸」では19人中17人が死亡している。それなのに米政府は、200万ドルの慰謝料を支払うことで“完全解決”を図り、日本政府が受諾し、一切の調査を打ち切って隠蔽した。翌年から、すべての魚が無検査で全国の食卓にのぼった。
 この事件を、高校教師の山下正寿とその教え子たちが28年かけて調査、記録していた。そのことを知った南海放送の伊東監督は調査に参加するとともに独自に船員家族の取材を始める。埋もれていた実態が次々と明るみに出てくるこのシーンが見どころだ。
 また映画は、米国から入手した機密文書によって、日本全土が放射性降下物「死の灰」に覆われていた実態も図面によって明らかにする。米国は、日本の米軍基地で死の灰を予知し、観測していたのだ。
 山下は語る。「こんな巨大な事件が、全体像が明らかにされないまま現代史に埋没するなんてことは、日本人としての資質が問われる」と。
 この映画から、フクシマの「X年後」が見えてきて誰しも愕然となろう。
 映画は現在、全国で自主上映されているが、東京では今年の目玉の一つとして上映される。フェスタは、映画や音楽を通じて身近な労働や生活を見つめ直す趣旨で毎年開かれている。他に、中川五郎のライブや3分ビデオ大会など。
木下昌明/『サンデー毎日』 2012年12月23日号)

「レイバーフェスタ」は12月15日午前10時30分~ 新宿区大久保のR’sアートコートで。
問い合わせは、℡ 03-3530-8588

〔付記〕 再録にあたって、若干の加筆をした。
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http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012082290070613.html

ビキニ水爆実験 調査続ける元教諭 死の灰1000隻に 恐怖今も
2012年8月22日 07時06分

 一九五四年の米軍のビキニ水爆実験では、第五福竜丸だけではなく、約一千隻ものマグロ漁船が死の灰を浴びた。高知県宿毛(すくも)市の元高校教諭山下正寿さん(67)は三十年近く調査を続け、船員たちが長く健康被害に苦しみ、がんなどで亡くなった実態を明らかにした。「核の恐怖は三十年後、四十年後でないと分からない」。福島という核の体験を重ねたこの国で命の重みを問い続ける。 (森本智之

 二十一日の東京・築地市場の正門近く。被ばくマグロが大量廃棄されたことを伝える金属板に、足を止める観光客はいない。「寂しいですね」と山下さんがつぶやいた。
 終戦四十年に当たる八五年夏。社会科教諭だった山下さんは高校生らと地元の原爆被爆者への聞き取りをした。年老いた女性から「長崎で被爆した息子はビキニでも被ばくし、最後は自殺しました」と聞いた。
 爆心地から一・八キロの長崎市の自宅で被爆。宿毛に移り住み、母子家庭を支えるためマグロ漁船に乗り始めたという。戦後復興のため「沖合へ遠洋へ」と国が旗を振った時代。貧しい港町でほとんど唯一の高収入を得る手段だった。航海を重ねるうち、のどの痛みなどを訴えるようになり、入院先の神奈川県で海へ身を投げた。二十七歳だった。
 「第五福竜丸の他に死の灰を浴びた人がいた。それも身近に」。当時の新聞記事や公文書を調べると、計六回の水爆実験の際、付近で操業していたマグロ漁船は帰国後、被ばく検査を受けた。マグロの廃棄を求められたのは九百九十二隻。三分の一に迫る約二百七十隻は高知県船籍だった。日米両政府は二百万ドル(当時のレートで七億二千万円)の慰謝料で決着。その後、船員の健康調査は行われていない
 山下さんたちは突き動かされるように、県内の漁村を訪ね歩く。偏見や風評被害を恐れ沈黙していた船員たちも口を開き始めた。航海中、汚染された雨水を飲み、被ばくマグロを食べていた。「きのこ雲を見た」「白い粉が降ってきて口に含んだ仲間が、血を吐いて死んだ」という証言をいくつも得た。
 身元が判明した百八十七人中、四十人は死亡していた。大半は六十代前後。うち十三人ががんだった。「マグロ漁師は早死にする」とうわさされる地域もあった。
 元船員らの団体をつくるなどして補償を国や県に求めた。「因果関係が不明」と相手にされない中、元船員らは相次いで亡くなった。今も調査は続ける。
 東京電力福島第一原発の事故後も「放射能の直接的な影響で亡くなった人はいないという論で再稼働を求める動きがあることに、市民の被害を過小評価する姿勢は変わっていないと危惧する。
 今夏、自身の前立腺がんが分かった。この日、東京を訪れたのも治療のためだ。「核実験でがん患者の数が増えていると警鐘を鳴らしてきた。その私ががんにかかるとは『もっと頑張れ』と誰かに言われているような気がする」

<ビキニ水爆実験> 1954年3~5月、米国が南太平洋ビキニ環礁などで計6回行った。放射性物質を含む死の灰が広範囲に降り、近くで操業していた静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の無線長久保山愛吉さんは急性放射線障害で死亡した。この年を含め、米国は周辺海域で原水爆実験を繰り返しており46~58年に計67回行った

(東京新聞)
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2012091302000110.html

【コラム】
筆洗
2012年9月13日

 米国は一九五四年、太平洋のビキニ環礁などで、六回もの水爆実験を繰り返した。無線長だった久保山愛吉さんが亡くなった「第五福竜丸」以外にも、多くの日本の漁船が「死の灰」を浴びたことはほとんど知られていない▼同じ海域で数多くのマグロ漁船が操業していた。二百七十隻は高知県の船だった。闇に葬られそうだった事実を発掘しようと、高校の教員だった山下正寿さんは三十年かけて、生徒とともに漁村を訪ね歩き、聞き取りを続けた▼調査の過程で二百人以上の元船員の消息が分かった。健在なら五十代から六十代のこの時期に、三分の一の人はすでにがんなどで亡くなっていたという▼山下さんの調査の足跡を丹念にたどり、生存している元船員や遺族への取材を重ねた南海放送(松山市)のドキュメンタリーが映画になった。「放射線を浴びた『X年後』」。十五日から東京都内で上映が始まる▼なぜ、被曝(ひばく)の記憶が消えたのか。船員には米国からの補償金は届いたのか。歴史の底に沈む闇を照らそうとするジャーナリズムの熱意が伝わる。山下さんの執念が、地方のテレビ局に乗り移ったかのようだ▼南海放送が独自に入手した米国の原子力委員会の機密文書からは、日本全土が核実験の死の灰で覆われていた実態も明らかになる。福島第一原発の事故を経験した今、映像は重い問い掛けを発している。
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http://x311.info/message/

プロデューサー 大西康司

 はじめに、何故「もうひとつの第五福龍丸事件」を愛媛の放送局が?という疑問を持つ方が多いと思います。今から8年前、私にとっても1954年に起きたいわゆる'第五福龍丸事件'は遠く、歴史上の、そして教科書上の出来事に過ぎませんでした。しかし伊東英朗ディレクター(監督)が掴んできた「ビキニで被災した元マグロ漁船乗組員が、愛媛にもいるらしい」という思わぬ情報は「不思議な感覚」を私に呼び起こしました。それは歴史が'今'に生きている「不思議さ」であり、広島・長崎・第五福龍丸だけと思っていたこの国の被ばく者が、自分の近くに共存している「驚き」でした
 2004年から始めた取材。伊東ディレクター(監督)との約束事は一つ。それは、被取材者と近い位置にいるローカル局制作者として「一人の人間の'痛み'を忠実に丁寧に描くこと」によって、「個人と国家」の関係が問われるこの事件の実態・本質に迫っていこう、ということでした。そう、「一人の人間に寄り添うことから本質へと迫る」…これはローカル局の'限界'ではなくローカル局だからできる'可能性'なのです。手探りの中、ひたすら、ひたすら現地を訪ね、一人一人の証言を積み重ねていく取材…「小さな井戸を掘り続け、それを'普遍'につなげていく」…8年の取材を重ねる中、社の理解を得てローカルで粘り強く放送を続けることができたこと、そして何より日本テレビ系「NNNドキュメント」で2回に渡り全国放送できたことが、この'小さな井戸'を掘り進んでいく大きな勇気となりました。
 そんな取材の集大成として突き進んだ映画化。
 この映画が発掘した事実を'一人'でも多くの方に知って欲しい。
 この映画を見て頂いた'一人'が、その立場や考え方を超えて噛みしめて欲しい。
 この映画を'一人''一人'にしっかりと届けたい。
 …'一人'の人間にこだわる私達の願いです。
 最後に、南海放送というローカル局が'テレビ'というメディアを超え'映画'に挑戦する試みが可能になった背景には、日頃「メディアとメディアの新しい組み合わせ」を積極的に推進してきた南海放送トップの後押し、様々な現場の仲間による社を挙げての協力・応援がありました。そして勿論、'映画'という未知の航海への'灯台'となって頂いた 日本テレビ系「NNNドキュメント」関係者の皆様のご指導、御協力があったればこそです。改めて深く感謝致します。

大西 康司【プロフィール】
 昭和57年南海放送入社。以来、様々な番組を制作、プロデュースを行う。報道情報本部制作部長などを経て、現在 執行役員テレビ局長。


監督 伊東英朗

『高校生で訪れた広島』
 原爆で焼かれた一人ひとりの壮絶な死を知り、その苦しみに自らを重ね合わせた時、深い絶望と強い怒りを覚えた。10代だった僕はその思いを「忘れること」は、加害と同じだと考えた。以来、折にふれ広島を訪れるようになった。そしていつからか「忘れない」ではなく「何かできることをしたい」と思うようになった。

『8年前』
 インターネットで番組リサーチをしていた時。元高校教師 山下さんの活動を伝える記事が目に飛び込んできた。『…第五福竜丸以外の多くの被ばく船を調査…』「第五福竜丸以外の船?そんな話聞いたこともない。僕だけが知らないことなのか。」まるで狐につままれたような感覚だった。

『確かめたい』
 番組制作を共にやってきたプロデューサーの大西と、4時間をかけ高知県の山下さんを訪ねた。山下さんは静かに語り始めた。「多くのマグロ漁船、貨物船が被ばくし、汚染された魚が水揚げされ食卓に運ばれた。いつしか事件は第五福竜丸事件として記憶された」と言う。それまで当たり前のように使ってきた「広島、長崎、唯一の被ばく国というフレーズは正確ではなかった。「なぜ事件が記憶から消え去ったのか」僕は、その理由をこの手で解き明かしたいと思った。
 その日からこの事件の取材が始まった。抱えている番組制作の隙間を見つけては現場に通った。費用を節約するため山下さんの自宅を宿舎兼取材拠点とさせてもらった。カメラマンと2人、愛媛西部から高知東部まで300キロを何十回となく往復。被ばく者を訪ね歩く日々。時に怒鳴られ凄まれ、飯が喉を通らないこともあれば「よう来てくれたなあ、ありがとう。お父さんが生きとったらあんたら大歓迎するに。腹減っちゅうがやろ」とカレーをおご馳走になることも。取材で疲れた体で車を運転し会社まで4時間をかけ戻る。その繰り返し。その年2004年には、日本テレビ系列(NNNドキュメント)で全国の人にその事実を伝えることができた。以降、新事実が見つかるたびにローカルでの放送を繰り返した。しかし、番組が事件解明へつながることはなかった。

『乗組員の証言も積み重ねた』
 日米両政府の公的文書、調査記録も検証した。
しかし乗組員が被ばくしたことを裏付けることができないままだった。ところが2009年、米エネルギー省の機密文書を発見。放射性降下物が漁場を中心に拡大、日本全土までもが放射性降下物で覆われていたことが分かった。

『2011年3月11日』
 その日を境に人々の関心は放射能に集まった。「直ちに健康に影響はない」という言葉に疑心し、目に見えない放射線に怯え、風評被害が起こった。

   「ついにあの時がやってきた

テレビの前で呆然と立ち尽くす自分の姿がありった。

『人々に向けられる線量計』
 風で舞い上がり、雨で落下する放射性物質。セシウム、ストロンチウム、ホットスポット、シーベルト…専門用語が飛び交い、新聞紙上に、牛乳やお茶、魚、水などから放射線が検出されたと記事が踊る。風評被害が起こり、わずかの期間で政府は、終息宣言をした。
僕が、港を歩き老人や未亡人から聞いた半世紀前の話が、目の前で起こっていることと重なる。心の中で叫んでいた。

   「半世紀前に身の回りで同じことが起こっていたんだ。
    皆知らないのか
    同じ轍を踏んではいけない。」

 過去の被ばく事件を未清算のまま放置してはいけない。この事件を解明しなければ、今後起こりうる被害を防ぐことができない。
 2012年1月、日本テレビ系列(NNNドキュメント)で1時間番組として8年ぶり2回目となる放送を行った。全国から大きな反響を得、多くの若い世代が見てくれたことが分かった。

『今度は映画化』
 映画館での上映はもちろん、その後の小さな自主上映が調査などにつながって欲しい。それが僕の強くささやかな願いだ。事件はほぼ未解明なままだ。全国津々浦々にかつてマグロ船に乗った人がいる。生存していれば70歳台から80歳台。核実験は、太平洋だけとっても1954年から1962年まで続けられた。被害者の数は計り知れない。解明の第一歩となる被害の実態を調査し、救済の道筋をつけなければならない。小さな行動が積み重なれば光が見えてくると信じている。
 日本テレビ日笠プロデューサーには番組製作から映画化まで親身になってアドバイス頂いた。また、当時のマグロ漁をとらえた「荒海に生きる」、そして高校生たちの取り組みを記録した「ビキニの海は忘れない」などの映像によって、よりリアリティをもってビキニ事件の実相に迫ることができた。
 今、被ばく者たちは自らの死をもって被ばく事件のX年後を伝えている。僕らはそれを重く受け止め、事件を伝え続けなけれならない。
 人々が事件を知ることが、被ばく事件解明の一歩につながると信じている。

伊東 英朗【プロフィール】
 1960年愛媛県生まれ。16年間公立幼稚園で先生を経験後、テレビの世界に入る。東京で番組制作を経験した後、2002年から地元ローカル放送局 南海放送で情報番組などの制作の傍ら、地域に根ざしたテーマでドキュメント制作を始める。2004年ビキニ事件に出会い、以来、8年に渡り取材を続ける。
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http://x311.info/keyword/

ビキニ水爆実験
 米国が1954年3月1日から5月まで、中部太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で行った実験。キャッスル作戦と名付けられた実験は6回(うち1 回はエニウェトク環礁)。3月1日に爆発させた「ブラボー」は広島に落とされた原爆の1千倍以上の破壊力があるとされ、近海で操業中の第五福龍丸(乗組員23人)が被ばく。同年9月、無線長の久保山愛吉さんが死亡した。

ビキニ被災事件の補償問題に関する日本側書簡返信
 日本政府は、1954年12月、被ばくした魚は、人体に影響を及ぼすものではないとして、放射線の検査をすべて打ち切った。そして翌日からは、すべての魚が水揚げされた。その直後、日本政府とアメリカ政府は、公文書を取り交わしている。アメリカ政府が「完全な解決」を条件に、慰謝料として200万ドル(当時、日本円にして7億2千万円)を支払うという文書。日本政府は、その条件を受け入れ、事件は完全な解決とされた。慰謝料は、4分の3が、魚の廃棄や魚価が下がったことによる損害に、残りは、第五福龍丸乗組員の治療費などにあてることが閣議決定されている。

アメリカ原子力委員会の機密文書
 南海放送は2009年、アメリカエネルギー省から、水爆実験を所管した米原子力委員会の機密文書を入手。これは、米国気象局のロバート・J・リストが、1955年5月(実験のおよそ1年後)にまとめたNYO-4645と呼ばれるもので、非公開資料として長年機密扱いされてきた、しかし、1984年8月に一部の数値や文章を削除した状態で公開したものである。「キャッスル作戦からの世界的規模の放射性降下物」と題された機密文書には、世界規模の放射性降下物の広がりが記録されている。各水爆実験の広がりの他、1日毎の広がりが記録されている。この機密文書から、多くのマグロ漁船が放射性降下物に覆われた場所で操業していたこと日本全土が放射性降下物で覆われていたことが裏付けられることになった。また、この文書から、実験の1年前に、すでに122ヶ所のモニタリングポストが設けられていることが分かった。日本では、三沢や東京など5ヶ所。さらに広島や長崎ではABCCが利用され測定が行われていた。

山下正寿(やましたまさとし)と幡多ゼミ(はたぜみ)
 元高校教師の山下正寿氏らが顧問を務める高校生ゼミナール(1983年設立)。高知県幡多地区の高校生が主体となり「足もとから平和と青春を見つめよう」をモットーに、地域の現代史調査活動をしている。1985年から地域のビキニ事件を調査。その姿は「ビキニの海は忘れない」(1990年)で描かれた。
 教師になって高知に帰ってきた山下さんは、仲間の教師や教え子たちと共に、被災者の聞き取り調査を始め、高知県の沿岸部を3年に渡り調査した結果、消息が分かった乗組員は241人。生存していれば50代から60代のこの時期に、既に3分の1が死亡していた。被ばくした魚を水揚げした船は、東北から九州まで全国に渡っていた。その内、3分の1が山下さんの地元、高知船籍の船だった。山下先生は現在も、被災した乗組員たちに、被爆者健康手帳が交付されるように働きかけている。
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●木下昌明さん、『死刑弁護人』映画評

2013年01月28日 00時00分19秒 | Weblog


レイバーネット日本のWPの記事(http://www.labornetjp.org/Column/20120619)。

 「木下昌明の映画の部屋」(http://www.labornetjp.org/Column/)より、齊藤潤一監督『死刑弁護人』の映画評。安田好弘弁護士についての映画。

   『●木下昌明さんの新刊『映画は自転車にのって』
   『●『教育・研究分野での事業仕分け』
   『●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(1/3)
   『●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(2/3)
   『●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(3/3)

   『●ドキュメンタリー『死刑弁護人』:
         バッシングされ続ける「死刑弁護人」安田好弘さん
   『●『死刑弁護人~生きるという権利~』読了(1/4)
   『●『死刑弁護人~生きるという権利~』読了(2/4)
   『●『死刑弁護人~生きるという権利~』読了(3/4)
   『●『死刑弁護人~生きるという権利~』読了(4/4)
   『●『特捜検察の闇』読了(1/3)
   『●『だまされることの責任』読了(1/3)

 「犯人もまた社会のひずみが生み出した被害者であり、彼の境遇を理解」・・・の部分は以下も。

   『●『誘拐』読了(1/3)
   『●『誘拐』読了(2/3)
   『●『誘拐』読了(3/3)

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http://www.labornetjp.org/Column/20120619

木下昌明の映画の部屋・第142
齊藤潤一監督『死刑弁護人』
「死刑弁護人」が見据える社会――民主主義の「最低の義務」とは

 安田好弘弁護士については、凶悪事件の担当ばかりか本人まで逮捕されたりと、日ごろ新聞ダネになっているので、どんな人物か気になっていた。それが齊藤潤一監督の『死刑弁護人』をみて、彼の生き方や思想信条などおよそのことが理解できた。
 映画は安田の日々の活動に寄り添って撮ったドキュメントで、『青空どろぼう』を作った東海テレビの製作だ。彼はのっけから「マスコミは嫌いです」と言う。取材に応じないのは、被告人をバッシングするための話題提供でしかないからだ、と明かす。
 実際に彼が担当した事件は、オウム真理教事件麻原彰晃和歌山毒カレー事件林眞須美光市母子殺害事件の元少年等々、時々のマスコミを賑わし、“極悪のレッテルを張られた人物ばかり。なかでも、1980年夏の新宿西口バス放火事件に強くひかれた。この時、巨人戦のナイター見物帰りの父子が焼死したが、筆者はその父とは顔見知りだった。真相は日々のニュースではつかめなかった。後に事件を扱った恩地日出夫監督の傑作『生きてみたい、もう一度』で被告女性のその後はわかったが、犯行の真相は依然つかめなかった。ただ全身にやけどを負った桃井かおりの熱演ぶりが印象に残っている。
 これは安田の最初の担当事件で、彼は真相とその後の問題を語っている。それとともに、彼が「悪魔」や「鬼畜」とそしられようとなぜ凶悪犯人の弁護を引き受けるのかも見えてきた。それは、事件を個人の罪に帰して片付けてしまうのではなく犯人もまた社会のひずみが生み出した被害者であり、彼の境遇を理解し、彼にも「生きる権利」がある――という認識に立っていることからきている。(木下昌明/『サンデー毎日』2012年6月24日号)

*6月30日より東京・ポレポレ東中野、名古屋シネマテークにて公開。ほか全国順次 (c)東海テレビ放送


〔追記〕 映画をみても、新宿西口バス放火事件の真相がよくわからなかったという人がいた。そんな人には同名の原作(講談社文庫)がおすすめ。
 それによると「犯人はバスで楽しそうに帰宅する人々をみて腹が立ってやった」――という検察のつくった動機とは違っていたこと。犯人の頭の中を占めていたのは「福祉さん」のことだった。彼には小さい息子がいたが、妻が育児放棄していたので福祉施設に預け、出稼ぎして月々施設に送金していた。しかし、息子を引き取りにいけなかったのでいつも自分を責めていた。8月、出稼ぎ先の飯場が盆休みに入って、その間、新宿で過ごすものの、いつも「福祉さん」に追われているという強迫観念にかられていた。いよいよ盆が明けたときロッカーに預けてあった荷物がなくなっていることにがくぜんとする。字がろくに読めなかった彼は、これを「福祉さん」の仕業と思い込み、逆上した。
 犯人の頭の中では、相手はバスの乗客などではなかった。およそミステリーの小説世界などと違って犯行の真相はつじつまの合わないものだった。悲惨な事件をひき起こしたにもかかわらず、犯人の内面を占めていたストーリーは架空の「福祉さん」像との葛藤だったのだ。内面と現実とは、まるで噛み合っていなかった。そこにこの事件の不可解さがあった。その「真相」は、安田弁護人が根気よく面会しつづけたことでようやくみえてきた。その結果、「死刑」を「無期懲役」にすることができた。しかし、犯人は自分がしでかした犯行(自分の息子と同じような年の子まで死なせた現実)におののき、ついに刑務所内で自殺してしまう。自らの手で「死刑」を下したのである。彼もまた、この社会のひずみが生みだした「被害者」の一人だったか――
 映画の『生きてみたい、もう一度』のなかで目に焼き付いているシーンがある。それはヒロインと愛する男とのラブシーンで、女が男の背に腕をのばして抱きしめる――その時、焼けただれて皮膚のなくなった黒い腕がニューッとのびてくる。これにわたしは戦慄した。甘いラブシーンを予想していたわたしのイメージを映像はひっくり返したからだ。
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